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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第十二章】 協力者
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71  『関係』




 呼出コールが長々と続く。

 既に日付を跨いでいるのだから、もう寝てしまっていても無理はない。けれど、出発前に一言、告げておきたかった。



「……なに?」



「あっ、ごめん。……寝てた?」

「……ええ。」

「ごめん。」


 それに、声も聞いておきたかった。


「平気よ。どうしたの、」

 寝起きの気だるさのせいか、雨宮(あめみや)の声は不思議とやわらかく耳にふれた。


百香(ももか)は?」

「……寝てるわ。さっきまで、起きてたけど。」

「はは。夜更かしするって意気込んで、先に寝たんだろ?」

「ええ。」


 真夜中の野外に配慮して、僕はもう一度小さく笑い声をあげた。



「今から、星史(せいじ)を迎えに行ってくるから。」



 その延長で告げた。

 雨宮からは、声が戻ってこない。


「待っててくれよな。」

 お構いなしに言い切った。彼女を真似た、出来るだけやわらかい声で。



「ええ。……まってる。」



 予想外な素直さに、変な笑いが意地悪く出てしまう。


「なんだよー。ついてく! くらいあると思ったのに。」

「同行したいのは山々よ。……でも、」

 雨宮も、配慮するように声を潜めた。


「悔しいけど、あんたじゃなきゃなのよ。あの人は。」


 なんだよそれ。

 からかうか、真剣に返すか、選ぶよりも先に、



「セージさまを……おねがい。」



 雨宮の声が、やわらかく切なく、しみこんだ。



「雨宮、あのさ……」


 僕のこの声も、彼女にしみこんでくれればいい。

 気取(けど)られないよう、密かに願った。


「ぜんぶ済んだらさ、デートしてよ。」


 彼女の評す、ボンクラで、たわけで、グズな僕でいられるよう、祈った。




「済んでから言いなさいよ、無能。」



 そっか。無能もあったか。

 真夜中の野外、配慮していたはずの声が結構な音量で、笑った。






「恋人へのお別れは済んだかな?」

 車に戻るなり佐喜彦(さきひこ)さんが目を細めた。どうにもやらしい視線も厄介なのだけど、発言自体こそ返答を悩ませる。

「えっ、あっ……はい。」

「へえ、恋人なんだ。」

 つい頷いてしまった肯定に、佐喜彦さんは更に目を細めて、いっそうやらしくからかってくる。


「無視していいわよ。星史の倍、めんどくさいから。このひと。」

「あんまりだね。依世(いよ)にだけは言われたくないんだけどな。」


 イヨさんからの辛辣な指摘にも一切動じず、むしろ笑顔で対抗しながら彼はエンジンをかけた。軽やかなハンドルさばきで真夜中を走り出す。

 普段中古の原付二種ばかりの僕には、乗りなれないセダンの動きがいやに上等に感じられた。まあ、ずいぶんと心地いい錯覚ではあるのだけど。少なくともシートは正真正銘、上質なんだろうし。


 つまり乗り心地も、正真正銘、良いはずなのだ。


「渋滞は無いと思うけど、四時間はかかるよ?」

新幹線(しはつ)待つよりは早いじゃない。」

「到着は真夜中寄りの明け方かあ……。義姉(ねえ)さん、かわいそ。」

「問題ないわよ。伯母(おば)さまはこういう異常事態、楽しむ性分(たち)だから。」


 なのに、なぜだろう…………おちつかない。


「それに、あなたも嫌いじゃないでしょ? こういうの。」

「まあ、大好きだね。」


 原因は大方わかっている。


「そんなことよりさっきの話。仲村くん、名義渡したのずいぶん後悔してるよ。兄孝行のつもりで、引き払ってあげたら?」

「嫌よ。あのマンション、立地が私にとって完璧なんだもの。勝手も分かるし。」

「でも毎日「死ね」は心病まない?」

「全然。私、仲村の籍抜けてるし。」

「そういう問題じゃないよ。」

「いざとなったら名誉棄損で出るとこ出てやるわよ。」

何歳(いくつ)になっても可愛げが出てこないね、きみは。」

「あなたに言われたくないわ。」


 前部座席にて、するすると会話を交わすこの二人のせいだ。


「うちの社宅で立地も使い勝手も保障する(いえ)、用意するからさ。」

「なおさら御免よ。」


 口ぶりも表情も意見も相反しているのに、なぜこうも会話が途切れないのだろう。内容の割に殺伐としていないし、自然であるのが却って不自然なくらいだ。

 不自然なくらいに自然体な二人を黙ってみつめていると、佐喜彦さんがミラーを介して僕に気づいた。


「ああ、ごめんね。好き勝手に喋っちゃってて。」

 気を配って、まずは置き去りにしてしまった短時間を謝る。


「僕は藤代(ふじしろ)佐喜彦(さきひこ)。あらためまして、道中、よろしくね。」


 続けて、忘れていた自己紹介を簡潔にしてくれた。イヨさんが呼んでいたものだから、勝手に脳内で「佐喜彦さん」と呼ばせてもらっていたけれど、そうか、藤代っていうのか。

 ……なんて呼ぼう。きらきらして年齢不詳ではあるけど、結構年上っぽいし……


「苗字でも名前でも、好きに呼んでくれて構わないよ。」


 エスパーかよ。このキラキラ人は。



皆口(みなぐち)くん、だったっけ?」

 佐喜彦さんは話相手を完全に僕へと切り替えて、滑らかな会話を臨んでくる。

 人懐こい年上、という目新しい生き物に、安堵と恐縮の入り混じった妙な心持ちで、僕は挑んだ。


「は、はい、」

「下のなまえは?」

 ……なんか、デジャヴだな。


(あさひ)、です。」

 この流れだと、次は確か……


「旭くんの恋人って、どんな子?」

 ほら。やっぱりこういう話題になるんだ。

 僕はミラー越しの視線をイヨさんに移し、無言で助けを求めた。


「育ちの良さそうなお嬢さんよ。かなり個性的な身なりだったけど。」


 さすが曲者。イチノセイヨ。いとも容易く裏切ってくれる。

 彼女の発言と彼の言動がもたらす車内の雰囲気に、この道中が実に和やかで、めんどうくさい旅になるであろうと察した。


「へえ。僕はまた、星史がきみの恋人だと思ってたよ。」

「あなたは……またそういう、」

「だって、あの子に友だちだよ? まだ恋人のほうが現実味あるじゃないか。」


 ねーよ。いや、ねーよ。

 内心では即答したものの、ぐっと堪えた。

「いや、その、電話の相手は、違うんです……」

 とりあえず雨宮の存在にだけ触れることで、不名誉な疑惑を回避する。


「電話のお相手、さっきの眼鏡の子じゃないの?」

 からかい混じりの佐喜彦さんに比べ、イヨさんは幾分真面目なトーンで聞いてくる。彼女の態度は僕の対応までも、いくぶん真面目にさせた。


「えっと、いえ……そいつではあるんですけど、別に、恋人とかでは……」

 恋人の可能性を否定しつつ、頭の中までまじめに、半強制的に考え込む。


 ミラー越しに真顔で返答を待つイヨさんと、好奇心を隠そうともしない佐喜彦さんの視線に、身じろいだ。


 恋人だなんて滅相もない。恋人()()の域でさえない。

 いや……そもそも、何なのだろう。


 久しく、自分の悪い癖を実感した。


 無駄に考えてしまう。答えの見当たらない疑問を膨らませる。

 真面目と化した僕は、膨れ上がった疑問に追い込まれてゆく。



「何なん……ですかね、」


 逃げ場を失って、つい、言葉を吐いてしまった。



「あいつら二人って、俺にとって、なんなのか……正直、わかってなくて、自分でも。」



 和やかだった車内が僅かに澱んだ。すみません、と、その場しのぎの謝罪を挟む。



 今更になって何を悩んでいるのだろう。考え込むばかりで、明確な答えを出せない自分に嫌気がさした。


 数えるほどしか会ったことのない人の協力を得て、初対面の人が運転する車に乗って、平日の真夜中に、知らない土地を目指している。

 勢いとはいえここまでしておいて、その目的である星史と、きっかけとなった雨宮が、自分の何であるのか胸を張って説明できない。


 あげく、関係を尋ねられた相手に、その答えを求めている。


 どうしようもない。


「実際、友だちですら、ないかもしれないし……星史、おれたちに、……東京離れるってのも、教えてくれなかった、から。」


 すみません。ばかみたいに、もう一度謝罪を挟んだ。



「そ、それより、」

 僕の答えが出る出ないなんてこの際どうでもいい。とにかく、今はこの場の空気を浄化しなければ。

「お二人こそ、その、どういった……ご関係で?」

 澱ませてしまった責任感から、話の方向転換を試みようと質問し返した。



「親族。」

 イヨさんが即答する。



「あはは。おおまかー。」

 佐喜彦さんが破顔する。

 しかしせっかく上がった笑い声は、車内を浄化なんてしてくれなかった。

 イヨさんが発した「親族」の一言には、明らかに触れてはいけない棘が、無数に生えていたのだ。

 愉しそうにする佐喜彦さんとは正反対に……だなんて、今さらすぎる対照的な二人だけれど、そこを差し引いたとしても、今の彼女は冷淡すぎる。


「一番適切なのは、叔父と姪、かな?」


「親族。」


 佐喜彦さんが曖昧な詳細を添えると、イヨさんの棘が更に増えた。

 「し」「ん」「ぞ」「く」の音がそれぞれ有刺鉄線みたいに、「親族」以外の関係性を許さない。当然、僕はそれ以上の詮索を慎んだ。

 浄化に失敗した車内で、佐喜彦さんだけがくすくす笑う。


(あさひ)くん、」

 後部座席で身を小さくしていると、彼は穏やかに口を開いてきた。



「ちょっとこじれた人たちって、結構いるものなんだよ。家族内でも、他人同士でもね。」


 ミラー越しに合った視線は、薄闇のなかでも、やっぱりきらきらだ。



「きみと、星史と、彼女だって、例外じゃないさ。」



 ……錯覚してしまうな。

 声も、ことばも、きらきらしているように、感じる。うまくは言えないけれど、直視を躊躇わせる彼には、そんな魔力があるように思えた。



「きみたちの関係が、きみたちだけのかたちで、不満がることなんてないよ。」





「ほんとう、きもち悪いのよね、このひと。」


 そっぽを向いて窓淵に肘をついていたイヨさんが、棘の無い声で言う。



 なるほど、きもちわるい……か。

 きもち悪いのか、このキラキラ人は。


 佐喜彦さんには申し訳ないけれど、即納得した事実がばれないよう、お辞儀のふりをして視線を伏せた。

「容赦ないよね、依世(いよ)は。」

 事も無げに佐喜彦(さきひこ)さんは笑う。


 尚もきらきらする、このきもち悪い彼が、正直嫌いじゃない。というのが、僕の素直な感想だった。



 気づけば空気は澄んでいた。



 安定した運転の、上質なシートの上で、睡魔が限界に達した僕の意識は、高速にのって間もなく、しずかに飛んだ。

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