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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第十三章】 新潟へ
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77  『おかえり』




 星史の東京帰還は、驚くほど円滑に事が運んだ。

 朝丘(あさおか)家への説明。東京に残っている両親への連絡。以上の二項目に、反対と説得がワンセットで最大の障害になると覚悟していたのに、全然そんなことなかったのだ。


 実際のところ大方は察していた。

 円滑の裏にあったのが、イヨさんの介入か、もしくは、僕という人間が訪れた時点で、朝丘側にも予感や覚悟があったか、だ。もしかすると両方かもしれない。

 中一日を使って帰還の意図を告げ、荷物をまとめ、その他手配に、夜にはまた送別会という名の賑やかな団欒が開催された。



 三人で乗ってきたセダンに、星史を加えて発つことになったのは、僕がこの地を訪れてから二日後だった。



「星ちゃん。また、いつでも……いらっしゃいね。」

 出迎えてくれたあの明け方から、一貫して明るく振舞い場を和ませてくれていた千寿(ちず)さんが、笑顔とは不釣合いの湿っぽい声を震わせたのは、このときが初めてだった。


「やだあママ。なに? 星史死ぬの? ウケんだけど!」

 横から笑いながら、千意子(ちいこ)さんが千寿さんの肩を叩く。そこで堪えきれなくなったのか、千寿さんは顔を覆った。千意子さんは「あーあ」と言いながらも、そのまま母親の肩を摩った。


「で、あんたもまた来んでしょ?」

 摩りながら僕に問う。突然の質問にどぎまぎした。


「え……と、また来ても、いいんですか?」

「は? むしろ次が無かったら超謎なんだけど。」

 間髪入れずに、声にどすを利かせる。


「脅してどうするのよ。来てくれるものも来てくれなくなるじゃない。」

「もお冗談に決まってるじゃん! 依世ちゃーん、ほんとに帰っちゃうの? 超さーみーしーいー。」

「………。……伯父さま、本当にお騒がせ致しました。」

「いいや。顔が見られて良かった。先方にも宜しく伝えてくれ。」


 元希(もとき)さんとイヨさんが律儀な別れを告げあう。その流れで、元希さんは佐喜彦(さきひこ)さんとも談笑を含んだ別れの挨拶を交わした。


「……星史、」

 一通りが済んだところで星史を呼ぶ。堅物な視線が、まっすぐ彼に向いた。


「毎日、楽しくすごしなさい。」


 お説教のように、穏やかに言い聞かせる。

 星史はまばたきを二回ほど挟み、目を細めてにっと歯をみせた。

「もち。」

 手をひらひらさせて後部座席に乗り込む。

 僕も隣に乗り込もうとしたところ、元希さんが続けて「皆口くん、」と、呼びかけてきた。慌てて乗るのを中断し、振り返る。


「本当に、ありがとう。」

 元希さんは深々と頭をさげていた。


 僕も、負けないくらい深々とさげた。充分すぎるくらい時間をかけて、ゆっくりと頭をあげたところ、気づけば道臣(みちおみ)くんが隣にやってきていた。小さな両手で僕の手をとり、か弱く握って、小首を傾げる。


「あさひさん、また、ね。」


 最後の最後まで骨抜きにかかってきた天使の頭を撫でて、今度こそ後部座席に乗り込んだ。

 セダンが軽やかな動きで走り出す。

 あっという間に、『せきと』の暖簾が小さくなっていった。





 往路はほとんど夢の中だったせいか、帰りは新潟から東京という長距離をいやに実感できた。距離にして300キロと少し、近いようで遠い。

「新幹線なら二時間ちょっとなんだけどね。でもおれ嫌いじゃないよ。高速道路って。」

 星史は疲れも見せずにずっと喋っていた。高速道路の山だらけな辺りでも、もの凄く長いトンネルでも。


 星史のお喋りは雑談以外の何物でもなかった。

 テレビの話、スポーツの話、僕らが訪れるまでに起きた朝丘家の出来事、一昨日のゲーム大会の話題。それらから各々、更に派生させてゆく雑談……

 よくもまあ話題が尽きないものだ。僕はもう慣れたものだし、佐喜彦さんは聞き上手だし、イヨさんに関してはがっつり身内だし、彼が喋りやすい環境といえば納得もできるのだけれど。


 ただ、僕にはなんとなく違和感が生じていた。

 星史にじゃない。イヨさんだ。

 もともと、口数が多い人ではないけれど、今日の彼女はどことなく無口だ。それは機嫌が悪いとか、元気が無いとかじゃなくて、しいていえば傍観に徹しているような……


「佐喜彦さん、コーヒー飲みたい。」


 傍観者のような彼女を観察していると、突然口を開くものなので驚いた。本日のイチノセイヨの中で、一番声が張っていたような気もする。


「はいはい。了解。」

 佐喜彦さんはその一言のみで、次に通りかかったサービスエリアに立ち寄った。



「私たちコーヒー買ってくるから、ここで待ってなさい。」

 駐車するなり、シートベルトを外しながらイヨさんが言う。「私たち」というところ、同じく降りる支度をしている佐喜彦さんを、同行させるつもりなのだろう。

「混んでるみたいだね。ちょっと、時間掛かるかも。」

 相変わらず、二人は口調もしぐさに表情も対照的だ。棘のある口ぶりのイヨさんに比べ、佐喜彦さんは柔軟に、「待っててね」と添えた。


星史(せいじ)、」


 だからこそ、その呼びかけにはいつも以上の棘を感じた。



「彼のこと、当たり前に思うんじゃないわよ。」



 叱りつけるような口調と、忠告のような言葉。

 虚を衝かれて黙ってしまった星史を残し、イヨさんは一人、さっさと降りて行ってしまった。


 サービスエリアに向かって足早に歩いてゆくイヨさんを眺めたのち、浅い溜め息を挟んで、佐喜彦さんは視線を星史に移した。



「今のを直訳するとね、「お礼は言ったの?」、だよ。」



 既に彼女には届かないだろうに、声を潜める。

 そのまま品の良い微笑を溢し残して、彼も行ってしまった。


 きょとんとしていた星史が一転、ふて腐れた顔になる。シートの背もたれに、どかっと踏ん反り返った。


「なんだよ偉そうに。俺に説教垂れる前に、自分こそ早く相手みつけろっての。」

 聞かれていないのをいいことに、大きな愚痴をこぼす。その様子があまりにも子供じみていて、不覚にも微笑ましかった。

「そうだな。」

 笑い混じりに一応同調する。


「やだねー。性格きつい女は。」

「そうだな。」

「だから佐喜彦以外友だちいないんだよ、あの人。」

「はは。友だちなんだ。」

「友だちっていうか、友だちみたいな家族、的な……まあ、家族寄りの、ともだち。」

「はは。こじれてんのな。」


 幼い子供と調子を合わせるような会話を繋げるうちに、気づく。


「……でもさ、なんかそれって、」


 そういや、来るときにも言われたな。



「近いな、俺たちと。」



 会話がそこで途切れた。

 僕は星史を見るでもなく、背を向けるでもなく、フロントガラスの向こう側に広がるサービスエリアを、ぼんやり眺める。

 視界の片隅で、踏ん反り返っていた星史が背もたれから背中を離した。

 座席の上で体育座りをしている。……あーあ。上質そうなシートに靴のまんまで……指摘したかったけれど、やめた。


「……。

 コーヒー、買ってくるって、おれたちのも、コーヒー……かな。」


 やがてぽつりと、新しい会話を始めた。


「どうだろ。」

「……おれ……カフェオレが、いいな。」


 またもや不覚にも笑ってしまった。

「そうだな。おまえ、寿司でもカフェオレで大丈夫な奴だもんな。」

 今度は結構遠慮なく、吹きだすように笑う。


 星史はまた、すこし、黙った。



「…………あさひくん、」



 おう。

 あえて素っ気なく僕は返事をする。



「……その、……むかえ、きてくれて………ありがと。」



 おう。

 あえて、星史を見ないようにする。


 なのに、やはり視界の片隅には、どうしたって彼が映る。

 高級そうなシートの上で、靴のまんま遠慮なく膝を抱えて、見間違いじゃなければ、ふるえている。空耳じゃなければ、(はな)をすすっている。


 隣から、ぐしぐし、きこえてくる。




「……たっ……たらい……まぁ……っ……」




 ただいま、のつもりなのかな。



 子供じみていた十七歳が、ただのこどもになる。車の中が涙の音でいっぱいになる。




「おう。おかえり。」




 僕だけは大人ぶって、素っ気なくを貫いた。

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