53 『暗雲』
────駅前だったという。
『あの、失礼ですが◎◎高校の生徒さんですよね?』
男は、明らかに記者のようないでたちで、それらしい声の掛け方をしてきた。
『え? ああ、まあ。』
『特別進学科の生徒さんに、お知り合いとかいますか?』
『あ。自分、そうっすけど。』
『本当に!?』
途端に目を輝かせたらしい。
『すみませんね、突然。私、週刊××の者なんですけど、少し、いいかな?』
『あー……はい。』
そして真っ先に、その質問をしてきた。
『名塚月乃って、知ってる?』
以上が、クラスメイトの生徒が、ナヅカツキノの名に触れた経緯である。
「えー、何それ超怪しい。」別のクラスメイトが興味本位まじりに言った。
「ドラマでよくあるやつじゃん。」また別のクラスメイトも、参戦してくる。
「で、どうしたの? そのあと。」
どんどん参戦してくる。
「普通に知らないっつったら、「だよねー。世代だもんねー」って笑ってた。んで、「特進内でも知名度無い?」とか聞かれたから、とりあえずうちのクラスでは、って答えといたけど……やっぱ誰も知らないよなー?」
「あーごめん。あたしも、それっぽいことあったかもしんない。」
新たに参戦した女子が、思い出したように挙手する。
「駅前じゃないんだけどー、友達の知り合いの知り合いに、ここの特進生探してるって人がいて、それどっかの雑誌の人らしくてー、今度軽く取材させてくれないかって、友達伝手で頼まれてるんだよね。もしかしたら、それ関係くさくない? なんかさー、友達の知り合いの知り合いとか、ほぼ他人じゃん? あんま乗り気じゃなくってさあ。」
「えーまじでなになにー?」「取材とかガチなやつじゃん。」
「行ってこいよ。」「えー逆にやだ。」「何? 人探し系?」
「世代ってなんだよなー。」「てか誰? 有名人?」「あの人は今!? 的な?」
気づけばクラス全体が参戦していた。口々に湧き出す好奇心を声にする。飛び交う好奇の音に貫かれながら、身体が変な汗で冷えてゆく。
やばい……
どうしよう。何か、言うべきなのか、この場で。
なんとか、なんとか空気を変える方法は? 芯から凍える身体に震えながら、僕は突破口を探した。
……みつからない。
何を発言しても、今のこの教室に充満する、彼らの好奇を鎮めることなんてできるわけがない。しかし、このまま傍観し続けるわけにもいかない。
……どうしよう。なにか、何とかしなくては。今ここで、塞き止めなくては。
僕が、なんとか────────
「えっ、やばくない? 殺人事件だって。」
凍える僕を容赦なく打ち砕く音がした。
一人のクラスメイトがスマホ画面をクラス全体に向けながら、『ナヅカツキノ』の検索結果を披露している。
「まじで!? 殺人!?」「どのサイトそれ、」「ナヅカツキノでググればすぐ出るよー。」「うっわまじだ。」「え。しかも犯人とか。」「でも昔過ぎない?」「この辺の事件なん?」「いや、愛媛って書いてあんじゃん。」「つか死んでんじゃん。犯人。」「え? 自殺とか。」「自殺? 犯人?」「うん、ほらここ、」
やめろ……やめてくれ
祈り虚しく、教室内は先程以上に賑わいだした。更に更に湧き出す声。更に更に参戦してくるクラスメイト。一瞬にして認知された名塚月乃の名に、震えが止まらない。背中がぐっしょりと冷たくなる。
「……旭、ちょっと……」
背後から百香が小声で呼びかけてきた。廊下に目配せしながら外へと誘う。僕らは盛り上がるクラスメイトの目を盗むように、教室から出た。
「……嫌な予感がしたから、ちょっと、調べてみたの。…………そしたらね、」
躊躇いがちに操作しながら、小さく息を飲んで、百香はスマホを手渡してきた。画面に映し出されているのは、何か、スレッドのようだ。
その内容に、戦慄した。
【名塚月乃】悲劇の子供の現在【特定か?】
タイトルどおりスレッド内では、名塚月乃が自殺直後に産み遺したとされる子どもについての情報や、それに対する反応が次々と書き込まれていた。
しかしそこには『息子』だの、『仲村』といった、星史に関する情報は一切記されていない。
事態は大きく、誤った方向に捻じ曲がっていた。
スレッド内に貼られた、見覚えのある校舎外観画像。……所在地と学校名は伏字だが、ほぼ名指しレベルの伏字。
それは、今まさに僕らの居る、この高校であり、画像の下にはこんな説明文が添えてあった。
『娘と思われる少女の通う都立高校』
娘。少女。
「……タイミング、できすぎてない? こんな、夏休み明けに……。間違いなく、ひのでを指してるよ。少女って、あるし。……しかも、特進生ばかり、付け狙ってる、みたいだし……旭や仲村くんは、ばれてないみたいだけど……」
百香の言葉を聞きながら、僕も憶測を巡らせた。
情報を流した側が、ひのでを名塚月乃の子だと誤解したのか、はたまた、報復としてあえて誤ったのか……。どちらが真実なのかは定かでないが、言い切れるのは、僕らの恐れていた事態が起きてしまった、ということだ。
思考が働かない。言葉が出てこない。
今のところ、ひのでの名前や顔の情報は洩れていないようだが、今後どうなるかは、すべて見えない敵の手中にある。もしかしたら明日にでも、いや、今すぐにでも状況は最悪なほうへ転がるかもしれない。
「おちついて旭、」
声を失う僕に、百香は静かに言った。
「脅かしてごめんね……。とりあえず、教室のことは放っておこ。」
静かに、気丈に言う。
「特進って普通科とあんまり関わらないし、そう簡単に広まらないよ、こんな噂。このサイトだって、いろんなスレ開いて辿り着いたの。そもそも、まだ情報だってこの学校ってだけだし。ここの生徒たちには、逆に漠然としすぎでしょ。」
考えてみれば当然な見解を冷静に諭す。確かにそのとおりだ。僕はずいぶん、錯乱していたらしい。少しずつ落ち着きを取り戻す。
僕が小さな深呼吸を二回繰り返したところを見計らって、百香はまた切り出した。
「まずは……今、百香たちがしなきゃいけないのは、」
……ああ。
そうだったな。
僕も彼女に倣って、静かに、気丈に、今最も優先すべき相手への対策を、考えた。




