03 『巡逢』
登校するなり雨宮を探した。正確には雨宮本人ではなくて、雨宮糸子の名前だ。
昨日は素通りした二学年の学力診断結果の順位表を見上げてすぐ、目的の物はみつかった。
やはり雨宮糸子の四文字は、どの教科でも上位に挙がっている。一位は現代文と世界史だけだけど、それでも総合二位という好成績ぶりだ。
あらためて大した奴だなと感心している横で、かしゃりと機械音がした。
隣で、スマホをかざしている生徒がいる。順位表の貼り出しを撮っているみたいだ。
「親に自慢しようと思ってさ。」
視線が合うなり、はにかんで笑ったのは、もっと大した奴だった。
雨宮を上回る総合成績一位の優等生、仲村だ。
「学力診断って、通知表に載らないじゃん?」
照れくさそうにする仲村相手に、意見のしようがなかった。クラスも違うし面識も無い。有名人な彼の存在を、僕が一方的に知っているだけの関係だ。
仲村は人懐こい笑顔で続けた。
「あ。こんなことしてたなんて、内緒にしてよね。恥ずかしいから。」
「………俺が居なくなってから、撮れば良かったんじゃないのか?」
思わず突っ込んでしまった。仲村は「あはー。確かにー。」なんて笑う。
「でも、皆口くんになら見られてもいいかなって思ったんだ。」
彼の口からごく自然に出た「みなぐちくん」の音に、ぎょっとした。
「同学年なんだから、名前くらい知ってるよー。それにほら、皆口くんには球技大会で苦しめられたし。部活入ってないのに強いじゃん、バスケ。」
仲村は気さくにぺらぺらと喋り、その一方で僕は、彼の初対面らしからぬ態度に戸惑うばかりだった。
そのうち、廊下の端から他クラスの生徒たちの声が聞こえ始め、まだ距離があるうちから仲村を呼び、朝の挨拶をなげてきた。仲村も声をあげて返事をする。
「じゃあまたね。」
去り際にも人懐こい笑顔を残して、仲村は生徒たちのほうへ向かった。彼らと合流してすぐ、仲村が輪の中心に馴染むのが、目に見えてわかった。たった今、僕に向けていたのと同じ表情をしている。
耳に残る「みなぐちくん」の響きと、総合成績一位に堂々と掲げられた、仲村星史の四文字に、心臓がかゆくなった。
同じ優等生でこうも違うものなのか。斜め前方の座席にて、本日も真面目に授業を受ける雨宮を眺めながら、頬杖をついた。
今朝も僕らは、いつもどおり他人だった。
昨夜の件について僕は謝罪せず、彼女は咎めず、互いに声を掛け合わない。雨宮のうらめしい睨みや柄にも無い「クソガキ」の音は、しっかりと脳裏に焼きついているのに、視線の先にいる見慣れた孤立者とは一致し難くて、みたび困惑した。
そうしているうちに、仲村を引き合いに出した次第だ。
雨宮は孤立者だけど仲村は人格者だ。同じ優等生なのに。
僕の知る仲村星史は、いつだって友人たちに囲まれている。
普通学科の生徒でありながら、特進の生徒より成績が良く、文武両道。もちろん教師たちからの評判もいい。かといってそれを鼻にかけたりしないし、いたって親しみやすい人柄だ。
対人関係においても、不良っぽい生徒にもオタクっぽい生徒にも分け隔てなく接しているし、会話の振り幅も広い。
人格者である要素はこれだけで充分なのに、加えて透明感のある整った顔立ちをしているので、女子からの人気も高い。……にも関わらず俗っぽい噂は、一つとして無い。
つまり正真正銘、非の打ち所の無い優等生だ。
仲村の生き方が上手すぎるのか、雨宮の生き方が下手なのかは判らない。
とにかく、彼らの一位と二位の間には、想像以上に高い壁がそびえているようにみえる。
「……。……?」
勝手な考察にふけているうちに、雨宮の右袖から白い物がはみ出していることに気付いた。
包帯だ。彼女の手首を丁寧に護っている。
……やっぱりあのとき、怪我をさせていたのか。
視線を窓の向こうに流して、ため息をついた。
事なかれ主義とはいえ、僕なりのルールは存在してしまうのである。
雨宮との接触は予想以上に困難だった。
たかだかクラスメイトに話しかけるだけなのに、高校生とはまだ小難しい生き物で、「男子が」「女子が」だなんて意識は中学で卒業したはずなのに、対象がイレギュラーであれば順応できない。
雨宮はまさしくイレギュラーの塊だ。
周囲の目をあざむいて彼女に声をかけるのは不可能に等しくて、機会もつかめないまま今日が経ってゆく。
あっという間に放課後を迎え、最終的には尾行するかたちで雨宮を追い、普段は降りない駅まで辿りついてしまった。
「雨宮、」
やっとの思いで声をかけると、人の流れのなかで雨宮は振り向いた。
眉間に皺を寄せて警戒をみせる。驚く、とは違う感じだ。返事はしてくれず、さして重そうではない通学鞄を両手で、それも右手を庇うように持っている。
「あの……さ、手、大丈夫?」
手短に聞いたものの、雨宮は警戒心をむき出しに睨むばかりで口を噤み、会話に応じようとしない。
「その手首、昨日の……俺の、せいだろ?」
こちらが距離を詰めれば詰めた分、雨宮は後ずさる。どれだけ他人嫌いなんだこいつは……。交流が無くとも、素性の知れたクラスメイトだというのに。
ここまでの苦労も相まって、僕はいくぶん意地になっていた。
「怪我したんだろ? あのとき、」
つい語調が強くなってしまった。雨宮の表情がこわばる。また僕らの間に、気まずい空気が流れた。
「……き、……き、……気安く話しかけるんじゃないわよ、無能が。」
沈黙を破ったのは雨宮からだった。今度は僕が噤んでしまう。
どうやら、昨日が例外だったのではないらしい。こいつは結構、口が悪い。
「いや、心配してんだよ、これでも。」
「あ、ああああんたに心配される筋合いなんて、な、ないわよ。グズの分際で、」
いいや、かなり口が悪い。
畏縮している割にはいやに攻撃的だ。
「なくはないだろ。俺のせいなんだから、」
「ち、近づくんじゃないわよ下賤民っ、」
「下賤って……。いいから、手見せ────」
「旭?」
揉める僕らの間に、聞きなれた声が割り込んだ。
どこから見ていたのか、真後ろで百香が佇んでいる。
僕が彼女に気を取られている隙に雨宮は走り出し、気付いたときには昨夜同様、逃げられてしまった。
最悪だ。最悪に面倒くさい展開だ、とたんに察した。
丸一日散々気を配ったのに、ここへきて雨宮には逃げられ、一番厄介な奴に目撃されてしまった。
「旭、」
身動き取れないでいる僕を、百香はにこにこしながら覗き込んだ。
「百香ね、アイス食べたいなー。」
クレープでもいいよ? この辺、いっぱいあるし。百香の笑顔が何らかの取引を示唆するものなのか、単なる思いつきなのか、判断できなかった。
どちらにしても従っておくのが無難と察して、普段は降りない駅の、通らない改札を一緒にくぐった。