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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第十三章】 新潟へ
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75  『敬意』




 最初に足を踏み入れた明け方の印象が強かったせいか、ピーク時の『せきと』の繁盛振りには驚かされた。これは人手が歓迎されるわけだ。

 常連ばかりの地域密着型の店かと思いきや、観光客らしき客層も多く見受けられたのだ。聞くところ、昔はこじんまりとした(みせ)だったが、当時そこそこの視聴率を誇っていたテレビ番組に取り上げられ、その際訪れたのが当時の人気俳優だった影響もあり、客足が潤い事業が拡大したのだという。


「パパとママが結婚する前の話でしょ?」

「じゃあ、依世が小学生くらいのとき?」

「あはーまじで大昔じゃん。」

「ぶっ飛ばすわよ。」


 営業終了後の午後三時。後片付けの終えた店内には、例の騒がしく和やかな団欒が再燃していた。みんなそこそこ疲れているのに元気だなと感じる反面、先程までの店内を思い返せば、納得のいく節もあった。

 一言で表すなら、楽しそう、だったのだ。


 厨房で腕をふるうイヨさんと千寿さんも、客席を任された佐喜彦さんも、半ば強制的に手伝わされていたはずの千意子さんも、そして誰より、星史も。

 顔見知りであろう客から声を掛けられたり、時には席で呼び止められていたり、観光客からは例の()()の人気俳優について話を振られたり……。親世代、下手をすれば祖父母世代の客相手にも星史は気さくに対応し、場を和ませていた。


 それが仲村(なかむら)星史(せいじ)だから。……とは、一概に言えなかった。

 違ったのだ。

 僕が学校で見ていた人気者「仲村星史」と、『せきと』で働く「仲村星史」は、全くもって別人だった。


 なのに、違和感が無かった。



 違和感が無いという()()()が確信に変わったのは、予定通り開催された、夜の歓迎会でだった。



「皆口くん。今日は頑張ってくれたようだね。」

 元希さんが労ってジュースを注いでくれる。

「い、いえ。そんな。ご迷惑ばかりおかけして……」

「そんなことないないっ。すっごく助かっちゃった!」

 僕の謙遜を千寿さんは明るく否定して、讃えてくれた。


「そうそう。星史より使えんじゃん?」

「ひっど。むしろ千意姉より使えたし!」

「……あなたたち二人よりよっぽど要領良いわよ、彼は。」

「厨房任せても飲み込み早そうだよね。」

「じゃあさ、じゃあさ、おれと旭くんで新しい支店作っちゃう?」

「なんでそんな話になるんだよ。」


 やはりまた、途切れることのない声達の後から、笑いが起きる。

 騒がしくも和やかな団欒に包まれる。嘘偽りない、まっとうな家庭の一部に、ちゃんと彼がいる。

 無邪気に笑う星史がいる。


 団欒に馴染み楽しむ傍らで、確信した。

 僕は、もうずっと前から、この星史を知っている。



 愛してくれるひとたちに囲まれる彼を、愛される子でいる彼を、いつの間にか知っていたんだ。




   あのひとが

   愛され過ぎてるくらい、

   愛されてることだけは

   ……あんたよりも知ってる


   あんたよりも 知ってるんだから




 ……彼女ほどじゃ、ないけれど。









 意識が薄れる直前で、視界に映りこんだ彼に目を奪われた。


 隣で眠る星史はこの上なくすこやかで、これまでの騒動が嘘みたいに安らいでいる。静かな寝息と無垢な寝顔を前に、彼が受けた迫害の日々が脳裏を巡り、心臓が潰されそうになった。

 星史は否定したけれど、騒動の責任が僕に一片も無いとは言い切れない。


 僕が、母子手帳をもっと厳重に保管していれば。

 無理にでも、ひのでに被害届を出させておけば。

 百香が疑われた時点で、名乗り出ていれば。

 星史が『信者』の襲撃を受けた日、彼を連れ出していなければ。



 僕らが、出逢わなければ。



 数え切れない仮定を、過去を、悔む。どこかで修整できなかったのかと、歯車を直せなかったのかと、悩む。無駄に考える。


 就寝前までの星史を思い出す。

 歓迎会の途中から、朝の約束どおりゲームをした。テレビ画面と二つのコントローラーを用いる、古めのゲーム。

 大いに盛り上がった。星史のゲームの腕は相変わらず雑魚同然で、それ以上に佐喜彦さんが群を抜いて下手っぴで、気づけば朝丘の面々に混じって、僕も本気で笑っていた。


 元希さんたちが住居に戻り、まだしばらく、星史を含めた来客組で遊んでいたけれど、おいおい御開きにして、星史は僕の泊まる部屋に布団を敷いた。

 ようやく二人きりになれて、積る話もあるだろうと夜更かしを覚悟していたのに、拍子抜けもいいところ星史は早々爆睡した。


 おかげでこっちはすっかり目が冴えてしまった。


 布団の中で仰向けのまま、部屋中を見渡す。外観と同じく和風の造りをしているけれど、所々近代的なデザインも見られ、おそらくリフォームされているのが判った。


 睡魔を待ちながら何気なく障子戸のほうを見ると、向こう側が微かにぼんやり明るいことに気づいた。

 障子戸を開くと、縁側を挟んで庭が広がっていた。生垣が不自然な位置で、壁のようにそびえている。

 灯かりは、生垣の奥で点っていた。飛び石の並ぶ道を渡れば向こうに辿りつけそうだ。



 星史を起こさぬよう布団を抜け出し、忍び足で玄関から靴を運んだ。

 縁側から庭へ出る。

 まるで灯かりに誘われるように、飛び石を歩いた。






「あら。眠れないの?」


 庭の奥に隠されていたのは、もう一つの庭だった。四方を生垣に囲まれ、外灯が設置されている、用途不明の庭。

 そんな不思議な空間でイヨさんはひとり、佇んでいた。


「なんですか、ここ。」

 ぶしつけに僕は変な質問をした。彼女とのやりとりが馴染んできた証拠なのかもしれない。

「ここね、むかし、兎を飼っていた跡地なの。」

 やはりイヨさんも、あっさり答えてくれた。


「うさぎ、ですか。」

「ええ、うさぎ。」

「小屋、あったんですか、」

「ええ。柵もあったわ。」


 時刻は午前一時前。双方とも、寝床から出てきましたといわんばかりの寝巻き姿。そして、兎小屋の跡地だという庭。

 奇妙な集合を果たした僕らは、不相応で淡白な会話を繋げる。



「もともと、この庭も舗も、養母(はは)の持ちものだったの。」



 今度はイヨさんが唐突に言った。


「イヨさんの……おかあさん?」

 反射的に言葉を返す。


 頷いたのか、瞼を伏せたのか、イヨさんは曖昧なしぐさのあと、

「……皆口(みなぐち)くん、」

 まっすぐ、僕を見据えた。



「血なんて、くだらないと思わない?」



 血が、くだらない。

 雑な言い回しだなと思った。おそらく血縁を意味しているのは、すぐ理解できたけれど。

 しかしこの雑さが、却ってイチノセイヨらしいとも思えた。


「……朝丘(ここ)人間(ひと)たちは、みんな、星史の出生も素性も知った上で、あの子を受け容れているわ。差別も特別も無い、()()として接している。血の繋がらない、あの子を。」


 証拠に、彼女の声は本来の説得力以上に、僕へ刺さる。


「ここでは誰もあの子を迫害しない。……ここにいれば、あの子はまだ、仲村星史として生きていけるの。」


 刺さるなんてもんじゃない。

 ぶっ刺してくる。貫通する勢いで、内臓ごと吹き飛ばすみたいに。



「あなたに、あの子を連れ戻せる?」



 狙いを定めるように言い放った。


 瞬時に、気づく。

 彼女は最初(はな)から、僕に手を差し伸べてなんかいない。


「東京を発つ前に、私、言ったわよね。あの子があなたの足枷になるって。」


 協力者なんかじゃない。


「それは、星史からしても同じ。」


 逆だ。

 思い知らせようと、したんだ。


「あなたの行動次第では、あなた自身が星史の足枷になるかもしれない。あなたのしようとしていることは、あの子を不幸にする結果を、招くかもしれない。」


 この場所で生きる彼を、尽きることのない笑顔を、暖かな周囲を、平穏な団欒を、幸せな星史を、見せ付けるために、


名塚(なづか)という血だけのために。」


 名塚旭(ぼく)を、連れて来たんだ。




 『僕らが、出逢わなければ』




 僕が僕に言う。

 先ほどの、すこやかに眠る星史を脳裏に映し出して、囁く。

 僕らが、出逢わなければ……今なら、出逢わなかったことにできると、囁く。

 修整がきくのだと、歯車を直せるのだと、教えてくれる。

 イヨさんの視線と一緒に。




 ………。




   “他に、”

   “何もいらないんだ。”

   “お金も、学校も、友達も、家族も、”

   “……なまえも。”




 ………。




   “セージさまを……おねがい。”





 ………、



 ……今さら、何を迷うってんだ。






「────連れて帰ります。」




 イチノセイヨ、


 あなたの主張なんて、知ったことか。




「星史が、俺を選んだんです。」



 だからこそ、心から思うよ、



「血じゃないんです。俺たちは。」



 星史の家族になってくれたのが、あなたたちで、……あなたで、よかった。



「俺は、あいつが選んだ俺を、優先したい。」



 最大の敬意を、払わせてくれ。

 そして、願わせてくれ。



「全部……担わせてください。責任も、あなたたちも、全部。」



 俺に、()()()に、あなたを担わせてくれ。



「俺も、星史を選びます。不幸になんてさせない。」



 俺と、

 彼女は、

 何よりも星史を優先するから。



 それが、俺たちだけのかたちだから。





 イヨさんが視線を伏せる。浅い、音の無い溜め息を、しぐさだけで見せる。

 手の震えを隠しながら、まばたきを我慢しながら、僕は次の彼女を待った。

 罵倒されたら土下座しよう。殴りかかられたら素直に殴られよう。通報は……さすがにないと思うけれど……。

 なんて矛盾な自分だろう。ある程度色々諦めて、覚悟して、我を貫いた。

 そのくせ、かなりびびっていた。イヨさんが耳に髪をかき上げただけで、びくっと身じろぐ。



「本当にくだらないわね。血なんて。」



 血がくだらない。先程と同じ台詞が違う音で耳ににじんだ。敬意を払って、その意味を考える。僕にとっての血を、家族を、思い出す。


「くだらない……かは判らないけど、俺には、もどかしくて……時々、わずらわしい、です。」


 母と妹……一番身近な家族を思い浮かべた。


「もどかしくて煩わしい、か……」

 イヨさんはその感想を、噛み締めるように小さく復唱した。


「……そうね。」

 やがて、納得した顔をあげる。


「くだらなくて、もどかしくて、煩わしい。そんなもの、無視しちゃえばよかったのよね。」


 どこか吹っ切れた彼女からは、薄れかけていた好感度がまた感じ取れて、僕の震えもいつの間にか治まっていた。


「イヨさん……意地悪じゃないですか。独占して、ふんだくってやれって、言ったくせに。」

 あの、あっさりとしたやりとりを期待する。

「それとこれとは話が別よ。」

 有り難いことに、彼女は期待に応えてくれた。


「そういうところですよ。」

 だから僕は、彼女を心から敬愛する。


「あなたはほんとうに、下衆で、意地悪で、すてきです。」


 ふふっ、と、今まで見たことのないイチノセイヨが、笑った。



「あなたも、あと三十年早く生まれていれば、もっと素敵だったはずよ。」


 妖艶で、あどけなく、どことなく母性的に、たぶん、讃えてくれている。



「それじゃ、イヨさんよりずっとオジサンになりますよ?」

「だから素敵なのよ。」



 話し合いはこれにて成立。どちらともなくそれを納得とする合図のように、ふと夜空を見上げた。

 新潟は、やたらに星が多い。

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