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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第十四章】 第二の乙女
81/92

80  『劇薬』





「ねえ、おなまえは?」




 えっ?


「あなたでしょ? 瀬田(せた)のおじいちゃんのおうちに、引っ越してきたの。」


 ……うん。


「あっちで、みんなとあそぼ。」


 でも……


「だいじょぶだよ。百香(ももか)といっしょに行こ。」


 ………。


「あ。百香はね、ももか、っていうの。あなた、おなまえは?」




「…………あさひ。」






 ────彼女は、ずっと薬だった。






「なにーお勉強? 珍しいじゃん。」


 うるさいな。邪魔すんなよ。


「テスト前でもないのにどうしたの?」


 ……受験。


「え?」


 ひので、進学しないみたいでさ、母親、発狂してんだよ。……だから、俺だけでもそれなりのとこ、行かないと……


「……。」


 今から俺の頭で行けるとこなんて、限られてるし……、


「……百香と同じ高校(とこ)なんて、どうかな?」


 えっ?


「あそこ、特進クラスあるの。まあまあレベル高いけど、ぶっちゃけ進学校の滑り止めで入学する人多いから、補欠合格でもできれば確実に入れるよ。」


 でも……


「だいじょぶだよ。百香もお手伝い、してあげる。」






 ────僕の、薬だった。



 僕を助ける、薬。

 僕を補う、薬。

 僕を癒す、薬。


 ひとたび飲み込めば、体にじんわりと溶け込んで、その副作用が、煩わしくて鬱陶しくて、いつの日か僕は彼女に、厄介な女の烙印を捺していた。


 厄介な女だ。


 優しくてお節介なところも、自分を名前呼びするところも、すぐに僕の心配をするところも、ひのでを制止できる手腕も。




「絶対見捨ててなんかあげないもん。」




 そんな彼女が、救いだった。


 僕を救ってくれる、安定剤。

 対ひのでへの、特効薬。

 何もかも麻痺させる、麻酔薬。


 やさしく、

 暖かく、

 包み込むように息の根を止めてくる、


 劇薬。




「百香だけはずっと味方でいてあげる。」




 死んでしまうことさえ、気づかないほどに。……────











「踏み躙られる気分はどーお? 肥溜めくん。」


 制服スカートから伸びた脚が、乙女に有るまじき仕打ちをみせる。紺ソックスの下に星史を敷いて、百香は満面の笑みを華やがせた。

 こめかみに足底を乗せる星史の身体は自由が利かず、呼吸は荒く細い。


「百香……っ!? おまえ何やっ────」


「────だめっ……だ、旭くん……、」


 ようやく状況に追いついた僕の、手遅れな怒号の途中で、息切れ切れに星史が制止する。唯一自由の利く視線を雨宮に向け、僕へ、迂闊に動いてはいけないと、現状は変わっていないのだと知らしめる。


 変わってないどころか、最悪だ。


 囚われた雨宮。足蹴にされる星史。真意不明の、二つの猟奇。

 反撃も抵抗も説得も、何が引き金となって彼女たちを駆り立てるか、予測できない。


 でくのぼうを強いられた僕を満足気に眺めた百香は、そのあどけない笑みを維持したまま、再び星史を見おろし、軽く鼻で笑った。


「ご気分いかがですかあ? 感想きいてるんですけどー?」


 視線のみで見あげる星史も、はっと吐き捨てて笑う。


「気分? ……最ッ悪だよ……趣味の悪いパンツ丸見えだしさー……」

 全身に走る痛み。ままならない呼吸。そのどちらをも誤魔化し虚勢を張るかのように、嘲笑を取り戻した。


「きたねーもん見せんじゃねーよ、クソビッチ。」

 せめて眼球だけは鋭く、か細いなりの呼吸で、凄む。


 あどけない乙女の笑みが、しんとやんだ。



「ハァ? クソビッチはてめーだろ。」



 ドスッ


「がハッ…っ」

 重量のある蹴りが星史の腹に食い込む。その一撃を皮切れに、百香は狙いの定めない雑な踏み付けを繰り返した。


 ガスッ ガスッ ガスッ


「百香の、旭を、誑かさないで、くれる?」


 ガスッ ガスッ ガスッ


「ッげはっ……がっ……ぐあッ……」


 単調な口ぶりと相反する、子供の地団駄のような攻撃を受けるたびに、星史は嗚咽の音をあげ床でのたうつ。

 途端に攻撃をやめた百香は、女の子らしいしぐさでしゃがみ込み、もがき苦しむ彼と向かい合うやいなや、髪を掴んで顔を持ち上げた。無理やり視線を合わせてにっこりすると、ポケットから何かを取り出す。

 黒い柄のようなものを振ると、鋭利な刃が飛び出した。


 ナイフだ。


 刃の腹を星史の頬にあてがい、語調と合わせるように叩いた。


「そのくせさー、誰彼構わずヘラヘラヘラヘラしやがって、キモいんだけどマジで。……んな欲求不満なら、コレ、ぶち込んでやろっか?」



「────ッ!! 百香ぁあッ!!」



 耐えきれず僕は叫んだ。

 冷静さを失い、現状も無視し、咄嗟に腹の底から噴き出た怒号には、幼馴染の(かたち)をした外道への憤りが隙間無く詰め込まれていた。

 僕の憤りと敵意と絶叫に、彼女は振り向いて肩をすくめるだけの、ただの女の子でしかない反応をする。


「動いちゃだめだよー旭。百香、びっくりしてホントに刺しちゃうかもー。」


 語尾をのばす女の子くさい口調が、いつもの、ただの桂木(かつらぎ)百香(ももか)でしかなくて背筋が凍る。


「もお、幻滅しちゃうなあ。こーんなクソブリ男にひっかかっちゃうなんて、()()()()()()()()()よー?」


 おののく僕と会話を交わす百香の手元で、ぶら下がった頭がぴくりと動く。乱れる前髪の奥で、星史が眼光を鋭く放っていた。


「……おい、クソビッチ。人質……交換なんだろ?」


 反抗的な態度を崩さないまま、無抵抗を貫き、条件であった雨宮の解放を促す。


「あっ、そうそう。そうだったねー。」


 百香は星史の頭を捨てるように乱雑に手放し、立ち上がるとまた軽いステップで彼を跨いだ。

 背後に星史を倒れさせたまま、雨宮と向き合う。

 雨宮は、星史に対する非道の数々を目の当たりにし、届かない声をあげていたのか、噛み締めるタオルから顎のラインにかけて唾液を滴らせていた。

 充血した、殺意に満ちた目で百香を睨む。


 彼女とは対照的に百香は普段どおり、教室での雨宮糸子に接する桂木百香のままで、にこやかに口角をあげた。

 わざとらしく眉を八の字にして、片手だけでごめんなさいのポーズをとる。


「糸子ちゃーん、ほんっとごめんね! こんなゴミクズのせいで怖い思いさせちゃって。ひのでー、糸子ちゃんを解放してあげ…………」


 そこで言葉をとめる。


 ゆらりと振り向いて、足元で倒れている星史をみおろす。


 異変を感じた星史が、動けないまま彼女をみあげる。


 見下ろす側と見上げる側、二つの視線が交わった次の瞬間、百香は手にしていたナイフを至近距離から振り落とした。



「するわけないじゃんバァーーーーーカ!!!!」



 ナイフは星史の脚に突き刺さり、彼は先のどの悲鳴よりも嗚咽よりも惨たらしい絶叫を部屋中に響かせた。


「なぁーんで百香が、あんたみたいなカスの言うこと聞かなきゃいけないわけー? 身の程を知っとけクッソクソクソクソクソクソビッチ!」


 絶叫はやがて(うめ)きへと変わり、激痛に支配された声にも呼吸にも成りきれない音と、百香の高笑いがアンバランスに混じる。凄惨な不協和を掻き分けて、僕はやっと星史に駆け寄った。


 無我夢中で彼に腕をのばす。混乱しながら抱きかかえる。

 どうすれば、どうすればいいんだ。なにを、どうしたら……

「あっがッ……ッっ……」

 腕のなかで星史が悶えている。唇から、頭部の何処かから出血している。血……そうだ、血だ……脚に刺さったままのナイフを、なんとか、しなくては……

 血がにじんでいる。刺された箇所からズボンを赤く染め上げている。

 どうすればいいんだ……ナイフ(これ)を、ぬく、べきなのか……


 混乱し、躊躇いながらナイフに手を伸ばすと、割り込むように星史の手がナイフの柄を握った。一切の躊躇無く引き抜く。

「ァあがッ……」

「星史ッ!!」

 刃が抜けると同時に星史は苦痛の声をあげ、すぐに荒い息づかいで呼吸を整えた。歯を食いしばりながら震える腕でナイフを百香へ向ける。

 血まみれの刃先を向けられつつも、百香は顔色一つ変えずに僕らを見おろした。


「退学程度で見逃してやろうと思ったのに、なーんで帰ってきちゃうかなあ? ほんっとウッザ。」


 心底うんざりして言う。溜め息まじりに小首を傾げ、頬を膨らませる百香を目にし、僕は、僕と彼女の日々を疑った。

 目の前にいるのは間違いなく桂木百香だ。僕の幼馴染、桂木百香。……それなのに、どうして、こんな……


「百香……おまえ、どうしたってんだよ……?」


 胸中にあるがままを聞く。疑問も衝撃も憤りも、すべてが同じ濃度で僕を侵食する。

 桂木百香に恐怖する。


「? どうしたも何もないよ?」

 百香は別の角度に小首を傾げなおした。

「百香は普通だよ? 百香、なんにも悪くないもん。」

 頬に人差し指を当てて、唇を尖らせる。



「旭が悪いんだよ?」



 一時停止みたいに、表情が、しぐさが停まる。口元だけが、音声再生のごとく無機質に動く。早送りみたいに、一息に淡々と言葉を垂れ流す。



 ……旭がそんなゴミクズと百香を同等に扱うから。あのとき百香を置いていったから。百香よりそいつを選んだから。百香はいつもみたいに助けてあげようとしたのに。百香は旭のためを思っていたのに。百香は旭を心配してあげてたのに。いつもいつもいつもいつもいつも百香はこんなにも旭のこと考えているのに。旭が旭が旭が旭が旭が旭が旭が…………



「百香のことなんにもわかってくれないからああああああああ!!!!」



 情緒不安定な咆哮。それもすんと虚しくやみ、百香はまたにこやかに華やがせる。不気味な喜怒哀楽を披露し、ゆっくりと一歩、僕らに接近した。


 僕は震える星史の手からナイフを奪い、彼の前に立った。

 無傷のくせに、重傷の星史よりもずっと震えながら、彼女に刃先を向け、臆病に対峙する。頼りない壁となる。


 そんな僕を、彼女は慈しむように見つめてくる。


「ねえ旭、」


 そして、優しい声で言う。



「自分で日常を保っていたなんて、本気で思ってた?」



 いつもみたく、麻酔薬みたいに、



「適当に流して、時々悩むフリして、結局事なかれ主義に徹して、うまくやり過ごせてるなんて本気で思ってた?」



 僕を麻痺させる。



 足が竦んで動けないくせに、ナイフを持つ手の震えだけは止まらない。しかしこの手をおろすわけにはいかない。ここを退くわけにはいかない。

 星史を守らなくては。

 もしもの、ときは、この刃で……彼女を……




 …………できるのか?



 僕に、百香を、

 桂木百香を、幼馴染を、この……刃で、



 脳内に充満した一瞬の空白。その僅かな間で、手元の震えが止まった。


「……!?」

 正確には、止められていた。


 百香が素手で、自らに向けられた刃を握り締めていた。



「────旭の日常を保ってあげてたのは、百香だよ?」



 えくぼを見せて優しく言い切る。


 握り締める掌から手首へつたう鮮血が、ベージュのカーディガンを赤く滲ませる。


「はなっ……せ……ももか……ッ!」


 反射的に僕は言った。それでも百香は力を緩めない。袖が真っ赤に侵蝕されても、あどけない表情で僕を慈しみ続ける。

 恐怖なのか、憂いからか、迷う余地なく僕のほうからナイフを手放した。


 同時に百香は詰め寄る。取り戻したナイフで僕の喉元を捕らえ、間近で顔を見上げる。



「おちこぼれで、人嫌いで、妹に負けっぱなしで、ママから離れられなくて、人殺し家族の可哀想な赤ちゃん……そんな旭に人並みの毎日を過ごさせてあげてたのは、いつだって百香だったでしょ?」



 距離なんて無い。僕の領域に押し入った彼女は、血まみれの手で僕の頬に触れた。


「ずたずたでぼろぼろの旭を仕立ててあげたのは、百香なんだよ? 旭には百香しかいないんだよ?」


 星史の物か百香の物か判らない血生臭さが、僕の頬と彼女の手のひらの間で、生ぬるく滑る。


「なのになんでそいつなのかなあ?」


 そこからまた、一息に淡々と、饒舌に唇を動かしだした。



 ……百香ね、色々考えたんだよ? いっぱい悩んだんだよ? なんで旭はそんなゴミに騙されちゃったんだろうって。なんで百香から離れちゃったんだろうって。どうすれば旭を取り戻せるんだろうって。助けられるんだろうって。だから引き離してやろうって思ったの。なのに戻ってきちゃうんだもん、そいつ。旭も旭だよ? どうして連れ戻しちゃうの? せっかく百香が、()()()()()()()()()()()()()



 頬を撫でながら、刃先を突き立てながら、浴びせられる母性と猟奇。

 共存するはずのない二つを宿したまま、乙女の面影さえも現してくる。心底切なそうな表情で、彼女は小さな吐息をおとす。


「……百香ね、絶対にいやなの。……そいつの()る、旭の人生なんて耐えられない。百香の物じゃない旭の人生なんて……いらない。」


 僕を映す両眼の目尻がぐにゃりと下がる。


「だからね、選ばせてあげる。」


 歯を見せて、えくぼをみせて、華やかに笑う。



「旭とその肥溜め野郎。百香に殺されるほう、選んでいいよ?」




 理解、できないんじゃない。

 わざと、疑い続けているんだ、僕は。

 彼女の言葉を、意思を、目的を、行動を、何もかも拒絶してしまいたい。


 百香が、僕を殺す? 星史を殺す?

 どちらにするかを選ばせている?


 星史への暴行を目の当たりにして、雨宮を人質にとられてもなお、まだ僕は現実を受け容れたくないと足掻き続けた。

 なんでそんな事を言うんだ、百香。


「百香……なんで、そんな……」


 どうしてこんなことをするんだ。

 おまえの明るさは、いつだって無神経と紙一重だった。お節介が過ぎて、鬱陶しくて、厄介な女だとうんざりだってさせられた。

 だけど根本にあるのは、優しさでしか、なくて……



 僕は麻痺した。

 ナイフに脅されたのでも、猟奇に恐怖したのでもなく、麻酔薬みたいな彼女に、ただただ麻痺して、立ち尽くした。

 彼女を、認めたくない、一心で。


 血まみれの手が僕を撫で続ける。母性にまみれたしぐさで慈しみ続ける。


「あはぁ。やっぱり旭はいい子。ちゃーんと百香の思いどおりになってくれる。」


 乙女の笑みを恍惚に染め上げてゆく。



「もも────」



「あなたは本当に百香の運命だよ、旭。

 ……あなたが逢わせてくれたんだもん。百香と……『あの人』を。」




 恍惚の絶頂で、百香はこぼした。




「あなたは百香を、『あの人』にしてくれる。」




 その存在を、

 その名前を、

 その元凶を、





「……名塚(なづか)月乃(つきの)。」





 僕の耳で囁いた。







   あなたがわたしを否定するなら、

   悪と見るなら、望まないのなら、

   ……わたしが近くに居るって、気づいて。


   あの子はわたしになる

   わたしに なろうとしている


   これまでの誰よりも


   わたしに近づいている







 消えていた記憶が色付いてゆく

 彼女との夢が鮮明になる

 最初で最後の忠告が蘇る


 疑い続ける僕へ 現実を叩きつける




   気づいて

   ()()()()()()

   生まれようとしている────





 桂木百香など、もう、どこにもいないのだと





「どっちを選んでも、旭は百香を、名塚月乃にしてくれるんだよ?」



 僕の、大切な薬は、

 たった一人の幼馴染は、




 桂木百香は





「百香はね、第二の、名塚月乃になるの。」





 『信者』に墜ちていた

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― 新着の感想 ―
[一言] 百香のパンチラ(σ´∀`)σ ゲッツ!! え? そういう場面じゃない? でも男にとっては重要なんだよ!!!!! だから星史よ、もっとありがたがれ!! っていう話じゃねえよな。 すみません、…
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