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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第九章】 月の枷
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59  『偉業』




 発端は、クラスメイト二名による、雨宮へ持ち掛けた依頼だった。


 『桂木(かつらぎ)の写真撮ってきてくんない? できたら学校外の』


 男子生徒がそれを言った。どうやら、知り合いがサイトの管理人をしており、()()()()()()のオフショット画像を欲しているらしい。しかもアクセス数によっては、それなりに謝礼を弾むのだという。


 『超いいバイトだよ。あたし、結構稼がせてもらっちゃったし』


 今度は女子生徒が言った。言葉どおり、()()()()()()()()()()()()()とのことだった。


 『でも学校だと限界あんだよねー。雨宮さんなら、プライベートも怪しまれずに撮れるっしょ?』

 『着替えとかだと超金出してくれるって』

 『ねー? あたしも手伝うからさー』



 次の瞬間、雨宮は手にしていたペットボトルを女子生徒の頭上でひっくり返した。



 ほぼ満タンに残っていたメロンソーダは、しゅわしゅわ音と気泡をたてながら、女子生徒をずぶ濡れにする。甘ったるい香りが広がると同時に、女子生徒は悲鳴をあげた。


 続けて雨宮は、男子生徒の股間を蹴り上げた。

 ただでさえ想定外の雨宮の行動に、たじろいでいた男子生徒は、まともに食らった激痛に悶え、その隙に今度は正拳突きを顔面に受けた。


 そこからクラス全体が異常事態と捉え、周りの生徒たちが雨宮を制止しようと動きだしたが、雨宮は邪魔だといわんばかりに、誰彼構わず無差別に椅子を投げ飛ばしたらしい。



 そして、あの惨状へと繋がった。






「メロンソーダでやめておけば良かったね。」

 八重(やえ)さんが肘をついて言う。

「いや、メロンソーダが余計だったんだと思います。」

 僕は大真面目に意見した。


「だってメロンソーダまでだったら、停学は無かったと思うよ?」

「いやいや、メロンソーダを我慢しておけば、あそこまで暴れなかったと思いますよ?」


「あんたたち、メロンソーダメロンソーダうるさい。」


 僕らのふざけた議論に雨宮は目を据わらせる。

 彼女の妨害に、僕と八重さんはいよいよ耐え切れなくなって声をあげて笑った。



 優等生、雨宮(あめみや)糸子(いとこ)、人生初の停学処分だ。




 理由は教室内での暴力行為と器物破損。しかし、それは意外にも寛大な措置だった。

 トラブル相手とされる生徒二名から雨宮に、慰謝料、治療費、クリーニング代などが一切請求されなかったのだ。更には学校側からの器物破損による弁償請求も無し。その背景に居たのは勿論、百香(ももか)の存在だった。


 まず、教室内に居た生徒数名の証言により、事の発端として雨宮に非は無いとされた。クラス全体が百香と距離をとっていたとはいえ、さすがに盗撮行為は悪質だと感じたクラスメイトは、少なくなかったらしい。

 それにより、百香の誤報被害、盗撮被害、いじめを告発されてもおかしくない特別進学科の現状が浮き彫りとなった。


 学校側は百香の自宅へ出向き、両親に此度の騒動を報告、そしてネット上の百香に対する情報が事実無根であることを確認し、特進内での現状を謝罪した。

 謝罪には、盗撮を依頼した生徒の保護者も同席しており、百香はその場でこんな希望……もとい、取引を提案したという。



 雨宮に慰謝料等を請求しなければ、ネット上での行為を訴えない。



 学校側も相手側も二つ返事でそれを呑んだ。いじめ紙一重の実状に、法に触れる盗撮行為、更には悪質な金銭のやりとりまで確認されているのだから、当然だ。

 そして職員会議の結果、雨宮と相手生徒二名の停学処分、双方請求は無しという、喧嘩両成敗な処分が下った。




「そんな条件呑むくらいなら、雨宮(こっち)の停学は無くてもいいような気、しますけどね。」

 今度こそちゃんと真面目に、僕は八重さんに意見を言った。

「そういうわけにはいかないよ。暴れたのが、その桂木って子だったらまだしも、糸子は完全に私情だからね。」

 だからしょうがないよ、と、八重さんはのんびり笑う。停学なんて無縁だったはずの娘を前に、全く悲観していないのだから不思議な人だ。


「いいからさっさと出掛けなさいよ。」

 不機嫌に雨宮は指摘した。八重さんは今夜もまた、夜勤であるもう一人の父に差し入れをする予定があるらしい。

 ちなみに、雨宮の騒動で対応にあたったのは八重さんではなく、その『もう一人の父』だ。話によると彼は、愛娘の暴走にかなり滅入っているのだという。普通に考えれば、そのほうが当然なのだけど。


「はいはい。(あさひ)、俺が戻るまで帰らないでね。」

 相変わらず無駄に色香を撒き散らしながら、八重さんは反応に困ることを言う。雨宮が僕の代わりに、「通報するわよ。」と、辛辣に言い捨ててくれた。



 八重さんが出てゆく音を確認してから、僕はまた、薄く笑いをこぼした。

「いつまでも笑ってんじゃないわよ。」

 雨宮はすかさず睨んでくる。その反応も相まって、僕は腹を抱えた。


「だっておまえ、メロンソーダって、」

「しつこい。」

「早まるな、って、どなたの台詞でしたっけ?」

「うるさい。」

「本当、すげーよな。」

「まだ言う?」

「いや、真面目な話。おまえ学校動かしたじゃん。」



 だいぶからかいはしたけれど、雨宮の成し遂げた偉業には感心していた。



 明日は、臨時の全校集会が行われる。

 その集会の場では、ネット上におけるマナーやモラルを注意喚起し、最近出没する記者への対応(通報等)を説明し、既に拡散されている情報については、すべて事実無根だと公言される予定だ。

 これは、百香の件が明るみとなり、事態を問題視した学校側がとった対策だ。

 つまり、雨宮の偉業なのである。


「それ、まだ全校生徒に公表されてないんでしょ。言い触らしていいの?」

「いーのいーの。百香から報せてくれたんだし。」


 臨時集会は確かに対策の一環なのだが、それとは別に、学校側が桂木家に対する謝罪と贖罪の意も含まれていた。

 これは百香から得た情報で、教員が桂木家へ訪問の際、約束してくれたのだという。


「ま、これで百香の問題もだいぶ落ち着くだろ。無駄にならなかったじゃん、おまえの暴走。」

「だからうるさい。」

「ていうか、おまえって結構、百香のこと好きなんだな。」


 以前彼女は、僕にとっての百香を『不要な愛』だと見下し、利用するよう助言してきた。また別のときは、やたら親交を深めたがる百香に畏縮し、逃げ回ったりもしていた。今でこそ親友のように接してはいるが、それだって元はといえば、星史の命令みたいなものだ。

 それなのにこんな暴れてまで、停学になってまで、百香を庇うようになるとは。


「庇ったわけじゃないわよ。」

 雨宮はぴしゃりと言う。そして真っ向から指をさしてきた。

「あたしがしてなかったら、いずれあんたが暴れてたでしょ。そんなの、セージさまは望まないわ。」

 出た出た、またこれだ。行き着く先はいつもこれ。半ば諦めながら、僕はテーブルにもたれた。


「それなんだけどさ、もういい加減説明してくんない?」

「は?」

「だから、なんでそんなにあいつに尽くすわけ?」


 彼女にこれを問うのは何度目だろう。最初のころは迫真的に、少し前は真摯に、そして今となっては正直呆れ気味に、僕はその疑問を抱く。何度でも何度でも。

 対して雨宮は、いつだって満足のいく回答を返してくれない。たぶん今回だってそうだ。雨宮の無表情を前に、僕は予感した。


「全部包み隠さず説明したけど。」

 予感どおり、空砲みたいな回答がさも真面目に返される。


「いやいやいやいや、何一つ理解できる説明してくれてないって。」

「あんたがバカだからでしょ。」

「おまえの説明が足りない。」

「足りなくない。」

「じゃあ、やっぱ俺バカだから、もっとちゃんと説明してくれ。」

「じゃあ何度だって言うわ。あたしは、自分の欲望をまっとうしてるだけ。」


 なんだこいつ。こんな女だってことはかなり前から解ってはいたけれど、改めて思う。

 僕らの間には遠慮が無い。言葉を選んだり、雰囲気を守ったり、顔色を窺ったり、小さな嘘さえつく必要も無い。そんな、身を削らなくて済む関係が楽で、心地良ささえ感じていたというのに、こんなふうに裏目に出てしまうとは。


「あー。もーいーや。じゃあさ、せめて馴れ初めくらい教えろって。」

 埒の明かない質疑応答に匙を投げ、僕は譲歩することにした。

「馴れ初めって……」

「それだけでいいから。」

 出会い。きっかけ。ふたりの始まり。せめてそれだけでも知れれば、あとは勝手に解釈できる気がした。


「彼が答案用紙盗んでいたのを、あたしが目撃したの。」

 雨宮は案外あっさりと答えた。



「…………で?」

「で? って?」

「え? ……おわり?」

「? ええ。」

「それだけ?」

「ええ。」


 はああああ?

 「あ」の数だけ顔が歪んだ。わからん。この女は。いや、こいつらはわからん。塵ほどの解釈も推理も望めそうにない。雨宮は何一つ変なことを口走っている自覚もないようで、首を傾げている。

「教えてやったんだから、次はあたしの番よ、」

 やがて素っ気なく言った。

「何が、」

 僕も素っ気なくなげやりに返す。「教えてやった」って、まともな返事貰ってねーぞ。……そんな指摘さえ面倒なくらい、なげやりになっていた。



「明日、彼の誕生日だから、おめでとうって、言ってあげて。」


 彼女の睫毛が僅かに伏せるのを、声が少し籠もるのを、僕は見逃さなかった。



「……そっか。星史(せいじ)の誕生日か。」

 わざと、気安く名前を出した。雨宮は静かに頷く。


「九月十二日って、なんの面白味も無い日だな。」

 乾いた笑いでふざけた。彼女から視線を外すために、スマホを取り出だして、『9月12日』と検索する。「……へー。宇宙の日だって、うける。フランソワ1世と同じ誕生日だってさ。マジで誰だよ、うける。」全然うけない雑学を、二つ読み上げた。


「……あんたから祝福されると、たぶん、救われるの。」

 雨宮がしずかに言う。


「誕生日ってだけじゃないから……彼にとって。」



 ああ、そうか。


 救われるかどうかは、自信、無いけど。

 星史が産まれた日、ってことは、



 名塚月乃の、命日だ。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 切れた糸子はマジ怖い。 この手のタイプはリミッターないですからね! そしてここから先が怒濤の展開ですからね。 久しぶりに読んだけど、やはりこの作品面白いです♪
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