76 『約束』
僕らが 出逢わなければ
それは、誰のための言葉だったのだろう。
僕らが出逢わなければ、
星史は、学年の人気者、仲村星史として、順風満帆に高校生活を送れていたのだろうか。
雨宮は、彼女の本能のまま、仲村星史の糧として、欲望をまっとうできていたのだろうか。
僕は、関係のよくない妹と依存だらけの母相手に、
適度な距離を保って、時々庇うふりをして、首を突っ込む素振りを見せて、
多少、殴られて、結構、泣かれて、
結局、うやむやにして……
それでも、それなりに平凡な人生を歩めたのだろうか。
卒業して、働いて、大人になって、
もしかしたら誰かと恋に落ちて、結婚なんかもして、子供が産まれて、
家族を持って……
……家族?
ぼくが? 結婚、して……家族を……?
“……おにいちゃん、”
“おねがいが、あるんだ。”
…………思い出した
妹の 最後の 「おにいちゃん」 を……
『僕らが、出逢わなければ、』
それは、
彼女との未来にも、言えたのかもしれない────────
布団に戻るときも忍び足で、一応配慮は欠かさなかった。
「トイレ?」
心遣い虚しく星史は起きていた。毛布から首から上を覗かせて、なぜか嬉しそうに、にししと声を潜ませている。
「まあ、そんなとこ。」
適当に話を合わせながら布団に入る。寝そべったところで、大きく背伸びをして一呼吸おいた。
「いい人だよな、ここのひとたち。」
出し抜けに、仰向けのまま言う。
「そだね。ド田舎唯一の取り柄。」
ひどい言い様だな。天井に放った笑いが、星史の笑いと混じって部屋に響く。
「みんなのこと、好きか?」
仰向けのまま、僕らは話を続けた。
「うん。おじさんとおばさんは、おれの両親とは真逆の夫婦だけど、「ザ・お父さん&お母さん」って感じで好きだよ。」
「あー。すっげわかる。」
「千意姉とはケンカばっかだけど、なんか馬は合うんだよね。あのひと精神年齢低いし。」
「だから合うんだろ。」
「ひど。んで、ミチオは言うまでもなく、」
「天使だよな。」
「おや? きみも骨抜きにされちゃいました?」
まざった笑い声が、また天井にぶつかって部屋を満たした。
「本当、いいひとたちだよな。」
「だね。」
星史は清々しいくらいに即答する。
僕はもう一度、布団の中で寝そべったまま背伸びをした。
今度は少し長めに一呼吸、おく。
「前さ、おまえ言ってたじゃん、」
そこから、天井を向くのをやめた。姿勢を仰向けのまま、星史のほうを向く。
「俺がいれば、なんにもいらないって。」
気配に気づいて、星史も僕のほうを向いた。
並んだ布団の上、寝転んだまま見据えあう。
「親と、朝丘の人達と、ぜんぶひっくるめて家族、捨てられるって言えんの?」
まじめに聞く。
星史も、真面目な顔になる。
しかし寸秒として表情は切り替わった。わざとらしく眉間に皺をよせ、目をすわらせ、漫画みたいな顔を作る。
「うわ、すっげー意地悪な質問。性格わるっ。」
案の定、おちゃらけて言う。しまいには頭から毛布を被って籠城した。「ひどいよーこの人ー。陰湿だよー」毛布の小山からスピーカーみたいに、篭った文句をたれ流した。
僕は黙って身を起こした。あぐらをかいて、不平不満の流れるスピーカーを眺める。
眺めるうちに、音がぴたりとやんだ。
「言えるよ。」
言える。スピーカーから、小さくも芯の通った音が、一片の濁りもなく届く。
その透きとおった音色に、僕も応えた。
「じゃあ帰ってこいよ。」
帰ろう、星史。この声も、彼に濁りなく届けばいい。
「俺も捨てるから。星史以外。」
スピーカーがただの毛布の小山になって数秒、毛布を捲って、ただの星史が出てきた。
「なにそれ。」
はにかむように、少々、小ばかにするように笑う。
つられて、僕もはにかんだ。はにかみついでに咳払いをする。姿勢を正し、あらためて星史と向かい合った。
「星史……その、さ。ひとつ、頼みが、あるんだ。」
真面目と打って変わって、羞恥が表情を覆う。
「最後に、仲村星史として、雨宮糸子に会ってほしい。」
なんでこんなに照れ臭くなるのか、自分でも理解し難かった。だけど正真正銘、羞恥に塗れていた。
膝を抱えて正面に座った星史が、例の漫画みたいな顔のあくどいバージョンで、容赦なく僕をみつめた。
「でたでたでたー。出ましたよそれー。」
そして容赦なくからかってくる。僕は口を結んで俯いた。余計なことを口にしても、墓穴を掘る以外の未来が見えない。ここは、慎重に話を進めなければ……。慎重に、慎重に……
「旭くんさー、あのブスのこと好きなの?」
「好きだよ。」
慎重になんてなれなかった。
咄嗟に言い返してしまったのは、星史があまりにも明け透けだったせいだろうか。それとも、ただの開き直りかやけくそか。もしくは、完全に反射的だったのか。
雨宮が、好きだ。
ごまかすことも、聞き流すことも、否定することもできなかった。
言ってしまってから赤面が襲う。真夜中の、常夜灯は案外味方になってくれない。羞恥は星史に筒抜けで、悪い笑顔で舐め回すように眺めてくる彼を、僕は毛布で覆って上から押さえつけた。強制的に籠城させる。
「痛い痛い! え~? 何なに? なんなんだよ~!」
再び完成したスピーカーからは、今度は愉しそうなからかいの声が流れてくる。
「……選択肢、やるよ、」
彼を隠したまま、言った。
「雨宮の願いを叶えるか、俺の願いに唾を吐くか、見極めろよ。」
仕返しのつもりで、いつかの彼を模した。これもなかなか恥かしいものだけど。
やかましかった毛布が、しんと静かになる。やがて、くすくすと意地の悪い音を奏でた。
「旭くん、悪役似合わなーい。」
顔を覗かせた星史が、僕を見あげて笑う。
「小物感半端ないもん。中ボスだね、中ボス。あはー。」
指をさして、やはり「にしし」と嬉しそうに声を潜める。無敵かよこいつ。僕が逆の立場だったら顔から火が出るレベルなのに。
「ま。いいよ。」
敗北感に打ちのめされる僕へ、更に追い討ちみたいに、星史は事無く快諾してくる。
「文句の一つくらい言ってやりたいし。」
どこまでも気さくに、ただの『会話』を繋げてくれる彼に、悔しくて恥かしい反面、感謝もしたくなった。
現在進行形の彼を模して、意地の悪い顔をしてみる。
「うっし。おまえ連れて帰ったら、デートしてもらう約束しててさ。」
「なんだそれ、当て馬かよー。」
絶対おれのほうが100万倍可愛いのにー。
どこからくるんだよ、その自信は。
最後のほうは実にくだらない、なかみの薄い言い合いを繰り広げたまま、どちらともなく、いつの間にか眠りについていた。




