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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第十章】 星をうしなう
62/92

61  『不穏』




「厳重注意……ってことですか?」


 学年主任の下した決断に、耳を疑った。

 正確には、はっきりそれを言われたのではない。



 臨時集会で混乱を招いたひのでは、すぐさま生徒指導室に連行され、僕も後を追った。本来なら、生徒指導に他の生徒が立ち会うなんてあり得ないのだけど、身内という理由から僕は入室を許された。


「皆口。おまえなあ、あまりやってくれんなよ。」


 学年主任による叱責は、起こした騒動に釣り合わないほど粗略で、手緩いものだった。


 「あまりやってくれんなよ」から始まり、「しばらくはおとなしかったのに」だの、「休学中くらい面倒起こすな」だの、しまいには、「試験前には復学するのか?」なんて、全然関係ない今後の話を持ち出してくる。


「あの、今回の……妹の処分はどうなりますか?」


 僕は遮るように質問した。ひのでは一切此方を見ようともせず、黙り込んでいる。

 学年主任は頭をかきながら、眉間に皺を寄せた。

「処分って言っても、休学中だしなあ。言うべき事は済んだし。」



「それって、厳重注意……ってことですか?」


「まあ、そうなるな。」



 ……なんだよ、それ。



「いや……でも、これって中傷ですよ? しかもあんな、全校生徒の前で……。そもそも、()()()()()()が問題になったからこその、臨時集会だったんじゃないんですか?」


 僕は例のコピー用紙を握って、噛み付いた。


「なんだ皆口? おまえそんなに、妹を停学にさせたいのか?」

 学年主任は乾いた笑いで茶化してくる。そのあまりにも事態を軽視した態度に、言葉を失った。

「こんな()()()なんて、何の信憑性もないしなあ。仮に処分を下すとするなら、事実関係の確認が必要だ。」


 いよいよ、何も言えなくなってしまった。


 とんでもない話だ。学校側は、ひのでのばら撒いた星史の秘密を、いたずらなチラシとしか認識していない。よって彼女に下すべき処分は、存在しない。

 しかし、仮にひのでに罰を科すとするのなら、星史の秘密を、真実を、公にしなければならない。

 僕は、そして星史は、泣き寝入りを強いられるわけだ。


「まあ一応、親御さんには連絡入れたからな。すぐに来るみたいだぞ。」

 納得のいかない面持ちの僕に、学年主任は宥めるように言う。


 親って……まさか、母親が?


 悪寒が走ったと同時に指導室の扉が開く。その瞬間、心臓が混乱した。

 衝撃のような。でも、安堵でもあるような。また別の、悪寒のような。

 やってきたのは、父さんだった。


「この度は、娘がご迷惑を……」

 深々と頭を下げて開口一番に謝罪する。それに対し、学年主任はそこまで深刻でもない口ぶりで、事の経緯を説明した。


「ちなみに、これがひのでさんのばら撒いたチラシでしてね。まあ一応、確認事項なんでお尋ねしますが、そのー、心当たりは?」

 説明の最後には形式的に聞く。

 コピー用紙を受け取る父さんを、僕は固唾を呑んでみつめた。




「存じ上げませんね。」

 顔色一つ変えず、父さんは言い放った。




 感情が追いつくより先に、僕の手は父さんの胸ぐらを締め上げていた。



 指導室内がどよめく。

 「皆口ッ!!」僕を制止する叱咤の声も、聞こえた。



「……(あさひ)、」


 父さんも、僕のなまえを呼ぶ。



 ……なんだよ、その顔

 ふざけんな

 ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな



 父に対する怒りがようやく追いつく。


 「星史(せいじ)を」、「知らない」? ふざけんな。

 行動と感情の順番がめちゃくちゃで、言葉が出ない。ただただ、父を締め上げる腕が、震える。


 どの面下げて言ってんだ

 この期に及んでおまえは

 ()()()()()()()()


 父への憤りが、自分を予測不能にしてしまう。



 我を失った僕の肩を誰かが掴んだ。途端に力強く父から引っぺがされ、僕は床に叩きつけられた。

 ひのでが、無表情で僕を見おろしていた。


「おまえ……どういうつもりだよ、」


 妹を前に、ようやく声が出た。でも、それだけだった。


 僕が妹を睨みつける。妹は僕を見おろす。時間が停止したみたいに、兄妹(ぼくら)は見据え合った。ただの一言も、発さず。


 こんなことしてくれやがって。母子手帳の存在にいつ気付いた? 盗んだのか? 何の躊躇いも無かったのか? 僕らの母子手帳だって、一緒に保管しておいたはずだ。察しの良いおまえなら、二つの情報から、解ったはずだろ?

 星史が、僕らの血縁だって。家族だって。

 僕らが、名塚月乃の関係者だって。

 それなのに、こんな、陥れるような。

 取り返しのつかないことしてくれやがって。



「…………わたしは、」


 胸中で怒りを唱える僕を塞き止めるように、ひのでは口を開いた。



「おまえに、モモカを助けてほしかったんだ。」




 ────この妹は。




 怒りと一緒に、唱えた。

 この妹は。 この妹が。 この妹め。



 そこからは、ほとんど記憶が無い。









 妹の顔が思い出せない。あんなに睨んでいたのに。

 記憶がほとんど無い。曖昧だ。曖昧に、霞む。

 そのくらい感情に支配されていた。僕にしては、たぶん珍しく。


 帰宅後、父も、母も、もちろん妹も居ない我が家で一人、頭のなかをを掘り起こした。

 ゆっくりと修整するように。すると霞んでいた記憶が、徐々に鮮明になってきた。



 誰の目から見ても、あの生徒指導室で異常だったのは、きっと僕のほうだった。


 騒ぎを起こした妹の処分に納得いかず、学年主任に噛みつき、迎えに来た父親の胸ぐらを締め上げ、挙句、妹に()()された。


 それだけじゃない。


 あのあと僕は、怒りの矛先を妹に変えて、彼女にも殴りかかった。

 当然、あっさり返り討ちにされた。といっても、妹は殴り返してきたのではなく、難なく身をかわし、見事に僕を捕らえたのだ。背中で両手首を押さえつけられる僕は、それはもう惨めこの上なかった。


 そこからは追い討ちをかけるみたいに、もっと惨めだった。

 室内に居た教師連中は妹に加勢し、僕は、記憶に新しい暴れた時の雨宮と同じ状況になった。警官隊と通り魔……いや、もっとどうしようもない、警官隊とたちの悪い酔っぱらいだ。

 やめろ皆口、おまえこそ停学になりたいのか。

 取り押さえられるなかで、教師の一人がそんなことを言ってきた。……マジで酔っぱらいじゃねーか。警官に説教される酔っぱらい。ここで手を出したら、公務執行妨害ってことか。


 諦めるように怒りを鎮めた僕は、ぎりぎり許された。

 結局父さんに余分な謝罪もさせてしまったし、ひのでとは別件の厳重注意を喰らったので、本当にぎりぎりだった。



 ひのでは、厳重注意、か。



 生徒指導室での自らの醜態を思い起こすうちに、妹のやらかした取り返しのつかない行動に、怒りが再燃してきた。



 この妹は。 この妹が。 この妹め。



 きっと今、僕は、彼女が憎い。

 それは初めての感情だった。


 難しい。もどかしい。やりづらい。手がかかる。手に負えない。とっつき難い。面倒ばかり起こす。心配ばかりかける。目に余る。何においても、勝れない。

 暴虐的で幼稚。激情家で傲慢。

 溜め息も、頭を抱えることも、劣等感も、いくらだってあった。それでも憎しみだけは、最後の砦の先にあるはずだった。



 ひのでは、妹だから。

 どんなに問題を起こしても、殴られても蹴られても、僕の妹だから。



 妹の危機に手を差し伸べたいと思えた。助けたいと、護りたいと、何とかしたいと、ついには、幼馴染を犠牲にさえしてしまった。

 彼女はそれを、すべてひっくり返した。

 ぐちゃぐちゃにしやがった。

 自分を守った百香を護るために、星史を生贄にした。


 僕は、突如として沸いた憎しみに、混乱している。


 これまで妹を、本気で憎みきっていなかったこと。

 暴力嫌いのくせに、我を失って妹に襲い掛かったこと。

 すべての理由が、星史であったこと。



 ……星史。そう、彼だ。


 気付かなかった。思い知らされた。

 僕は、今、こんなにも、


 彼が……心配、なんだ。────────







 コピー用紙が散らばる館内。

 騒ぎ立てる声と潜まる声が混ざる喧騒。

 大声で制止を計る教師、ひのでを取り押さえる教師。

 大混乱となった館内で、僕の世界だけが無音だった。


 あの時、あの瞬間、無音の世界で、僕は星史を探した。


 生徒たちを掻き分け、普通科の整列する場所を目指した。

 星史はすぐ見つかった。

 彼のクラスメイトたちは、あからさまに離れるほどではなく、まるで窺うような距離感で、彼を遠巻きにしていた。四方八方から観察されながら、星史は、自身の生年月日と、本当のなまえと、本当の両親が記された紙を手にしたまま、立ち竦んでいた。



「────星史(せいじ)っ……!!」



 無我夢中で、彼の手首を掴んだ。



「……逃げよう。」

 彼だけに届く声で言う。


 透明な笑顔が、ふわりとほころんだ。



「なんで?」


 白い白い彼に、目が眩む。



「だいじょぶだよ。旭くん。」



 とたんに、無音だった世界が喧騒に変わった。


「ほら、妹さん、連れてかれちゃうよ?」

 僕の手からするりと逃げた手で、星史は出入り口を指す。指示されたみたいに、ばかみたいに従順に、僕は妹のほうへ走った。

 星史を、置き去りにして。









「あ。おはよ。」


 校門で待ち構えていると、目が合うなり星史はいつもの調子で言った。

 あ。おはよ。じゃねーよ。僕は騙されなかった。


「なんで出ないんだよ、電話。」


 彼はまったく、いつもと同じなんかじゃなかったんだ。

 うしろから飛びついてこない。電話にもメールにも反応しない。だからこうやって、校門で待ち伏せした。

「たまには、駆け引きも必要でしょ。」

 明るくふざけるしぐさが、取り繕っていることくらい判る。くだける星史を無視して、僕は真面目な顔つきで立ちはだかった。


「……昨日の、ことだけど、」

「ストップ。謝罪とかマジやめてよね、」


 あくまでくだけたまま、星史は先手を打ってきた。


「わかってるよ。旭くんは、妹さんがあんなことするなんて、知らなかったんでしょう? それどころか、彼女には手帳の存在も知らせてなかった。大方、妹さんがきみから盗んで、独断で行動した。きみとしては、兄として謝罪しないと気が済まない。無関係だなんて言えない。そういうことでしょ?」


 例によって指をすいすい動かしながら、僕の言わんとしていた事柄や思惑を、先に推測してしまう。


「旭くんの気持ちはわかってるつもりだから、安心してよ。」


 朗らかな彼が腑に落ちない。むしろ、少しばかり腹が立ってきた。


「安心とかじゃないだろ。それとこれとは別問題だ。」

「俺的にはー、どれもあれも問題ナシなんですけどー。」

「おまえ、事の重大さ解ってんの?」

「わからなくもないけどー。」

「何か手を打ったほうが……」

「あはー。何がどうくるかもわかんないのに、手え打ってもねー。」


 鬼気迫る僕と、のらりくらりとあしらう星史。温度差のあるやりとりを交わしていたせいで、僕は、違和感に気づけなかった。


「旭くんにこんなに心配してもらえるなんて、幸せ者だなー、俺。」


 ふざけ続ける星史を追ううちに、普通科のロッカーまでついて来てしまった。


「星史、真面目に俺の話を……────」



 僕が言うのと同時だった。

 星史が開けたロッカーから、悪臭が漂った。腐ったような、なまぐさい、におい。

 水浸しだ。

 ロッカー内が、もちろん内履きも、びしゃびしゃに濡れている。


 それだけじゃない。内履きと一緒に納められていたのは、大量の、金魚の屍骸だった。



 星史の表情が止まる。呼吸も、止まる。僕も心臓が止まってしまいそうになった。



 互いに身じろぎしながら、視線を合わせた。

 星史の表情が、へらっと崩れる。



「はは。こうくるかあ。」



 ふざけた笑顔に、騙されるわけには、いかなかった。



 そして、ようやく、違和感に気づいた。

 今朝は誰一人として、星史に、挨拶を掛けてこなかった、ことに。

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― 新着の感想 ―
[一言] …こう来るかッ。(訳・いつも神展開をありがとうございます!身にしみます!!)
2021/08/28 12:27 退会済み
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