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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第十四章】 第二の乙女
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78  『戦慄』





 “……おにいちゃん おねがいが あるんだ”




 妹の、最後の「おにいちゃん」は、夏だった。



 妹が小学一年生で、僕が小学二年生の、なつやすみ。

 八月三日。

 僕が妹の「おにいちゃん」でいられたのは、この日までだった。



 僕は、泣いていた。

 冷静な妹を前に、ずっと、わんわん泣いていた。


 怪我をさせたんだ。

 ちょっとした言い争いの延長で、僕はつい妹を突き飛ばしてしまって、妹は花壇の石積みに背中を打って、怪我をした。

 服に血が滲んで、慌てて病院に駆け込んだけれど、幸い大事に至らなかった。

 妹も、怪我が見えない箇所だったせいか、けろっとしていたのに、僕はずっとわんわん泣いていた。


 怪我をさせてしまった

 傷つけてしまった

 疵を残してしまった


 後悔と罪悪感がとまらなかった。



 ごめん ごめんね ひので


 泣きながら何度も謝った。


 ごめんね ごめんね ゆるして ごめんね

 なんでも なんでもするから

 ぼくをゆるして



「じゃあ……おにいちゃん。おねがいが、あるんだ。」



 言ってくれ

 ぼくに できることなら

 なんでも



「……あのね、」




 “×××××××、……家族に、なってほしい” ────────










 夕方を迎えた十月の風は思いのほか冷たくて、そろそろ運転時の服装も考えなくてはいけない季節になったと痛感した。

 後部座席に跨る彼は大丈夫だろうか。新潟、思ったより寒くなかったし、今の服装も東京基準だ。バイクに乗るには肌寒いかもしれない。

 自宅までまだ距離のあるコンビニで、バイクを停めた。


「なに? なんか買うの?」

「まあ、それもあるけど。走ってて寒くないか?」

「ちょっとね。でももう着くんでしょ? 平気ヘーキ。あっ、じゃあ温かいもの飲んでから再出発しようよ。」


 言うなり、星史は早く早くとコンビニへ入っていった。どうせカフェオレだろうなと予測しながら、僕も後ろを付いてゆく。


 まもなく夜になる、三日ぶりの東京。

 僕は彼を、文字通り連れて帰ろうとしている。






 高速道路を下りたあたりで、車内では星史の身の振り方について会議が行われた。

 つまりはとりあえずの避難場所だ。さすがに、毎日『死ね』と貼られる自宅(いえ)に帰すわけにはいかない。


 会議が必要だったのは、避難場所が無いという切羽詰った理由からではなく、むしろ候補地が多いという贅沢な悩みからだった。


 一つめは、星史の両親が引っ越した先のマンション。

 そもそも、何故星史が両親と同じ新居に越さなかったというと、『名塚月乃』の名が学校及び近辺に知れ渡った以上、東京自体を離れなくては、という、苦渋の決断からだった。だからこそ東京に戻ってきてしまった今、もはや両親と一緒に住めないという理由は無い。


 二つめは、佐喜彦さんの自宅。

 ここを提案したのは、まさしく張本人である佐喜彦さんだ。彼は星史と親族であるし、自宅には空いている部屋もあるという。所在地が都心になるので、王子からはだいぶ離れることにはなるが、「でも新潟よりは近いでしょう?」なんて冗談めかして笑ってきた。


 そして、三つめ、は……



「俺ん()、くる?」



 避難場所が佐喜彦さんの自宅に決定しかけたときに、僕は空気も読まず発言した。

 車内が静まり返り、三つの視線が其々別の思想を持って注目してくる。三方向からの生暖かい攻撃に、今しがたの提案を後悔する。


「決定ね。」

「決定だね。」

「じゃあまずは俺んち、戻らなきゃ。」


 どうせバイク置きっぱなんでしょ? 目を輝かせる星史相手に、今さら前言撤回はできそうになかった。



「………。」



 『東京ついた。これから星史と一緒にそっち行く』



 旧仲村家マンションについてしまう前に、僕はこっそり、雨宮へメッセージを送信した。







 運転中は肌寒かったのに、降りてみると暖をとるほどではなかった。ホットで買ったペットボトルもなかなか冷めない。


「言い忘れてたけど、うちに雨宮いるから。」


 隙を突くように明かした。飲み口に唇を当てたまま、星史は険しいような訝しいような、平たくいえば変な顔をする。


「うっそ、もうそんなに進展してんの?」

 そこかよ。黙ってた事はいいのかよ。遭遇してしまう件にもノータッチかよ。つか進展も何もねーよ。

 今度は僕が変な顔になる。

「ちっげーよバカ。……成り行きで、留守番頼んだんだよ。うち今、家に誰もいないし。」

「はー。どんな成り行きなんだか。」

 そういうわりに、あまり興味関心のある口ぶりではなかった。まだ熱いはずのカフェオレを一気に飲み干す。



(あきら)さんは? なんでいないの?」


 むしろ、()()()に関心があるようだった。



「再婚、するから……その……相手と一緒に、住み始めた。」

 今更、無意味に気まずく説明する。

「ふうん。」

 彼の関心が尽きたか否かをばれないようにさぐる。まだあるとしてもこれ以上、何を言えばいいのか見当もつかないのだけれど。


「あーあ。一気にテンションがた落ちー。陽さんいないしー。ブスいるしー。旭くんはブス連れ込んでるしー。」

「うしろ二つは同じじゃねえか。」

 律儀に突っ込みはしたけれど正直安堵した。母の話題は切り上げらしい。

 安堵ついでに、付け加えるように苦情も言ってみる。

「ていうか、雨宮別にブスじゃねーだろ。下の上だ、下の上。」

「つまりブスじゃん。」


 母の不在と雨宮の留守番に文句を垂れていた星史だけど、まだ笑っているだけ拒否感は本気のものではないことが窺えた。

 だけど、自宅にはもれなく百香も待っているなんて、口が裂けても言えない。彼の彼女に対する評価が過去のままだとしたら、この冗談半分みたいな拒否感も本物になってしまう。

 到着してから、そこはまあ……うまくやり過ごそう。


 杞憂を後回しにしたところで、スマホが震えた。

 液晶に映る文字に、つい吹き出す。


「なに笑ってんのさ。」

 尋ねる星史に、僕は液晶画面を向けることで返事をした。


「噂をすれば、愛しの「下の上」さん。」


 僕のふざけた台詞になのか、液晶に並ぶ『雨宮(あめみや)糸子(いとこ)』の文字になのか、どちらに対しての反応かは判らないけれど、星史は「あー、そー」と、さも面白くなさそうに返す。

 なげやりな彼を、まあまあと一応宥めてから、着信をとった。


「よう。」

 妙な充実感と幸福感を胸に、応答する。



 しかし、次の声が返ってこない。



「……? 雨宮?」



 なまえを呼ぶ。

 それでも、返ってこない。

 待てども待てども、雨宮糸子の声は一向に聞こえない。





(あさひ)、」




 充実感が、幸福感が、(ひび)を入れて戦慄に変わる。



 僕がこの声を忘れるはずがない

 彼女の声を、知らないわけがない



 なぜだ どうして……




「……ひので……か?」




 どうしておまえがこの電話に出るんだ。




仲村(ナカムラ)星史(セージ)もそこにいるな?」


 一方的に妹は切り出した。

 わけがわからない。

 なぜ雨宮のスマホから妹の声がするのかも、なぜ妹が星史の所在を尋ねるのかも、

 雨宮の、所在も……



「二人で来い。アメミヤイトコは、預かっている。」



 通話が途絶える。

 何事もなかったみたいに、ツーツーと、通話の終了を報せる音だけが響く。


 この、たった数分の、妹との時間を、夢かまぼろしか、疑う。


 それを願う。


 たのむ…………夢か、まぼろしに、したいのに、



 残酷にも、この身を凍らす戦慄だけは本物だ。




「星史、……雨宮が……」



 危ない。



 自分がどんな説明をしたのか、経緯をどう語ったのか、何を危惧し、何を伝えたのか、わからない。


 不安と混乱、恐怖と絶望、ひのでと、雨宮。

 ……様々な要因が、存在が、ぐちゃぐちゃに混ざり合って僕を曖昧にする。意識を掻き回す。



 突然掴まれた手首の感覚が、僕を呼び起こした。



「……急ごう。」


 僕の手首を握り、星史は気丈に言う。



 いっさいの躊躇いも無く、僕らはバイクに跨った。

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[良い点] あーーーー! あーーーーーー! あぁあああっぁぁぁぁああ!! ジェットコースター的佳境に突入!! (>_<)!!! たまらん! あぁたまらん!! [一言] 何度読んでも 今回の「ライト…
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