88 『猛毒。』 一ノ瀬旭
健やかなるときも 病めるときも
富めるときも 貧しきときも
死が二人を分かつときまで
命の灯 続く限り────────
新幹線を四時間、特急に乗り継ぎ二時間。ようやく最後の改札をぬけた。
東京滞在は三日間だったが、移動だけで半日以上費やすのだから体感的には一泊ってところか。自宅が最寄駅徒歩圏内なのが救いだ。
正しくは、自宅兼、職場だけど。
生成色の壁に貼り付けた、赤茶煉瓦のタイル。扉と同じ素材の木製の窓枠。暖簾ではなく看板として掲げられた『せきと』の店名……。
開業して一年経つが常に思う。どう見ても和食中心の料理屋じゃねえよな。
“本店と同じような外観はガチ感あって可愛くない”
……というのが、あいつの主張だった。
かわいくないって……当然僕は鼻で笑ったが、意に反してそのふざけた主張が採用され、悔しいことに大当たりし、軌道に乗るのは予定より早かった。今では常連と呼べる顔も多く、客層も驚くほど広い。
いや、有り難いんだけど……普通にうまくいってるんだけど…………だけど! 個人的には新潟の本店みたいな、昔ながらの味がある舗を目指したかったわけだ。
そんな不毛な思いに毎度毎度、そして遠路遥々帰ってきた今日も胸を絞めつけながら、『CLOSE』の札がぶら下がる扉を引いた。(この札だって本当は『支度中』がよかった。扉だって引戸がよかった……)
「あれー? 意外と早かったじゃん。」
カウンター席で寛ぎながら、星史は出迎えた。
テレビを点け、テーブルにはカフェオレ、手には菓子パンらしき物を持って口をもくもくさせている。
「傷心旅行はいかがでした?」
そして悪い顔を向けてくる。
「過去の女達にふられに行くとかさぁ、ドM過ぎない? あはー。」
「知ってるか? 移動って案外疲れるんだよ。」
よって面倒くさいのはスルーします。素通りしてキャリーバックを開く。床がキュッキュと良い感触で鳴った。艶も保っているし、休業中も掃除は欠かさなかったようだ。
「ねー。お土産はー?」
褒めてやりたいところだったが、面倒くささが上回る。星史は隣でしゃがんで僕の手元を覗きこんできた。
「土産って……その手に持ってるのはなんだよ、」
「ねんりんやのバームクーヘン。陽さんから送られてきた。あと、冷蔵庫に五十番の肉まんも入ってるよ。それは仲村の親からね。」
「色々突っ込みたいけど、まずバームクーヘンは筒食いするもんじゃねーから。」
不在の三日間、こいつの食生活がおそろしく不安になった。しばらくは野菜を多めに摂らせよう。といってもきっと冷蔵庫は空だ。仕入れがくるのは明日だし……やはりあとで買い出しにはでないとだな。
「イヨさん元気だった?」
荷物を整理する傍らで星史は聞いてきた。
「おう。ついに猫飼い始めてた。」
「わ。ついにか。」
洗濯物を分けたり、すぐにしまえる物は片付けたりしながら話し続けた。
「また渋い名前つけてたよ。『文』に『和む』で、文和って言ってたかな。」
「ふーん。賈詡の字かあ。」
思わず手を止めてしまった。
似たような会話を十年前、別の場面で別の相手と交わしたのを、思い出す。
「……そのさ、あざな、って何?」
十年前と同じ質問をする。
「旭くん、少し本読んだほうがいいよ。」
十年前と同じような返答が、違う相手から返ってくる。
とたんに、はあー……と大げさな溜め息をつきながら膝を崩した。しゃがみ込んで頭を抱える。半分悪ふざけで半分本気の、僕らしくない大袈裟なリアクション。
「あ。その様子だと東京で何かあったね?」
あったよ。大有りだよ。むしろ今だよ。
……なんでまた、よりによっておまえが、あいつと同じ台詞を吐くかな。しかもこのタイミングで。
理不尽な偶然が僕を、らしくない方向へ導いていた。
「雨宮……すげー綺麗になってた。」
顔をあげて告げると、星史は星史で、らしくない反応を見せた。
「ふーん。」
冷静なまでの真顔である。先ほどまでの面倒くささはどこに行った。
「いや何か言えよ。「ブスじゃん」とか、「どうせブスでしょ」とか、「ブスだから伸びしろあるだけ」とか、おまえ言うじゃん、いつも。」
「だって言ったら怒るじゃん。」
ぐうの音も出ない正論に続き、「ていうかブス連呼してるのそっちだし」と、畳み掛けてくる。今度は完全本気のリアクションとして、長く深い息をついた。
うなだれる僕の正面で、星史もしゃがみ込む。
「おれさー、きみの激動の十年を一番近くで見てきたつもりだけど、ほんっと変わらないよね、旭くんって。脈無しの女に惚れ続けるとか、気持ち悪い通り越して不憫だよ、逆に。」
更には死体蹴りですか。辛辣すぎるだろ。ていうか本当よく喋る男だな、こいつ。
うなだれたまま彼の話を聞く。
「いやさ、社会的には成長してると思うよ? 仕事は真面目だし、資格も取ったし、舗決めたときだって面倒な申請とか一通りやってくれたじゃん? おれ絶対無理だもんそういうの。だから充分成長してると思う。」
今度は飴と鞭ですか。
「なのに根本は高二のまんまだ。」
結局鞭じゃねえか。
言いたい放題で遠慮が無いな。言葉は選ばないし、雰囲気も守らないし、顔色だって窺わない。しかも平然と辛辣で、このうえなく面倒くさい。
……まあ、当たり前か。
「一緒にいる分には全然飽きないけどね。」
家族なんてそんなものか。
顔をあげると、透明色の笑顔が真正面にあるもんで、つられて笑ってしまう。
「……俺はいつになったら、クソガキから大人になれるんだろうな。」
参ってるのに笑ってしまう。
「えー。おれやだよ? 旭くんがテレビの政治家やアイドルに文句つけたり、近所の幼稚園建設に反対! みたいな爺さんになるの。」
「大人の基準おかしいだろ。」
辛辣で面倒くさくて、世話ばかり掛けやがる、この、新しい家族との生活は、言葉を選ばない。
雰囲気を守らない。
顔色を窺わない。
身を削らなくてもいい。
出来損ないの、高二のままの僕でいられる。
「いいじゃん。アタマ高二のまま死ぬとか、最高に贅沢。」
「最高に頭沸いてるの間違いだろ、」
「たしかに。」
頭沸いてるよ、まじで。
クソガキ時代の話、本気にして、なまえ捨てて、
「でもおれ、このふざけた人生が、けっこう好きだよ。」
二人で生きて────
「産まれてよかったって、思うよ。最近。」
「やめろよそういうの。」
「おや? 照れてます?」
「……ほら土産。」
「あ、わーい。……ってカフェオレじゃん。いつもの。」
「そ。いつもの。」
「今飲んでるんですが。」
「おう。後でも飲め。」
「ワーイチョーウレシー。」
「だろ。」
「あはー、ひどー。……あ!」
「?」
「言い忘れてた、」
僕はきっとこれから先の人生で、
この透明色の家族に朱を塗る。
「あのさ、旭くん、」
この世で限りなく近い存在を、染める。
二度と手放さないよう、命にかえて、汚す。
「おかえりなさい。」
死ぬまで、蝕む。
なあ 雨宮
俺の青春も 罅割れた日常も
終わりそうにないよ
「おう。ただいま。」
おまえに任された 最愛を蝕みつくすまで
健やかなるときも 病めるときも
富めるときも 貧しきときも
死が二人を分かつときまで
心眩ます月であれ
透明色の星であれ
朱で蝕む旭であれ
命の灯 続く限り
晴れ間を願い過ぎ去った
雨の祈りを叶えよう────────
鍵をかけて舗を出る。外観を眺め、いつものように僕はうなる。
やっぱり和食の店じゃねえよなあ。
いつも言うよね、それ。隣で星史が笑う。
おう。一生言ってやる。たまには、言い返してみる。
一生かあ……
「めんどくさい男、」
「お互いさまだろ。」
二人で歩き出す。
海風が香るこの町での生活も、一年が、経つ。
一ノ瀬旭 28歳 五月三十一日生まれ A型
東京都豊島区出身
出生は愛媛県
父・名塚ひずる、母・陽の長男『名塚旭』として産まれる。
近親者の犯した殺人事件により、出生後まもなく東京に転居。戸籍名を『皆口旭』に改名。
五歳のとき両親が別居。豊島区に移り住み少年時代を過ごす。
十七歳で高校を中退後、『せきと東京店』に就職。業務の傍ら一ノ瀬依世の下、板前の修業を積む。
二十歳の十月、調理師免許取得。
また同年十一月、成年養子縁組により一ノ瀬依世の養子となる。
戸籍名を『一ノ瀬旭』に改名。
二十七歳の春、暖簾分けで愛媛にて新たな『せきと』を開業。店舗を任される。
一ノ瀬星史 28歳 九月十二日生まれ AB型
東京都北区出身
出生は愛媛県
父・名塚暁、母・月乃の長男として生を受けるが、母が妊娠中に父を刺殺。のちに出産後自殺。生後四ヶ月で養子に出される。
特別養子縁組により、父・仲村君依、母・りたのもと、『仲村星史』として東京で育てられる。
十七歳で高校を中退後、親族である藤代佐喜彦の経営会社で事務雑務のアルバイトを始める。のちに正規雇用となったが、二十六歳で自主退職。旭と共に愛媛県で『せきと』を開業する。
また、二十歳の十一月に成年養子縁組により一ノ瀬依世の養子となる。
戸籍名を『一ノ瀬星史』に、改名。




