89 『渇愛。』 甲斐百香
やっぱりチャペルにして正解。白無垢も捨て難かったけど。
決め手はこのフィンガーレスのレースグローブ。実はドレスよりお気に入りだったり……って、ふふ。パパってば腕震えてる。緊張してるのかな。
わたしはきゅうと指に力をこめる。パパの震えが、しずかになる。
扉の先に、バージンロードが広がった。
晴れてよかったあ。ステンドグラスがきれいに映える。
眩しい光のなか、絶え間ない祝福のなか、わたしはパパと歩き出す。
おごそかになんて心の底からなれるものじゃない。花嫁でいてもやっぱりわたしは、わたしのままだったりする。集中、しなきゃ、って頭では思っても、やっぱり嬉しくてそわそわしちゃう。
みんな来てくれた。みんな、懐かしいな。
小学校からのお友達も、中学の先輩も、高校のクラスメイトも、サークルの後輩も、会社のみんなも……嬉しい。
今日の、人生で一番綺麗なわたしを祝福してくれる。
それに、…………
……あれ?
……旭………………どこ?
「……百香、」
パパが小声でささやいた。
気づくと、甲斐くんが手を差し伸べている。
……いけない。ぼーっとしてた……。
わたしは何事もなかったように甲斐くんの手を取り、祭壇前に並ぶ。何事もなかったように式は進行し、讃美歌が流れる。
見落としちゃっただけ……かな?
……うん、そうだよ。だって、きてくれてたもん。さっき、控え室で喋ったもん。
きっとこの、式場のどこかにいるはず。
わたしを、見ていてくれているはず。
「……健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、死が二人を分かつときまで、」
集中しなきゃ。今日のわたしは花嫁。今日から正式に、甲斐くんのお嫁さん。ほら、神父さんが誓約のことばを読んでる。
「命の灯の続く限り、堅く節操を守ることを約束しますか?」
「はい。誓います。」
甲斐くんが答えた。続けてわたしも、答えなきゃ。
「……はい、ちかいます。」
今日からわたしは、このひとの妻。
証を交換しなきゃ。わたしたちの婚姻の、目に見える誓約。結婚指輪。……あ……ふふ。甲斐くんまで手、震えてる。パパとおんなじだ。
指輪をはめたわたしは、同じように彼へ指輪をとおす。
今日からわたしたちは、家族。
このひとはこれから一生、わたしと一緒にいる。
わたしを愛し、守ってくれる。
「それでは、誓いの口づけを。」
ベールがあげられて、わたしの愛する人が見える。
わたしも愛さなきゃ。
守らなきゃ。
一生をかけて、このひとを、
守って、あげなきゃ……
────……、
──── “ごめんな、百香、”────
…………っ…、
──── “ありがとう。”────
……あれ……?
なんだっけ……これ……
──── “ゆるして、くれよな。”────
血の……味が、する…………
くちづけを終えた、愛する人の顔がみえる。
……あれ? どうしたの? 甲斐くん、
そんな、驚いた顔して……
あれ…………?
会場がざわついている。
なに? どうしたの? みんな。
え……
……あれ?
「……え? あれ……? あれ……?」
なんで、
なんで、わたし、
涙が止まらないの?
……だめ……おもいだせない……
「あ……れ? ……どうして……ももか……あれ……?…………もも……か?」
ねえ、どうして、
百香をみてくれないの?
甲斐百香 28歳 四月二十八日生まれ AB型
旧姓 桂木百香
東京都豊島区出身
会社員の父・桂木香輔と専業主婦の母・百絵との間に長女として産まれる。
幼少期より面倒見がよく、友人も多く生活態度も良好。地元の小中学校に通い、穏やかな少女時代を過ごす。
都内の私立高校を卒業後、都内女子大に進学。大学卒業後は一般企業の受付事務に就職。
職場恋愛を経て三歳年上の同僚と結婚。




