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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第一章】 皆口旭の罅割れた日常
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06  『罅』




 普段どおりの朝を歩いた。


 二回目の天気予報が始まる前に家を出て、この季節ならではの陽射しと風を浴びて、自転車通学の生徒に追い抜かれ、喋りながら登校する生徒を追い越し、運動部の朝練を遠目で眺め、校門をくぐる。玄関あたりから顔見知りが増え、挨拶をしたり声をかけられたりしながら教室へ向かう。


 途中廊下で、他クラスの生徒が、まあまあ大所帯のグループを作って(たむろ)していた。通行の妨げにならない程度の空間をあけ、男女関係なく和気藹々と雑談している。


 僕はできるだけ気配を潜めて、彼らを横切ろうとした。




皆口(みなぐち)くん、」



 でも、みつかってしまった。




「おはよ。」



 グループの中心から仲村(なかむら)星史(せいじ)は声をかけてきた。


 僕の知らない顔に囲まれながら、爽やかに人懐こい笑顔を向けてくる。僕は声が返せなくて、会釈とも無視ともとれる曖昧な(まばた)きを一つ挟み、その場をあとにした。


 「誰? 知り合い?」通り過ぎた後から、彼らの会話が耳に飛び込む。


「うん。()()()。」


 背中を突き刺す仲村の声に、吐き気を催した。





 ────日常に、(ひび)が入る。




 家族に不満があっても、この身を削られても、自分が不甲斐なくても、それが僕なりの毎日で、小さな(きず)を塗り潰し、時には目を瞑りながら、ごくまっとうな日常を保ってきたのに。


 この罅は直せそうにない。

 見過ごせそうにもない。放っておけばたぶん壊れる。


 壊したのは誰か、だなんて、原因も犯人も突き止め始めたらきりがない。



 唯一わかるのは、昨夜の一件が、間違いなく日常の上で起きてしまったという現実だけだ。────────








「俺を騙すんだ? いい度胸じゃん、ゴミクズ女。」


 雨宮の腕を踏み(にじ)りながら仲村は言い捨てた。


「騙す……だなんて。……あたしと、皆口(みなぐち)(あさひ)は、なんの関係も……」

 とぎれとぎれに苦痛を帯びた声から、僕の名があがる。


 何の話だ? 状況が飲み込めず、硬直したまま二人を窺った。


「図に乗んな。口ごたえまでする気?」


 仲村の語調はあくまで淡々としていて、激昂するより不気味な威圧感を生む。その姿には、昼休み笑い合った人懐こさも、学年中から慕われる人格者の片鱗も無い。


 彼は雨宮から足を退けると、今度は頭ごと髪を鷲掴みにして無理やり顔を上げさせた。


「皆口くんは幼馴染だって言ってたんだけどなあ?」

「……あ、あいつとは、すこし、話した、だけで……情報は、漏れておりま……────」

「今はそんな話じゃないだろ。ウジでも湧いてんの? おまえの頭。」



 頭を掴まれ、揺さぶられる雨宮を目にした瞬間、吐き気がした。



 吐き気がした、から……かもしれない。

 息を殺し続けていたら、吐いてしまいそうだったんだ。


 どうしていつもみたいに、安全地帯で蹲らなかったのか、事なかれ主義に徹しなかったのか。答えはそれ以外、思いつかない。



「────ッ……雨宮の言うことは本当だっ……!」



 これは断じて正義感なんかじゃない。気づいた時には、僕は声をあげて二人の前に姿を現していた。


 予想だにしない本人(ぼく)の有り得ない登場に、雨宮だけが目を見開く。対する仲村の反応はずいぶん薄いものだった。振り向いて僕を見る、ただそれだけ。その淡白さがかえって圧となり、僕の唇は震えた。


「き、金曜の……駅のこと、だろ? 雨宮と話したあと、偶然、幼馴染にも会ったんだ。……俺、仲村が言ってたの、そいつのほうだって、勘違いしてて………同じクラスに桂木(かつらぎ)……桂木百香って奴がいる。そいつが証人になってくれる、から。……だからさ、その、」


 簡潔に釈明しようとしたが推測を交える分、そうはいかなかった。

 仲村は僕のたどたどしい説明を聞き終えると納得したのか、ふうんと頷く。



「そっかー。勘違いだったんだ。」



 鳥肌が立った。仲村が僕に向けたのは()()()()()()()()()だった。

 しかし、みたび雨宮に視線を向ければまた、

「用は済んだから。帰れば。」

 なんて辛辣に言い放つ。謝罪すら無いその態度に、ついかっとなった。


「…………おい、」

 ここまで首を突っ込んでしまっては、今さらあとには引けない。


「それだけかよ、」

「? なにが?」

「雨宮に、言うことあるだろ、」


 仲村の足元では、髪を乱した雨宮が無気力に座り込んでいた。俯いていて表情が読めないが、怯えているに違いない。


 すごむ僕に仲村は、わざとなのか本気なのか小首を傾げるしぐさを見せ、人差し指で頬を掻きながら、「あるとしたら皆口くんにかな、」と、口角を上げた。



「このことは内緒にしてね。」

 いつもの人懐こい笑顔で言う。



 ふざけるな。何なんだよこいつ。


「事情は……わからないけど、こんなの、明らかに暴力じゃないか、」

「だからあ、内緒にしてってば。内申響いちゃうからさ。あはー。」


 ふざけるな。今度は声が出た。

 彼と、彼により繰り広げられた光景は正気の沙汰じゃない。この狂気に加担するまいと断固として拒絶した。


「しょうがないなあ。」


 仲村は大げさなため息をついたあと、すっと表情を落として視線を足元に向けた。

 そしておもむろに雨宮のシャツに手をかけ、躊躇うことなく釦を引き千切(ちぎ)った。



「雨宮、()()だ。」


「────はい。」



 何が起きたのか理解できなかった。ほんの一瞬だった。


 仲村と雨宮の短いやりとりの直後、僕は押し倒され、真上には胸元を露わにした雨宮が覆いかぶさっていた。


「このまま大声出されたいのかしら?」


 雨宮からは怯えているようすどころか、救済の請いさえ微塵も感じられなくて、眼鏡の奥では真っ黒な眸が、まるで人形みたいに見据えていた。


 絡みつくように跨る太股の体温、密着する胸の感触、そして彼女の脅し文句に事の重大さを察し、身がこわばる。

 次の瞬間、かしゃりと鳴る機械音とフラッシュを浴びた。


「せっかく友だちになれたんだからさ、問題は起こしたくないじゃん? お互い。あはー。」


 重なり合う僕らが映った画面をみせつけながら、仲村は見おろす。


 ふざけんな、なにが友達だ。

 手も足も出ない僕の睨みに威勢なんか無い。仲村は頬を緩めたまま立ち上がり、手のひらをかざす。


「じゃあ、またね。」


 昼休みに見た、気さくな優等生の笑顔を残し、仲村はその場から立ち去った。

 彼の足音がいつまでも耳に響く気がした。





「………あんた、」

 静寂を取り戻したあたりで、雨宮の声が呼吸と一緒に耳へ触れた。


「あのとき……みた?」


 問いながら上体を起こす。馬乗り状態で、乱れきった三つ編みと丸見えの胸元が妙に艶かしくて、息を飲んだ。


「見た……って?」

 直視しないように質問を返す。

「と……とぼけんじゃないわよ!」

 雨宮は声を荒げると、両手で僕の顔を挟んで無理やり視線を合わせさせた。


「何の話だよ!? 本当にわかんねえよ!!」


 色々とむちゃくちゃだ。仲村もこいつも。積り積った困惑と衝撃に声を荒げ返した。


 雨宮は疑り深く僕を捕らえ続けたけど、ようやく警戒しながらも身体を退けた。

 ネクタイとブレザーを調節して、釦の外れた箇所を隠す。乱れた髪は編み直そうとしていたが、踏みつけられた腕が痛むのか断念し、簡単に一つに束ねていた。


「……せっかく取れたのにな、包帯。」


 聞きたいこと、言いたいことは他にあった。でも、困憊(こんぱい)しきって整理がつかない。今の彼女と僕とでは、近づける距離が限られすぎている。


 いったい何が起きていて、何に足を踏み入れたのか。

 どうして、目の前で雨宮がぼろぼろになっているのか。


「また、俺のせい……だよな、」

 それが精一杯だった。気にかけるくらいしか、できない。



「つけあがるんじゃないわよ。」



 背を向けたまま雨宮は言い捨てて、僕は一人視聴覚室に残された。

 彼女の足音はすうっと静寂に馴染んで、耳鳴りへと変わった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 家族関係が厄介で、学校でも厄介毎にか。
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