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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第十一章】 僕と彼女と、彼
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68  『庇護欲』 旭と糸子




「あたしのセージさまを……かえして……」



 かすれた声が絞り出されるのと同時に、喉元を捕らえていた鋭利な感触が消えた。視界外のどこかで、ボールペンが転がり落ちる。


 温い水滴が頬にしたたり落ちてきたのを合図に、僕の手からは力が抜けてしまう。


 激情が薄れてゆく。殺意が、やんでゆく。


 目が醒めた、なんてドラマチックなものじゃない。僕も雨宮も、きっと充電切れのごとく互いに捕らえていた首を解放した。


「……返して…………かえしてよぉ……」


 殺意から一転、雨宮は憔悴の声を震わせた。眼鏡で塞き止められないほどの涙が、ぽたりぽたりと僕の頬を濡らす。押し倒したまま距離のない真正面で、子どもみたいに泣いている。


 涙まみれで用途をなしていない眼鏡を、僕は彼女から奪うように外した。抵抗どころか抗議さえする余裕も無いのか、雨宮は泣き続ける。


 僕だって、それなりに余裕なんてない。

 なのに、なんでおまえばっか好き勝手に爆発してんだよ。


 取り戻した冷静が主張をめぐらせたけれど、結局は泣いた者勝ち、なのか、もしくは、涙は女の武器、なのか。僕は雨宮を突き放せないでいた。固くて冷たい砂利の上、仰向けに押し倒されたまま、馬乗りにされたまま、彼女を泣きじゃくらせた。


 結構すごい状況なんだけどな、今。


 客観的に捉えられる余裕も出てきた。

 めっちゃ喧嘩っぽくもなってたんだけどな、さっき。数分前の殺伐が、自分のなかで既に黒歴史として昇華し始めもした。

 雨宮からすれば殺伐も喧嘩も、まだ続行中かもしれないけれど。それ以上に、今はただ泣きたくてどうしようもないのだろうけど。



 いやだな、それは。



 潤んだ瞳に映る自分が、形相から一転、心底困った顔をしていた。

 なんだよ……その表情(かお)。解りきっている真意に文句をたれる。なんだよ、ちくしょう。


 悔しさからか、恥かしさからか、気まずさからか、もしかしたらほんの少しの、庇護欲、からか、



「……。」


 雨宮を抱き寄せて胸にしずめた。



 雨宮は無抵抗に、僕に密着した。泣きじゃくりがすすり泣きに変わる。すすり泣くたびに、振動が伝わる。振動のたびに、僕は彼女の後頭部を撫でた。



 こいつに怒られるのも、嫌われるのも、睨まれるのも、素っ気なくされるのも、豊富な悪口を投げつけられるのも、まあ、不本意ながら、慣れたもんなんだけど、


 いや、事実これまで何度も、「嫌い」だとは、言われてるんだけど、

 毒って、出ていけとまで、言われてんだけど、




 こいつに泣かれんのは、いやだな。




 湿っぽい髪を撫でる。

 水っぽい泣き声が心臓に響く。

 背面に砂利道の固さと冷たさ、正面に雨宮糸子の体温と重量を感じながら、挟まれたまま、少しだけ意気込んだ。



 撫でるのをやめて、だきしめた。




「……すっげブスなんだけど、顔。」




 ほら、また、こうやって、


 意地の悪い僕は、

 こんな状況下でさえ空気ガン無視で、ふざけてしまうけど、


 嫌われる要因、満載なんだけど、




「…………、」




 やっぱり僕は、



「…………あんたに、だけは……」



 こんな彼女が、



「……言われたく……ないわよ。……くそド低脳。」




 けっこう好きだ。





「って、言いそうだよなー、星史なら。」

 おとなしく、そして辛辣になった雨宮へ、軽薄に笑った。

「……知ったような口、利くんじゃないわよ。」

 素っ気ない口ぶりが反撃してくる。


「ああ、知らね。」

 素っ気なさに、軽薄で反撃をかわした。


「全然知らねーわ、おまえの星史とか。結局おまえらのことも、わかんね。全然わかんね。」


 かわすだけで済ますものか。軽薄で応戦もしてやった。胸に沈んだまま、腕に納まったまま、雨宮が無抵抗なのもいいことに、さっきの仕返しもこめて、一人で勝手に笑ってやった。逃げ出さないのをいいことに、抱きしめ続けてやった。


「だから、無理やりにでも引き摺り出す。」


 笑ってやった。抱きしめてやった。

 どんな怒られても、嫌われても、睨まれても、毒だと、怨まれようと、既に、とっくに、お互いさまだ。



「星史を取り戻す。」



 ぶち壊されても、ぶち侵されても、

 囚われても狂わされても、

 それこそ、蝕まれていようと、


 僕はこの、面倒くさい彼女がけっこう好きだ。



「おまえの星史は、俺が取り戻す。」



 むかつくくらい、とっくに、好きだった。

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