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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【終章:後】 致死量の、
92/92

91  『慈愛。』  皆口ひので




 早くこの子に会いたい。

 蠢く(はら)を撫でながら糸子は言った。

 私はそれが、うれしい。


 胎動が静まると、糸子は夕飯の支度をすると言って立ち上がった。

 手伝う、と、同じく立ち上がろうとしたところ、「いいから休んでなさい」と言いつけられまた絨毯に座り込む。結局糸子は一人でキッチンへ向かってしまった。


 食器の音を背に、ベランダの窓硝子に映る自分を眺める。


 臨月を控えた大きな胎。

 硝子に映っているのは、私じゃないようで、紛れもなく私。

 そして映っているのは、私だけじゃ、ない。





 高校生(年下)を騙すのは簡単だった。


 素性を隠して近づくのも、交際関係に持ち込むのも、何事も無かったかのように音信不通にするのも。

 悪い子ではなかった。底抜けな明るさとか物怖じしない距離感とか、今時の若者を地で行っているような子だったけれど、性根の真面目さは明白だったし。

 だから、結果的に弄んでしまったことに罪悪感が無いと言ったら、嘘になる。


 だけど()()を果たすためには、手段など選んでいられなかった。


 胎の(この)子はいともたやすく手に入った。



 この子には、この、胎の子には、




 モモカの血が流れている。




 どうしても欲しかった。

 彼女と同じ血、同じ肉、同じ骨……たとえ僅かな、微量なものだとしても、私の愛する人の遺伝子を持った存在が、欲しかった。




 “おにいちゃん。おねがいが、あるんだ。”


 少女の私が兄に懇願した、たった一つの望み。


 “モモカちゃんと、……家族に、なってほしい。”


 なぜ兄にそれを願ったのか。答えは、兄に告げたとおり、私が彼女の家族になりたかったから。



 そして、もうひとつ、

 モモカに、兄との子を産んでほしかった、から。



 私とモモカ、二人の遺伝子を持った、二人の血が混じる存在が欲しかった。



 女の私にモモカとの子を作ることはできない。だから兄は私の唯一の希望だった。

 この世で限りなく私に近い存在。

 血も肉も骨も、すべて同じ材料から出来ている、性別だけが違う(ひと)

 …………彼女を愛した日から、何度悔んだだろう。




 私がおまえだったらよかったのに




 (あさひ)


 おまえが憎たらしくて妬ましくて羨ましくて、

 愛しくて仕方なかった。


 絶え間ない劣等感と一条の光。

 殺意と紙一重の最愛。

 幼稚な私に、その愛憎を受け容れるのは難しく、理解なんてできるはずなかった。兄との差を思い知るたび、正体不明の激情に襲われた。そして傲慢に兄を踏み躙り、暴虐に走った。

 どうやって兄の妹でいればいいのか解らなかった。



 でも今なら、少しだけわかる。



 …………ああ、動いた。胎動を感じながら、私は胎を撫でて思う。



 受け容れなくて、理解なんてしなくてよかったんだ。

 私は私のまま兄の妹として、幼稚な頭で傲慢に考え、激情の赴くまま暴虐を振舞えば、よかったんだ。



 あの日、兄は言った。


 “俺は、なんにもしてないよ。”


 十年、私は考えた。

 この子を宿し、ようやく気づいた。


 兄は何もしていない。生きていただけだ。



 生きているだけで毒だったんだ。



 言い訳も、言い分も、信念も、理由も、葛藤も、選択も、兄なりにあったのだろう。しかし、そんなもの無意味だ。

 生きていただけ。存在していただけで、私たちの日常に(ひび)を入れた。



 モモカを狂わせたのは名塚月乃なんかじゃない。

 糸子の祈りの底にいるのは仲村星史なんかじゃない。

 私がこの子を慈しむ理由は……桂木百香だけじゃない。




 遺伝子による風評被害、及び直接的被害を、私は日々こうむっている。

 これはどのメディアも取り上げてくれない、実に深刻な現状だ。


 私には二人の愛する(ひと)がいる。


 ひとりは、母性に飢えた幼い私に、母以上の愛を注いでくれたひと。

 もうひとりは、これから先の人生で、共に母となってくれるひと。


 二人とも、私と同じ遺伝子の男に巣食われている。

 この世で限りなく私に近い存在に、蝕まれている。



 彼女たちは、私のなかに兄を見ている。



 ……それでいい。


 きっと私も、彼女たちごと兄を愛しているから。

 兄へ向けられた致死量の慈愛を、私は貪り続けるから。





 ……ごめんね


 (はら)に向けて告げる。


 (ここ)から出てきたら、ちゃんとあなたを一番にするから。

 一番に、最優先に愛するから。

 きっと、そうなってくれる、はず……だから。




「…………。」




 窓硝子のなかの私がボールペンを握っている。



 ためらいの無い腕が、

 白銀の鋭利な先端を、喉に突きたてた。




 ……そんなわけ



 そんなわけあってたまるものか




 私は




 あんな女になんて ならない────









「ひので、食事にしましょう。」



 呼びかけられて腕をおろした。硝子から目を逸らす。


 振り向くと、食卓が彩り良く配膳されている。八重さんのご飯は好きだ。最近は私の身体を考えるあまり、栄養バランス重視になり過ぎだけど……


「そろそろジャンクな物が恋しいんじゃない?」

 心を読むかのように糸子が言う。


「うん。マックのポテト食べたい。」

「妊婦あるあるね。」


 あけすけに笑う糸子を前に、私は兄へ、ざまあみろと、ほんの少しだけ勝ち誇りながら席についた。











皆口(みなぐち)ひので 26歳 三月二十一日生まれ B型


東京都豊島区出身

父・皆口(みなぐち)ひずる、母・(あきら)の長女として産まれる。第二子であり、兄は皆口(みなぐち)(あさひ)

幼少期より勉学と運動、両面において優秀な生徒であったが同時に問題行動も多く、またその目立つ存在から喧嘩や暴力沙汰が尽きない学生生活を送る。

立て続く暴力問題により十五歳で高校を退学。

十六歳でかねてより常連兼サロンモデルとして親交のあった美容室にて、アシスタントとして就職。

翌年、ネイリストの資格を取得。

二十二歳の秋、友人・雨宮(あめみや)糸子(いとこ)と同居を始める。

現在第一子を妊娠中。

妊娠を機に雨宮糸子の提案によりマンションを引き払い、彼女の実家に移り住む。



────二十六歳の春、

桂木(かつらぎ)百香(ももか)の従弟・桂木イヅに素性を隠し接近。彼との子を身ごもり、妊娠を伝えぬまま関係を絶つ。

人知れず百香の遺伝子を手に入れる。



来月、出産予定。






長い間、お読みいただきありがとうございました。


2021年現在、本作の続編となる『アメカレ』が連載しております。


本作の登場人物がメインではありませんが、ご興味をお持ち頂けましたらどうぞご覧下さいませ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] お疲れさまでした!! やはり何度読んでも最愛なる猛毒は面白い! 自分もすっかりぎぐ作品の虜です♪ [一言] 名塚月乃がメインで書かれた作品ってありますか? ルーツを知るという意味で月乃に…
[一言] お疲れ様でした! こんなにも心に深く刺さる物語はそうそう出会えません。素敵な作品を書いてくださりありがとうございます! 次回作も楽しみにしてます!
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