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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第十四章】 第二の乙女
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82  『告白』




 俺を殺してくれ



 これまでの幼馴染との日々の中で、こんな願いを口にする日が来るなんて夢にも思わなかった。

 きっと僕だけじゃない、百香もだ。


 彼女と初めて出会ってからどれほどの月日が流れただろう。たしか、年長組になる少し前だったから、もう十年以上か。その月日の中で、彼女はどれだけ僕に尽くしてくれただろう。


 どれだけ僕を気にかけてくれただろう。

 助けてくれただろう。救ってくれただろう。

 味方でいてくれただろう。

 慈しんでくれただろう。

 愛してくれただろう。


 僕を、何度、殺してくれただろう。


 善意で殺し続けてきた幼馴染へ初めて願う。殺してくれと。自ら願い出る。ありえないな、僕らしくない。

 それでも、選んだんだ。



「俺を殺してくれ、百香(ももか)。」



 彼以外は、なんだって捨てるって。




「おまえにとっちゃ、最高の演出なんだろ?」

 彼女が用意した選択肢への答えを、軽薄に笑って、決める。



 とたんに、真顔で見上げていた百香の表情が(とろ)けた。



「……ッ……あっ……あさひぃいっ……! あなたって本当にさいこおお大好きいいいッ!!」


 頬を紅潮させ僕の鎖骨で爪をたてる。


「百香をぜんぶぜんぶぜーんぶ解ってくれるのはあなただけだよお旭ぃいい!!!!」


 遠ざかってしまった場所で、今度こそ動けなくなった星史が、絶望の面持ちで僕を見据えている。さっきの強がりはどこ行ったんだってくらいに、今にも泣きそうな顔をして、もはや立ち上がることさえ、できなくなっている。



 …………ごめんな、星史(せいじ)



「────ッ、旭くん!!!」




 これしか思いつかねーわ。俺の、優先順位。




 星史に目を向ける視界の片隅で、百香がナイフを振り翳している。



「きれいにきれいにきれいにきれいに終わらせてあげるからあぁッ!!!」




 願わくば、



 僕の終わりに映るものが、最愛であればと、


 泣きそうな子どもから背かないようにと、



 強がって、わらった。









「────うああああああああああああっ!!!!」




 女の絶叫と共に衝撃が全身に走る。

 よろめく足元で、百香の手にしていたはずのナイフが転がり落ちる。同時に、絡み付いていた体温が消える。

 僕の体温が僕一人分に戻ることで状況を把握する。


「………!」



 僕らに体当たりをかまし、百香を引っぺがし、突き放していたのは、



「なっ……」



 雨宮(あめみや)糸子(いとこ)だった。



「ッ……なんで……あんた……がッ!?」


 困惑と敵意を混合させながら百香は隠し持っていた鋏を取り出した。

 凶器を手に反撃体勢をとり、再度接近しようとした彼女を、何者かが羽交い絞めにする。


「……!? あんたまで…っ……どういう、つもり……!!?」


 背後で彼女の動きを封じている、くすんだ銀髪とえげつないピアスの、世界で一番見慣れた顔。



「……モモカちゃん、」



 (ひので)だ。




 突如として形勢を乱した二つの猟奇に目もくれず、雨宮は僕を睨みつける。そして有無を言わさず胸ぐらを掴み上げた。


「ふざけるなあっ!!!」


 華奢な両手が筋を立てて、震えながら僕を捕らえる。



「こんな女にあんたの人生を毒されるんじゃないッ!!」



 レンズの奥の真っ黒な眸が光をともす。



(あさひ)!!!」


 体ぜんぶで咆哮して、僕を呼ぶ。



()()()()()()()()……最優先は誰!?」



 甘くもない。透きとおってもいない。

 ただの雨宮糸子の声が、


 脳をぶん殴る





「…………あさひ、」


 もう一人、誰かが僕を呼ぶ。雨宮の咆哮とは真逆の、せつない声。

 暴れて抵抗する幼馴染を捕らえながら、妹が僕をみつめていた。


「モモカちゃんを……たすけて。」


 今しがた、どこかで見た、泣きそうな子どもみたいな目をしている。





「モテモテだねえ。」


 気づくと、星史が脚を引き摺りながら真後ろまで接近していた。合流するなり力尽きて座り込む。

「……! セージさま…!」

 雨宮は僕を解放して星史へ駆け寄った。袖を破いて彼の脚に巻き、止血を試みる。手当てを受ける星史のそばで、僕もしゃがみ込んだ。


「とんでもねーのにばっかモテるけどな。」

 視線を合わせて笑うと、星史も笑い返してくれた。


「で、どうすんの?」


「おう。そこの「下の上」ちゃんのお陰で目が覚めたよ。」


 二人で同時に、もう一度笑う。



「……星史、捨てていいか? おまえ以外。」



 続けて、同時に、まじめな顔をする。



「はー……役得のような、損な役回りのような……。」

 耐え性のない星史が先にふざける。



「いいよ。おれも捨てる。きみ以外。」


 ふざけたまま、応えてくれる。




「雨宮、」

 呼ぶと同時に僕はスマホを投げた。雨宮は運動神経の悪さ丸出しの下手くそなキャッチをする。

「外で救急車、呼んでくれ。」

「はあ!?」

 あたふたした面白い動きからの、眉を顰めた変な顔に、星史も一緒になって吹きだす。

「おれからも頼むよ。」

「えっ、」

「ははは。こりゃ断れないだろ。」


 状況に似つかわしくない和やかなやりとりも束の間、猟奇が僕らを、現実へ引き摺り戻す音がした。


「……うっ……あァッ……」


 妹の呻き声が部屋に響く。苦痛の音に視線を走らせると、ひのでが血まみれの脚を押さえて倒れていた。


「いつからそんな反抗的な子になったのかなあ? ひのでぇー?」


 血を滴らせた鋏を手に、百香がひのでを見おろしている。流血の出所は箇所にして太腿正面……あの、古傷を刺したんだ。


「……急がないとまずいっぽいよ?」

 察して星史が呟く。

「行ってくれ、雨宮。」


「……意地でも守りなさいよ。」

 僕に釘をさして雨宮は部屋を飛び出した。


「言われなくても。」

 届かない返事を深呼吸と一緒におとす。


 ゆらりと動く首と同期するように、百香の眼球がひのでから僕へ睨む先を替える。心底うんざりして、溜め息と、舌打ちと、ありとあらゆる不機嫌をぶちまける。


「あーあーあーあー、ほんっとあんたら兄妹って、マジで、こよなく、めんどくっさい。いつまであんたらの兄妹SMごっこに付き合わされなきゃいけないわけえ?」


 沸々と濃くする形相に合わせ、声を荒げる。

 僕は足元のナイフを拾って立ち上がり、彼女と向かい合った。


「あのさー旭くん。言っとくけど、おれさっきのめちゃくちゃ怒ってるからね。」


 少し遅れて星史も立ち上がる。痛みに堪えながらゆっくりと、ある程度身を起こしたあたりで僕の肩に摑まって、もたれた。


「うわ、根に持つなー。」

「許してないから、まじで。」

「わかったわかった。続きは今度ちゃんと聞くって。」

「やだよ。あとですぐ聞いて。」

「あー、そういう方向でいく?」


「当然でしょ。」


「俺、本格的に雨宮に怨まれるなー。」



 会話をしながら、ナイフを彼に渡す。



「大丈夫だよ、あいつは。おれが望んだことなら。」



 ナイフの柄を、彼はぎゅっと、にぎる。



「はは。いい女じゃん。」

「えー、趣味わるーい。」


 僕らはいつもどおり会話を交わした。

 (ぼく)星史(かれ)として、会話を繋げた。


 殺気立った百香が近づいてくる。彼女の歩いた途には、点々と赤い滴り模様が飾られる。

 寄り添う星史へ目配せをして、僕は少しだけ笑った。



「でもおれさ、雨宮のこと、嫌いじゃなかったよ。」



 笑い返してくれた星史を、焼きつけて、瞼を閉じた。



「……きみの次に、だけどね。」





  ────────どす





 星史は全体重をかけて、もたれかかるように僕の脇腹を刺した。



「────っ……!!?」



 ……だよなあ。その反応、正解だよ、百香。……うわ、すげーいてえ……



「……わりいな、メンヘラクソビッチ。」

 僕も星史にもたれかかる。どっちがどっちを支えているかなんてわからない。


「反吐が出るけどさ、こちとら本物の名塚(なづか)月乃(つきの)の血がどろっどろに流れてんだよ。」

 星史が勝ち誇ったように、百香に言う。



「おまえに、このひとは渡さない。」



 驚愕から一転、百香はみるみるうちに形相を歪ませた。



「……こンのドグソビッチがああああッッ!!!」



 怒りをあらわに罵声をあげる。手首に青筋が立ち凶器を震わせる。

 僕は自由のきかなくなってゆく意識のなかで、起き上がれ、と、自分に命じた。

 ……よかった。まだ、身体の自由は、残っている。


 星史をその場に残し、傷口を押さえながら彼女へ歩み寄る。

 

 ……やっぱり、めちゃくちゃ痛い。

 頭がくらくら、する。

 でも、せめて、身体が動く、うちに…………


 朦朧としながら、感覚のない足取りで、怒り狂う百香の前に辿り着いた。


 彼女は息を荒くして、いいようのない、殺意に満ちた眼差しを向けてくる。



「……ごめんな、百香、」



 血まみれの両手で彼女の頬を包んだ。


 不意に身じろぐ百香の(はだ)と、僕の手のひらが、なまぬるく滑る。



 そのまま、唇を、重ねた。



 血のにおいが する




「ありがとう。」




 顔を離してすぐ、目に飛び込んできた百香の顔は、赤く汚れていて、ちょっと、まぬけに、ぽかんとしちまって、ああ、ももかだなあと、おもえた。



 ももか。

 桂木百香。

 皆口旭(ぼく)の、幼馴染み。



「おまえが仕立ててくれた人生(まいにち)、嫌いじゃなかった。」



 心から、言えた。



「ゆるして、くれよな。」



 謝罪と、感謝と、謝罪、と……これで、ぜんぶか。

 朦朧とする。寒気もする。指先が、ちりちり、動きづらい。

 力がぬけて、膝から崩れ落ちた。

 倒れそうな僕を誰かが支えた。

 星史(せいじ)だ。



「なに……それ……」


 僕らを見おろして、百香が呟く。


「……施しているつもり? 哀れんでるつもり?」


 ゆっくり、乙女の声が、ぼとぼとと落ちてくる。


「百香に……与えてるつもりなの? あんたが……?」


 落下する声は徐々に音を強めているはずなのに、僕の耳には、届きにくく、なってゆく。



「図に乗るな……!」



 ……ああ、また、百香が、どこかに行ってしまうな……



「与えるのは百香だ……哀れむのも、施すのも、あんたを救ってやるのが百香だ……!!」



 僕らが出逢わなければ、

 百香は、ずっと百香のままだったんだ。



「……ほら……いつもみたいに助けてって顔、してよ……弱っちく百香を頼ってよ……!」


 名塚月乃なんて知らずに、信者なんかにならずに、お節介で優しい、幼馴染のままだったんだ。


「旭は百香がいないとだめなんでしょ……? 生きていけないんでしょ……!?」



 僕らが出逢わなければ……



 それは、彼女との未来にも、言えたのかもしれない。

 僕は、百香を、名塚月乃なんかにしなくて済んだのかもしれない。


 だけど、ごめんな、百香。

 おれは、なにを捨てても、って、きめたんだ。ごめん……ほんとうに、ごめん……



「……もも、か……」


「──ッ……そんな顔するなあああっ!」



 僕らが出逢わなければ なんて

 思いたくないんだ



「おかしい……おかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしい! おまえたちみんな狂ってる! 百香は……百香は間違ってない!! 正しいのは百香だ!! 百香は普通なの! 百香は普通……ふつう……なんだ……!! おかしいのはおまえらだ!!」


「ごめん……もも……か、」


「うるさい!!! きもい……きもいきもいきもいきもいきもいきもいきもい!」


「お……れは……」



「百香を求めろ! 従え!! この出来損ないがああああああああああッッ!!!」




 薄れゆく意識のなかで、猛り狂う幼馴染を見あげる。


 色のない世界で、どす黒く染まった鋏が、僕らに振り落とされる。





 突然、何かが割って入る。



 銀色のきらめきが、身を盾に、僕らを庇った。




「────ひので……!?」


「……ももかっ……ちゃん……っ」



 僕らを守る妹の手の甲から、血まみれの刃が生えている。

 妹の手を、鋏が貫いている。


 百香が鋏から手を離す。小刻みに震え狼狽する。即座に、ひのでは貫通した鋏を抜き取った。




 薄れゆく意識のなかで、色のない世界で、僕の目に、最後に映ったのは、




「モモカちゃん……愛してる。」




 幼馴染を刺す、妹の姿だった。

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