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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【終章:前】 最愛なる、 
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86  『幼馴染。』




 久方ぶりの山手線(やまのてせん)に警戒し過ぎたせいか、目白駅を降りるとまだ一時間以上も余裕があった。

 会場へはタクシーを使うつもりだったけれど、予定変更、これまた何年かぶりの都バスに乗り込む。それでも、やはり丸々一時間早い到着となった。


 意外にもゲストはちらほら見える。化粧直しが目的なのか同年代の女性が多い。見覚えの無い顔ばかりのところ、大学からの友人、もしくは転校先での同級生なのだろう。いいや、小中の同級生もいるのかもしれないが、僕があまり女子と関わりを持っていなかったから、覚えていないだけの可能性もある。

 受付に立つ女三人もまったく記憶に無い顔だ。そのほうがやり易いけれど。


「本日はおめでとうございます。」


 こういう畏まった場面では、特に。



「新婦友人の一ノ瀬(いちのせ)と申します。」



 僕の礼に受付係も丁寧な礼を返す。

 挨拶を済ませると袱紗から取り出した祝儀を、「心ばかりですが」と言葉を添え差し出した。受付係は若干のたどたどしさはあるものの、謹んで受け取ると、芳名帳への記帳を促した。



 [一ノ瀬 旭]



「あっ。……あのっ!」


 名前を記帳してすぐだった。声に誘われて顔を上げると、受付係の後ろから身を乗り出すように少年が割り込んでいる。

 スーツではなくブレザーの制服姿。デザイン性のある眼鏡を着用し、黒髪を若者らしくワックスでセットしている。


「すみませんっ、その、失礼ですが、『みなぐちあさひさん』……っすか?」


 絵に描いたような今時の高校生だが、おぼつかない敬語を真摯に使う様子から、悪い子ではない印象だった。むしろ、性根の真面目ささえ窺える。


「はい。皆口(みなぐち)は自分の旧姓です。」

 僕の返事に少年はぱあっと顔を輝かせると、続けて慌てふためいた。


「あのっ、ちょっ、ちょっと待っててくださいっすね!」

 後ずさりながら両手を向ける。きょろきょろと周囲を見渡し、どこかへ駆けて行った。

 ……なんか忙しい子だな。っていうか高校生? 親戚だろうか。

 何者かは不明だが、彼の登場から一連を傍観していた受付係が三人揃ってくすくす笑い、真ん中の女が代表するように、「騒がしくてすみません」と頭をさげる。続けて、左の女が、「よろしければこちらへ」と受付用に設けられた椅子へと手を流した。


 お構いなく。把握できない状況下で、とりあえずの遠慮を見せた直後、懐かしい声に呼ばれた。

「まあ、(あさひ)くんっ、」

 黒留袖の中年女性が、感動の再会とばかりに駆け寄ってくる。実際何年ぶりだろう。


「! おばさん、」


 百香(ももか)の母親だと気づくのに、少しばかり間を挟んでしまった。


 後方に先ほどの少年の姿がある。やはり親戚か何かで、彼がおばさんを呼んでくれたのだろう。


「よく来てくれたわねえ。あらあ男前になって。」

「ご無沙汰しています。この度はおめでとうございます。」


 僕の礼に、おばさんはハンカチを口元に宛がって目を潤ませると、瞼を一度だけ強く閉じ、開くと同時に明るい表情に変えた。


「どうもご丁寧に。百香、喜ぶわ。ひのでちゃんの体調はどう?」

「順調そのものですよ。今日は残念がってました。すみません、僕だけで。」


 おばさんは朗らかに笑う。

 昔のこととはいえ、大事な娘を『巻き込んでしまった』挙句、重傷も負わせたというのに、僕らを一切咎めないどころか、こんな晴れの日に歓迎までしてくれて……この人の器は大きいを通り越して正直おそろしい。きっと彼女は本当に、()()()()()()()()なのだろうけど。


「旭くん、今、時間ある?」

「? はい。まあ。」


 周囲に目を配ると、おばさんは少し声をひそめた。

「少しだけ、百香に会ってあげられないかしら?」

 僕も声をひそめる。

「い、いいんですかね、そういうの、」


「あの子から頼まれてるのよ。」


 抵抗感が生じる一方で、先ほど少年が慌てて僕を呼び止めた件と、すぐさまおばさんがやってきた事と、百香からの頼み、の三つが合致した。断りづらい空気に躊躇っていると、式関係者らしき人間がおばさんを呼ぶ。

 花嫁の母親とは色々と忙しいものだ。本来なら、いち友人に割く時間なんて無いだろうに。

 頷いて承諾すると、おばさんはまた顔を明るくさせた。


「イヅちゃん、また頼まれてもいい?」

 先ほどの少年に声をかける。

「ラジャっすー!」


 さいごに辞儀を交し合い、僕は明るく手招きする彼のほうへと歩み寄った。







 控え室へ案内中、謎の少年ことイヅくんは、自分が百香の従弟であると自己紹介してくれた。

 他にも、自分たちの親は五人きょうだいだから、従兄弟姉妹がやたら多いのだとか、自分はその中でも最年少の高校生なんだとか。


「売るほどイトコいるくせに、女率えげつないんすよ。受付にいたの見たでしょ? あれも全員従姉のねーちゃん達っす。しかも東京在住の男はオレだけだし、マジ肩身狭いっすよー。」


 こんな感じで、人懐こく延々と喋ってくれた。こういった類いの人間には慣れているけれど、やっぱり若さってすごい。


「あさひさんのことは、よく聞いてたっす。」

「え?」

「モモちゃん、一人っ子だけど、近所の幼馴染が弟妹(きょうだい)みたいだから毎日楽しかったって、よく言ってたっすから。」


 無邪気にえくぼを見せる彼に、高校時代の百香が重なる。同時に、何気ない記憶が突沸した。

 そういえば僕も、百香から聞いたことがあったな。

 「可愛い従弟」の、話。


「……そういえば俺も、一度だけ百香から聞いたことあったよ、きみのこと。」


 あれはたしか……僕と星史が、従兄弟(いとこ)だって判明して……それを告白したとき、だったかな。


「自分の親はきょうだい多いから、従兄弟姉妹がいっぱいいて、一番下はまだ幼稚園児で超可愛い、って。」


 あのときの彼女も、今、目の前にいる彼と同じように、えくぼを見せていたんだ。



「そーなんすよ! オレ、めっちゃ可愛がられてたんすよ!」



 日差しみたいな声に、いつの間にか自分が暗くなっていたと気づかされる。彼はそんなつもりなかったのだろうけど、助けられた。晴れの日に水を差さずに済んだ。


「モモちゃん超優しいじゃないっすか。他の従姉妹連中とは段違い(ダンチ)で女神なんすよー。ここだけの話、ぶっちゃけ初恋だったんすよねー。そのせいで今でも年上ばっか好きになっちゃうんすよ、オレ。フられるか捨てられてばっかですけど。マジ罪作りっすよ、モモちゃん。」


 ……すごいな、若さって。

 底抜けな明るさと物怖じしない距離感に圧倒されつつも、一人芝居みたいに喜怒哀楽を変えるイズくんが可笑しかった。






 甲斐(かい)百香(ももか)、28歳。

 旧姓、桂木(かつらぎ)百香(ももか)



 本日は、幼馴染の結婚式。







「……! (あさひ)っ、」


 面会するなり懐かしい声があがった。親しんだ少女が純白のドレスによって、すっかり花嫁へと変貌を遂げている。「久しぶり」の一言よりも先に、「おお」と感嘆してしまったのはそのせいだ。


「なにその反応ー。」

 丁寧に施された化粧の下の、あどけないしぐさは百香そのもので、僕を安心させてくれた。

「すげーわ。ブライダルマジック。」

 つい、いつもの調子でふざける。

「あはは、超失礼ー。」

 百香は座ったまま笑った。椅子がほとんど隠れてしまうくらい、ボリュームのあるドレスだ。


「ごめんねこのままで。動きづらくてさー。」

「だろうな。体力使うんだな、花嫁って。」

「そーだよー。なのにご馳走、食べれないし。」

「ははは。……あ、」

「ん? なに?」

「本日はおめでとうございます。」

「遅くない?」


 会わなかった年月が嘘みたいに、僕らは会話を繋げた。


「ほんと超久しぶりだね。」

「それこそ遅くね?」

「あははー。でも本当嬉しいっ。招待状出してよかったあ。旭が養子に入るって聞いたときは驚いたんだよー。」

「何年前の話だよ、」

「しかも県外行っちゃうし。」

「それは去年。」

「あれ? そうだっけ? たしか義弟(おとうと)さんとお店やってるんだよね。」

「おかげさまでそこそこ多忙でございます。」

「それはそれはお忙しい中、恐縮でございます。」



 あの頃の僕らのまま、話し続けた。



甲斐(かい)になるんだな、苗字。」

「うんっ。イニシャル変わらないのー。」

「旦那さんは同僚だって?」

「そうだよー。社内恋愛でございます。えっへん。」

「どこに威張る要素が。」

「なんかドラマ的じゃん?」


 少年の僕が、ただネイビーのスーツを着ているだけで、少女の百香が、ただウェディングドレスを纏っているだけ。

 たったそれだけの僕らが、仕事とか結婚とか、大人みたいな話を、続けた。


「ひのでにも来てほしかったなあ。最後に会ったの去年だし。」

「あいつも残念がってたよ。」

「もう来月でしょ? 予定日。」

「正確には来週から臨月。」

「やだー! 緊張するー!」

「なんでおまえが緊張すんだよ。」

「するに決まってるじゃん、」



「ひのでは、本当の妹みたいなものだもん。」



 ────……。



 失礼致します。会話の最中で扉がこんこんと鳴り、係りの人間が顔を覗かせた。

「はあい。ごめんなさい、今いきまーす。」

 そりゃ母親が忙しいんだから、花嫁当人はそれ以上だろうに。返事をする百香を目にして、僕は今さらで当然な納得をする。


「じゃあ、呼んでくれてありがとな。」

 状況を察して、部屋を後にすることにした。



「────(あさひ)っ、」



 控え室の境を跨いだ瞬間、呼び止められた。

 振り向くと、純白のドレスに包まれた幼馴染が佇んでいる。



「わたし、すっごく綺麗でしょ?」



 いたずらに、あどけなく、えくぼを見せる。




 どうやら、

 僕の選択は、間違っていなかったみたいだ。




「おう。惜しいことしたわ、俺。」


「なにそれー。」



 僕はあの頃のまま、この美しい花嫁の門出を、心から祝った。

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