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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第五章】 欠けた星のおちる場所
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33  『再会』




 本末転倒だ。(くだん)の思い出話がへばりついて、混乱させる。

 暴力が嫌いだ。怪我をさせるのも怖い。こんな僕にした原因はひのでだと思っていたのに、僕自身、ひのでに怪我を負わせていたなんて。いったい何に怯えていたんだ、僕は。


 期末が近づく数学の授業。内容がまったく入ってこない。重要な時期に、厄介な話を聞いてしまったものだ。


 今、何ページだ? さっきのところ、もう黒板が消されている。まだ写してなかったのに。周囲を見渡すと、みんなノートじゃなくて問題集にペンを走らせている。そっか、こっちか。盗み見たページを捲ると、懐かしいものが目に飛び込んできた。


 蛍光色に図々しく並ぶ数字。雨宮の電話番号だ。


 割り込むようにあの日の記憶が蘇る。

 詰まらせた声、虚勢を張った態度、慌しい退散。想定外に手に入れた連絡先。残された部屋で、なかなか元に戻らなかった、にやけ顔。



 ……ただでさえ混乱しているのに、出てきてくれるなよ。



 真面目に授業を受ける彼女の背中に、訴えかけた。

 小奇麗に結われた三つ編みを、長いこと見ていない気がする。遠い昔みたいだな。月日なんて、たいして経っていないのに。

 問題集を捲っただけの状態で、終礼が鳴った。






 期末を控えた放課後は、ひと気が引くのが早い。

 閑散を待ちわびて、映写室へ足を運んだ。なんだか久しぶりだな。パイプ椅子に寄りかかって、部屋中を見渡す。

 相変わらずいい隠れ家だ。空調は整っているし、外からの音は聞こえないし、この狭さもちょうどいい。一人だとちょっぴり広いけれど。

 気が済むまで見渡して、目を閉じた。また、無駄に考える。


 ここに彼女がいないのは、平穏を生きている証拠だ。


 友人に恵まれ、地位を得て、容姿を着飾り、若さを謳歌している証拠。

 そして、もう踏み躙られることもない、証拠。

 僕に関わらなければ、暴虐と関わらなくていいんだ。最高の結果じゃないか。見ていたんだから、彼女を。


 見ていたんだ。雨宮のなかに、僕を。


 一方的に、虫けらみたいに、手も足も出なくて、身体じゅうに傷を作って。その姿が、ひのでに負かされる自分みたいで。だからだと思っていたのに。


 何に怯えていたんだ。誰を満たしたかったんだ。真実がみえなくなってしまう。平穏が、こんなにも忌々しい。

 僕は今、空っぽだ。殻みたいな身体は頼りなくて、すかすかする。


 すかすかに、生きている。




「────────……っ…、」


 甘いにおいに触れて瞼をあけた。妹と、同じにおい。


 期待と疑いが誘う。

 抗うな。きっと、来ている。いつもそうなんだ。願いすぎると来てくれるんだ、彼女は。


 まぼろしみたいに。



「……雨宮(あめみや)、」



 入り口で佇んでいる長い黒髪と薄化粧。短くなったスカートに、大きめのカーディガン。


 懐かしい空間の、懐かしい再会に、新しい彼女が現れた。



 何か声をかけないと……僕は言葉を捜した。頭ん中の、ありとあらゆる引き出しをひっくり返しても、気の利いたものが出てこない。


「丁度良かったわ。」

 先手を打つように雨宮は口を開いた。身じろぐ僕の手を掴んで、何かを握らせる。


「これ、期末の答案。」


 やっぱり今回も動いていたのか。渡された物が新しいUSBメモリだと確認すると、彼女の暗躍にため息が出た。


「仲村の命令か、」

 聞くと、雨宮は首を振った。


「あたしの意思。」

「うそつけ。」

「本当よ。あたしの行動は、全部自分の意思。」


 気丈に言い切る。空気が張り詰めた。


「もうあの変な喋り方、しねえの?」煽るようにくだけた。

「お望みならそうするけど?」雨宮は冷たく言い放つ。

「それも、おまえの意思?」


 また張り詰めた。お互い、凍ったみたいに睨み合う。


 何か言ってこいよ、いつもの豊富な悪口。心のなかで挑発した。

 こっちだって、たまには言い返してやるから。おまえ、全然似合ってねーから、その髪型。化粧、下手だって、ブスだって言ってたからな、うちの妹。反撃の準備はいくらでもできていた。



 次の瞬間、雨宮は逃げ出した。


 驚いている間にも足音は遠ざかってゆく。



「────ッの野郎……!」



 後を追って廊下へ飛び出した。だいぶ小さくなった背中めざして、全速力で走る。

 距離はあっという間に縮まった。


「なんでついてくんのよっ、」

 走りながら雨宮は叫ぶ。

「なんで逃げるんだよっ、」

 僕はお構いなしで追った。


「あんたが追いかけてくるからでしょ!」

「おまえが逃げるからだろ!」


 校舎内を慌しく駆け回る僕らは揃って滑稽で、まるで回し車で遊ぶハムスターだ。現に、僕はちょっと遊んでいた。雨宮の逃走なんてほとんど無駄な足掻きで、あと少し本気を出したら容易く追いつきそうだったから。限界寸前なのかもう息が切れている。必死で逃げる余裕のない彼女を、いくらでも眺めていられる気がした。

 甘いにおいに鼻がなじんで、どうでもよくなってゆく。




 教室を終着点に彼女の逃亡劇は幕を閉じた。座り込んでぜえぜえ言っている。体力もないくせに無茶するからだ。一足先に呼吸を整えて、隣に座った。


「似合ってねーぞ、髪型。」

 からかってみる。


「う……うるさいわね。」

「化粧、下手だな。」

 うるさいわね。まだ息を切らしている雨宮がとことん滑稽で、笑えた。

「スカート、短くね?」

 意地の悪い僕が始まって、裾を摘んで捲る。即座に雨宮の手が制裁を加えてきた。



「訴えて勝つわよ。」



 ひっぱたかれた部分をさすって、また笑った。けっこう大声で笑った。雨宮は目を据わらせて、変な顔で黙っていた。教室に僕だけの声が響いて、通りかかった教師に早く帰るよう、注意された。








「ご苦労なこった。」

 USBを(かざ)してあきれながら言った。雨宮はふんと鼻を鳴らす。さすがにもう走る気力も体力も残ってないのか、おとなしく歩いていた。


「おまえは何がしたいわけ? 結局。」

 隣を向くと、雨宮が不機嫌に「は?」と眉をひそめた。

「だからさ、こんなリスク冒してまで俺の成績上げて、なんの意味あんの?」

 続く質問に、更に機嫌を悪くする。


「つけあがるんじゃないわよ。あんたじゃなくて、セージさまのためよ。」

 またそれか。僕は頭をかいた。


 わかってはいたけれど、いや、わかっているからこそ、いつも話が進まない。この隷属性や心酔ぶりが、さも当然のように彼女は振舞うけれど、根本は未だ明らかにされていない。それさえ判明すれば、もしかしたら納得も協力もあるかもしれないのに。一度たりとも、何も説明してくれない。


「今、セージさまが一番喜ぶのは、あんたが順風満帆に過ごすことなのよ。」

 雨宮は尚も、尽くすことだけを口にする。

「それのどこが自分の意思なんだよ、」

 僕は先ほどの彼女を蒸し返した。

 否定してたけど、結局命令こなしてるだけじゃん。要は言われるがまま動いてる、そんなの、意思じゃないだろ。きびしめに追及しても、雨宮は確固として態度を変えない。


「意思よ。あたしは自分の欲望をまっとうしているだけ。」


 欲望、ねえ。苦笑まじりに呟いた。

 似つかわしくない発言だな。物欲とか無縁そうなのに。まあ、最近はそれなりに女子高生のかたち、しているけれど。改めて観察していると、視線が合うなり素っ気ない表情が睨んできた。あ、やっぱり、こいつはこいつだ。


「アイスでも食って帰る?」

 話を捻じ曲げた。

「………なんでよ、」

「暑いし。奢るからさ。な?」

「お断りよ。」

「あっそ。じゃあこれ捨てよっかなー?」


 USBメモリを握ったまま歩道橋から腕をのばすと、雨宮はわかりやすく慌てふためいた。


「なっ、なに考えてんのよバカ!」

 身を乗り出して阻止しようとするが、身長が足りなくて危なっかしい。

「今回そうとう自信無いからなー。三桁かも、順位。仲村失望するだろうなー。」

 雨宮が落下しないように、支えつつ煽る。

「わ、わかったわよ! 奢られてやるわよ!」

 観念してくれたところで、USBを胸ポケットにしまった。

「…………ハーゲンダッツよ、イチゴ味。」

 ふて腐れながらも、ちゃっかり要求してくる。


「サーティワン近いからそっちにしてよ。」

「さあてぃ?」

「苺のもあるからさ。しかもチーズケーキ入り。」


「……なんだっていいわよ。」

 そのわりには足早に、歩き始めた。

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