57 『救出』
百香の目論見どおり、その後彼女が記者に付き纏われたり、週刊誌に取り上げられるような事はなかった。状況から察するに、今のところ普通科の生徒たちにも広まってはいない。
しかし、特進ではそうはいかなかった。
今やクラス内での百香の立場は、最悪だ。
判り易いいじめとは違い、クラスメイトの誰もが彼女と距離を置いた。軽蔑だったり畏怖だったり、何かしらの異質として遠巻きに眺めつつも、そこに『桂木百香』なんて人間は存在しないかのように、無視に徹したのだ。
百香も、その扱いに準じた。
むりに友人たちの輪に入り込もうともせず、理不尽な扱いに怒りも悲しみも見せず、自分に原因があると認めるかのように、孤立者に徹した。
そして僕と雨宮さえ、一切寄せ付けなくなった。
誤報の日、僕と百香が非常階段でもめていた頃に登校してきた雨宮は、僕と同じように、クラスメイトから一連の報せを受け、しまいにはこんな『助言』も貰ったらしい。
“殺人犯の身内だって 雨宮さんも気をつけなよ”
しかし雨宮はそんな助言を無下に、教室に戻ってきた百香へ声をかけた。
「桂木、おはよ。」
百香はそれに応えなかった。
それは休み時間でも、昼休みでも、放課後でも同じだった。
雨宮が近づこうとするものならば、百香は逃げるように姿をくらます。そして授業が始まるぎりぎりで、教室に戻る。終礼が鳴り次第、一目散に逃げてゆく。着信にはでない。メッセージには返信しない。
「超感じ悪くない?」
百香の雨宮に対する態度について、全く関係の無い女子生徒が聞こえる音量で呟き、それに賛同した別の女子生徒が、「ねー。雨宮さん。」と、賛同に雨宮を巻き込もうとしたけれど、雨宮は雨宮で、彼女たちを無視していた。
翌日から、雨宮は再び孤立者となった。百香は、新しい孤立者となった。そして僕もまた、孤立者に戻りつつある。
三人とも、クラスでの扱いはそれぞれ違うけれど、孤立者として、ばらばらになった。
「で、どうする気よ、あんたは、」
騒動から翌々日、僕と雨宮は久しぶりに映写室に集合した。正確には、集合、じゃなくて、居合わせた、のだけど。お互い孤立者に戻って、お互い以前の行動にでた結果だ。
「どうする……たって、」
本を開きながら素っ気なく質問してくる雨宮に、僕は真剣に向き合うべきか、適当にふざけるか、対応に悩んだ。少なくとも後者を選んだら、それこそクズだけど。
「俺だってどうにかしてーよ。」
「だったらさっさと行動に移しなさいよ、クズ。」
どちらにしてもクズ認定は受けてしまった。ぐうの音も出ない。
「悠長なこと、言ってられないみたいよ?」
口調だけは素っ気ないまま、雨宮はどこか険しい目つきでスマホ画面を向けてきた。もう何度も見た、あのスレッドだ。見飽きたくらいなのに、また心臓が止まりそうになる。スレッド内の続報に、百香の新たな画像が載せられていたのだ。
「明らかな盗撮よ。しかも、教室での物ばっかり。……桂木のこと、まだ普通科には広まってないんでしょ? つまり、」
雨宮の冷静な見解は、盗撮してネットに上げている人物が、クラスメイトの中に存在することを示唆していた。
「ずいぶん楽しんでるみたいね、あいつら。」
声に宿る軽蔑の影は、クラスメイトが百香に向けるものなんかより、ずっとずっと濃かった。
雨宮のことばに後押しされるかのように、僕は躊躇うことなく、百香へのメッセージ画面を開いた。
「一応言っておくけど、早まるんじゃないわよ。」
「心配ご無用。わかってるって。」
僕らは彼らに心底軽蔑しながら、おそらく、憤りも携えながらも、いつもの調子で会話を交わした。きっと考えていることは、同じだったから。
「つーわけで、この度ぼっちが増えました。」
転入生を紹介するかのように、僕は百香を隣に並べ、雨宮に披露した。
「そう。」
彼女は相変わらず、ぶれずに素っ気ない。
一方百香は、半ば無理やり呼び出された放課後の映写室に、戸惑うばかりだった。
「旭、これ、どういうこと?」
少々不機嫌に、大分気まずく、頬を膨らませて睨んでくる。
「ここさ、ぼっちの社交場みたいなもんだから、まあ気軽に来いよ。昼休みとかさ。」
「ちょっと、低脳な名称つけてんじゃないわよ。」
「俺たち前からここで逢引しててさー。」
「無視してんじゃないわよ。あんたが勝手に居ついたんでしょ。ていうか、逢引きって辞書引いてみろ、たわけ。」
「すげーだろ? こいつ、ここだとめっちゃ喋るんだ。んで、すっげー口悪い。」
「ちょ……ちょっとストップ!」
僕と雨宮のやりとりを遮って、百香は困惑した表情をみせた。
「……だ、だめだよ。百香と仲良くしてると、二人にだって迷惑が、」
「だから、映写室なら堂々とできるだろ、」
「で、でも、どこで誰が見てるかなんてわかんないし……」
「つか、もともと俺のせいじゃん。」
そこまで話すと百香は息を飲んだ。ちらりと雨宮へ視線を配る。
「雨宮は俺と名塚月乃のこと、知ってるから。」
百香の憂いを晴らすつもりで、さらっと告げた。思わぬ事実に一瞬驚愕した様子の百香だったが、すぐにまた意見してきた。
「それじゃ……なおのことだめだよ。糸子ちゃんまで巻き込めない。」
「こいつ元々ぼっちじゃん。痛くも痒くもねーよ。」
「なんであんたが威張んのよ。」
決着のつかない僕と百香の間に、ようやく雨宮が入ってきた。
「桂木、」
厳しめな声音で百香を見据える。
「正直、あたしはこのバカの計画に反対なの。」
そしてまさかの主張をしてきた。
おいおい何言ってくれてんだ。ここまで無理して飄々と振舞っていた僕だったが、つい口を開けて固まる。百香もさすがにショックだったのか、言葉を失って目を潤ませた。
今にも泣きそうな百香と、気まずく固まる僕を順番に見たあと、雨宮は呆れるように溜め息をついた。
「映写室じゃなくても、堂々と教室で話せばいいじゃない。」
……え?
別々の表情をしていた百香と僕が、一瞬にして同じ顔になる。
「あんたの好きにしなさいよ。」
素っ気なく、雨宮は続けた。
「あたしに迷惑かかるのが嫌ってんなら、無理に一緒にいなくていいわ。独りでいようが距離置こうが、あたしは余計なこと言わない。全然気にしない。でも、あんたと一緒にいることで周りが何言ってこようが、それも全然気にしない。」
だから好きにしなさいよ。言い終わりにはまた本を開いて、普段どおりの雨宮糸子を貫いた。
その姿に、僕は変な笑いが出た。嬉しいような、安堵したような、単純に、ぶれない彼女が面白いような。とにかくツボに嵌ってしまって、にやけ顔が治まらない。
雰囲気が回復したところで百香を見ると、これまた面倒くさい状況になっていた。
「……! ちょ、ちょっと、」
さすがの雨宮も動揺の声をあげた。百香が黙ったまま、ぼろぼろと涙を溢している。
「なっ……なななに泣いてんのよ!」
僕らに注目されたところで、百香はいよいよ声を漏らして泣き出した。何かがぷっつりと切れてしまったみたいに、涙も泣き声もしゃっくりも止まらない。
「……っく、ごっ……ごめ、……っく、なさいっ……いっ、いとこ、ちゃん、すっ……好きぃ……っく……」
泣きながら、わけのわからない告白までしてくる。雨宮は更に慌てふためく。その光景がますますツボに嵌ってしまい、僕は声を殺しながらしばし二人を眺めた。
「わ、笑ってないで、なんとかしなさいよっ!」
当然、理不尽な苦情を貰う。
「俺もー、イトコちゃん大好き~。」
「……くたばれボンクラ。」
文庫本でも顔面に直撃すると、けっこう痛かった。
これで良かったんだ。
百香の気持ちを無下にせず、出来損ないの僕なりに、彼女を救う方法。半分……もしくは大半、雨宮の手助けあってこそだけど、それこそ今はくだらないプライドなんて捨てるベきだと、自分を納得させておく。
まだクラス内での百香への疑念は晴れないけれど、僕か雨宮が常に近くに居ることで、盗撮への抑制には繋がるだろう。僕らも目を光らせるつもりだ。
そしてすっかり忘れていたが、この度、ひのでが休学中で本当によかった。
もし、今の百香の状況を妹に知られでもしたら……と想像すると、血の気が引く。きっと二学年特別進学科の教室が、惨劇に見舞われていたことだろう。
不幸中の幸い、なんて軽薄な言い方だけど、起きてしまった事態のなかで、僕はぎりぎりの平穏を保った。
百香には、本当に申し訳ないことをした。彼女の件に関しては絶対修正するつもりだ。時間は掛かるかもしれないけれど、もう一度、百香の日常を取り戻す。
その際にはちゃんと、僕なりの言葉を、この、優しすぎる厄介な幼馴染に、捧げよう。
クラスメイトと距離を置き、百香への視線に目を光らせ、三人で映写室に集う日々が、定着しつつあった。
『昼休みあいてる?
話したいことがあるんだ』
星史に呼び出されたのは、そんな折だった。




