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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第六章】 ふたつのなまえ
41/92

40  『子供』




 離婚の件……聞きそびれたな。

 帰宅後、事件について散々調べあげてから、僕は本日の面会を悔やんだ。

 もっと、今の話をするんだった。昔の話なんかより。

 悔やみつつも、また両親の結婚式写真を、ぼんやり眺める。両親の晴れ姿を見ていたはずの視線は、自然と名塚月乃へと移った。


 まるで、アイドルみたいなひとだ。マスコミや世間が食いつくのに、納得さえしてしまう。

 名塚月乃で検索をかけると、案の定、事件関連の記事と一緒に、大量の画像が出てきた。十七年も昔の事件だから多少の風化はあるにしろ、表立たないネット界隈では今でも話題に上がるらしく、不謹慎な書き込みも多く見受けられた。


 彼女の美貌の虜になる者。

 彼女の動機に憶測を立てる者。

 擁護する意見。同情する声。支持する言葉。

 神聖視されてゆく、名塚月乃。

 挙句には当時、彼女の『信者』とされる人間たちが、模倣事件を起こす例も少なからずあったらしい。


 現実世界で公にできない思想は、狂っていた。


 それだけじゃない。この世界では報道されていない些細な情報も筒抜けで、第一発見者である親族が、名塚月乃と同じ妊婦だったことにも触れていた。当然、その親族が県外へ雲隠れした件についても。


 不思議と憤れなかった。

 真相を隠していた両親にも、元凶である名塚月乃にも、事を煽ったマスコミにも、今もなお低俗に盛り上がる世間にも、一部の狂人的な『信者』にも。誰に対しても何に関しても、怒りが沸いてこない。

 実感が無いんだ。事件をどんなに調べようと、自分が被害者遺族だという実感が。



 [一番の被害者は子供]



 不謹慎な書き込みと並んで、よく目にした意見だ。


 [子供が可哀想][子供は親を選べない][巻き込まれた][子供に罪は無い][可哀想][被害者][被害者][被害者][子供は被害者]………低俗な言葉や、支持派の意見に混じって嘆かれる、『子供』への同情。

 その子供を指すのが、被害者遺族である僕なのか、名塚月乃の遺児なのか、あるいはどちらもなのか。

 個人的見解としては、後者だ。少なくとも僕は僕を被害者と思えない。巻き込まれたも何も、なんにも覚えちゃいないし、同情されても困るし、親を選べないなんて今さらだし。


 だけど、名塚月乃の子は、違う。







「つきのさんの子は、どうしたの?」


 ()()()についても、僕はぬかりなく追究した。

 父さんは目に見えて返答に窮していたけれど、すぐにまた降参の面持ちで口を開けた。


「手放したさ。」

 負い目のある言いぐさだった。父さんは視線を下げて、指の組み位置を何度も変えた。姿勢がおちつくと、今度は唇を数回かみしめた。鼻から、溜め息みたいな音を漏らす。


「お母さんは、最後まで、反対したんだけどな、」


 唐突に母さんが話に出てきて、一瞬混乱した。父さんも見た目以上に、動揺しているのかもしれない。

 僕は黙ったまま、父さんの話に耳を傾けた。



 名塚月乃が残した子は、兄夫婦である父さん達が引き取ると申し出た。父方の祖父母をはじめ、親戚中から猛反対を喰らったが、母さんが頑なに「育てる」と譲らなかったらしい。それが発端となり、名塚側の親族と、嫁である母さんの関係はこじれていった。

 板ばさみ状態の父さんは、最初こそ母さんに理解を示し、県外移住と姓の変更を盾に親族を説得して、丸く治めた。

 しかし徐々に、迷いが生じてきたという。



「子どもに罪は無いって、解っていたはずだったんだけどな……」



 弟の忘れ形見であり、名塚月乃の化身。遺児を抱くたびに父さんは葛藤した。いつしか葛藤に恐怖した。いつか、この小さな命が、憎悪への対象になってしまうのではないかと。

 迷い、怯えてまで、手元に置く資格があるのかと。


「だから手放したんだね、」

 僕の容赦ない問いに、父さんは言い訳一つせず頷いた。


 名塚月乃の子は生後四ヶ月で、彼女の知人夫婦に引き取られた。父さんは無断で、施設も斡旋団体も介せず養子縁組の手続きを進め、母さんが僕を定期健診に連れて行った隙に、遺児を引き渡した。

 当然、口論になった。母さんは泣いて喚いて怒鳴って、父さんを批難した。そして散々怒鳴り散らしてから、さめざめと泣き崩れた。


「どうして……」

 僕にはどうも理解できなかった。

「どうして母さんは、そんなに、」

 母さんがそこまで、名塚月乃の子に執着したのか。


「執着、とは、違うかもな。」

 父さんは薄く口端を動かした。


「子ども、だったんだよ。」


 こども?


(あきら)にとっては、(あさひ)と、同じだったんだろうな。」


 憶測だけであげれば、理由なんていくらでもあった。

 母さんと名塚月乃が、本当の姉妹のように仲が良かったこと。同時期に妊娠したこと。産まれたばかりの僕の存在。使命感も、憐れみも、投影も、全部ひっくるめて、母性だったではと父さんは語る。



「お父さんには、難しくてな、どうしても。」

 頭ではわかっていたんだ、と、父さんはちょっぴり言い訳を付け足した。


 今にして思えば、両親(ふたり)の最初の溝は、そこからだったという。

 赤ん坊が一人になったことで、母さんの負担は確実に減ったものの、それ以上に夫婦間に生じたわだかまりは大きかった。父さんは『手放した』つもりでも、母さんからすれば『捨てた』同然だ。間違いなく、二人の仲はぎくしゃくし始めた。

 父さんは信頼を取り戻そうと、必死になって家族に尽くした。家事も育児もなんだって協力した。僕のおむつ替えも、寝かしつけも積極的にやったし、休日だって家族優先に動いた。母さんと僕を第一にしてきた。



 少しずつ、少しずつ立て直し始めた()()()に、転機が訪れた。

 母さんの二人目の懐妊だ。



「ひのでがおなかに入ってから、陽はよく笑ってくれるようになったよ。」

 母さんは、まだ言葉のわからない僕に、膨らんでいない腹を触らせて、「お兄ちゃんになるのよ」と、言い聞かせていたらしい。性別が判明してからは、さらにさらに笑うようになった。



 ────りぼんの付いたドレスを着させたいの。大きくなったら、二人で目一杯おしゃれして、おでかけするわ。一緒にケーキ食べて、恋愛相談や内緒話だってするの。お父さんにも、旭にだって内緒よ。せっかく女の子産むんだから────



 母さんは未来の先に、幸せを信じていた。信じないと認めてしまうから、新しい幸せで、古い不幸に蓋をした。どうしても諦めたくなかった。理想で模った、幸せを。









 ピッ、ピッ、ピッ…………エアコンの調節音がする。目をこすると、百香(ももか)がリモコンをかざしていた。


「この部屋寒すぎ」だと、小言をこぼしている。

「こんな設定温度で寝ちゃだめだよ。体によくない。」

 たしかに、どことなくだるくて体が重い。節々を伸ばしつつ上体を起こした。冷房病って怖いんだよ? 小言を続けながら、百香は部屋を片付け始めた。片付けといっても開いたままのパソコンと閉じたり、散らばったペンを筆入れに納める程度だけど。


 勝手にいじんなよ。いつもだったら抗議の一つでもしてやるのに、今はどうでもいい。無気力にしていると、百香はすすっと近づいてきて、髪を耳にかけた。

「みてみて。新しいのあけちゃった。」

 右耳のピアス穴が一つ増えている。なんかね、ピアスって偶数良くないんだって。夏休みだし、これくらいアリだよねー。いつもの調子で、屈託のない笑顔を向けて、なんてことない話題を持ちかける。


「………今日さ、会ってきた。父親。」


 その優しい無神経に感謝して、僕は面会を報告した。百香の表情が微かに薄くなる。


「ちゃんと話せた?」

 僕は頷く。

「よかったじゃん。」

 いつもの彼女につられて、口角をあげた。


 それから簡単に、自分の話をした。

 名塚のこと。皆口のこと。事件のこと。今日父さんから明かされた一通りを、淡々と話した。百香は相槌もせず膝を抱えて聞いていた。


「百香もね、それとなくママに聞いたの、」

 それとなく?

「うん。旭んちって、何かワケアリなの? って。」

 直球じゃんか。僕は吹き出す。直球じゃないもん。母子手帳のこととか、言ってないもん。百香は唇を尖らせる。そしてすぐに話を戻した。


「事件とかまでは知らない感じだったけど、なんとなく、ワケアリの家ってのは薄々気づいてたっぽいよ。でも、ママはどうでもよかったんだって、」


 過去は過去、今は今。近所に越してきたのも、同世代の子どもがいるのも、何かのご縁。仲良くなれたのだから、立派なご縁。それが桂木家のスタンスなのだという。

 スタンス、なんて言葉を選ぶあたりが血統だなと思う反面、うちのあの母親が、百香の母親とだけは長年親しくしていられる理由に、納得ができた。


「おまえは、どうなんだよ?」

 突拍子もなく僕は訊ねた。

「百香はどうでもよくないよ?」

 即答するので、びっくりした。


「旭やひのでが、どうでもいいわけないじゃん。」

 小首を傾げてきょとんと言う。


「ワケアリのおうちでも、人殺しの家族でも、暴力沙汰起こしても、こよなくめんどくさくても、百香はどうでもよくない。」


 人殺しって……もっとオブラートに包めないわけ? 苦笑する僕に、百香は笑った。



「絶対見捨ててなんかあげないもん。百香だけはずっと味方でいてあげる。」



 いたずらに、あどけなくえくぼを見せる。



 ……厄介な女だな。うっとうしいし、馴れ馴れしいし、もう高二なのに、自分を名前呼びするし。せめて性根さえ腐っていれば、思いっきり嫌ってやれるのに。

 妹のきもちが、痛いほどに解ってしまう。



「やっぱ暑い。下げて、クーラー。」

「だめー。」

 リモコンを取り上げようしてかわされる。

 アイス買ってきたから、下階(した)で食べようよ。ドラマの再放送みるんでしょ? 百香がエアコンを切って腕をひっぱる。夏休みのなまぬるい夕方に、鼻の奥が痛くなった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] なるほどぉぉそうくるのかぁぁ…凄 実は事件にまつわる方のお話はまだ読み途中なんですけど、世界観が同じ物語がガッチャン!する展開胸熱です。追って正座して読まなきゃ!! [一言] まったく、ど…
2021/06/25 12:44 退会済み
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