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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【終章:前】 最愛なる、 
89/92

88  『猛毒。』  一ノ瀬旭







   健やかなるときも 病めるときも

   富めるときも 貧しきときも


   死が二人を分かつときまで


   命の灯 続く限り────────







 新幹線を四時間、特急に乗り継ぎ二時間。ようやく最後の改札をぬけた。

 東京滞在は三日間だったが、移動だけで半日以上費やすのだから体感的には一泊ってところか。自宅が最寄駅徒歩圏内なのが救いだ。

 正しくは、自宅兼、職場だけど。



 生成(きなり)色の壁に貼り付けた、赤茶煉瓦のタイル。扉と同じ素材の木製の窓枠。暖簾ではなく看板として掲げられた『せきと』の店名……。

 開業して一年経つが常に思う。どう見ても和食中心の料理屋じゃねえよな。


 “本店と同じような外観はガチ感あって可愛くない”

 ……というのが、あいつの主張だった。


 かわいくないって……当然僕は鼻で笑ったが、意に反してそのふざけた主張が採用され、悔しいことに大当たりし、軌道に乗るのは予定より早かった。今では常連と呼べる顔も多く、客層も驚くほど広い。


 いや、有り難いんだけど……普通にうまくいってるんだけど…………だけど! 個人的には新潟の本店みたいな、昔ながらの味がある(みせ)を目指したかったわけだ。

 そんな不毛な思いに毎度毎度、そして遠路遥々帰ってきた今日も胸を絞めつけながら、『CLOSE』の(ふだ)がぶら下がる扉を引いた。(この札だって本当は『支度中』がよかった。扉だって引戸がよかった……)



「あれー? 意外と早かったじゃん。」



 カウンター席で寛ぎながら、星史(せいじ)は出迎えた。

 テレビを点け、テーブルにはカフェオレ、手には菓子パンらしき物を持って口をもくもくさせている。


「傷心旅行はいかがでした?」

 そして悪い顔を向けてくる。


「過去の女達にふられに行くとかさぁ、ドM過ぎない? あはー。」

「知ってるか? 移動って案外疲れるんだよ。」


 よって面倒くさいのはスルーします。素通りしてキャリーバックを開く。床がキュッキュと良い感触で鳴った。艶も保っているし、休業中も掃除は欠かさなかったようだ。


「ねー。お土産はー?」

 褒めてやりたいところだったが、面倒くささが上回る。星史は隣でしゃがんで僕の手元を覗きこんできた。


「土産って……その手に持ってるのはなんだよ、」

「ねんりんやのバームクーヘン。(あきら)さんから送られてきた。あと、冷蔵庫に五十番の肉まんも入ってるよ。それは仲村(うち)の親からね。」

「色々突っ込みたいけど、まずバームクーヘンは筒食いするもんじゃねーから。」


 不在の三日間、こいつの食生活がおそろしく不安になった。しばらくは野菜を多めに摂らせよう。といってもきっと冷蔵庫は空だ。仕入れがくるのは明日だし……やはりあとで買い出しにはでないとだな。


「イヨさん元気だった?」

 荷物を整理する傍らで星史は聞いてきた。

「おう。ついに猫飼い始めてた。」

「わ。ついにか。」

 洗濯物を分けたり、すぐにしまえる物は片付けたりしながら話し続けた。

「また渋い名前つけてたよ。『文』に『和む』で、文和(ぶんか)って言ってたかな。」

「ふーん。賈詡(かく)(あざな)かあ。」


 思わず手を止めてしまった。


 似たような会話を十年前、別の場面で別の相手と交わしたのを、思い出す。


「……そのさ、あざな、って何?」

 十年前と同じ質問をする。


「旭くん、少し本読んだほうがいいよ。」

 十年前と同じような返答が、違う相手から返ってくる。


 とたんに、はあー……と大げさな溜め息をつきながら膝を崩した。しゃがみ込んで頭を抱える。半分悪ふざけで半分本気の、僕らしくない大袈裟なリアクション。

「あ。その様子だと東京(むこう)で何かあったね?」

 あったよ。大有りだよ。むしろ今だよ。

 ……なんでまた、よりによっておまえが、あいつと同じ台詞を吐くかな。しかもこのタイミングで。

 理不尽な偶然が僕を、らしくない方向へ導いていた。



雨宮(あめみや)……すげー綺麗になってた。」



 顔をあげて告げると、星史は星史で、らしくない反応を見せた。

「ふーん。」

 冷静なまでの真顔である。先ほどまでの面倒くささはどこに行った。


「いや何か言えよ。「ブスじゃん」とか、「どうせブスでしょ」とか、「ブスだから伸びしろあるだけ」とか、おまえ言うじゃん、いつも。」


「だって言ったら怒るじゃん。」


 ぐうの音も出ない正論に続き、「ていうかブス連呼してるのそっちだし」と、畳み掛けてくる。今度は完全本気のリアクションとして、長く深い息をついた。

 うなだれる僕の正面で、星史もしゃがみ込む。


「おれさー、きみの激動の十年(時代)を一番近くで見てきたつもりだけど、ほんっと変わらないよね、旭くんって。脈無しの女に惚れ続けるとか、気持ち悪い通り越して不憫だよ、逆に。」


 更には死体蹴りですか。辛辣すぎるだろ。ていうか本当よく喋る男だな、こいつ。

 うなだれたまま彼の話を聞く。


「いやさ、社会的には成長してると思うよ? 仕事は真面目だし、資格も取ったし、(ここ)決めたときだって面倒な申請とか一通りやってくれたじゃん? おれ絶対無理だもんそういうの。だから充分成長してると思う。」


 今度は飴と鞭ですか。


「なのに根本は高二(ガキ)のまんまだ。」


 結局鞭じゃねえか。

 言いたい放題で遠慮が無いな。言葉は選ばないし、雰囲気も守らないし、顔色だって窺わない。しかも平然と辛辣で、このうえなく面倒くさい。


 ……まあ、当たり前か。



「一緒にいる分には全然飽きないけどね。」



 家族なんてそんなものか。



 顔をあげると、透明色の笑顔が真正面にあるもんで、つられて笑ってしまう。

「……俺はいつになったら、クソガキから大人になれるんだろうな。」

 参ってるのに笑ってしまう。


「えー。おれやだよ? 旭くんがテレビの政治家やアイドルに文句つけたり、近所の幼稚園建設に反対! みたいな爺さんになるの。」

「大人の基準おかしいだろ。」


 辛辣で面倒くさくて、世話ばかり掛けやがる、この、新しい家族との生活は、言葉を選ばない。

 雰囲気を守らない。

 顔色を窺わない。

 身を削らなくてもいい。


 出来損ないの、高二のままの僕でいられる。


「いいじゃん。アタマ高二のまま死ぬとか、最高に贅沢。」

「最高に頭沸いてるの間違いだろ、」

「たしかに。」


 頭沸いてるよ、まじで。

 クソガキ時代の話、本気にして、なまえ捨てて、


「でもおれ、このふざけた人生が、けっこう好きだよ。」



 二人で生きて────



「産まれてよかったって、思うよ。最近。」




「やめろよそういうの。」

「おや? 照れてます?」

「……ほら土産。」

「あ、わーい。……ってカフェオレじゃん。いつもの。」

「そ。いつもの。」

「今飲んでるんですが。」

「おう。後でも飲め。」

「ワーイチョーウレシー。」

「だろ。」

「あはー、ひどー。……あ!」


「?」


「言い忘れてた、」




 僕はきっとこれから先の人生で、

 この透明色の家族に(いろ)を塗る。




「あのさ、(あさひ)くん、」




 この世で限りなく近い存在(かれ)を、染める。

 二度と手放さないよう、命にかえて、汚す。




「おかえりなさい。」




 死ぬまで、蝕む。





 なあ 雨宮(あめみや)



 俺の青春も (ひび)割れた日常も

 終わりそうにないよ




「おう。ただいま。」




 おまえに任された 最愛を蝕みつくすまで









   健やかなるときも 病めるときも

   富めるときも 貧しきときも


   死が二人を分かつときまで


   心眩ます月であれ

   透明色の星であれ

   朱で蝕む旭であれ

   命の灯 続く限り



   晴れ間を願い過ぎ去った



   雨の祈りを叶えよう────────









 鍵をかけて舗を出る。外観を眺め、いつものように僕はうなる。

 やっぱり和食の店じゃねえよなあ。

 いつも言うよね、それ。隣で星史(せいじ)が笑う。

 おう。一生言ってやる。たまには、言い返してみる。


 一生かあ……


「めんどくさい男、」

「お互いさまだろ。」



 二人で歩き出す。

 海風が香るこの町での生活も、一年が、経つ。












一ノ瀬(いちのせ)(あさひ) 28歳 五月三十一日生まれ A型


東京都豊島区出身

出生は愛媛県

父・名塚(なづか)ひずる、母・(あきら)の長男『名塚(なづか)(あさひ)』として産まれる。

近親者の犯した殺人事件により、出生後まもなく東京に転居。戸籍名を『皆口(みなぐち)(あさひ)』に改名。

五歳のとき両親が別居。豊島区に移り住み少年時代を過ごす。

十七歳で高校を中退後、『せきと東京店』に就職。業務の傍ら一ノ瀬(いちのせ)依世(いよ)の下、板前の修業を積む。

二十歳の十月、調理師免許取得。

また同年十一月、成年養子縁組により一ノ瀬依世の養子となる。

戸籍名を『一ノ瀬(いちのせ)(あさひ)』に改名。

二十七歳の春、暖簾分けで愛媛にて新たな『せきと』を開業。店舗を任される。





一ノ瀬(いちのせ)星史(せいじ) 28歳 九月十二日生まれ AB型


東京都北区出身

出生は愛媛県

父・名塚(なづか)(さとる)、母・月乃(つきの)の長男として生を受けるが、母が妊娠中に父を刺殺。のちに出産後自殺。生後四ヶ月で養子に出される。

特別養子縁組により、父・仲村(なかむら)君依(きみより)、母・りたのもと、『仲村(なかむら)星史(せいじ)』として東京で育てられる。

十七歳で高校を中退後、親族である藤代(ふじしろ)佐喜彦(さきひこ)の経営会社で事務雑務のアルバイトを始める。のちに正規雇用となったが、二十六歳で自主退職。旭と共に愛媛県で『せきと』を開業する。

また、二十歳の十一月に成年養子縁組により一ノ瀬依世の養子となる。


戸籍名を『一ノ瀬(いちのせ)星史(せいじ)』に、改名。

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