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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第六章】 ふたつのなまえ
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39  『事件』




 父さんのマンション、もとい、昔の住居を訪れるのは何年ぶりだろう。

 小学生のとき、ひのでと一緒に何回か「お泊り」したけれど、いつの間にかその行事は無くなっていた。今にして思えば、たぶん母さんの介入があったのだろう。


 男独りで住むには広すぎる部屋は、テーブルや戸棚なんかの家具の配置が、僕らが居た頃のまんまで、ちょっとしたタイムスリップ気分に浸れた。


 てきとうに座っててくれ。言い残して父さんはどこかへ消え、それから五分としないうちに戻ってきた。何か手にしている。

「これって……」

 ひのでの母子手帳だ。

「探してたんだろう?」

 だからって別に、見たいわけじゃ。ぼやきながら手帳を受け取った。


 皆口旭と同じ、東京都北区の母子健康手帳。

 保護者は、皆口ひずると皆口陽。子の氏名は、皆口ひので。表紙の文字を一通り眺めてから開く。



 三月二十一日、帝王切開で産まれた、一八五〇グラムの女の子。



「俺の半分くらいじゃん、体重。」

「一ヶ月も早く産まれたからな。」

「今じゃ、俺より、背高いけど、」


 僕は自虐気味に笑った。つられて父さんも笑う。それからすぐに、どちらともなく、平らな感じの顔になった。


「ひのでだけ、産まれたときから皆口なんだね。」

 僕から口火を切った。

 父さんは少しの間だけ、無表情のまま止まっていたけど、やがて両膝に拳を乗せて、深々と頭を下げてきた。


「まず、謝らせてくれ。……おまえたちを巻き込んでしまって、すまない。」



 そんなこと言われても……、僕は返事のしようがなかった。どういった経緯を辿り、どんな事情を抱えて、今、父さんが謝罪に至っているのか、わからなかったから。返事どころか、許すことも許さないこともできやしない。

 無言のまま次の言葉を待った。


「名塚は、父さんと母さんと、旭の、本当の苗字だ。皆口は、変更した苗字なんだ。」


 先ほどの丁寧な説明とはうって変わって、父さんは結論から口にした。彼らしくない漠然とした説明に、僕はやっと返事をした。

「変更、って、家族まるごと?」

 父さんは頷く。

「ひのでが産まれる前の話だから、あの子だけ最初から皆口なのは、そういう理由だ。」

 それから深呼吸をして、僕をじっと見た。じっと見て、『ひのでが産まれる前の話』とやらを、語り始めた。




 母さんが僕を身ごもっていた頃の、話だ。

 名塚(なづか)姓の近しい親族が、大きな事件を起こした。不運にも、臨月の母さんが第一発見者として、現場(そこ)に居合わせてしまった。

 事件はテレビや週刊誌でも大きく取り上げられ、僕が産まれてからも報道は収束をみせなかった。

 父さんも母さんも、産まれたばかりの僕を育てながらの聴取、報道陣への対応、さらには好奇の目に晒される日々に耐え切れなくなってしまい、名塚の姓を捨て、皆口(みなぐち)姓に戸籍を変え、東京へと逃げた。母さんの旧姓である『瀬田(せた)』を名乗る案もあったのだけど、遠縁の親族がいい顔をしなかったらしい。



 と、ここまでを、父さんは慎重に語ってくれた。



 明らかに言葉を選んでいた。僕にわかりやすいようにとか、婉曲的にとか、そんな感じじゃなくて、どこか濁している。

 たぶん今の話に嘘は無い。でも、まだまだ語るに抵抗ある部分が身を潜めているのも明白だった。

 この父親(ひと)のことだ。濁すのは僕のためなのだろう。いつだって子供の気持ちが汲める人。親として相応しい人。そんな優しさがやりづらくて、時々、不憫な人。


「事件のこと、」


 でも僕は、このひとを傷つける。


「何があったのか、聞いても、いい?」


 このひとの子だから、このひとの子でもあるから。


 ……ごめんね、父さん。これから先、できるだけ迷惑かけないから。母さんのことも、任せてくれていいから。


 今日だけは、僕に傷つけられてくれ。────────









 『名塚(なづか) (さとる)



 ────父さんの、若くして亡くなったという弟……叔父の名で検索をかけると、くだんの、十七年前の事件とやらに関する記事は、次々と出てきた。有名なデータベースサイトから、物好きな個人サイトまで。

 僕はあえて個人サイトばかり覗いた。

 俗っぽいぶん、当時の報道状況や世間の反応が、生々しく感じられたし、何より、事件関係者の名前が、しっかり明記してあったから。


 叔父の名は、間違いなく記載されていた。『今播市会社員刺殺事件』という刑事事件の、被害者として。




   ==============================

【今播市会社員刺殺事件】

『3日朝、今播市の住宅で名塚(なづか)(さとる)さん(28)が胸など数十箇所を刺されているのを親族が発見。搬送先の病院で死亡が確認された。通報を受けた警官により、妻・名塚(なづか)月乃(つきの)容疑者(26)が現行犯逮捕された。事件当時月乃容疑者は妊娠中であり、同年九月に出産。出産一時間後、分娩台の上で首から血を流している月乃容疑者を助産師が発見。自殺とみられている。』

   ==============================




 サイトの文面は、ほとんど父さんの話どおりだった。この発見した親族というのが、おそらく母さんなのだろう。

 僕を身ごもっていた母さん……信じられないが、つまり僕も現場に居合わせていたというわけだ。そして、例の「つきのさん」の正体を、こんなかたちで知るとは思わなかった。


 名塚(なづか)月乃(つきの)は、叔父を殺害した加害者であり、僕の叔母だった。

 血の繋がりは無いけれど、僕ら一家にとって最も近しく、最も親しい親族だった。そして僕ら一家の平穏を、ぶち壊した元凶だった。

 加害者が彼女であったからこそ、この事件が必要以上に報道されたといっても過言ではない。

 サイトを読むにつれて、当時の過熱報道の実態が見えてきた。



 名塚月乃はもの凄くきれいな人だった。

 ただでさえこの事件は、妊婦の妻が夫を殺害し、出産直後には自らの命も絶ったという衝撃的な内容だ。それに加えて、名塚月乃の並外れた美貌が話題となり、各メディアはこぞって取り上げた。世間もそれに食いついた。特に大衆向けの週刊誌では、煽るような見出しで読者をひきつけ、低俗な話題での広がりもみせた。


 渦中の名塚家……両親の精神状態は、限界を超えていたと思う。


 被害者遺族として苦境に立たされながら、加害者親族としても扱われる理不尽。常につきまとう好奇の目。鳴り止まない電話。最悪の環境下で幕を開けた、初めての子育て……いろいろあったんだな、二人は。何も知らなかったんだな、僕は。



 “巻き込んでしまって……すまない。”


 ()()の終わりに、改めて謝っていた父さんを思い出す。

 耐えられなかったこと、我慢できなかったこと、逃げるという選択肢に、僕を巻き込んでしまったこと。

 二度目の謝罪は、机にぴったりと額をあてていた。

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