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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第十三章】 新潟へ
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76  『約束』




 僕らが 出逢わなければ




 それは、誰のための言葉だったのだろう。




 僕らが出逢わなければ、

 星史は、学年の人気者、仲村(なかむら)星史(せいじ)として、順風満帆に高校生活を送れていたのだろうか。

 雨宮は、彼女の本能のまま、仲村星史の糧として、欲望をまっとうできていたのだろうか。


 僕は、関係のよくない妹と依存だらけの母相手に、

 適度な距離を保って、時々庇うふりをして、首を突っ込む素振りを見せて、

 多少、殴られて、結構、泣かれて、

 結局、うやむやにして……


 それでも、それなりに平凡な人生を歩めたのだろうか。


 卒業して、働いて、大人になって、

 もしかしたら誰かと恋に落ちて、結婚なんかもして、子供が産まれて、

 家族を持って……




 ……家族?




 ぼくが? 結婚、して……家族を……?






 “……おにいちゃん、”





 “おねがいが、あるんだ。”






 …………思い出した



 妹の 最後の 「おにいちゃん」 を……





 『僕らが、出逢わなければ、』




 それは、

 ()()との未来にも、言えたのかもしれない────────











 布団に戻るときも忍び足で、一応配慮は欠かさなかった。


「トイレ?」

 心遣い虚しく星史は起きていた。毛布から首から上を覗かせて、なぜか嬉しそうに、にししと声を潜ませている。

「まあ、そんなとこ。」

 適当に話を合わせながら布団に入る。寝そべったところで、大きく背伸びをして一呼吸おいた。


「いい人だよな、ここのひとたち。」

 出し抜けに、仰向けのまま言う。


「そだね。ド田舎唯一の取り柄。」

 ひどい言い様だな。天井に放った笑いが、星史の笑いと混じって部屋に響く。


「みんなのこと、好きか?」

 仰向けのまま、僕らは話を続けた。


「うん。おじさんとおばさんは、おれの両親(おや)とは真逆の夫婦(タイプ)だけど、「ザ・お父さん&お母さん」って感じで好きだよ。」

「あー。すっげわかる。」

「千意姉とはケンカばっかだけど、なんか馬は合うんだよね。あのひと精神年齢低いし。」

「だから合うんだろ。」

「ひど。んで、ミチオは言うまでもなく、」

「天使だよな。」

「おや? きみも骨抜きにされちゃいました?」


 まざった笑い声が、また天井にぶつかって部屋を満たした。

「本当、いいひとたちだよな。」

「だね。」

 星史は清々しいくらいに即答する。



 僕はもう一度、布団の中で寝そべったまま背伸びをした。

 今度は少し長めに一呼吸、おく。



「前さ、おまえ言ってたじゃん、」

 そこから、天井を向くのをやめた。姿勢を仰向けのまま、星史のほうを向く。


「俺がいれば、なんにもいらないって。」


 気配に気づいて、星史も僕のほうを向いた。

 並んだ布団の上、寝転んだまま見据えあう。



「親と、朝丘(ここ)の人達と、ぜんぶひっくるめて家族、捨てられるって言えんの?」



 まじめに聞く。

 星史も、真面目な顔になる。

 しかし寸秒として表情は切り替わった。わざとらしく眉間に皺をよせ、目をすわらせ、漫画みたいな顔を作る。

「うわ、すっげー意地悪な質問。性格わるっ。」

 案の定、おちゃらけて言う。しまいには頭から毛布を被って籠城した。「ひどいよーこの人ー。陰湿だよー」毛布の小山からスピーカーみたいに、篭った文句をたれ流した。

 僕は黙って身を起こした。あぐらをかいて、不平不満の流れるスピーカーを眺める。


 眺めるうちに、音がぴたりとやんだ。



「言えるよ。」



 言える。スピーカーから、小さくも芯の通った音が、一片の濁りもなく届く。

 その透きとおった音色に、僕も応えた。


「じゃあ帰ってこいよ。」


 帰ろう、星史。この声も、彼に濁りなく届けばいい。


「俺も捨てるから。星史以外。」


 スピーカーがただの毛布の小山になって数秒、毛布を捲って、ただの星史が出てきた。



「なにそれ。」

 はにかむように、少々、小ばかにするように笑う。



 つられて、僕もはにかんだ。はにかみついでに咳払いをする。姿勢を正し、あらためて星史と向かい合った。

「星史……その、さ。ひとつ、頼みが、あるんだ。」

 真面目と打って変わって、羞恥が表情を覆う。



「最後に、仲村(なかむら)星史(せいじ)として、雨宮(あめみや)糸子(いとこ)に会ってほしい。」



 なんでこんなに照れ臭くなるのか、自分でも理解し難かった。だけど正真正銘、羞恥に塗れていた。

 膝を抱えて正面に座った星史が、例の漫画みたいな顔のあくどいバージョンで、容赦なく僕をみつめた。

「でたでたでたー。出ましたよそれー。」

 そして容赦なくからかってくる。僕は口を結んで俯いた。余計なことを口にしても、墓穴を掘る以外の未来が見えない。ここは、慎重に話を進めなければ……。慎重に、慎重に……



「旭くんさー、あのブスのこと好きなの?」




「好きだよ。」




 慎重になんてなれなかった。


 咄嗟に言い返してしまったのは、星史があまりにも明け透けだったせいだろうか。それとも、ただの開き直りかやけくそか。もしくは、完全に反射的だったのか。


 雨宮が、好きだ。

 ごまかすことも、聞き流すことも、否定することもできなかった。


 言ってしまってから赤面が襲う。真夜中の、常夜灯は案外味方になってくれない。羞恥は星史に筒抜けで、悪い笑顔で舐め回すように眺めてくる彼を、僕は毛布で覆って上から押さえつけた。強制的に籠城させる。

 「痛い痛い! え~? 何なに? なんなんだよ~!」

 再び完成したスピーカーからは、今度は愉しそうなからかいの声が流れてくる。



「……選択肢、やるよ、」



 彼を隠したまま、言った。



「雨宮の願いを叶えるか、俺の願いに唾を吐くか、見極めろよ。」



 仕返しのつもりで、いつかの彼を模した。これもなかなか恥かしいものだけど。


 やかましかった毛布が、しんと静かになる。やがて、くすくすと意地の悪い音を奏でた。


「旭くん、悪役似合わなーい。」


 顔を覗かせた星史が、僕を見あげて笑う。

「小物感半端ないもん。中ボスだね、中ボス。あはー。」

 指をさして、やはり「にしし」と嬉しそうに声を潜める。無敵かよこいつ。僕が逆の立場だったら顔から火が出るレベルなのに。

「ま。いいよ。」

 敗北感に打ちのめされる僕へ、更に追い討ちみたいに、星史は事無く快諾してくる。


「文句の一つくらい言ってやりたいし。」


 どこまでも気さくに、ただの『会話』を繋げてくれる彼に、悔しくて恥かしい反面、感謝もしたくなった。

 現在進行形の彼を模して、意地の悪い顔をしてみる。


「うっし。おまえ連れて帰ったら、デートしてもらう約束しててさ。」

「なんだそれ、当て馬かよー。」


 絶対おれのほうが100万倍可愛いのにー。

 どこからくるんだよ、その自信は。

 最後のほうは実にくだらない、なかみの薄い言い合いを繰り広げたまま、どちらともなく、いつの間にか眠りについていた。

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