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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第九章】 月の枷
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58  『暴走』




 屋上へあがると、既に星史はいた。コンクリートの壁を背もたれに空なんか見あげている。僕だって、授業が終わるなりすぐ席を立ったというのに、それより早く来ているなんて。

「あ。やっときた。」

 案の定、そんなことを言われた。どーもすみませんね。返事も適当に隣へ腰を降ろす。同じように、空を見あげた。


 何かあるな。


 懐かしいな、と思うより先に、それを感じた。

 彼との昼休みは久しい。前までは彼の『お願い』もあって、毎日こんなふうに隣り合っていたのに、夏休みが明けると『お願い』は自然消滅していた。不思議なくらい、あっさり。

 百香のこともあったし、星史が級友たちに囲まれているのもいつものことだし、彼から呼び出しのメッセージが届くまで、自然消滅に気付かなかったくらいだ。

 僕と彼の距離が、近づくところまで近づいた、というのもあるかもしれないが。


 だからこそ、この改まった呼び出しに違和感をおぼえた。



「これ、なに?」


 ほらやっぱり。スマホを差し出された時点で察した。もう何度経験した展開だろう。画面上にはやはり、百香の誤報スレッドが映し出されていた。


「あー。ばれた?」

「うん。」

「普通科まで広まってる感じ?」

「それなりに。」

「こえーな、ネットって。」


 並んだまま、見あげたまま、話した。


「きみらしくない反応だね。」

 やがて星史のほうから此方を向く。

「おまえこそ、らしくない顔してる。」

 僕も彼へ視線を戻し、その真顔に指摘した。


「とりあえず、説明してよ。」


 らしくない二人に漂う、ほんの少しの殺伐のなか、僕は一連の経緯を説明した。



 ひのでの切りつけ被害、推測される犯人、特進生を付け狙う記者、百香への誤報、そして百香からの提案……包み隠さず全てを、できるだけ詳細に話した。説明はかなり長くなったけれど、その間星史はほとんど相槌も打たず、質問もしてこなかった。ただ黙って真剣に聞いていた。


 そんな彼が、長い説明のあとに一つだけ尋ねてきた。


「旭くんはさ、桂木さんの作戦を、どうして呑んだの?」


 作戦をのむって、妙な言い方だな。しかし星史は真剣そのものなので、僕も真面目に答えることにした。


「保身。」


 身も蓋も無いがそれが一番だ。今さら恰好つける意味もないし、プライドだって捨てている。

 軽蔑されるかと思うやいなや、星史はそこで今日初めて噴き出した。「最低じゃん。」と、オプションも付ける。まあ確かにそうなんだけど。


「それに、正しいって思ったんだ。」

 和んだ空気に便乗して、僕はもう一つの理由、もとい、言い訳を添えた。

「ただしい?」


「百香の提案。おまえが言った()()だよ。従うべきだなって、単純に思えたんだ。」


 再び空気が変わった。

 星史がまた黙ってしまったのだ。しかし殺伐とも、和むのとも違う。彼は何かを考え込むように瞼を俯かせ、口元に指を置いて、つぐむ。



「……旭くん、」

 しばらく黙ったのち、星史は静かに、はっきりと口を開いた。


「こんなこと言ったら、怒らせるかもだけど、」

 彼らしくない真面目な顔つきで、似合わない配慮の言葉まで添える。

「今回の、この件……────」




「────旭ッ!!!」



 突然大声をあげて百香が乱入してきた。

 よほど急いで駆け上ってきたのか、息切れまじりに、出入り口から僕を呼ぶ。


「大変! 糸子ちゃんが……!」


 手短な情報だけで、教室で雨宮に何かがあったことを報せてくる。

「悪い星史、あとで連絡する、」

 百香の叫びから明白な緊急事態を察し、僕は百香と共に教室へと走った。





 緊急事態は、異常事態だった。

 教室に戻ってまず目に飛び込んだのは、めちゃくちゃになった机の配置。確実に投げたと思われる椅子が数脚、無惨にひっくり返っている。

 そんな惨状と化した教室にて、ずぶ濡れになって泣きじゃくる女子生徒と、それを囲んで宥める女子生徒。鼻血を床に滴らせながら(うずくま)る男子生徒。


「早く! 早く先生呼んできて!」

「大丈夫!?」

「ふっざけんなよマジで……」

「やめろ雨宮、暴れんな!」

「もおやだあっ!」


 飛び交う叫びと怒号の中心では、最も異常といえる光景があった。


 髪と制服を乱した雨宮が、男子生徒数名に取り押さえられている。

 まるで警官隊と通り魔だ。


「!? おい! 何やってんだよ!」


 女子一人相手に、あまりにも容赦無いその仕打ちに、僕も思わず怒鳴り込んでしまった。男子生徒を一人ずつ雨宮から引っぺがし彼女を解放する。

 しかし、雨宮を救助した……と安堵するより先に、自由になった雨宮は一切の躊躇い無く、特定の生徒へ殴りかかろうとした。ずぶ濡れで泣きじゃくっている、女子生徒だ。

「ひいっ……」


 間一髪で僕は雨宮を羽交い絞めにした。

「おちつけって雨宮! おい!」


 なるほど、これは男子数名で取り押さえるわけだ。この華奢な身体の、どこにこんな力が眠っていたのか。人一倍体力だって無いはずなのにな、こいつ……。

 頭のなかだけは冷静に、力だけは必死に振り絞っているうちに、ようやく教師陣が駆けつけた。

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