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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第八章】 かけおち
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50  星史の『旭』




 目が覚めても手を握っていた。

 指同士が絡み合う先で、高校二年生の星史(せいじ)が浅い寝息をたてている。ほんの少し力をこめると、まぶたが音も無く開いた。


「眠れない?」

 呼吸みたいな声できいてくる。


「……いや、寝てた。」

 僕も声を潜めた。


 ふふっと微かに笑いながら、星史はシーツに頬ずりをした。

「たばこくさい。」

 参ったように言う。確かに煙草のにおいがした。それがベッドに染み付いている物なのか、部屋自体に充満している物なのかは、判らないけど。




 疲れと眠気と暑さでどうでもよくなって、冗談で提案されたラブホテルに入ったのは数時間前。

 こちとらやけくそだったってのに、星史は完全に悪ノリ全開だった。受付がパネル式だったことと、他の客と鉢合わせしなかったことに安心したのか、入室するなり爆睡してしまったみたいで、だいぶ時間が経っていた。



「……ちょっとだけ、話せれば、よかったんだ。」



 また呼吸みたいに、突然だった。

 なにがだよ。僕の返答に星史はちいさく笑う。


「生きてるうちに、会えるかな、くらいだった、し。」


 眠り落ちそうな声で、区切りながら言う。


「同じ学校、だなんて、夢にも、思わなかった、」


 息を潜めて、頬ずりを繰り返しながら、指を絡める。



 ……だめだね。人間て、欲張りだよね、どうしても。

 ……だめだった。近づきたく、なったんだ。

 顔、近くで、見てみたいな、とか、……どんな声、してるのかな、とか。話せたら、もっと、近くなりたくて。

 ともだちに、なれたら、って。

 ………おれと、おんなじ、ひと……どんなひと、なんだろう……知りたくなったんだ。

 どんな顔で、笑って、怒って、困るのか……たくさんの、きみを、

 いろんなきみを、ぜんぶ、みたくなった。

 ………ごめん、ごめんね……、十七年分、だったから……



 瞳が澄んでいた。

 今しがた見ていた夢と同じ、幼い彼。



「ふたりだけでいい。あとは、何もいらないよ。」


「なにも?」

「うん、何も。お金も、学校も、友達も、家族も、なまえも、ぜんぶいらない。」

「はは。全部は、さすがに困るな。」

「あはー。そう?」

「困るよそりゃ。金無いと何も出来ないし。」

「じゃあお金は稼ごう。ふたりで。」

「なんだそれ。」



 寝転んだまま、手を繋いだまま、一緒に笑った。



「学校なんて、どうせあと一年半じゃん? いらなくない?」

「家族と友達は?」

「旭くんがいれば事足りるよ。」

「そりゃどーも。」

「ね? 意外と無くても、問題ないものばかりでしょ。」

「かなり無理やりな気もするけどな。」

「あはー。」


「じゃあ、あとは……」


「なまえ。」


 なまえ、かあ……。


「さすがに捨てられないだろ、それは。」

「捨てられるよ。だっておれたち、一度捨ててるじゃん。」


「え?」


「だから、また、捨てちゃおうか。皆口(みなぐち)も、仲村(なかむら)も。」



 ………。



「…………なあ、」

 煙草くさいシーツから顔を離すなり、僕は尋ねた。


「父親ってさ、怒る?」


 突拍子も無さ過ぎる質問に、さすがの星史も表情をとめる。

 やがてすぐに、なんだよー突然、と、笑ってくれた。


「帰ったらさ。ほら、心配かけたじゃん。」

「んー。怒らないかなー。」

 背筋を伸ばしながらいつもの彼に戻る。馴れ馴れしいくせにひとを不快にさせない、つかみ所のない、高校二年生の星史。


「でも、母親には殴られるけどね。」


 ふざけて冗談を言っているのか、本気で参っているのか、どっちとも取れるような口調で笑いながら言う。

「まじで? 母ちゃんこっわ。」

 僕が言うと、「まじまじ超まじ。」と更に笑った。そして笑ったままの延長で、「それでいいんだ、うちは。」と朗らかに言う。


「俺を怒鳴って殴って泣くのが、うちでは母親の役割。んで、なだめて慰めてあったかい夕飯用意してるのが、父親の役割。そんなふたりに、ちゃんと愛されるのが俺の役割。愛される子でいるのが、おれ。」


 人差し指をたてて、すいすい動かしながら、ひとつひとつ丁寧に家族を語る。透きとおる声で、透きとおった眼差しで。



「おれは、最愛の息子だからね。」


 嘘のない表情をあげて、彼は家族の話を終わらせた。



「それなのに、いらないなんて言えるんだな。」

 久しく意地の悪い僕が出てきた。話を終わらせまいと、いたずらにくすぐる。

「言えるよ。」

 さすが、星史はそのあたりが雨宮と違っていた。意地の悪い僕に負けじと、まだまだ余裕に、笑う。

「愛されているだけでいいんだもん。おれは。」

「うわ。超かわいくない子供(やつ)。」

 続く意地悪にも、星史はにししと笑うことで応戦してきた。



「旭くんも、だよ。」

 そして唐突に、真面目になる。



(あきら)さんに、愛されてるだけでいいんだよ?」



 どこまでも一筋縄ではいかない奴だ。

 こんな奴が、僕の、この世で限りなく近い存在ってんだから、わらえる。



「親子なんだからさ。」


 反論したかった。反論、できなかった。


 意地とか、プライドとか、いろいろあったけれど、喉にとどまった声が出てきてくれない。唇が口角をあげたまま震えるのに、目の奥が熱さで滲んで、今の僕そのものを曖昧にしてしまう。

 なにか、何かを言ってしまいたんだと、意固地な僕が抗う一方で、もう楽になってしまえと、絆されている僕もいる。

 相反する自分自身の決着は、つかなかった。





 決着がつくまえに、せわしくスマホが震えだす。



 百香でも、母親でも、当然、雨宮からでもない。



 ……どうしてこの瞬間に、

 どうして、おまえなんだ。






    着信    皆口ひので




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