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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第十四章】 第二の乙女
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79  『首魁』




 日が沈んだ闇夜の中、灯かりの点らない玄関先で扉を背に、百香(ももか)は蹲っていた。

 エンジン音に気づき、泣きそうな顔をあげて僕らへ駆け寄ってくる。


「あさひっ……ひのでが、家の中っ……糸子ちゃん、つれて……電話、でてくれなくて………ごめんなさい……百香、買い物、出てて……」


 よほど動揺しているのか支離滅裂な説明を並べる。断片的ではあるがおおよそを察した僕は、彼女の肩を抱いて落ち着かせてから、自宅の鍵を取り出した。


「待って。」


 鍵を挿す間際で星史が呼び止める。

 ゆっくりとまばたきを一つ挟み、視線を百香に向けた。


桂木(かつらぎ)さん……だよね? きみは、残ったほうがいいんじゃない?」


 危険なんでしょ? 妹さん。と、冷静な提案を淡々と告げる。

 露骨に冷たい言いぐさをしているが、彼が彼女をいけ好かないという事実は、おそらく今に限っては無関係なのだろう。


 星史が危機を理由に百香の同行に難色を示すのも無理はない。なにせ彼は、ひのでの百香に対する心酔ぶりを知らないんだ。実状はこんなにも最終兵器といえる存在、他にいないというのに。

 その旨を伝えようとしたところ、百香が間髪いれずに首を振った。


「百香も行く。……ひので、百香の話なら、聞いてくれるかもしれないし。」


 両手でぐっと拳を作り、ちいさく頷く。その様子を一瞥して以降、反論しない星史を確認してから、僕は今度こそ鍵を挿した。


 玄関も廊下も暗い。突き当たりのリビングだけから、灯かりが洩れていた。






 妹は、いた。

 雨宮と、一緒に。


「──雨宮っ……!」

「糸子ちゃんっ!」

 僕と百香はほぼ同時に彼女を呼んだ。咄嗟に、反射的に叫んだ。


 リビングに足を踏み入れ、真っ先に目に飛び込んできたのは、まさに()()の雨宮糸子だった。


 腕ごと上半身を縛り上げられ、両足首も拘束され、口枷としてタオルを猿ぐつわにされている。そんな無抵抗でしかない雨宮の長い三つ編みを、ひのでは片手で鷲掴みにしていた。

 雨宮は険しい表情で声も満足に出せないまま、身をうごめかせて抗いを見せるが、結局は無駄な抵抗。ひのでは三つ編みの付け根に爪をたて、えぐるように力を込める。痛みによる非道な抑制が、彼女の表情を引き攣らせ、更に自由を奪った。


 まさに非人道的な光景は、それだけでとどまらない。


「なんの真似だ……ひので、」


 ひのでの、もう片方の手には、


「ひので……!」


 包丁が握られていた。



 雨宮を人質に、包丁を凶器に、壁側近くまで距離をとって、妹は僕らと対峙する。


「ひのでッ!!」

「動くな。」


 声を荒げる僕とは正反対に、妹は淡々と口を開く。彼女の傍らで拘束された雨宮が、無慈悲な仕打ちに抗いながら、必死に何かをうったえている。


 ひのでは包丁を握ったまま腕を伸ばし、指をさす要領で、刃先を星史へと向けた。



「旭。……アメミヤイトコは、その男と交換だ。」



 僕と雨宮の目が剥く。そして同時に彼を見る。


「雨宮と……星史、を……?」


 星史は動揺こそ見せないものの、明らかな嫌悪を懐いた静かな表情で、ひのでを見据えていた。


 雨宮が鬼気迫った表情で首を振る。条件をのんではいけないと、僕に、星史に懇願してくる。



「……ッ」



 彼女と彼の狭間で、僕は悟っていた。



 悟ってしまった。

 課せられた決断を。……選択を。


 意図しているのか、単なる偶然か。

 妹が僕に強いている。



 雨宮(あめみや)星史(せいじ)、どちらを選ぶかを。





「……あーあ、見縊(みくび)られたもんだね。」




 隣から、この張り詰めた空気に相応しくない軽薄な声がした。


「心外だよ、ほんと。」

 星史が、あざ笑う口調で言い捨てた。


「交換なんてさあ、俺とその肥溜めブスが、同等の価値だと思ってんの?」


 物怖じもせず飄々とした態度で、ひのでに歩み寄る。

 二、三歩近づいたあたりで、ひのでは星史に向けていた刃先を、雨宮に向き替えた。

 その場で立ち止まった星史が、手錠を掛けさせるようなジェスチャーで両腕を差し出しつつ、尚も挑発的に嘲笑う。


「さっさとそいつを解放しなよ。お望みどおり破格の交換だ。充分お釣りが出るくらいじゃん?」


 ひのでの無表情からは次の行動がまるで読めない。しかし予測している場合じゃない。


「だめだ星史ッ!」

 僕は彼を制止する声をあげた。


 ところが星史は手のひらを僕に向けて、制止し返してくる。


 予期せぬ反応に戸惑い、言葉を失った僕を確認した星史は、再び飄々と、ひのでと対峙した。


「……と、その前に、」


 あろうことか、そのままひのでに向けて『会話』を始める。



「はじめまして、皆口ひのでさん。ちゃんと話すのは初めてだね。」



 唐突に始まった『会話』に、ひのでの眉がぴくりと動く。


「その節はどうも世話になったね。……ああ、勘違いしないでよ? 別に、恨み節を言うつもりなんてないんだ。ただね、少し、答え合わせさせてくれないかな?」


 ……答え合わせ?

 どういうつもりなんだ。何を言っているんだ。

 僕は星史の不可解な言動に固唾を呑んで立ち竦む。



「単刀直入にきくよ。今回の騒動の発端になった、きみへの襲撃事件。あれ、自作自演だよね?」



 途端に場の空気が変わる。

 形を変えて、張り詰める。



 星史はすいすいと言葉滑らかに続けた。


「おかしいと思ったんだよ。擦れ違いさまの急襲とはいえ、ずいぶん無防備な箇所刺されているし、何より、あの場で刺されるだけで終わり……なんてのも不自然すぎる。動けなくなったきみを拉致したり、()()()()()()()()を受けていたって、不思議じゃなかったのにね。」



 どういう……ことだ?


 ……おい、ひので、

 なんで……なんで黙ってんだよ



「それに、名塚月乃の件で蔓延っていた記者……きっと、あれ自体は本物なんだろうけど、それをリークしたのも、もちろんきみだよね? 「あの学校に名塚月乃の関係者がいる」って。」



 なんで……否定……しないんだよ



「それだけじゃない。桂木さんの誤投写真の件、あれも不自然な点がたくさんあるんだ。……いいや、今指摘したいのは、そこじゃない。」



 星史は深いまばたきの(のち)、目の色を変えた。




「俺はね、この自作自演こそが不自然だと見ている。」




 僕にはわからなかった。

 彼が、何を言っているのか。

 彼が推し量った、見透かした、何かを、




「きみの手がけた自作自演が、()()()だとは思えないんだ。この騒動の発案者……真の元凶は、きみじゃない。」




 真実、を。




「きみに、自作自演を、()()()()()のは――――――」




 星史が突然、『会話』を止めて振り向く。

 今までの余裕も嘲笑も嘘みたいに、震撼した顔で僕を見る。



「────!? (あさひ)くんッ!!!」



 視線があった刹那に叫び声をあげ、飛びついてきた。




 ごどん、 と、鈍い音がした。




 何が起きたのかわからなかった。

 何かが起きたのだと気づいたときには、



「……せい……じ……?」



 星史が庇うように僕に覆いかぶさっていた。



「ぁぐッ……はっ……」


 僕の上で、声じゃない声を吐く星史と、わけもわからず倒れる僕の横で、なぜか不自然に椅子が転がっている。

 いつも、僕とひのでが食事のときに使う、木製の椅子……

 ……まさか、今しがたの、鈍い音、は……



 察すると同時に、星史の背後でゆらりと人影がそびえた。


 もう一脚、別の椅子を振りかざし、それは無慈悲に星史の背面を殴打する。



「がはぁッ!」



 嘔吐みたいな悲鳴をあげてすぐ、星史は僕から退かされるように蹴り飛ばされた。

 悶える彼が、ボロ雑巾のように床で這い蹲る。




「……あーあ。もうちょっとだったのに。」




 一連の流れに、目も、理解も、追いつかない。




「ここで旭も人質に……ってのも、悪くなかったんだけどなあ……ま、いっか。」




 星史を甚振(いたぶ)った、人影の正体に、困惑する。




「てゆうか、男のくせにべらべらべらべらよく喋るなあ、」




 その、無邪気な声を、

 あどけないしぐさを、

 屈託のない笑顔を、


 麻酔薬のような、()()を、僕は、知っている




 もう はるか昔、から





 虫の息となった星史に、()()は小さなステップを踏むような足どりで、あざとく、女の子らしく、歩み寄った。

 僕の知る、屈託のない笑顔で星史を見おろす。


 そして容赦なく、頭を踏みつけた。




「ほんっと、うるせーんだよ。肥溜め野郎。」




 無邪気な声で、

 いたずらに、あどけなく、容赦なく踏み躙りながら、

 桂木(かつらぎ)百香(ももか)は、えくぼを見せた。

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