83 『百香』
百香は、ふつう。
普通の、女の子。
生まれも育ちも東京都豊島区。父は会社員、母は専業主婦。家族仲は良好。
小中は地元の公立校に通い、小学生時代は放送委員副委員長を経験、中学時代はお遊び半分のチア部に所属。
高校からは帰宅部。まあまあ偏差値の高い都内私立高校の特進クラスに在籍。
成績は中の上。運動神経は上の下。補導歴は無し。
交友関係に大きなトラブルも無し。周囲からの評判も悪くはない。
美人過ぎず、まあまあ、可愛い。
百香は普通。ふつうの、女の子。
たったそれだけの 桂木百香
「瀬田のおじいちゃんの、『すえのむすめさん』?」
幼稚園の帰り道、瀬田のおじいちゃんの家に知らない男の子が入っていくのを見た。ママがパパに話したところ、『瀬田のおじいちゃんの、すえのむすめさん』が、子どもを連れて帰ってきたんだって、教えてくれた。
「上の子は今年から年長さんだってさ。」
休み明けに、百香と同じ幼稚園に入るらしい。
「こんな時期になんて……何か、わけありかしら。」
このときのママの声が全然いやらしくなかったのを、今となって誇りに思う。何かを詮索するではなく、心底不憫そうに、気の毒そうに、どちらかといえば独り言に、近かったのも。
「百香、」
優しい声で諭すママは、きれいで、百香の自慢だった。
「優しく、仲良くしてあげるのよ?」
かわいそうな子には優しくしてあげよう
そうしていれば 百香は……
ねえ、おなまえは?
「えっ。」
あなたでしょ? 瀬田のおじいちゃんのおうちに、引っ越してきたの。
「……うん。」
あっちで、みんなとあそぼ。
「でも……」
だいじょぶだよ。百香といっしょに行こ。
「………。」
あ。百香はね、ももか、っていうの。あなた、おなまえは?
「…………あさひ。」
あの子は、かわいそうな子だった。
だから百香が、優しくしてあげた。
「百香ってさー、皆口くんと仲良いよね、」
え?
「そうそう。皆口くんも百香とだけは喋るし。」
「女子となんて全然話さないのにねー。」
「取っつき難い感じもあるしー。」
まあ、幼馴染だもん。
「少女漫画かよ、うける。」
あははーなにそれー。
「でも、ちょっといいよね、そういうの。」
「わかるー。」
えー。じゃあ紹介しよっか?
「ちがうちがう。そういうのじゃないんだって。」
「そうそう。ねー?」
なにそれー?
「なんていうかさー、」
「百香と皆口くん限定、的な?」
余計イミフなんですけどー。
「あはは。まあ、百香だからこそ皆口くんも、ってとこ、ない?」
「わかるわかる。」
「優しいもんね、百香は。」
百香は普通。ふつうの、女の子。
そんな百香の、幼馴染は、かわいそうな男の子。
あの子は、可哀想な子。
勉強も運動も喧嘩も、妹に何一つ勝てない。母親に本音も意見も言えない。
両親は不仲で父親と別居中。家庭環境は最悪。
親友って呼べる相手もいない。女子となんてほとんど喋らない。
いじめられるほど目立ちもしない。いじられるほど面白味も無い。
唯一の特技は凡人に毛が生えた程度のバスケで、それも妹にはボロ負け。
あだ名は万年「皆口くん」……────
「旭っ、」
でも、百香だけはあなたを名前で呼んであげる。
いつだって心配してあげる。気に掛けてあげる。手を差し伸べてあげる。見捨てないでいてあげる。
そうしていれば百香は、ふつうの桂木百香は、普通の、優しい女の子になれる。
誰もが羨む、誰もが認める、
あなたの、自慢のヒロインに。
あなただけの百香に。
ねえ、旭。
ひのでのことは百香に任せてね。
あの子、百香の言うことだけはきくから。百香ね、おばさんにも感謝されてるんだよ? だから、ママとの事でうまくいかなくても、百香を頼っていいよ? おうちでのこと、なんでも相談してくれていいよ。お弁当のジャムサンド、無理に食べなくていいよ。そうだ、百香のお弁当と交換しよう。おばさんには内緒だよ。高校も同じところ行こう。旭でも入れそうなところ、百香も選ぶから。赤点ぎりぎりでも、課題とかなんでも手伝ってあげる。ノートだって見せてあげる。時々息抜きもしよう。学校帰りに一緒にアイスとかクレープとか食べよう。旭が元気無いときは、百香が奢ってあげる。友達関係も無理しなくていいよ。百香がね、クラスでうまく立ち回ってあげる。それに、百香がいつだって隣にいてあげる。旭を一人になんてさせないよ。
百香だけはずっと味方でいてあげる
あなたも、百香だけの旭なんだよ。
「………今日さ、会ってきた。父親。」
たとえ、旭が、
「俺の、叔母……だったひと、……人、殺してるんだって。」
人殺しの家族でも……
……人殺し? 十七年前の、事件?
殺人犯……。旭の……叔母さん……?
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【今播市会社員刺殺事件】
『3日朝、愛媛県今播市の住宅で名塚暁さん(28)が胸など数十箇所を刺されているのを親族が発見。搬送先の病院で死亡が確認された。通報を受けた警官により、妻・名塚月乃容疑者(26)が現行犯逮捕された。事件当時月乃容疑者は妊娠中であり、同年九月に出産。出産一時間後、分娩台の上で首から血を流している月乃容疑者を助産師が発見。自殺とみられている。』
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……名塚月乃、容疑者……、
……なんて、
なんてきれいな女だろう
思想も、苦悩も、孤独も、愛情も、
彼女そのものも、
すべてが、うつくしい
わたしには わかる
名塚月乃は
最愛の象徴だ────────
『旭くんっ、』
──── ……ああ 憎たらしい
旭にまとわりついて
こんな男にあの人の血が流れているなんて
認めない 百香はあんたを認めない
憎たらしい 恨めしい 妬ましい 悔しい……悔しい悔しい悔しい
悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい
こんな奴が名塚月乃の子供だなんて
邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔
邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔
邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔
百香から旭の隣を奪いやがって
百香があんただったらよかったのに
旭。あの子は、あなたを不幸にしかしないよ。
許さない。許さないから。ヒロインの百香を、そんなゴミクズと同等に扱うなんて。
百香はずっと旭を守ってあげてたのに。
助けてあげてたのに。
仕立ててあげてたのに。
誂えてあげてたのに。
作り上げてあげたのに。
みんなみんな、百香と旭を羨んで、認めてたのに。
百香だけが味方だったのに。
百香だけの旭だったのに。
だって、百香は普通だよ? ふつうの子なんだよ?
親はちゃんと二人いるし、家族仲だって良いし、ちゃんと血も繋がってるし、殺人犯の親族だっていない。百香も悪い事したことないし、友達だって多いし、勉強だってそこそこできるし、それなりにおしゃれもするし顔だってまあまあ可愛い。
ふつうなんだから、百香が一番正しいんだよ?
旭よりもひのでよりも、糸子ちゃんよりも、その男よりも、百香は一番、誰よりもふつうで正しいはずなのに。
耐えられない こいつの存る旭の人生なんて絶対いや
百香の物にならない旭なんて いらない────────
──────── ………、
「……死んだのか?」
……その、声……ひので?
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。気を失ってるだけ。」
「別に心配してない。」
「はいはい。でも、処置は急いだほうがいいかも。……そっちは?」
ひので……? だれと、お話してるの?
「急所は外した。命に別状は無い。」
「何その自信。」
なんの話、してるの……?
「しっかし意外だったよ。きみがあのブスと組むなんて。」
「組んだんじゃない。取り引きだ。」
「へ?」
「解放する代わりに、この件は私の単独だって証言させる。」
「はー、一途だねえ。そのメンヘラビッチの罪を全部被るわけだ?」
「ぶん殴るぞ。」
「すでに殴られる以上の重傷なんですけどー。」
殴るとか、重傷とか……
……わかった。また、どこかでケンカ、したんだね?
「でもさあ、残念ながら人選ミスだよ。」
「……。」
「あのブスはおれの命令なら、平気で証言を変えるよ? そもそも、きみにそこまで義理も無いだろうしね。あっ。むしろ人質にされてたの根に持ってるかも。」
「……それなら、今ここでおまえの口を封じればいいだけだ。」
「まってまって。話は最後まで聞く!」
だめだよ、もう。
おばさんも、旭も心配するじゃん。
「これは提案なんだけど、」
百香だって、心配してるんだからね。
「『退学に追いやった生徒と追いやられた生徒が、口論の末に衝突。喧嘩を止めようとした互いの友人が、巻き込まれて負傷』……なんてどうかな?」
「……。」
百香はひのでのこと、本当の妹みたいに、思ってるんだから。
「きみは折り紙つきの問題児。おれは今が旬の強制退学生徒。あの騒動も記憶に新しいし、そのほうがリアルじゃん? 五人中三人が証言すれば信じてもらいやすいと思うけど?」
「……そんな簡単に警察を騙せるとは思えないけどな。」
「いやいやいやいや、きみ単独犯案のほうが明らかに苦しいよ。」
「ていうか、おまえと喧嘩したとかなんかやだ。」
「きみ、文句つけたいだけでしょ?」
旭と同じくらい、大切に思ってるんだから。
「それにほら、喧嘩両成敗っていうじゃん?」
でも、ひのでのほうが強いんだから、少しは手加減、してあげてね。
「ごたごたは長引くかもだけどさ、戻りやすくなる最善最短だと思うよ?」
ひのでのほうが、強いし、頭もいいし、足も速いし、字も上手だし……ほんと、旭って負けっぱなしで、頼りないお兄ちゃんで、百香、旭のことばっかり構ってばかりだけどさ、
「きみと彼女の日常にね。ひのでさん。」
いつかは、
「……わかった。」
ひのでも、旭を守ってあげてね
「おまえの話に乗ってやる。……ナカムラセージ。」
「他人行儀だなあ。お兄ちゃんから聞いてるでしょー? きみだっておれの血筋なんだよ? 親戚親戚。っていうかさ、間近で見て気づいたんだけど、きみ、すっぴんは全然美人じゃないでしょ? カラコンの力は偉大だねー。あはー。」
「……本当よく喋る男だな、おまえ。」
……ナカムラ、セージって……
学年一位の、仲村くん?
なんで、ひので、仲村くんと喋ってるの?
接点、あったっけ?
…………あれ?
ねえ、ひので……そこにいるの?
旭は? 旭は、どこにいるの?
あれ?
百香……百香は、いま、あれ…………なんだっけ
どうしちゃったのかなあ ももか




