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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第七章】 潰していた過去、取り戻した未来
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45  『接触』




 久しぶりに対面する雨宮は眼鏡をかけていた。髪も三つ編みで小奇麗にまとめていて、服装も半袖のパーカーワンピースといった、シンプルないでたちをしていた。


「俺、おまえの彼氏なんだってさ。」

 懐かしさのあまり、からかいたくなった。吉で赤面、凶で蔑視。どちらが出るか彼女の反応を待つ。

「その手の話を好むのよ。あのひとは。」

 雨宮は至って平常に答えながら、鞄や教科書をしまっていた。予定外にどちらも該当しなかった態度に物足りなさを感じた僕は、背後から彼女に近づいて、ふれそうな距離で隣に立った。


「イマドキの女子高生は終了したんだ?」

 三つ編みの先端を摘んで言う。


「学校でもあるまいし、必要ないでしょ。」

 手は容易く掃われた。

 片づけが済むと、雨宮はベッドに腰掛けた。リモコンに手を伸ばしてテレビを点ける。ちょうど夜の報道番組が始まっていた。


「セージさま、どうしてる?」


 脚を組んでテレビのほうを向いたまま、だしぬけに言った。

 どうしてる……って。彼女の強引な切り出し方に、僕は返事を悩んだ。


「だから、変わりないとか。」

「じゃあ変わりない。」

「じゃあって何よ、」


 ここでようやく、彼女の不機嫌に気付いた。

 口が悪いのも素っ気ないのも、それが雨宮糸子のたちだからと見落としてしまったけれど、今の彼女は間違いなく苛立っている。心当たりとしては、先ほどの八重さんとの会話くらいしか思いつかないが、今夜のこの急すぎる呼び出しを考慮すれば、もっと他にあるような気もする。


「何かあったのか?」

 聞き返すと、雨宮はやはり不機嫌に鼻をならして、脚を組み直した。


「あんた最近、桂木とやけに親密みたいじゃない。」


 話された内容は、先日仲村から聞いた話そのものだった。

 皆口旭が・桂木百香と・腕を組んで・歩いていた。……人違いで二度も尋問されるとは。


「気になるんだ? 俺と百香の仲。」

 いじわるくほくそ笑んでやると、睨まれた。


「つけあがるんじゃないわよ。あんたたちがどこで何してようと、どうだっていいわ。あたしが気懸りなのはセージさまだけ。」


 一度向けた視線をテレビへ戻す。報道番組では、先日発覚した汚職事件が大きく取り上げられていた。雨宮は画面を見据えたまま、また鼻をならす。



「彼、そうとう気にしてたから、」

 やがて小さく言った。



 その一言で、二人の近況を察した。

 なんだ。こいつら今でも会ってるんだ。仲村はそんな素振りまったく見せなかったし、雨宮の名前すら口にしないし。

 僕も鼻をならした。不機嫌な彼女に近づいて、隣に座る。

「ちょっと、なに座ってんのよ、」

 ベッドが二人ぶんの重さで沈む。


「客に座らせないわけ?」

「床にでも座りなさいよ、」

「あー? さすがに意識しちゃう?」


 顔面に枕をぶつけられて、そのまま仰向けに倒れた。


「調子ぶっこいてんじゃないわよ、クソ童貞が。」

 雨宮が枕ごと顔を圧してくる。それがあまりにも非力で、痛くも痒くもなくて、笑えた。痛い痛い、ごめんって。抵抗まがいにふざけていると、か弱い力がすっと抜けて枕が退いた。


「妹だよ。」


 視界が広がってから僕は言った。雨宮が不服そうに見おろしている。


「百香と()()()歩いてたのは、俺じゃなくて、妹。あいつ最近髪切ってさ、すっぴんだと俺と見分けつかないんだ。背丈もほとんど変わらないし、男に見えるかも。」


 寝転んだままの釈明を雨宮は黙って聞いていた。納得はしていないけど、これ以上疑う意味も無い、そんな表情をしている。

「そう。」

 やがてそっぽを向いて、再びテレビを眺めた。



 この誤解がとけたことを、彼女は仲村に報せるのだろうか。また会いに行くのだろうか。ベッドに沈んだまま僕は物思いにふけた。


 見上げる先の雨宮の横顔は、やっぱりどことなく、八重さんと似ている。

 血が繋がらなくても、一緒に暮らすうちに似てくるもんなのかな、親子って。でもたしかに、彼の言うとおり色気は皆無だな。華も無いし。いや、ひのでに見慣れているから、やたら地味に見えるのかもしれない。真っ黒な三つ編みも、飾り気のない眼鏡も、ピアス穴一つ無いきれいな耳も。……耳。本当に、きれいな耳だな。


「急に黙るんじゃないわよ。気味悪いわね。」

 雨宮が訝しく言った。あ、ごめん。僕は寝起きみたいな返事をした。


「耳、きれいだなって思って。」

 そして漠然とした頭のまま言った。


「……。」

 雨宮が身の毛もよだつ顔をしたので、慌てて起き上がって弁解した。


「違う、違うんだって。変な意味じゃなくて、」

「……変態はみんなそう言うのよ。」

 さすがの彼女も完全にひいている。僕は弁解を続けた。


「俺の周りの女は、みんなピアスあけてるから、つい。まあ、みんなって言っても、妹と、母親と、百香くらいだけど……。とくに妹なんて、ピアス、すっげーえげつなくて……」


「あ。そういえば、桂木に奨められたわ。」


 弁解の途中で、思い出したように雨宮は口を挟んだ。

「奨められたって、ピアス?」

 変態疑惑が晴れたかはさておき、話題を逸らせそうだったので乗っかった。雨宮も何事も無かったかのように「ええ。」と頷く。そういえば以前、百香がピアッサーを贈ろうと企んでいたのを思い出す。

「で? あけんの?」

 おそるおそる聞くと、雨宮は「予定は無いわね。」と首を振った。


「だよな。もったいないし。」

「もったいないって何よ、」

「だってきれいじゃん。」


 息をついてまた寝転ぶと、雨宮の手が下りてきた。僕の髪をかきわけて耳に触れる。


「ひとの耳どうこう言ってるけど、あんただって、あけてないじゃない。」


 彼女の基準はいつも曖昧で難しい。変態的な発言には不快感をあらわにするくせに、自分から触るのは許容範囲なのか。

 そんなところにも、だいぶ慣れたけど。


「だって俺、男だし。」

 僕は変な言い訳をした。

「父はあけてるわよ、二人とも。」

 雨宮も変な反論をしてきた。

「絶対痛いのによくやるよな、みんな。」


 百香に言わせれば、痛いからこそ意味がある、とのことだが、やっぱり理解できそうになかった。あけること自体は否定しないけれど、やっぱり痛いのは好きじゃない。


「雨宮は、痛いの苦手?」

「苦手というより、鈍いかもしれないわ。」

「にぶい?」

「生理痛とかわからないの。」

「そういう話する? 普通。」


 僕が笑うと、雨宮はよく理解していないみたいな真顔で、小さく首をかしげた。

 彼女のこういうところが、僕はやっぱりけっこう好きだ。




『続いてのニュースです。』




 テレビの音が際立って、僕らは自然と無口になった。二人して画面に目を向ける。

 いつの間にか汚職事件のニュースが終わっていて、次は都内で起きたという、傷害事件について取り上げていた。たぶんこれは昨夜やっていた報道(やつ)の続報だ。百香の妨害で聞き取れなかったけれど、間違いない。


 事件の詳細は、女子大生が交際中の男性を刃物で刺し殺人未遂で逮捕、というものだった。凶器に使われたのは、刃渡り十八センチの包丁だという。


「刺されたら、さすがに痛いよな、」


 ニュースを見ながら僕は言った。


「まあ、痛いでしょうね。」

「うわ、すっげー他人事。」

「あんたが言ったんじゃない。」

「はは。でもさ、ピアスも刺してあけるよな、」

「包丁とじゃ比較にならないでしょ。」

「だからさ、針に刺されるくらいなら、生理痛と同じなんじゃね?」

「あんたに生理痛の何がわかるのよ。」

「バファリンで治るんだろ?」

「たわけ。ド腐れ童貞。」


 ぐだぐだと、中身の薄い会話を交わした。

 ずっと仰向けに沈んでいるせいか、ベッドの弾力感に麻痺して体に力が入らない。おのずと言動まで無気力に、適当になってゆく。


「あけてみる? ピアス。手伝うけど。」

 ぐだぐだのまま、僕は提案した。

「なんでそんな話になんのよ。」

 雨宮はごもっともな意見を、同じぐだぐだの延長で言った。


 おもむろに、無気力な彼女の手首を引っぱってみる。そこは線引きしているのか、一緒に寝転んではくれない。基準の難しい女だなあ。僕は諦めて上体を起こし、彼女と向かい合って座る。

「もったいないとか、きれいとか、言ったくせに。」

 向かい合ってすぐ、雨宮は指摘してきた。

「うん。言った。」

 僕は彼女の髪をかきわけて、耳に触れた。


「でも、俺があけるなら別。」

「やっぱりド変態じゃないの。」



 素っ気なく、冷たく容赦なく手は掃われて、僕だけが笑った。

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[一言] 旭くんてば(*´∀`)
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