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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第九章】 月の枷
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55  『誤報』




 母は「善は急げ」と提案したその日のうちに、僕ら兄妹と再婚相手をひきあわせた。

 あまりにも急過ぎる面会だった。


 再婚相手だというくだんの()は、温厚を絵に描いたような小太りの中年男性で、想像していたよりも庶民的な雰囲気をしていた。しかし裕福なのは間違いないらしく、面会の場として、ちょっとお高めの創作料理のお店を、母が思い立った当日に、しかも個室でおさえてくれた。



庭木(にわき)数仁(かずひと)、と申します。」



 よほど緊張していたのか、庭木さんはこまめにハンカチを宛がいつつ、たかが高校生相手に、勿体ないほど丁寧な挨拶をしてきた。そんな彼の隣には園服姿の男の子が、ちょこんと座っていた。庭木(にわき)仁成(ひとなり)くん。庭木さんの連れ子だ。そして僕とひのでの、弟になる子だ。今のところあくまで戸籍上だけど。


 仁成くんは最初こそおとなしくしていたけれど、すぐに飽きてしまったのか、もしくは、元々人見知りしない性分なのか、僕とひのでにやたら絡んできた。そして意外にも、ひのでと馬が合うようだった。


「モモカの親戚の子と同じくらいの(とし)だから。何度か、遊んだことあって。」

 幼子を上手く扱っていた理由を、妹はそう語る。そういえば園児の従弟(いとこ)がいるとか言ってたな。

 気疲れからか、僕は妹の意外性に驚くこともなく、ぼんやりと思うだけであった。



 それから三日もしないうちに、母と妹は必要最低限の荷物をまとめ、休み明け最初の土曜である今日、庭木さんが用意した大型トラックで、避難もとい引越しを決行した。

 何もかもとんとん拍子に進み、ひのでは月曜から親公認の登校拒否だ。

 引越し作業には僕はもちろん、百香も立ち会った。正直手伝うようなことなんて無かったのだけど、まあ、言うなればひのでの精神安定係だ。


 引越し作業を終えてすぐ、僕と百香は早々に退散した。本当はみんなで食事を予定していたのだけれど、仁成くんが突然熱を出してしまったのだ。

 申し訳なさそうにする庭木さんに、母さんと百香が「お気になさらず」とか「子どもってそういうものだから」とか、同じような台詞を言っていた。





「じゃあ月曜にね。」

 百香は珍しくいつもより早く帰ってしまった。おそらく彼女も彼女で疲れたのだろう。もしくは、僕のいない空間でひのでに連絡を入れてやりたい、みたいな、彼女特有の気遣いがあるのかもしれない。


 一人残された家で僕は、嵐のような展開からの、唐突に始まった一人暮らしをさっそく実感させられた。

 不思議だ。これまでだって一人で過ごす夜は何度もあった。特段、珍しいことでもなかった。それなのに明らかにいつもと、ちがう。秒針の音とか、部屋のにおいとか、少し減った家具とか。ぜんぶ、よその家みたいだ。


 ソファに寝転がって、例のあのスレッドを開いた。

 ……よかった。その後特に続報は無い。書き込みも、最初に見たときより沈静しているみたいだ。ひので、あっという間に戻ってくるかもしれないな。このソファでまた妹が踏ん反り返る日も、きっと遠くない。


 そんな妹を真似るように、誰もいない空間で踏ん反り返りながら、僕は、最後に妹と二人きりで過ごした晩のことを、思い出していた。


 面会の日の、深夜のことを。





 庭木さん親子との面会後、帰宅した二人きりのリビングで、僕らは久々に空間を共有した。そして珍しく、その日の感想を簡潔に言い合った。


「いいひと、っぽかったな、」

「……うん。」



 ひのでが妙に素直だった。



「一緒に暮らせそうか?」

「とりあえず。」

「……ぶっちゃけ、今んとこどっち派?」

「何が、」

皆口(みなぐち)か、庭木(にわき)か。」

「頭悪そうな聞き方すんじゃねーよ。」


 まだまだ仲良しとは言いがたいけれど、妹は会話を繋げてくれた。


「私はたぶん、まだ、ひずるさん。」


 まじかー。僕は形だけのリアクションをとっておいた。


「……庭木……さんも、嫌いじゃないけど、」

「けど?」

「なまえ変わるの、いやだ。」

「…………。」



 妹が何気なく溢した感想は、正直、結構くらった。






 最後に妹に殴られてから、もうすぐ季節を二つ跨ぐ。

 僕の知る妹は、きっとあまり変わっていない。変わったのは、僕だ。



 仲村星史と出逢った。雨宮糸子と通じた。

 仲村星史をみつけた。雨宮糸子を知った。

 異端として僕のなかに深く住みついた彼らは、いつの間にか重厚な殻を開いていて、それまで知りえなかった部分を露見するようになっていた。そのせいかもしれない。

 僕の目は、無駄に肥えてしまっている。


 妹の、ひのでの本質が、見え始めている。


 年子の、妹。同じ材料で産まれた、たった一人のきょうだい。

 睦まじくもない。かわいいだなんて思えない。全てにおいて勝れない。

 くすんだ銀髪、えげつないピアス、若さを謳歌した化粧、派手な爪。女を匂わす完成された体つき。暴虐的で幼稚。激情家で傲慢。


 そして、ただの、十五歳。



 幼いんだ。彼女はただただ、幼い。本能のままに生きているだけなんだ。



 そんな妹が溢した感想だからこそ、ぐさりと刺さった。そんな妹だと理解したからこそ、僕は今、自ら面倒事と向き合って、彼女を救おうと奮起すらしている。厄介なものだ。


 大切なものが増えてしまうのは、案外、つらい。









 月曜日。新しい日常の、普段どおりの朝を歩いた。

 バイクなら駅裏のスーパーに隠した。まだ暑い日が続くが、今朝も校庭では朝練の運動部が声をあげている。自転車通学の生徒に追い抜かれ、喋りながら登校する生徒を追い越し、校門をくぐったあたりで百香(ももか)が声をかけてくる。


「独身生活はどう?」


 いたずらに、あどけなくえくぼを見せてからかってくる。

「おかげさまで。」

 僕はあくびまじりに返答する。

 教室までの道のり、廊下では他クラスの生徒たちが、人それぞれ朝の挨拶をかけてくる。

 いつもどおりの平穏、普段どおりの朝だ。

 家に妹はいないけれど、しばらく学校にも来ないけれど、僕の高校生活は薄情にも幸いに、いつもどおりだ。

 平穏を噛み締めて、百香と肩を並べたまま教室の扉を開いた。




 ────その瞬間、すべての音が、やんだ。



 教室内に散らばっているクラスメイトが、しんと鎮まりかえる。



 その場にある視線が、すべて、こちらを向いている。



 軽蔑のような、

 疑惑のような、

 畏怖のような、


 視線が、無数の槍のように、ぶすぶすと。


 静寂のなかで、刺してくる。




 嫌な、予感が、する。


 まさか────




「え? ……な、なになに? ドッキリ?」


 取り繕う百香の発言を機に、今度はひそひそ声があがり始めた。そこかしこから一斉に。

 視線はひたすらこちらに集中したままだ。

 僕の足は完全に硬直してしまった。


「ねー、どーしたのー?」


 百香が明るく、親しい女子生徒に近づいた瞬間だった。



「────ッ、きゃあっ……!!」


 女子生徒は叫び声をあげ、彼女を避けた。



 ……どういうことだ

 なにが、起こっているんだ


 刺すべき視線が、僕に向いていない。

 ぜんぶ、ぜんぶぜんぶ、彼女に、



 百香を刺している。



「……え?」

 視線の集中砲火に気づいた百香も、その場で立ち尽くした。繕った固い笑顔のまま、混乱している。



「……どうする?」「どうもこうも……」「おまえいけよ。」「見つけたんだから。」

 男子生徒のグループから何か相談する声が聞こえた。しばらくしてグループの中から、一人の生徒が意を決したように立ち上がり、百香に歩みよってきた。


「桂木……これ、まじなん?」


 距離を保った位置で彼女と向かい合い、スマホを手渡す。

 百香はゆっくりと受け取り、画面に映る()()を目撃するやいなや、目を見開いて言葉を失った。



「み……皆口くん、」

 百香に声をかけるよりも先に、クラスメイトの女子生徒が、僕を呼びかけた。


「……皆口くんも……気をつけて、」


 男子生徒が百香にしているのと同じように、僕にスマホを渡してくる。



 僕も、目を見開いた。言葉を、失った。



 そこに映し出されていたのは、あの、スレッドの、続報(・・)


 どういうことだ……どうして……どうして、どうして、どうして、




  【名塚月乃】悲劇の子供の御尊顔【娘特定】




 妹じゃ……ない……ひのでじゃない……どうして どうして どうして


 どういうことなんだ



 貼られていた、画像に、映っていたのは、



「……どうなんだよ、答えろよ、桂木。」



 加工の一切施されていない、桂木(かつらぎ)百香(ももか)の姿が、そこにあった。



 名塚月乃の、()と、されて。

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