63 『信者』
「さすがに夜は冷えてきたよね。」
「そりゃ九月も終わるし。」
そんな会話を交わしながらも、手にしているのはお互い、冷たい飲み物だった。僕が炭酸飲料で星史は相変わらずカフェオレ。いつもと違って、ちゃんと飲みきりサイズだったけれど。
夏休みが開けてもうすぐ一ヵ月。最近夜が肌寒い。なのに僕らは学校の駐輪場にいた。適当にバイクを走らせた末に、こんなところに行き着いて、自販機で買ったペットボトルを飲み交わした。
「ここで初めて、雨宮と話したんだ、俺。」
唐突に語る昔話に、変な空気が流れた。
「たぶんさ、答案用紙、盗んだ帰りだったんだよ、あいつ。すっげー慌ててた。」
真顔になる星史をお構いなしに、僕は続けた。
「おまえらってさ、なんなの?」
お構いなしに、唐突に、まじめに聞いた。
何度も、何度も何度も何度も懐いたのに、結局明らかにならなかった疑問。
僕はとんでもない卑怯者だ。解決策を……なんて望みながら、便乗している。この機会に予てからの謎を解き明かそうと、企んでいる。弱った彼の殻を、このタイミングでぶち破ろうとしている。
泣かせるために、道連れに足掻かせるために、彼の中身を引き摺りだそうとしている。
みつめ続けると、真顔だった星史に薄っすらとした笑顔が灯った。
「大した話じゃないよ。」
降参みたいな、薄い溜め息をおとす。
「俺が答案用紙盗んでいたのを、あいつが目撃したんだ。」
雨宮も、まったく同じこと言ってたな。思い出しながらも無言のまま、彼の話に耳を傾けた。
「……おれの、汚いところ、知ったのも気づいたのも、あいつだけだったんだ。でも、おれだって、すぐ気づいたよ。あいつの、ぐちゃぐちゃに、汚いところ。」
星史も話し続けた。
「大したことのない」という、二人の、はじまりを。
「肥溜めみたいな女だって、すぐ、気づいたよ。……だから、おんなじだったんだ、おれたち。」
声にはまだ、ふざけた音を残す。
口元にはまだ、へたくそな笑顔を残す。
「すっげー気持ち悪かったよ。気持ち悪くて、鳥肌もたって、めちゃくちゃむかついて、」
徐々に、両方とも、消えてゆく。
「…………めちゃくちゃ、楽になった。」
次の瞬間だった。
外灯の届かない闇の中から、何者かが現れた。
小柄な影の手元が、きらりと光り、星史へ突進する。
刃物を持っている。
「────!! 星史ッ!」
僕は星史を引き寄せ、間一髪で影との接触を免れさせた。
「…………きみは、」
影の正体は、同じ学校の制服を纏った、女子生徒だった。どこか、見覚えのある顔……そうだ。星史の誕生日の朝、どぎまぎしながら祝福してくれた、あの下級生だ。
しかし、彼女の様子は、あの日と違っていた。
「……ふふっ……あはっ」
あの日の、どぎまぎと赤面していた面影は、どこにも無い。
小さな手でナイフを握り締め、不敵な笑みを浮かべている。
そしてまた、星史目掛けて襲い掛かってきた。
僕は反射的にヘルメットを彼女に投げつけた。自分のと星史のと、二つとも。
見事片方が彼女の手に命中し、ナイフが転がり落ちたその隙に、僕は彼女を取り押さえた。早く警察を呼べと星史に叫ぶ。
「ッく……あはっ……あははははははははっ!」
僕とコンクリートに挟まれたまま、下級生の彼女は、狂ったように笑い声をあげた。
通報している星史だけをみつめている。
「あはははははっ、……なづかっ、……名塚ぁ、月乃ッ!!! あはははははは!!!」
狂気に満ちた笑い声のなかで、
その名を、叫んだ。
『────都内同高等学校で連続していた女子生徒による傷害事件で、加害者である生徒全員が、十七年前の殺人事件の模倣をほのめかす供述をしていることが明らかになりました。この事件は今月……────』
VTRで見慣れた校舎の映像が流れる。
ナレーションは『十七年前の事件』にこそ触れるものの、詳細までは説明しない。
そんな配慮、無意味だってのに。
もうこの学校に、名塚月乃を知らない人間は、いない。
近隣の他校にも、広まりつつある。
ネット上では、元々有名だった彼女とその事件を、更に掘り起こして再燃している。
……十七年前、名塚月乃という殺人犯がいた。
類い稀な美貌を持った彼女は、身重の身体で、愛する夫を殺害した。
そして、最愛の我が子を産んだ直後、分娩台の上で自ら命を絶った。
不可解な事件。不可解な死。
謎ばかりが残る事件は様々な憶測を呼び、『信者』とされる人間たちをも生み出した。
その多くは、十代二十代の、若い女だった。
交際相手を切りつけた少女。
意中の相手を監禁した女学生。
婚約者に薬を盛った女。
そしてこの連日、学内で連続した、殺人未遂事件。
交際相手をバッドで殴打した、三学年の女子生徒。
意中の相手を駅ホームから突き落とした、二学年の生徒。
星史に襲い掛かった、下級生の女子生徒。
……どうして、今になって思い出す。
『信者』の存在を。
彼女たちは、
現代に蘇った『信者』だった。
名塚星史の存在を、引き金として。




