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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第七章】 潰していた過去、取り戻した未来
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43  『記憶』




「どうして愛してくれなかったの、」



 母さんの泣き叫ぶ声で、夢に気づいた。



 夢のなかで僕は、むかしの子ども部屋にいた。

 常夜灯を点した薄暗い部屋に、二組の布団が隙間無く隣り合っている。その真ん中あたりで、小さな山がもぞりと動いた。


「……おにいちゃん、」


「……だいじょうぶだよ。」


 僕とひのでだ。毛布をかぶって身をまるくしている。


 部屋の外から響く喚きと怒号を聞きながら、幼い二人をみつめた。

 まるで防空壕に防災頭巾だな。十七歳の僕は、他人事みたいに薄く笑った。


 全然、大丈夫じゃなかったんだよな。しゃがみこんで、五歳の僕を覗き込んだ。幼心にも罪悪感があるのか、下唇を噛み締めている。

 この大嘘つきめ。この先、苦労するんだからな。届かない忠告を残す。


「……おにいちゃん、おにいちゃん……」


 ひのでが何度も僕を呼んでいた。瞼を堅く閉じて、必死に眠ろうとしている。

 毛布の上から妹に触れてみようにも、透けてしまう。夢なんだから当然か。

 災難だよな、今日に限って。時計の針が0時を越えている。三月二十一日になっていた。



「誕生日おめでとう、ひので。」



 感触の無い愛撫を繰り返しながら、届かない祝福を送った。






 そうだ。ひのでの誕生日の前日だったんだ。

 朝一番にプレゼントを渡して、びっくりさせようねって、みんなで計画していたんだ。

 プレゼントは内緒で買わなきゃって、母さんは父さんにひのでを任せて、僕と街に出たんだ。ひのでの大好きなキャラクターのぬいぐるみをみつけて、母さんはお店の人に、ピンクの包装紙と黄色のリボンを頼んだんだ。


「ちょっと、遊んでいこっか。」


 ぬいぐるみが包まれるのを待っている時に母さんが言った。「近くにね、お部屋の中にある遊園地があるのよ。」僕はその提案を喜んだ。


「お父さんと、ひのでには内緒よ。」

 母さんは口元で人差し指を立てた。


 遊園地につくと、母さんは電話で誰かと話し始めた。周りを見渡している。すると今度は、どこかに向かって大きく手を振って、電話をきった。

 手を振る先から一組の親子が近づいてきた。




 次の瞬間、目の前が、ぶれた。



 バグを起こしたテレビ画面みたいに、景色が、人影が、目に映るものが途切れてゆく。

 不鮮明な記憶が、僕を置き去りにして進んでゆく。

 十七歳の僕は瞼を擦りながら、必死に夢を目で追った。

 親子の、母親と思われる女の人が、僕と視線を合わせて会釈していた。


「はじ×ま×て、」


 ノイズみたいなのも混じってきた。たぶん今のは、「はじめまして」、だろう。


「旭。×の×はね、お母×んの、お友××。」

「よろ××ね、××ん。」


 女の人の顔がよく見えない。背格好だけなら小柄な人だ。


「ほら×××ない×、あん×も挨××て、」


 女の人は、後ろで隠れている子供を前に促しているみたいだ。

 ノイズが濃くなる。バグが強くなる。

 夢が、いよいよ見えなくなってゆく。



「………××××、×××、です。」



 あなたのお友だちよ。母さんが僕の背中に触れたところで、場面が替わった。






「今日ね、ゆうえんち行った。」

 切り替わった先は、自宅の脱衣所だった。父さんが僕の髪をわしわしと拭いている。

「よかったな。楽しかったか?」

 先ほどとは一変して、声も姿も鮮明な夢に戻っていた。


「お友だちと遊んだよ。」

 幼い僕が、得意気に話す。

「百香ちゃんも一緒だったのか?」


「ううん。ももかじゃないよ。」


 幼い僕が首を振る。



 …………っ、




 ………だめだ。それ以上は言うな。




 唐突に悪寒が走る。僕は幼い僕へ、届かない声を投げた。


「えっとね、お友だちの、おなまえね、」


 言うな…………言うな、言うな、言うな言うな言うな言うな言うな言うな言うな言うな言うな……!



「×××××××××。」



 ────────、







  今日、どこに行った?

  誰と、会っていた?

  旭を……誰に会わせたんだ……!



  ………………。



  ………旭に、会わせたわけじゃないわ


  あたしが会いたかったの あの子に




「あなたはあの子を、どうして愛してくれなかったの?」




 ────────。





 …………ようやく、理解した。



 どうしてあの日、両親(ふたり)が衝突したのか。

 兄妹(ぼくら)が、怯えなきゃならなかったのか。

 父さんが、離れてしまったのか。

 ひのでが、祝福されなかったのか。


 皆口家は立て直していたはずだった。過去になんて蓋をして、新しく、幸せになっていたはずだった。それなのにどうして、たった一晩で、崩れてしまったのか。



 “お父さんと、ひのでには内緒よ。”



 僕のせいだったんだ。

 母さんとの約束を、破ってしまったから。



 夢は記憶だ。僕は忘れたかったんだ。忘れちゃいけなかったんだ。事態が起きてしまってから消去しても、意味なんてないのに。無理やり握りつぶした記憶が、バグとなって夢を蝕む。


 あの日、母さんは僕を、



 “あなたのお友だちよ。”



 引き合わせたんだ。




 名塚(なづか)月乃(つきの)の、子に。





 “………××××、×××、です。”



 きみまで、消して、ごめん。

 どうしよう。顔も声も名前もみつけられないんだ。

 きみのこと、思い出せないんだ。


 きみをみつけられないんだ。



 これは、あやまちから目を背けた報いなのか────────











 枕元でスマホが震えている。

 目が覚めても現実に気づいても、体が動かない。暗い部屋に液晶の光がせわしく瞬いて、重たい右腕を伸ばした。


 『着信 雨宮糸子』


 画面を見るなり飛び起きて、耳に押し当てた。

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[良い点] 雨宮さん、きた!
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