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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第十章】 星をうしなう
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65  『彼ら』




「やっぱり退学するっぽいよ、仲村(なかむら)星史(せいじ)。」


 百香に情報を持ってきたのは、クラスメイトの女子だった。『仲村星史』という悪意のあるフルネーム呼びにも眉を歪ませたくなったが、肝心なのはそこじゃない。


 退学。


 その噂だけでもあらぬ事だというのに、どういうことなんだ。

 「やっぱり退学」……やっぱり、って。


 いじめによる自主退学を意味するのか?

 ……いいや、そんなはずはない。そんな、いじめ加害者の生徒が「やっぱり」だなんて、まるでいじめ行為を認めるような台詞を、堂々と口にするはず無い。

 だとしたら、考えられる理由は、ただ一つ。



「圧力、あったのか?」



 繋がるまで何度も何度も掛け続けた発信に、ようやく折れて出た星史へ、単刀直入に聞いた。

 僕の憶測はおそらく当たっている。

 学校側が退学を促したんだ。きっと、問題にならない程度に、遠回しに。


「んー。まあ、たぶん旭くんの想像より、十倍は遠回しだよ。」


 星史はあっさりと、圧力のあった事実を認めた。


「なッ────」

「はーい。怒るのストップ。怒ったら切るからね、電話。」


 声を荒げようとした僕を制止するように、釘を刺す。「ほら、深呼吸深呼吸」と、ふざけた口調で宥めてきたけれど、本当に通話を切られるのも困るので、従った。

 深呼吸を確認してすぐ、星史はまた軽い口調で、話し始めた。


「だって普通に困るでしょ。毎日毎日報道陣の対応、授業だって進まないし、悪評ばかり付いちゃうし。現に、俺が原因で傷害事件、多発しちゃったわけだしね。他の生徒にも悪影響ってやつでしょ。」


 学校側を擁護しているかのような説明は、おそらく、彼自身が遠回しに言われた内容の数々なのだろう。想像するだけで、はらわたが煮えくり返ってきた。


「うちの親もさ、今の旭くんみたいに、そうとう我慢してくれたよ。」


 怒りが頂点に達する直前で、星史が言った。


「ほんと、我慢して、学校側(あいつら)の話、聞いてくれてた。」

 僕の懲りない感情を鎮めるみたいに、穏やかに言う。



「おれ、めっちゃ愛されてるから。」



 スマホの向こうで、嘘じゃない笑顔を点す彼が容易に想像できて、また、自分を恥じた。そしてきまり悪くなった。

 彼に、何て言ってやればいいのかわからなくなって、口を噤む。


「てかさ、暗くなりすぎじゃない? 何? 死ぬの俺?」

 察してか、ふざけただけなのか、星史は軽口をたたいて笑う。

「学校辞めるだけなんだから。ね?」


「やめるだけ、って、それなりに大ごとだけどな。」

 僕もようやく、笑い返せた。


「それに……さ、」

 だけど、どうしても外せない気懸りは、まだ残っていた。


「口にはしてないけど、めちゃくちゃ心配してるからな、……あいつ、」


 向こう側で、星史がどんな顔をしているかなんて、想像もできない。


「……雨宮(あめみや)の、やつ。」


 どんな顔をしていてもいい。何を感じようと星史の自由だ。でも、雨宮の、歯がゆくてもどかしい苦悩だけは、伝えたかった。



 ……、

 ……、

 ……。



「……わあかったよー。」


 無言に沈黙で対抗し続けたところ、ようやく星史が折れてくれた。


「明日、学校行くから。んで、ちゃんと話す。それでいい?」


「くんのかよ、学校。」

「行くよー。荷物回収しないとだし。」

「親同伴?」

「無理無理。超目立つじゃん、それ。」

「一人でもかなり目立つけどな。」

「まじで? おしゃれしてかなきゃ。」



 ふざけあって、笑い合った。言葉は、選ばなかった。

 雰囲気も、守らなかった。顔色も窺わないし、小さな嘘さえつく必要も無く、身も削らない。


 おんなじだな。雨宮と、同じだ。


 十七年間他人で、最後の一年間、名前だけ知っていた、仲村(なかむら)星史(せいじ)雨宮(あめみや)糸子(いとこ)

 彼らは、僕の日常をぶち壊して、ぶち侵して、狂わせやがって、僕のなかに浸み込んでしまった。


 馴染んでしまった。もう、なくてはならないほどに。










 雲のぶ厚い朝だった。


「今日、星史来るって。」

 薄暗い窓のほうを向いて、肘をつく雨宮に、僕はぽつりと伝えた。


 電源が入ったみたいに振り向いて、目をまるくする。抑え込んでいたはずの感情を、表情だけで露わにしてしまう彼女が、いじらしくもあり、少々、不憫でもあった。


 此度の騒動で明らかになったのだが、雨宮は星史の連絡先を知らない。住んでいる所も、最寄りの駅も。

 まったく、どこまでも理解できない二人だ。それは置いておいて、つまり雨宮にとって仲村星史の情報を得るには、噂話か、本人から直に聞く以外、方法が無かったということだ。


 もどかしかっただろうな。

 ずっとずっと理解できないままの彼女の心中が一部分だけ、痛いほど理解できた。

 早くきやがれ。曇天を眺めながら、星史に向けた。

 早く来い。そんで、何か言ってやれ。



「最後くらい、他人、やめろよ。」


 星史に向けた思いを、目の前の雨宮にも告げた。



「言ってやりたいこと、いっぱいあんだろ。」

 窓の外を眺める彼女と、同じように外を向きながら言う。


「……余計なお世話よ。」


 素っ気ない返事がちいさく鳴る。窓ガラスに反射する彼女を、ばれないようにみつめていると、ぽつぽつと水滴が模様を作り始めた。雨だ。

 天気予報、当たったな。バイクでこなくて正解だった。思ううちに、だんだん雨は本降りになってきた。



 時間の経過と共に、雨はどんどん強くなる。

 アスファルトを侵食するように濡らしてゆく。

 地面が、ぐちゃぐちゃにぬかるんでゆく。


 彼が現れないまま、刻一刻と、一日が過ぎてゆく。


 雨音が、校内の喧騒に、まじる。

 教室から、廊下から、所在不明などこかから、絶えず溢れる生徒たちの、声、声、声。話し声。笑い声。噂話に相談。ふざけた話。まじめな話。誰かを愛する声、蔑む声…………



 混じっていたはずの雨音が喧騒に(まさ)ったのは、


 ()の訪れを報せる合図だった。




「きたよ……」




 誰かが言った。

 自由に散らばっていた声が、視線が、一瞬で野次馬に変わる。


 終礼間近、全校生徒が残るほんの僅かな自由時間に、星史(せいじ)は現れた。


 黒のパンツに丈のあるカーディガン。制服姿の群衆のなかで充分に目を惹く私服姿で、堂々と廊下のど真ん中を闊歩し、ためらいなく教室へ入る。

 手際よく私物を纏めている間に、彼を見物するギャラリーはどんどん増えていった。廊下、階段、はては玄関まで、彼の通るであろう場所に、群がってゆく。


 しかしあくまで遠巻きに。

 声なんてかけるもんじゃない。

 相手(やつ)は人殺しの息子だ。

 下手にいじるものじゃない。

 今後の進路にだって影響する。


 そんな思想の数々が、狼煙(のろし)みたいに揺らいでみえた。




「雨宮、行こう。」



「…………っ……」


 僕は問答無用で雨宮の腕をひいた。返答の無い人形が、いともあっさり共に駆け出す。

 下卑(げび)た思惑がありふれる群衆を掻き分けながら、僕と雨宮は、彼を追った。


 教室でも、廊下でも、玄関でも、群衆に阻まれて星史は僕らに気づかない。


 声を投げれば振り向くだろうに、雨宮はためらっていた。ためらうまま、気づかれぬまま、彼を追った。

 僕はぎりぎりまで待つつもりだった。

 雨宮に、星史を呼んでほしかった。



 だけど、行ってしまう。



 彼が靴を履く。傘をさす。遠ざかってしまう。

 校門の前にタクシーが停まっている。きっとあれに乗るつもりだ。

 行ってしまう。



 ……ふざけんな大嘘つき



 雨に霞む彼の背へ、うったえた。


 ちゃんと話すって 言ってたじゃねーか

 おまえが来るって報せたときの 雨宮(こいつ)の顔 教えてやろうか?

 めちゃくちゃ嬉しいくせに無理して堪えてすまして


 すげえブスだったからな


 絶対笑うからな?

 だから 最後に 笑ってやってくれよ

 他人のふりなんてやめてくれ

 学校(ここ)で 雨宮糸子と向き合ってくれ



「……雨宮(あめみや)……っ、」



 おまえもおまえだよ 雨宮

 何が自分の意思だよ

 ふざけんな



「欲望……まっとうしろよ……!」



 僕は星史の去るほうへ、雨宮を突き飛ばした。



 ……おまえたちは

 僕が おまえたちの中に現れる前から

 おまえたちが 僕の中に住みつく前から



 とっくに 他人なんかじゃなかったんだろ?





「────……セージさまっ……!」




 降りしきる雨のなかで雨宮は叫んだ。




「────……、」



 星史が振り向く。僕と雨宮、順番に視線を行き来して、雨宮におちつく。

 そしておもむろに踵を返した。雨宮へ、歩み寄る。

 同じ傘の下で、すぶぬれの彼女と向かい合う。


「…………。」


「せいじ……さま……」



 短く見つめ合った末に、星史は突然、


 震える彼女の額を指で弾いた。



「ブース。」



 いたずらに、笑う。



「地味に痛いだろ?」


 白くて白くて、むかつく、無垢な笑顔。

 目をぱちくりとしながら停止する雨宮に、星史は囁いた。




「          」




 デコピンして笑って、彼女に何かを言い残して、星史は今度こそ去ってしまった。

 彼を乗せたタクシーが遠ざかってゆく。



 停止していた雨宮が突然走り出した。

 せつなに、僕は彼女を追う。


 校門を抜け、道路に飛び出す彼女を、咄嗟に、摑まえた。

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― 新着の感想 ―
[一言] ホントに面白い 今日見つけてプロローグから一気に 読ませて頂きました。 ありがとう御座います
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