50 星史の『旭』
目が覚めても手を握っていた。
指同士が絡み合う先で、高校二年生の星史が浅い寝息をたてている。ほんの少し力をこめると、まぶたが音も無く開いた。
「眠れない?」
呼吸みたいな声できいてくる。
「……いや、寝てた。」
僕も声を潜めた。
ふふっと微かに笑いながら、星史はシーツに頬ずりをした。
「たばこくさい。」
参ったように言う。確かに煙草のにおいがした。それがベッドに染み付いている物なのか、部屋自体に充満している物なのかは、判らないけど。
疲れと眠気と暑さでどうでもよくなって、冗談で提案されたラブホテルに入ったのは数時間前。
こちとらやけくそだったってのに、星史は完全に悪ノリ全開だった。受付がパネル式だったことと、他の客と鉢合わせしなかったことに安心したのか、入室するなり爆睡してしまったみたいで、だいぶ時間が経っていた。
「……ちょっとだけ、話せれば、よかったんだ。」
また呼吸みたいに、突然だった。
なにがだよ。僕の返答に星史はちいさく笑う。
「生きてるうちに、会えるかな、くらいだった、し。」
眠り落ちそうな声で、区切りながら言う。
「同じ学校、だなんて、夢にも、思わなかった、」
息を潜めて、頬ずりを繰り返しながら、指を絡める。
……だめだね。人間て、欲張りだよね、どうしても。
……だめだった。近づきたく、なったんだ。
顔、近くで、見てみたいな、とか、……どんな声、してるのかな、とか。話せたら、もっと、近くなりたくて。
ともだちに、なれたら、って。
………おれと、おんなじ、ひと……どんなひと、なんだろう……知りたくなったんだ。
どんな顔で、笑って、怒って、困るのか……たくさんの、きみを、
いろんなきみを、ぜんぶ、みたくなった。
………ごめん、ごめんね……、十七年分、だったから……
瞳が澄んでいた。
今しがた見ていた夢と同じ、幼い彼。
「ふたりだけでいい。あとは、何もいらないよ。」
「なにも?」
「うん、何も。お金も、学校も、友達も、家族も、なまえも、ぜんぶいらない。」
「はは。全部は、さすがに困るな。」
「あはー。そう?」
「困るよそりゃ。金無いと何も出来ないし。」
「じゃあお金は稼ごう。ふたりで。」
「なんだそれ。」
寝転んだまま、手を繋いだまま、一緒に笑った。
「学校なんて、どうせあと一年半じゃん? いらなくない?」
「家族と友達は?」
「旭くんがいれば事足りるよ。」
「そりゃどーも。」
「ね? 意外と無くても、問題ないものばかりでしょ。」
「かなり無理やりな気もするけどな。」
「あはー。」
「じゃあ、あとは……」
「なまえ。」
なまえ、かあ……。
「さすがに捨てられないだろ、それは。」
「捨てられるよ。だっておれたち、一度捨ててるじゃん。」
「え?」
「だから、また、捨てちゃおうか。皆口も、仲村も。」
………。
「…………なあ、」
煙草くさいシーツから顔を離すなり、僕は尋ねた。
「父親ってさ、怒る?」
突拍子も無さ過ぎる質問に、さすがの星史も表情をとめる。
やがてすぐに、なんだよー突然、と、笑ってくれた。
「帰ったらさ。ほら、心配かけたじゃん。」
「んー。怒らないかなー。」
背筋を伸ばしながらいつもの彼に戻る。馴れ馴れしいくせにひとを不快にさせない、つかみ所のない、高校二年生の星史。
「でも、母親には殴られるけどね。」
ふざけて冗談を言っているのか、本気で参っているのか、どっちとも取れるような口調で笑いながら言う。
「まじで? 母ちゃんこっわ。」
僕が言うと、「まじまじ超まじ。」と更に笑った。そして笑ったままの延長で、「それでいいんだ、うちは。」と朗らかに言う。
「俺を怒鳴って殴って泣くのが、うちでは母親の役割。んで、なだめて慰めてあったかい夕飯用意してるのが、父親の役割。そんなふたりに、ちゃんと愛されるのが俺の役割。愛される子でいるのが、おれ。」
人差し指をたてて、すいすい動かしながら、ひとつひとつ丁寧に家族を語る。透きとおる声で、透きとおった眼差しで。
「おれは、最愛の息子だからね。」
嘘のない表情をあげて、彼は家族の話を終わらせた。
「それなのに、いらないなんて言えるんだな。」
久しく意地の悪い僕が出てきた。話を終わらせまいと、いたずらにくすぐる。
「言えるよ。」
さすが、星史はそのあたりが雨宮と違っていた。意地の悪い僕に負けじと、まだまだ余裕に、笑う。
「愛されているだけでいいんだもん。おれは。」
「うわ。超かわいくない子供。」
続く意地悪にも、星史はにししと笑うことで応戦してきた。
「旭くんも、だよ。」
そして唐突に、真面目になる。
「陽さんに、愛されてるだけでいいんだよ?」
どこまでも一筋縄ではいかない奴だ。
こんな奴が、僕の、この世で限りなく近い存在ってんだから、わらえる。
「親子なんだからさ。」
反論したかった。反論、できなかった。
意地とか、プライドとか、いろいろあったけれど、喉にとどまった声が出てきてくれない。唇が口角をあげたまま震えるのに、目の奥が熱さで滲んで、今の僕そのものを曖昧にしてしまう。
なにか、何かを言ってしまいたんだと、意固地な僕が抗う一方で、もう楽になってしまえと、絆されている僕もいる。
相反する自分自身の決着は、つかなかった。
決着がつくまえに、せわしくスマホが震えだす。
百香でも、母親でも、当然、雨宮からでもない。
……どうしてこの瞬間に、
どうして、おまえなんだ。
着信 皆口ひので




