孤独な魔導書 元奴隷少女と意思を持つ本の奇妙な共同生活
我が名はダンタルト・オブ・グリモワール。
かつて世界の脅威であった悪逆の魔王を封印した四人の英雄の一人、賢者ダンタルト様がその生涯をかけ、その魔術の叡智全てを書き記し完成させた、意思を持つ魔導書である。
そして今。父とも言える存在、我が創造主たるダンタルト様が亡くなった後、その遺言で、彼の屋敷の守護を命じられてからおおよそ五百年の時が経とうとしている。
「――フム。そろそろ限界か」
隠蔽魔術による屋敷の認識阻害や、屋敷の強度を保つための強化魔術を定期的に使い続けてきたが、ついに我の内蔵魔力が底を尽きかけていた。
叡智の結晶たる我は、存在するだけでも魔力を消費し続けるので、仮に何も魔術を使わなかったとしても、もってあと一月。
与えられた使命を遂行するため、屋敷を離れるわけにもいかず、魔力を補充する手段が無いのだ。
ダンタルト様が予め残していた魔力補充用の魔石も底を尽き、あと数回魔術を使用するのがせいぜいであった。
「申し訳ありません。我が主よ。約束は果たせそうに――ム?」
途方に暮れていると、ふと屋敷の周辺に人の気配を感じた我は、探知魔術を発動する。
魔力が残り少ないとはいえ、異常を見逃すわけにはいかぬからな。
「フム……どうやら子供が一人、複数の人間に追われているようだな。こんな夜更けに物騒なことだ」
こんな時にタイミングの悪い、そう思いながら魔力を込め、探知の精度を上げる。
体格から見ておそらく年端もいかない少女であり、この雪が積もるような寒い山奥に、似つかわしくないみすぼらしい服装、あざだらけの身体を見るに奴隷の身分だと推測する。
いや、そんなことよりも重要なことがある。少女から魔力反応が出ていたのだ。
「この反応……もしや魔術師か?」
もしそうだとしたら都合がいい。人が来ること自体が稀有なのだ、この機会を逃す手はない。魔術師さえいれば我の魔力の補充が可能であるからな。
我は協力の要請をするため、この少女を屋敷に招き入れることを決めた。
そうだな、まずは隠蔽魔術を解除するか。
「はぁ……! はぁ……! ――っ!?」
屋敷が突然目の前に現れ、困惑する少女に念話で語りかける。
『おい、そこのお前』
驚いた様子の少女であったが、すぐに冷静さを取り戻し屋敷を見つめている。
なかなか肝が据わっているようだな。まあ魔術師であれば当然か。
『助けが必要か? であれば取引をしよう』
「とりひき?」
『まぁ話は後だ、館に入るといい』
少女が扉を開け、恐る恐る館の中に入ってきたその刹那、外から怒声が聞こえた。
「親分! いました! このオンボロ屋敷に入ってくのが見えたっす!」
「ったく、あのガキめ手間かけさせやがって! 行くぞお前ら!」
フム、少女を引き入れた後に隠蔽魔術でやり過ごすつもりだったが、視認されてからでは隠蔽の効果は薄くなってしまうな。
いや、それより奴ら、聞き捨てならない事を口走ったな。
「わたしをよんだのは、あなた……?」
我は念話をやめ、疑問を持つ少女へと自己紹介をすることにした。
「フム、自己紹介がまだだったな。我が名はダンタルト・オブ・グリモワール。かの賢者ダンタルトが残した世界最高の魔導書である」
「だんたるおぶ……ぐりも?」
ガンガンと、扉を叩く音が響く。
どうやら少女を追っていた者達が屋敷へ辿り着いたらしい。
「やっ……!」
少女が頭を抱えてしゃがみこんでしまった。どうやら普段からこいつらに酷い目にあわされているようだ。
やはり奴隷なのだろうか。魔術師であればこのような荒くれ者の言いなりになどならないだろうに。
「鍵がかかってますぜ、親分!」
「よーし、俺に任せな……!」
ドガァァン!!
扉が蹴破られ、近くにいた少女の真横を通過する。
その光景を目にした我は、ついに我慢の限界を迎える。
「貴様ら! オンボロ呼ばわりした挙句、扉を破壊するなど不敬であるぞ! ここは、かの大賢者ダンタルトの邸宅である! 不埒な者どもめ! その罪、万死に値する!」
「あぁん!? 誰だ! ……って誰もいねぇじゃねえか」
男達がキョロキョロと辺りを見回すが、我の姿を見つけられずにいた。
「ここだバカモノが!」
「痛っ! メッチャ痛いっす!」
男どもの一人に、我の存在を知らしめてやるために、我の角による物理攻撃を加える。
我の体はそこそこの質量があるので、さぞかし痛いだろうな。
「ひぇぇぇ! お、親分! 本が……本が浮いてしゃべってるっす!」
「喋る魔導書だと? お宝の匂いがプンプンするじゃねえか! この屋敷ごと俺たち赤熊山賊団が頂くとしようかぁ!」
「さすが親分! お宝の匂いを嗅ぎ付ける天才!」
「へへ、当然だぜ。……おっと、そのガキも俺たちの大事な商品だ。返してもらうぜ」
このような下賤な者がのさばるとは、嘆かわしいことだ。怒りがふつふつと湧いてくる。
だが我とて無益な殺生は好まぬ。このまま大人しく帰るのならば、扉の件は見逃してやらんでもない。
「すまんが我はこの少女に用がある。貴様らは即座に帰るがいい、我は寛大だから今すぐ引き返すならば見逃してやるぞ」
「はん! 本のくせに偉そうにしやがって! 誰が紙切れの言うことなんか聞くかよ。行くぞおめぇら! なんだか知らねぇが斬れば大人しくなるだろ。やっちまえ!」
「フム……仕方がない連中だ」
一、二、三……フム、全部で八人か。奴らの中に魔術師はおらず、かといって大した闘気も感じられない。親分と呼ばれる者だけは多少マシな程度か……。
屋内での戦闘は屋敷を傷つける可能性があるため、転移魔術式を展開し発動する。
これで彼方まで飛ばせばそれで終わりなのだが、大規模な転移魔術は魔力消費が大きいので、屋敷の外、十メートル程離れたところに転移させるのにとどめる。
「なっ!? 転移魔術だと!? 高等魔術じゃねぇか! それに……今、詠唱してなかったよな……!?」
急に外へと転移させられた動揺からか、赤熊山賊団とやらは動きを止める。
馬鹿め。魔術師を前に足を止めるなど自殺行為に等しい。まぁ、奴ら程度がどうあがこうが結果は変わらぬがな。
「これで終わりだ。フム、そうだな……今宵は冷える。氷が舞っていても違和感がないだろう」
氷結魔術式展開――対象範囲選択――術式発動。
魔術を発動した瞬間、賊どもが足元から凍り付いていく。
「な……なんだこりゃあ!? た、助け――――」
ものの数秒で山賊どもは凍り漬けになる。フム、思ったよりも効果が及ぶまでに時間がかかるな。
思い付きで試した術式ではあるが、実戦では役に立たないだろう。改善の余地があるな。
さて、仕上げだ。組み込まれた最後の術式を起動させると、凍り漬けになった山賊どもは、粉々に砕け散り風に運ばれてゆく。
フム。実戦には向かないが、見た目的には美しいか?
氷が弾け飛ぶ感じ……そうだな、この魔術に名を付けるのであれば――
「――『氷結・キラキラバリーン』だな」
「……せんすわるい」
そう言いながら少女は館の外へと出てきた。失礼な。
「でも、きれい……」
目を輝かせながら、少女は夜空に舞う氷の粒に見とれていた。
確かに、夜空に舞う氷の粒が月明りを反射して幻想的に見える。その中身は俗物どもなのだがな。
しかし、いかんせん魔力を消費し過ぎた。もう大規模な魔術は使えないだろう。
「――さて、今宵は冷える。我は問題ないがお前は寒かろう。中に入るといい」
少女と共に館へと戻り、壊れた扉を応急処置で直す。
さて、本題に入ろうか。
「早速ですまぬが少女よ、お主を魔術師と見込んで頼みがある」
「……?」
「我の魔力が残り少なくてな、人間と違い我の魔力は自然に回復しないのだ。そこでお前の魔力を我に譲渡してもらいたい。無論、一度で我の魔力を満たせることはできないだろうから、回復させながら少しずつで構わない」
「まりょく? じょうと?」
ム? まさかとは思うがこの少女、魔術師ではないのか? 魔術師特有の魔力を纏っていたのだがな。
……人間と会うのも五百年ぶりだからな。我とて間違いはある。しかし魔術師の素質があるのは間違いないだろう。
「フム、まぁ問題ない。我の見立てでは、お前には魔術師としての素質がある。我を手に取り、表紙の中央にある魔石へと手をかざしてくれ。魔力の通り道は我が開こう」
少女の手元に移動し、そう語りかけた。
少女は恐る恐る我を手に取り、ゆっくりと魔石へと触れる。
「……こう?」
「そうだ、自分の体の中にある力を流し込むイメージで念じるのだ。あとは我が汲み取――――ッ!」
瞬間、大きな魔力の奔流が流れ込む。枯渇しかけていた我の魔力が、瞬く間に満たされてゆくのを感じる。
我の核たる魔石は、普通の魔術師百人分に相当する魔力容量を持つ。その魔石がほんの一瞬で満たされるなどと、誰が想像できたであろうか。
凄まじい魔力量だ。これならば何の訓練も無しにあれだけの魔力を纏っていたのも納得できる。魔力量だけで言えば我が主をも上回るであろう。
これは嬉しい誤算だった。我に組み込まれた魔石は、過去に四英雄によって討伐された強大な邪竜の核であった魔石を精錬して作られたもので、魔術師一人に補いきれる魔力容量ではないはずなのだが……。
「驚いたぞ、少女よ。本来であればしばらく滞在してもらい少しづつ魔力を譲渡してもらう算段だったのだが手間が省けた」
と、話しかけるも少女から返事はない。……寝息を立てているな。どうやら極度の疲労と魔力が抜けたことによる倦怠感が合わさったことで睡眠に入ったようだ。
睡眠が必要とは、人間とは不便な生き物であるな。
とは言え助かったのは事実。我は少女を寝室へ運びしばらく様子を見ることにした。
「そういば、人間は食事も必要だったか……」
おそらく腹も減っているだろう。館の守護の為あまり遠くには出れぬが、魔力にも余裕ができたので礼もかねて食料の確保に出るとするか。
他にも色々と用意してやるとしよう。我はもてなしもできる優秀な魔導書だからな。
◇ ◇ ◇ ◇
翌朝、全身煤だらけだった少女を風呂に入れ用意した服を着せる。
フム、人間の美醜の感覚はよくわからぬが、絹のように美しく長い銀髪、透き通るような白い肌。やせ細って不健康そうな所を除けば見てくれは美しいと言えるだろう。
だがこの少女には感情が無いように感じる。表情に変化が無いのだ。
くぅ~。
少女の腹の音が響く。
「……腹が減っているだろう、食事を用意する。そこに座って待ってるといい」
「……うん」
とは言ったものの、我は栄養を摂取する必要がないので料理など作ったことがない。
昨晩ホーンラビットを一匹狩ってきたがそのまま焼けば大丈夫なのか?
「……すまんな、腹が減ってるだろうが少し待ってろ」
書斎より料理関係の本を探し、読みながら実践する。フム、食べられる箇所とそうでない箇所があるのだな。
それにしても、魔術により刃物を操っているのだが料理となると繊細な操作が求められて面倒だ。今度料理用の魔術式でも組んでみるか。
「ふふっ……ほんが……ほんをよんでる……」
少女が我を見てかすかに微笑む。失礼な。我とて知らぬこともあるぞ。
「フ、そういった表情もできるのだな。お主のような幼子はそうしていたほうが魅力的だぞ」
途端少女は顔を赤くしてうつむいてしまう。余計なことを言ってしまったか?
「……なんか……おとうさん、みたい」
数瞬おいて少女はうつむいた頭を少し上げ、顔を赤らめたまま我にそう告げた。
「バカモノ、我は魔導書だぞ。故に子を持つことなどありえんのだ。それに、お主にも父親はおるのだろう?」
「…………おとうさんも、おかあさんも、あったことない……」
「……そうなのか、すまんな。余計なことを聞いた」
途端少女はうつむき、表情に暗い影を落としてしまう。失言であったな。
……聞けば凄惨な生い立ちであった。物心ついた時には孤児院に居て重労働を強いられ。あげく先の賊共に売り払われたのだとか。
孤児院とは名ばかりで裏でそういった組織との繋がりがあったのであろう。人間とはいつの時代も愚かなものだな。
「うん……。だから、わたし、いくところがなくて……。ここにおいてほしいの」
少女の提案に思考を巡らせる。フム、人間の寿命などそう長くはないだろうが定期的な魔力の供給が可能になるのは魅力的であるな。
それに、我が主の魔術理論の後継者にするのにこれ以上ない逸材でもある。この技術が世に伝わらないのは世界の損失と言えるだろう。
「いいだろう。ただしこの館に住まわせるにあたって条件がいくつかある」
「じょうけん……?」
「ウム、まず定期的に我に魔力を提供すること。魔術師としての修行をすること。最後に、この館には地下室があるがそこには決して近づかないこと。これらが守れるのであれば許可しよう」
「わかった。まもる」
「よかろう。ではお主をこの館の客人として認めよう!」
「うん、よろしくね。ぐりも」
「ぐりも……? いや、我の名はダンタルト・オブ・グリ――」
「ながくて、いいにくい」
「ム……。愛称というやつか? まぁいい。好きに呼ぶといい」
……なんだかこそばゆいな。考えてみれば、名を呼ばれること自体が久しいことだったと気付く。
……フム。名前と言えば、この少女の名を聞くのを忘れていたな。
「聞き忘れていたが、お主の名は何と言うのだ?」
「…………なまえ、ない」
確かに、この少女の生い立ちを考えれば名前が無いのも納得できる。そうだな、我が名を付けてやるとしよう。
……髪も肌も白い。で、あれば……。
「シロ、でどうだ」
「……? わたしの、なまえ?」
「ああ、そうだ。見た目が白っぽいからな。気に入らぬか?」
「……せんすわるい」
ム、失礼な。
「…………でも、うれしい」
目にうっすら涙を浮かべ、そう呟いた彼女の笑顔は、心の闇が晴れたように――“白”く輝いていた。
◇ ◇ ◇ ◇
あれから7年が経った。
シロは身長も伸び、出会った頃が嘘だったかのように明るく、朗らかな一面を見せるようになった。本質はそういった人間だったのであろう。
魔術の修行も順調で、文字の読み書きから始まり、魔術師としての基礎を修め、目を見張るような成長を見せていた。
だが、ここ最近は苦手な分野からは逃げ出してしまうといった悪癖も出てきた。
「いいか、呪文の詠唱などに頼ってはいかん。確かに最初のうちは便利だが、詠唱とは決められた術式をなぞるだけで、一定の効果しか得ることができない。例えば炎系初級術式であるファイアーボールだが――」
「……あーもー! 私は、実戦の方が合ってるの!」
「そう言って何度投げ出したのだ!」
術式の講義中、シロは突然に館を飛び出す。私が館を離れられないことをいいことに嫌いな勉強から逃げるつもりか。
魔力障壁で妨害するも、そのことごとくを打ち破られる。まったく、小賢しいところだけ成長しおって。
「クッ! わかった! 今日のところはお前の好きにしてもいいから早く戻ってこい!」
にやり、としたり顔でこちらへ戻ってくるシロを見てため息をつく。やれやれ、我も甘くなったものだな……。
まぁ、年齢的にはまだまだ子供であるし、そこまで急く必要はないであろう。
ただ、一つ懸念があるとすれば――
「ねぇグリモ、いつものやつお願い!」
「――ム、ゴーレム特訓か? ……いいだろう」
フム、ちょっとした仕返しだ。いつもより強力なゴーレムでいくか。
「大地に眠る土の精よ、我が命に応じ顕現せよ。クリエイト・ゴーレム」
詠唱術式で構築したゴーレムに、気付かれぬよう無詠唱で魔術耐性強化の術式を施す。
これで魔術師にとっては天敵となる。いつもの訓練用ゴーレムより数段強いものが完成したであろう。
「よーし! いくよ! ……猛き爆炎、その怒りの劫火で敵を撃ち滅ぼせ! エクスプロード!!」
シロの放つ爆炎がゴーレムを包み込み大爆発を起こす。いきなり炎系上級術式とは相変わらず派手好きだな。
いつもであればこれで終わっていただろう。だが……。
「――っ!!」
爆炎の中、ゴーレムの巨腕が振り下ろされる影を視認したシロは、あわてて障壁を展開する。
パリィーーン!
障壁が割れる音が響き、シロが大きく吹き飛ばされる。直撃こそ免れたものの、油断したようだな。
対するゴーレムも無傷とは言えないが、まだまだ健在である。
「けほっ……いてててて」
「油断したな、シロ」
「もー! ちょっとグリモ! いつものやつと違うじゃない! 大怪我したらどうするの!」
「そんな貧弱に育てたつもりはない」
「なによもう……! じゃ、本気出しちゃおうかなっ!」
シロがそう言うと、無詠唱で魔術式を展開する。フム、無駄のない美しい術式だ。
彼女の掌に視認できるほどに圧縮された白く輝く魔力の塊が出現し、ふっと息を吹きかけたかと思うと、それはまるで粉雪が舞うかの如くゴーレムの周囲を漂い、みるみるうちにその体を凍り付かせていく。
パチン!
シロが指を鳴らすと同時に氷結は加速。形容するのであれば氷の花束のように氷柱が咲き乱れ、数瞬の後粉々に砕け散り、風に舞う。そこにはゴーレムの姿は跡形も無くなっていた。
「『絶対氷結術式・白雪』…………ってとこかな」
「見事だ。独自の術式を組めるとは、相変わらず氷結系の術式だけは既に一流であるな。」
「えへへ……ありがと。昔グリモが見せてくれた術式が目に焼き付いててさ……。それを私なりにアレンジしてみたの。なんだっけ、あの……氷結なんちゃらってやつ」
「氷結・バビューンか」
「そう、それ! フフッ! ……フム、相変わらずネーミングセンスの悪さは一流であるな! ……フフ、グリモったら可笑しいんだから!」
シロは眉にしわを寄せ、声のトーンを落としおどけたようにそんなことを言う。なんだそれは、我の真似か?
……以前の我であれば激昂していたかもしれない。だが今は怒るどころか、得体のしれない心地のよさを感じていることを自覚している。
この感情は何なのか、書物をいくら読んでも結局答えを得ることはできなかった。
「……まったく、興味のあることに対しての吸収力は目を見張るものがあるが、それ以外のところが疎かになっているのはいただけんな。怠慢だぞ」
「う……」
「そもそもだ、相手の力量を見極めようともせずに、いきなり大技を放つから不意を突かれるのだ。派手好きなのは構わんが、よりにもよって爆炎や粉塵で視界が悪くなる術式を選ぶとは……。
他にも選択肢があったろうに。本当の実戦ではそういった積み重ねが命取りとなるのだぞ、バカモノが。先の氷結魔術も無駄な部分が多いように思う。具体的には――」
「――!グリモがイジワルしていつもと違うゴーレム出すからでしょ! グリモのバーカ、バーカ!」
そう言い残すとシロは館へと走り去ってしまう。笑ったり怒ったりせわしない奴だ。
……しかし、少し言い過ぎたか。まぁ、このような言い争いは何度もあった。しばらくすれば頭も冷えて落ち着きを取り戻すだろう。
教育とは難しいものだ。書物によると学校という機関に所属する教師と呼ばれる人間は、一人で数十人もの子供の教鞭を執るらしい。彼らは聖人か何かだろうか?
「フム、今日の件に関しては我も大人げないところがあったな……。どれ、今日の夕食はシロの好物であるホーンラビットの香草焼きにするとしようか」
美味しそうに食事を頬張るシロの笑顔を想像し、自然と心が軽くなるのを感じた。
思えば、彼女の為に食事を作ることが習慣となり、料理の技術が格段に磨かれたと思う。魔導書だと言うのにな。
「フ、料理をする魔導書など、世に知れたあら笑いの種にされるであろうな。……さて、香草は蓄えがあったな。ホーンラビットを探すとしよう」
探知魔術を発動するも、近辺に反応はない。……仕方ない、範囲をもっと拡大して探してみるか。
……失念であった。この時期、ホーンラビットは土の中で休眠状態にあり、そのほとんどが姿を現さないと書物で読んだことがある。
「多少時間がかかってしまうが仕方がないか……。この近辺に脅威となる存在はいないことだし、少し遠出をしよう」
シロの笑顔が脳裏に浮かんだ我は、彼女の好物を作ためにホーンラビットを狩る以外の選択肢を失っていた。
この選択が、後の悲劇を起こす引き金になるとも知らずに……。
◇ ◇ ◇ ◇
「フム、予想以上に時間を食ってしまったな……」
おそらく1時間以上は経っているだろう。早く帰ってやらんとシロが拗ねているかもな――
「――ッ!!」
刹那、おぞましいほどの邪気が溢れ出すのを感じる。館がある方角からだ。
「クッ! しまった!!」
魔力消費量を考えず、探知魔術でシロの反応を探り、長距離転移魔術を使用し転移する。
――パキッ
乾いた嫌な音が響く。だが、今はそれどころではない……!
「シロ!! 無事か!!」
転移した先は館の地下室だった。
やはりか……!想定していた最悪の事態を目の当たりにし、先ずはシロの安全を確認する。
「あ……わ、私……グリモが、遅いから……ちょっと困らせてやろうと、思って、ね」
どうやら怪我はないようだが、邪気にあてられ酷く取り乱している様子だ。
「地下室に隠れて、ね。……びっくりさせようと、して……。そしたら、仲直りできるかも……って……」
今にも泣きだしそうな顔をしながら彼女は続ける。
「そしたら、ね。……そこの、床の模様のところから『助けて』って、聞こえて、ね……グリモにしてるみたいに、魔力を……流して」
「……あぁ、あぁわかった。シロ、遅くなってすまなかった。もう大丈夫だ。」
かつての四英雄が、悪逆の魔王を封印する際心臓を4つに分け、封印した。その心臓の一つがこの館の地下に封印されていたのだ。
その封印を護ることが我の使命であったのだが……完全に油断した。
我が館を離れたのをいいことに……しかも、こともあろうにシロの優しさにつけ込み、たぶらかすなど……!
「すまない、シロ。お前が成長するまではと思って黙っていた我の責任だ。……ここには魔王の心臓が封印されていたのだ」
「ま……おう?」
……おそらく封印されている五百年の間、力を溜め込んでいたのであろう。でなければこうも容易く封印が破られるはずがない。
魔王の力を完全に封印できていたわけではなかったか……。我々は魔王の力を甘く見ていたのかもしれない。
ドォォォォォォォン!!
激しい音とともに地面が大きく揺れ、館が悲鳴をあげたかのように軋む。
クッ、いかんな、まもなく防壁が破られる。魔王の心臓には魔物を生み出す能力がある。防壁が破られたが最後、数千、数万の魔物が世に放たれるであろうことは想像に難くない。
「話は後だ、ここはもう持たない。外へ出るぞ」
「え?」
転移魔術で館の外へ緊急脱出する。と同時に視認できるほどに濃厚な黒い邪気が迸り、防壁を貫き館を粉微塵に吹き飛ばす。
「ああっ! 私たちのお家がっ!」
「落ち着くのだ」
コツッと、シロの頭に我の体を軽く当てる。
「……いったーい! もう! 角はやめてっていつも言ってるでしょ!」
……どうやら、多少落ち着きを取り戻したようだな。
溢れ出した邪気が形を作り、魔物へと変化していく。……まずいな、かくなる上は心臓本体が外に出る前に再度封印をするしかない、か……。
しかし、四英雄が命がけで封印したものを我一人でどうにかなるものであろうか?……いや、どちらにせよ放置はできない。やるしかないであろう。
邪気が溢れぬよう、周囲を幾重もの結界魔術で覆う。
――ピキッ
「ッ……シロ、ここは危険だ。お前は遠くへ逃げるのだ」
「う、うん……。 グリモは? グリモはどうするの!?」
「我はあれを再度封印せねばいかん。なに、我にかかればどうということはないさ。」
「……嘘。私にだってわかる。魔王ってすごく強いんでしょ? 本で読んだもの! 私も戦う!」
「ワガママを言うな、お前がいたところで大して戦況は変わらん」
……実際にはシロは魔術師としてはかなりの腕前だ。ダンタルト様を除けば我が知っている魔術師の中では一番の使い手であると言える。
故に、ここで彼女を危機に晒すことなどできないのだ。まだまだ成長途上である彼女は、このまま鍛錬を重ねれば必ず、賢者と呼ばれる存在になるであろうという確信がある。
……親バカと言うやつかもしれないがな。
「いやっ! ここで逃げるとグリモに二度と会えない気がして……。そんなのいやなの!」
「バカモノ! 心臓だけとはいえ魔王が相手だ。無傷ではすまないぞ」
「私だって戦える! グリモだって氷結魔術なら一流だって言ってたじゃない!」
……まったく、頑固なところは誰に似たのであろうか。おそらく転移術式を使おうとしても術式抵抗されるであろう。転移が使える対象は術式抵抗がないものか、抵抗があっても圧倒的に格下の場合のみだ。
だが共闘することで勝算が高くなるのも事実。不本意ではあるがシロの力を借りるとしよう。
「……わかった、足を引っ張るなよ、シロ」
「――うん!」
既に数百の魔物が結界内をうごめいていた。だが数が多いだけで結界を突破することすらできないでいた。
で、あれば……
「シロ、結界内全域に対し広範囲術式を使う。すまないが撃ち漏らしがいたら頼むぞ」
「了解!」
「広域殲滅術式構築、範囲指定、術式強度設定……。いくぞ! 『雷鳴・ドカーン』」
激しい音を立てながら、結界内を雷鳴が豪雨のように降り続け、魔物を打ちつける。
フム、雷に耐性のある魔物がいたようだな。見たところまだ十数匹の魔物が健在であった。
「プッ! ち、ちょっと笑わせないでよ! ……貫け! 『アイスニードル』」
間髪を入れずにシロが無数の氷の槍で魔物を撃ち貫く。……よし、どうやら全滅したようだ。
有象無象をいくら並べたところで無駄だと悟ったのであろう。邪気が一か所に集中している。強大な“個”を生み出そうとしているようだ。
かつての魔王の腹心であった六魔将……それらに匹敵する力を感じる。このような存在を生み出せるほどの力を蓄えていたとは……他の地の封印も気にかかる。
「……シロ、ここからが本番だぞ。」
「うん……かなり強い力を感じる……」
辺りに散らばる魔物たちの死骸をも吸収し、かつての館を優に超えるほどの巨大な影を形作る。
「あれは……竜種か!」
魔物の中でも最上位に分類される種族で、強靭な肉体、強固な鱗、そして高い魔術耐性がある。
その竜種は黒い体から漆黒のオーラを絶え間なく発し、赤く獰猛な瞳でこちらを睨みつけていた。
こいつが今の状態の魔王が使える切り札と見ていいだろう。生まれたばかりでまだ知性は無いようなのが幸いだ。
「ガアアアアアアアァァァァァァァァァッッッッ!!!!」
ガラスが割れるような音を立て、竜の咆哮と同時に結界が全て破壊される。その光景から先ほどまでの魔物とは格が違うのだと思い知る。
「――ッ! 来るぞ! 近づかれると不利だ、距離の離れているうちに我の最大火力を打ち込む。シロは足止めを頼む」
「……わかった! ……『絶対氷結術式・白雪』!」
距離を詰めようと迫る竜の両足が凍り付く。魔法耐性を持つ竜種にここまで干渉できるとは、凄まじい魔力強度だ。
…さすがに全身を凍り付かせるとまではいかなかったようだが……足止めとしてはこれ以上はないだろう。
「よくやった! その状態を維持してくれ!」
「ぐぐぐ……抵抗がやばい……!! グリモ早くー!」
「急かすな、高難度の術式だ。集中せねば――ッ!!」
術式の構築中、嫌な気配を感じ竜を見やると口内に魔力が収束していくのが見えた――ブレスか!!
獰猛なその瞳は真っすぐにシロを捉えていた。まずい、シロは魔術の維持に集中して気付いていない様子だ。回避は無理か……!
とっさに構築中の術式を解除し、竜とシロの射線上に割り込む。
「あっ……」
「魔術を維持しろ!」
竜の口から高密度に圧縮された熱線が発射される。
「クッ、 耐熱障壁多重展開!」
シロの周囲と、射線上に障壁を可能な限り生成する。
放たれた熱線の威力に、数十と積み重ねた障壁が次々と破壊される。直撃こそ避けているものの、周りの樹木が炭化していくほどの凄まじい熱量だ。
凄まじい威力だ、出し惜しみはしていられない。全魔力を障壁の生成に注ぐ。
――パキパキッ!
「クッ……オオオオォォッッ――!!」
刹那にも感じられた時間だったが、数分は経っただろうか……熱線の放射が止まり、場が静寂に包まれる。
どうやら攻撃は終わったようだ。あやつめ、魔力を大量に消費した反動で動きが止まっているな……しかも氷結魔術が維持された状態だ。
直撃ではないにせよ、あれだけの熱量の中、氷結を維持するとは……おそらく我にも実現できまい。
大量の魔力使用の反動、氷結状態。今の状態は好機だ、見逃す手はない。
「……グリモ、ごめん。私を守るために……」
「気にするな。それより好機だ、魔力補充を頼む」
「うんっ」
シロから魔力を受け取りながら、魔術を構築する。
「……あれ? グリモこれ……」
「……集中しろ。今は目の前の敵から目を逸らすな」
「う、うん……」
構築完了。……ダンタルト様、あなたの魔術を使わせてもらいます。
「穿て、『滅竜雷撃術式・破滅の雷槍』」
まばゆい輝きを放つ巨大な光の槍が竜へと飛翔する。
本能的な危機を感じたのか、竜が目を見開く。が、もう遅い。もはや必中の距離だ。
――が、当たるかと思ったその瞬間、竜の前に魔王の心臓が現れ、魔術を障壁で受け止める。
せめぎ合ってはいるが、障壁が破れる気配がない。まずいな……このままでは防がれる。
「シロ、すまないがありったけの魔力を我に流し続けてくれ」
「わかった。…………グリモ、大丈夫?」
何か感じるものがあるのであろう。消え入りそうな声で我に問いかける。
「心配するな、どの道やらねば我らの命はないだろう」
「信じてるからね、グリモ……!」
魔力の充足を感じる。よし、これならばアレが使えそうだ。
追加で2発の破滅の雷槍を放つ。そして……
「術式合成・三連……『神滅雷撃術式・必滅の雷迅槍』!!」
三つの魔術を合成し、新たに再構築する。
術式の合成は、ダンタルト様が死の間際、ついに完成させた魔術の神髄。合成によりその威力は単純に三倍になるのではなく、数倍に跳ね上がる。
この規模の魔術の合成はぶっつけ本番だったが、うまくいったようだ。シロの無尽蔵に近い魔力供給がなければ実現できなかっただろう。
「すごい……。これが、グリモが言ってた魔術の合成……」
凄烈な閃光が敵を飲み込む。残響が消えたころ、そこに敵の姿は無く、魔術に触れたもの全てが灰燼と帰していた。
「やった! やったよグリモ! 魔王を倒しちゃった!」
「ああ、まさか消滅にまで追い込めるとはな……。我々の完全勝利だ――」
――我の魔石が万全の状態であったならば。
ピシッ――パキパキ――
…………無茶をし過ぎたな、ここまでか。ぽろぽろと、我の核である魔石が崩れ落ちていく。
「――!! グリモ、魔石が割れて……!」
「すまないシロ、我はどうやらここまでのようだ」
「……えっ? 何言ってるのグリモ……? はやく、新しいお家作らなきゃ」
「シロ、聞いてくれ。我の核である魔石は、この五百年の間魔術を使い続けた事で酷使し続けてきた。その代償が今のこの状態だ。この魔石が機能しなくなったとき、我という存在はこの世から消えるだろう」
「消え、る……? 嘘だよね? 私のことからかってるだけだよね?」
「嘘ではない。……黙っていてすまなかった。前々から違和感を感じてはいたが、お前の修行に支障が出ると思い、言わなかった」
「…………うぅ」
膝を落とし、うつむいた彼女の瞳からぼろぼろと大粒の涙が溢れ出す。
魔石に残された魔力もあと僅か。あと何回、シロとの言葉が交わせるかすらわからない――
(グリモ、だーいすき!)
――あぁ、昔は思ったことをすぐ口にしていたな。最近では恥じらいを覚えたのか、素直に感情を表に出すことが減っていったな。
(もう! 今日はグリモと出会って一年の記念日だよ!)
細かいことをよく覚えている。……わかったわかった。来年からは一緒に祝おう。――あれから毎年、我にとっても大切な日となったな。
(もうっ! 洗濯は自分でやるって言ったでしょ!)
小さい頃は我がやっていたのだがな。年頃の女性というのは難しい。――子供が成長していく様を見るのは不思議と嬉しいものだな。
――ふと、これまでのシロとの思い出が頭をよぎる。フ……これが走馬灯というやつか?
「シロ、我はな……お前の成長を見守るのが、いつの間にか生きがいとなっていた。それこそ我が使命を忘れるほどに。お前が新しい魔術を覚えるたびに笑い、調子に乗るなと言えば、怒る。そんな毎日が、五百年の間孤独だった我には代えがたい大切な時間になっていたのだ……」
「やだ、やだよ……」
「できることなら、お前が成長した姿を最後まで見届けたかった。お前が、『賢者』と呼ばれるその姿を……」
「――見ててよ! ずっと見ててよ、グリモ! もっといっぱい教えてよ! もうワガママ言わないから! 苦手な魔術だって、もっといっぱい練習するからぁ……!」
「…………もっと外の世界を見るんだ。旅に出て、その見聞を広めるのだ」
「そんな、お別れみたいなこと言わないでよぉ……。私が、私が魔王の封印を解いちゃったから……。私が余計な事しなければ、グリモは、まだ……!」
「バカモノ……我が子の責任を負うのが親の務めだ。お前が気に病むことではない」
「――ッ!! グリモ、今なんて……」
「魔導書である我がお前のことを娘のように思うなど、人間のお前からしたら迷惑な話かもしれないが――おっと、ここ――までの――だ――」
「ダメッ! 待って!」
「今まで――ありが――お前に――て、幸せ――愛して――我が娘――」
「やだっ! もっといっぱい、一緒に居たいよ! 私だって……、私だって! 出会ったあの日、どれだけ救われたか……! まだ、ありがとうって言ってないよ! だから……だからいかないでよ!」
「――おとうさん!!」
――少女は立ち上がる。その体に似つかわしくないほど分厚い本を抱えて。
――少女は旅立つ。あの日の言葉を胸に。
――これは、後に『白雪の賢者』と呼ばれる魔術師、その始まりの物語――
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
小説初挑戦だったので拙い部分もあったかと思いますが、よろしければ感想・評価等お願いいたします。