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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第十一章】 僕と彼女と、彼
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67  『自己愛』 糸子と星史




 あなたと出逢ったあの夜を、あたしは生涯、忘れはしないでしょう。



 存じてはおりました。なにしろ、有名人でしたから。

 文武両道。眉目秀麗。教職員からの評判も対人関係も良好。生活態度、女性関係も清廉。非の打ち所のない優等生。

 あなたの周りには、自然と人が集まってきて、いつも誰かがいました。


 別世界の人間でした。

 永遠に関わることのない、人間だと。



 でも、違った。





「────誰だ? そこに、いるんだろ……?」




 あたしだけが、あなたを見つけました。




「……。」


「お……まえ…………特進科、の?」


 深夜の学校。

 まるで、小悪党みたいに職員室を漁っていたあなたは、目が合うなり怯えていましたね。


 あたしには鏡を見ているようでした。

 だからだったのかもしれません。あたしはあのとき、つい、柄にもなく、



「──あめみや……いとこ。」


 ずいぶんと頓珍漢(とんちんかん)で唐突な自己紹介をしてしまいましたね。



「……は?」

 あなたが表情をゆがませたのも無理ないと思います。


 今にして思えば、歪みの原因はあたしの名前なんかじゃなかったかもしれない。そう。とにかくあなたは絶体絶命、だったんですよね。

 学年一の優等生が答案用紙を盗んでいる場面を、目撃されたのですから。


「……どけよ、」


 距離のある状態から発せられたその(めい)が、すぐには理解できませんでした。理解できず立ち尽くすだけのあたしに、あなたは声を荒げましたね。


「どけってんだよおおおおッ!! 肥溜めブスがああッ!!!!」


 あれは威嚇でしたね。きっと狼狽、していたんですよね。見られるわけにはいかないものを見られて、その相手が、別世界に転がっている格下で。どうしたらいいかわからず威嚇するしかなかったのですね。


 あたしが出入り口から離れると、あなたは一目散に走り去ってしまいました。

 その姿は、普段のあなたからは想像もできない、畏縮しながら罵声を浴びせてくるという少々滑稽なもので、今でもよく思い出します。




 ほんとうに、ほんとうに、



 あたしには鏡を見ているようでした────






 後日、あたしはあなたを待ち構えました。きっとまた盗難活動に勤しむのだろうと、人気(ひとけ)の無くなった夜の職員室で、待ち構えました。

 読み通り、あなたは現れました。あたしとの再会に最大級の警戒を露わにしました。


「────あ、あの……」


「近づくんじゃねーよ、ブス。」


 その瞳には敵視と蔑視の色が混ざり合っていて、あたしの言葉なんか切れ端さえも耳に入れぬと言わんばかりに、汚物を見るように吐き捨ててきました。


「気持ち悪いんだよ、おまえ。」

 いいえ。実際にあたしはあなたにとって汚物だったのでしょう。


「じゃ、あ……あの、()()……」

 あたしはその罵詈に歯向かわぬようにと、今日の()()であるUSBメモリを机に置き、そこからまた離れてあなたから距離を取りました。

 二人からちょうど中間地点の机に置かれたUSBメモリを、あなたは訝しい面持ちで眺めました。


「さ、最近は、あまり、紙媒体に残す教師……いない、の。だいたい、こうやって、か、管理してて…………そ、そのぶん、ぬ……ぬ、盗むの、かんたん、だし……痕跡、の、のこらない、し…………」


 あたしのとっ散らかった纏まりのない説明に、あなたの表情は更に更に怪訝なものへと変わってゆきます。たしかに、理解できなかったかもしれませんね。今となってあたしは反省しています。


「なんのつもりだよ、」

「え……」

「共犯にでもなって俺を脅すつもりか?」


 そんな猜疑心を抱いても無理ないと思います。自分の盗難現場を目撃した相手が、後日自分より先回りして盗難に手を染めて、あろうことか収穫物を渡してくるなんて、とても理解できませんでしたね。


 だけど、あたしには、じゅうぶん意味のある行為だったのです。


「…………あなたに、」


 あたしはこのとき、人生で初めて、



「あなたに仲村(なかむら)星史(せいじ)でいてほしいの。」



 欲望をまっとうできたのです。






「きも。」


 あたしの真っ直ぐな欲望を、あなたはそう吐き捨てました。

 心底蔑んだ眼差しを向けたまま、あなたは机上のUSBを手に取りました。USBとあたしをゆっくりと交互に見つめます。


「肥溜めみたいな女だな、おまえ。」


 最後にそう言い落すと、あたしの献上物を懐に仕舞いました。





 その後の中間テストにて、学年トップの欄に連続して飾られた『仲村(なかむら)星史(せいじ)』の名を、あたしは人知れず恍惚の眼差しで見つめたものです。

 文武両道。眉目秀麗。教職員からの評判も対人関係も良好。生活態度、女性関係も清廉。非の打ち所のない優等生。今日もあなたの周りには、自然と人が集まってきます。


 あたしは、無事、『仲村(なかむら)星史(せいじ)』を保つことができたのです。




 期末試験が近づいてきた頃、あたしは再び先回りして盗んだ答案用紙のデータを、あなたに献上しました。



「おまえ、ほんとキモいよ。」


 受け渡しの場所として、人目を避けるために選んだ夜の視聴覚室にて、例によって充分に距離を取った位置から、あなたはあたしをそう評しました。二度目となる献上行為に感謝するでも賞賛するでもなく、冷たく罵りました。

 だけど、今夜は以前と少し、違いました。


「地味だしブスだし、つか喋り方キモすぎ。なんでそんなおどおどするわけ? 生理的に無理なんだけど。」


 あたしの不可解な行動以外の点を蔑んできたのです。いくつもいくつも畳み掛けるように。



 ああ。やっぱりそうか。

 このひとは、やっぱり、そうなんだ。



 あたしはついに確信しました。




「愛が、重荷、なの?」




 とたんに空気がやみました。あなたから軽蔑の表情さえ消えました。



「あ、あなた……ひとに、好かれるの……苦しそう、で、」

 あたしは構わず続けました。


「知ったような口利くんじゃねえよクソブス。」

 感情を点さない顔のまま淡々と言い返してくるあなたに、


「あたしの両親(おや)は二人とも父親なの。」


 あたしは柄にもなく声を張りました。


「……正確には、年の離れた異母兄と、その()()

 二人とも、あたしを実の娘のように、愛してくれている。」


 あたしの、くそみたいな身の上話を、あなたがどんな表情(かお)で耳を傾けていたのか、覚えていません。


「じ、実の親、は……ばかみたいに年の離れた夫婦で……猛反対押し切って、あたしを、作って……あたしが産まれてすぐ、実父(ちちおや)が死んで、そのせいで実母は、産後鬱になって……結局、あたし捨てて……」


 あなたが黙っているのをいいことに、あたしは話し続けました。

 汚い、肥溜めみたいな、あたしを。


「だから、愛してくれてるんだって、自覚、してるの。……子供、作れない同性愛者が、馬鹿な親に振り回されて捨てられた、みじめな子どもを、可哀想な子にしないために、愛してるんだって、あたし、わかるの。」


 ……わかっている。あたしは汚い。ぐちょぐちょで、汚い子ども。

 それが本当の、あたしなのに、


父達(ふたり)のこと、嫌いじゃないし感謝もしてる……。あの二人はただの、ふつうの、()()で……ふつうに、あたしを、娘として……ただふつうに、愛してくれているだけ、で…………」



 愛で塗りたくられている。



「……蔑ろにできない愛が、すごく、苦しくて……負担で、」



 致死量の慈愛に息ができなくなりそうになる。



「……なんでもいい。愛そのものを、踏みつぶしたくなる時が、あるの。」


 ────たぶん、それは、きっと、



「あなたも、ちがう?」


 あなたも同じだったのではないですか?






 しばしの沈黙後、あなたはぽつりと言いました。


「本当に気持ち悪いな、おまえ。……気持ち悪い、むかつく、」


 薄闇の中で、月明かりに浮かぶその顔は、あたしとおんなじ、顔をしていました。



「おれと同じことばっか考えやがって。」



 あたしには鏡を見ているようでした。



「……それなら────」

 同じ顔をしたあなたに、あたしは願いました。


「あたしを蔑ろにして。」

 鏡に映ったあたし自身へ、願いました。



「あたしがあなたの、いらない愛になる。」



 好きなだけぶつけてください。

 汚く罵ってください。不要だと、邪険に、思う存分踏み潰してください。それでも尽くします。

 ぐちょぐちょで汚いあたし。本当のあたし。

 本当のあたしが役に立ってみせます。

 あなたを誰よりも崇高に、輝かせてみせます。大輪の花を咲かすには肥溜めが必要なのです。

 あなただけがあたしを理解したみたいに、あたしだけが、あなたを理解します。


 あたしは思いの丈すべてをあなたへうちあけました。



 月明かりに浮かんだ影が、一歩、歩み寄りました。

 一歩、また一歩と、少しずつ少しずつ近づいてきました。

 あなたは、今までにないくらい近距離で、あたしと向かい合いました。


「……貰ってやるよ。不必要な、おまえを。」


 その言葉を受け取った刹那、あなたはあたしの髪を掴み、あたしを床に叩きつけました。

 倒れ込んだあたしの身体に、あなたの靴底が乗り、あなたは真っ白に笑ってくれましたね。



「おまえが俺に近づいていい()は、俺に踏みつぶされるときだけだから。」



 その笑顔が、白くて白くて、透明すぎて、



「はい。──セージさま。」




 あたしはこのうえなく幸せでした。







 ────セージさま、




 あなたはきれいなんかじゃなかった。


 張りぼてみたいな優等生の裏側は、美しい透明色のなかみは、

 真っ黒でぐちゃぐちゃに汚れきっていた。

 優等生だと、持て囃されて、ぎりぎりの淵で、もがいて、


 愛されても、愛されても、愛されても愛されても愛されても愛されても愛されても愛されても愛されても愛されても愛されても愛されても愛されても愛されても愛されても、


 殺人犯の子である真実は消せなくて、


 愛してくる者へ応えるために、

 愛される子であるために、

 愛されなくてはと必死で、


 たくさんの愛が、重荷でしたね

 たくさんの愛に、踏み潰されていましたね



 だから、あたしだけ、

 あたしだけが、あなたの、不要な愛となります。



 あたしを好きなだけ、踏み潰してください

 踏み潰して、笑ってください

 あたしがあなたを仕立てます

 あつらえます

 作り上げます

 輝かせます

 誰よりも、何者よりも、崇高に

 張りぼてのあなたを、崩させはしない


 だって、あたしだけ、

 あたしだけがあなたを見つけたのだから。


 あなただけが、あたしを見つけてくれたように。



 あなただけで、よかったんです。






 よかった、のに────









 “代わるよ。”




 ────どうして 皆口旭(この男)だったのですか?




 “おかげさまで、ぼっち認定なもんで。”



 この男を 求めたのですか?



 “鉄屑、乗ってみたくない?”



 血ですか?

 出生ですか?

 本当の なまえですか?



 “俺、勝てなくてさ、いっつも。”



 こんな男 あなたを産んだ女の呪縛でしかない



 “イトコちゃん、やっさしー。”



 毒でしかない



 “俺のこと、邪険にしないほうがいいよ。”



 ……それでも あなたがそれを望むならと



 あたしは



 “何考えてんだよ……? なんでこんな奴に従うんだよ!?”



 欲望を まっとうしていた のに



 この男は



 “好きなのに、殺すんだな。”


 あなたを(おか)


 “俺も、知りたいんだけどさ、”


 あたしを蝕む


 “キスしたくせに?”


 あなたとあたしの中に ずかずかと入り込んでくる



 “星史、誕生日なんだ。”



 あたしから あなたを奪ってゆく


 あなたの平穏に (ひび)を入れる




 “今日、星史来るって。”

 “最後くらい、他人、やめろよ。”

 “……雨宮、欲望……まっとうしろよ……!”




 …………セージさま……




「せいじ……さま、」

「ブース。」



「地味に痛いだろ?」




 ……あなたが求めたのは



(あさひ)くんを、頼んだよ。」




 さいごまで 皆口旭(こいつ)だった







 なんで


 なんで


 なんで





「……あんたは……毒みたいな男ね……」


 なんでセージさまの前に現れたのよ


「なんで……あんたなのよ、」


 なんであたしの前に現れたのよ



 あたしには セージさまだけでよかったのよ

 肥溜めみたいに あのひとの養分になれれば それでよかったの

 あたしのぜんぶが彼で満たされれば


 それが あたしがあたしでいられる意味だったのに



「あたしの中から……出ていけ……!」



 なんで あんたなのよ

 あんたさえ 現れなければ


 あたしは

 セージさまだけを見ていられた

 欲張りなんてしなかった

 こんなあたしになんてならなかった


 セージさまは

 あのまま平穏に生きていられた

 傷つかなかった

 愛されるだけの彼だった



 あんたが  消えてなくならない



 セージさまからも

 あたしからも




 あんたが消えない────────









「あたしのセージさまを……かえして……」


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― 新着の感想 ―
[良い点] あぁやっぱり…… この回で僕が糸子ちゃんが好きな理由が分かった 納得です笑笑
[一言] 最初、猛毒はひのでか、百香辺りのことを 指していると思ったんですが、まさか……とはね。 でも確かに旭が各キャラからすれば羨むポジションですよね。 そして当の本人からすれば、迷惑とすらと思って…
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