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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第十二章】 協力者
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69  『決意』




 星史の……もとい、イヨさん宅を再度訪問するにあたって、僕は雨宮を家に置いてきた。彼女の自宅にじゃなくて、僕の家に、だ。


 帰りの道中、僕は百香(ももか)に救済の連絡を入れた。

 形振り構っていられなかった。これから赴く『決戦』に雨宮を連れ立つことも、抜け殻みたいになってしまった彼女に気の利いた言葉一つ掛けることも、僕には難しすぎて、百香に助けを求めた。


 先に到着していた百香は、泥まみれでずぶ濡れの僕らにまずは唖然としていたが、すぐにいつもの、麻酔薬みたいな笑顔に切り替えて温かく迎え入れてくれた。常軌を逸していた分、逆に取り乱してはいけないのだと、空気を読んでくれたのだろう。


 雨宮を百香に任せて、風呂に案内するよう頼んだ。着替えは、ひのでの物を適当に用意してくれとも。

 僕はシンクで顔と髪の泥を洗い流し、服を着替えた。



「……どこか、いくの?」


 百香に呼び止められたのは支度が済んですぐだった。

 タイミングを見計らっていた、と言わんばかりの声掛けだった。


「……雨宮さ、たぶん、疲れてるから、頼むな。」

 質問を無視した返事をする。

「どこいくの?」

 百香も、無視で対抗してくる。


 風呂場の方から微かに響くシャワー音が、際立つ。静寂とは言い難い沈黙の中、百香は僕をじっと見た。睨むでも、みつめるでもなく、怒っているのと切なそうなのと両方、みたいな目で。



糸子(いとこ)ちゃんのため、なんだよね?」

 やがて言った。



「百香が気づいてないと思った?」

 続けて語調を強くした。

「……ごめん、ありがとな。」

 できる限り優しい一瞥を贈ると、その短い世界に映った百香が、あまりにもしめっぽい顔をしているものなので、居た堪れなくなった。精一杯の薄っぺらい謝罪と礼だけ残し、靴を履く。



「……百香ね、旭のことは誰よりもわかってるつもりだよ。」


 ドアノブを握る手前で、しめっぽい声が制止してきた。


「……わかるよ。仲村くんのこと、放っておけないのも、ひのでのこと、許せないのも、わかるよ。……だから……っていうのも、卑怯かも、だけどさ、」


 しめっぽい、弱々しい声が、気丈に連なる。



「旭も、百香のこと、わかってよ。」



 気配に気づくより先に袖を掴まれ、振り向いたときには既に、百香はぎゅうと僕の服に皺を作っていた。唇をかみしめて目を潤ませている。

 もう一度の一瞥は、無理そうだった。ひきこまれるように彼女を見据え返す。


「……仲村くんは気の毒だよ? ひのでは、悪いことしたよ? でも……百香は助けられたの。ひのでのおかげで、仲村くんを犠牲にして、百香は助かったの。また、いつもの、百香の生活に戻れたの。」


 説得か、懇願か、もしかしたら切り札か。きっと百香にとって、僕との間でタブーだったはずの二人を持ち出し、声を震わせる。



「旭だって同じだよ? ひのでのおかげで、旭だって……また日常に戻れるんだよ?」



 ……まただ。


 ああ、またなんだな。

 何度でも、何度でも、


「百香には……それが、うれしいって……わかってよ。」



 彼女の善意は、いつだって僕を殺す。



「行かないで……(あさひ)。」


 皺を作っていた手がするりと離れ、しがみついてきた。百香の体温が片腕に充満する。

「平穏に生きようよ、」

 縋りついて百香は僕を諭した。優しく優しく、慈しむように引き留める。

 それは正真正銘、僕を想っての行動だった。僕のこれから先、たとえば、目先の高校生活や将来的な社会的立場も。全部全部ひっくるめての、僕のため。

 善意の塊だった。


「旭の大切な日常(まいにち)は、ここにあるよ?」


 この善意が疎ましかった。ずっとずっと鬱陶しかった。煩わしかった。怒りを覚えたことも、爆発した日だってあった。

 だけど、今は違う。

 百香の善意が変わったんじゃない。変わったのは僕だ。


 彼女の、麻酔薬みたいな善意の効能が僕にとって、今と以前(むかし)じゃ、全然違う。


「百香が……百香だけは……一生、味方でいるからぁ……」


 やさしく、暖かく、包み込むように息の根を止めてくる。死んでしまうことさえ気づかないほどに、彼女は僕を、心地良く殺す。



 この善意に飲まれるわけにはいかない。

 侵されるわけには、いかない。



 縋りつく彼女を引き離すかたちで、肩を抱いた。



「ごめんな。行かないとなんだ。」



 どうしても、今夜だけは、行かなければならないんだ。


 星史を取り戻す、雨宮との約束。

 けれど、それは、


「雨宮のためじゃない。……もちろん、星史のためでもない。」



 誰のためでもない。百香の潤んだ眼差しに向けて、まっすぐ告げる。



「うそ。」

 泣きそうな声で、百香は否定してきた。


「わかるもん。百香、わかるんだから、」

「嘘じゃねーよ。」


 涙を溜め込みむくれる百香への、せめてもの感謝と、敬愛と、ほんの少しの反抗を織り交ぜて、笑ってやった。


「なんつーかさ、その日常に含まれちまったんだよ、とっくに。雨宮も……星史も。」


 いつか考えたことがある。

 僕にはこの幼馴染を優先順位で図ることなんて、きっとできない、と。

 おせっかいで、うっとうしくて、善意で殺しに掛かる、桂木(かつらぎ)百香(ももか)という厄介な女が、いつしか救いとなっていた、と。



 きっと、こいつも、だったんだ。



「もちろん、百香(おまえ)もな。」



 僕にとって、雨宮や星史と同じなんだ。



 だからこそ、今夜だけは譲れない。欠けてしまったからには取り戻す。

 もう、(きず)を塗り潰すだけで納得なんてするものか。


 俺は、自分の日常を取り戻す。


 百香の目に、さいごに映る僕が笑顔で残るよう、ちゃんと笑った。今度は薄っぺらくならないように、ちゃんと百香を見て、家を出た。振り向かないよう、こらえた。

 星史のいない、星史の家へと向かった。


 これは断じて、使命感なんかじゃない。

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