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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第一章】 皆口旭の罅割れた日常
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07  『味方』




 あれは正義感なんかじゃなかった、断じて。


 じゃあ何か? 自問しても「正義感ではない」としか答えられない。暴力を見過ごせないとか、雨宮を助けたかったとか、そんな利の無い理由が動機だとも思えない。

 だからこそ、この日常を壊した犯人がみつからない。みつける必要も、無いけれど。



 僕は今日を、いつもと同じ今日として過ごしている。



 今朝も母さんから『自信作』だと押しつけられた弁当を受け取ったし、昨日一悶着あった百香はいつもどおり馴れ馴れしく寄ってくるし、ひのでとは必要最低限しか喋らないし、雨宮とは相変わらず他人だし……


 昨夜の一件は僕の高校生活になんの支障もきたさない。

 だからといってこれから先、目を背け続ける自信も無い。



 斜め前方の座席。雨宮の袖から新しい包帯が覗く。……ああ。やっぱり現実だ。







「旭? あーさーひ!」

 百香の声にはっとした。いつの間にか目の前にいる。


「課題やってきた? 数学。」

 忘れてた。昨日はそれどころじゃなかったし。


「やばい。提出か、今日。」

「もお、旭ってば赤点すれすれなんだから、こういうときに稼がなきゃだめだよー。」

 うるさいな。なんで嬉しそうなんだよ。言おうと思ったけどやめた。

「はいっ、」

 直後に、言わなくて正解だったと安心した。百香が、はい、と得意げに渡してきたのは、数学のノートだった。


「早く写しちゃいなよ。」


 ノートは見やすくびっしりと埋まっていて、課題に出された範囲がほぼ完璧に解かれていた。百香の数学の成績は、確かに僕より少しは上だ。でも、こんなにもしっかりやってあるなんて。


「ふふん。百香だって、やるときはやるんだから。」

 こういうのが無ければ、まだましなのに。借りる手前、やっぱり口は慎んだ。


 教室前方に設けられている回収箱には、まだ数冊しか提出されていない。今日は数学の授業が無いから、タイムリミットは終礼までだ。

 ……なんとかなりそうだな。とりあえず次の授業までの十分間、時間の許す限りペンを走らせた。






 四限目終了時でおよそ半分まで写し終えた。昼休みを費やせば難なく終えそうだと、図書室へ出向く。

 隅の席で集中しだしてから、しばらくしたころだった。


「宿題?」


 耳慣れた声が背中を刺した。神出鬼没もいいところ、仲村が後ろから覗き込んでいる。

 戦慄……するには不十分な、馴れ馴れしすぎる登場に顔を引き攣らせてやったが、仲村はにししと無邪気に歯を見せる。なんにせよ一気に不快指数全開だ。

 しかしぶれない仲村はお構いなしで隣に座り、ノートを覗き見るなり「応用ばっかじゃん。さすが特進は大変だなあ、」なんてほざいた。


「何の用だよ、」

 追い払うつもりで、ぶっきらぼうにきいた。


「皆口くんが心配でさー。怪我とかしてない? だいじょぶ?」


 は? 思わず眉間に皺をよせる。


「あのバカクズってば手加減わかってなさそうだしー。」


 こいつは本気で何をぬかしているんだろう。

 いや、そもそも本気なんだろうか。もう相手にしないつもりだったけど、ペンを置いた。


「おまえが命令したんだろ、」

「やだなあ、皆口くんに怪我させたくはないよ。」


 仲村はけらけら笑いながら軽く言った。思えば元々こんな奴だった。

 昨夜の一件を挟んだからこそ、腹の読めないふざけた奴に見えるけど、こいつはこの、無神経にならないぎりぎりの気さくさと、不快にさせない程度の馴れ馴れしさで、同級生たちを魅了してきたんだ。僕もすっかり騙されていたわけだけど。



「おまえたちって、その、何なの、」

 結局相手にしてしまったので、この際聞いてみることにした。



「なんなのって?」

「だから、関係、みたいな。」


 なんとなくだけど、いや、かなりいかがわしいにおいがする。

 いわゆる、隷属的、というか、つまるところ、痴情のもつれ、みたいな……


「あはー。ないない。勘弁してよ、あんな肥溜めなんかと。」


 僕の憶測を察したのか、仲村は全面的に否定した。男女間のいざこざでないなら、それはそれで逆に不健全な気がする。

 でも言いたいことはそこじゃない。


「なんだっていいけど、ああいうのはやめておけよ、」

 僕は率直に意見した。

「ああいうの?」

「だから、殴ったり蹴ったりするの。見てていいもんじゃない。」


 今このときでさえ、昨夜の光景が目に浮かんでは吐き気がする。

 暴力は苦手だ。相手が無抵抗なら、なおさら。


「だから誰もいないときを選んでるのにー。」

 そういう問題じゃない。悪びれずさらりと言う仲村に眉をひそめた。

「見ちまったこっちの身にもなれよ。それかせめて、もう話しかけてくんな。」

「えー。皆口くんとはいい友だちになれそうなのになあ。」


 仲村が関わってくればその度に、彼の裏の顔がちらつく。それを知りつつ以前のように接したくもない。

 僕は(ひび)割れた日常から目を背けるのに、必死だった。



「………学校に告発されたいのか、」

 考え抜いた末、逃げ道はこれしかないと声を潜めた。



「俺と……雨宮本人の証言があれば、おまえに撮られた写真なんて怖くないからな。」


 もちろん本気じゃない、ただの脅しだ。

 でも、事実雨宮の身体には暴力の痕跡もあるだろうし、こうして彼女の名前を出すことで、今後の抑制にも繋がるのではないか、と思えた。


 じっと見据える僕を、仲村は顔色一つ変えず頬杖をついて眺めていた。

 やがて、ふうっと浅いため息をつく。


「皆口くんは、いまいち立場がわかってないなあ、」

 そしてぽつりと言った。


「ねえ。妹さん、もうすぐ復学するんだってね。」


 だしぬけ意味深に、そして予想外に発せられた言葉に凍りつく。

 仲村は続けた。


「皆口ひのでさんだっけ? 美人さんだよねー。うちのクラスでも有名だし、三年にも目つけられてるって噂だよ。しかも入学生首席で成績優秀。暴力沙汰だったってのに、学校側も教師連中も甘くなるわけだ。」


 ……なんだよ、なにが言いたいんだよ。


「今、それと何の関係が……」

「愛された者勝ちってこと、世の中。」


 仲村は簡潔に言い切った。


「もしもきみが俺を告発したとして、損をするのはどっちだと思う? この学校にきみの味方なんていないよ。あのゴミクズ女だってね。」


 彼にとって、おそらくこれは脅迫でも助言でもない。

 いわばただの会話だ。

 なんてことないような『会話』をする仲村に、僕が感情や反論を捻じ込む隙なんか全然なくて、不気味なほどの優等生に捕らわれたまま、口を噤んだ。



「でも、俺だけは味方になってあげる。」



 去り際に、仲村は耳打ちをしてきた。恍惚に浸るような、粘りのある耳打ちだった。


 この意図を見抜く自信は無い。むしろ、見抜きたくもない。

 まかり通る理不尽なら、とうの昔から認知済みだ。それに目を瞑り、時々修整を加え、少しの我慢をしながら僕は生きてきた。きっとこれからも。



 きっとこれからも、ずっと……



 それでいいのか? 解放された束の間の安穏で考えた。

 答えなんて出ないかもしれない。そもそも、答えがあるのかさえわからない。仮に答えが出て、何ができる?



 “きみの味方なんていないよ”



 それが真理だ。わかっていたはずじゃないか。

 だから今まで考えないように生きてきたのに。事なかれ主義に徹してきたのに。こんなふうに考えたら最後、思い知らされる。

 日常に入ってしまったこの(ひび)は、想像以上に深い。




 昼休み終了まで十分をきった。

 瞼を力強く閉じて、ぱっと開き、一心不乱にペンを走らせた。

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