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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第五章】 欠けた星のおちる場所
33/92

32  『面倒』

※諸事情により本日二本目です。(2021/4/12)※




 久しく百香が買い物に誘ってきたのは、期末試験が来週に迫った放課後だった。一応特進の生徒でありながら、彼女はどうも意識が低い。


「たった一日、しかも二時間程度。影響無いもん。」

 それが言い分である。


「糸子ちゃんがね、もうすぐ誕生日なの。」

 物色中に本日の目的を告げられた。雑貨屋を中心にはしごして、商品を手にとっては戻すを繰り返す。なかなか納得のいく物はみつからないらしい。

「旭も何か考えてよ。そのために連れてきたんだから、」

 身勝手な人選だな。不本意ながら渋々商品を眺めた。女子の喜びそうなものなんて、これっぽっちもわからない。ましてや雨宮の好みなんて。


「だって、もともと糸子ちゃんと仲良かったのは、旭のほうじゃん。」


 百香はいうけれど、そこはけっこう込み入った複雑なところだ。ここ最近は、特に。





 仲村との距離が縮まるにつれ、雨宮への執着が薄れてゆくのを感じていた。

 今の僕はたぶん、彼女を、雨宮糸子を見ないようにしている。それは垢抜けた彼女に嫌気がさしたとか、彼女を僕の知る雨宮と認められないとか、そんなセンチメンタルな理由じゃなくて、単純に僕の要領の悪さの問題だ。


 仲村を受け容れつつある心境で、雨宮と以前のような関係を築ける自信が無かった。

 雨宮とは、もうただのクラスメイトだ。もっといえば『幼馴染の友人』。彼女からしても僕は、『友人の幼馴染』なのだろう。最近は、百香を介す程度にしか口を交わさない。

 完全な他人に戻るより、関係は破綻しているかもしれない。


 反対に、仲村とは以前より行動を共にするようになった。最初の訪問以降さらに数回、泊りにも行った。いずれも彼の両親が留守の日で、明け方まで起きてたり、遊び歩いたりして、接し方もよりフランクに、腹の底から笑う場面も増えた。



 これ以上、欲張るもんじゃない。



 現状に不満は無い。生活に不備も無い。今ここで、下手に手を出したら壊れてしまう。

 例えばまた僕が雨宮に接近して、それを仲村が寛容する保障なんて、無い。また見たくない彼らを目にしてしまうかもしれない。


 新しく完成した今を、手放すことになるかもしれない。それだけは避けたかった。

 この日常を続けるかぎり、もう仲村が暴虐に走ることはない。もう雨宮が、ゴミのように扱われることもない。



 いつか、仲村にひのでを見た。雨宮に、僕を見た。



 くだらない。僕は仲村と接することで、妹と和解した気になっている。

 雨宮が平穏無事に過ごすことで、自己愛をまっとうしている。それでいいやって、思い始めている。

 ぜんぶ要領の悪さの、いいわけかもしれないけれど。







「ねえ、これなんてどうかな?」

 さっきから繰り返し百香は聞いてくる。ペンダント、髪留め、リップグロス、ぬいぐるみみたいなクッション。今度はピアスだ。雫を模したデザインをしている。


「雨宮って名前に、ぴったりじゃない?」

「あいつ、ピアスあけてないだろ、」

「やってみたらってオススメしたら、まんざらじゃなかったもん。」


 変なこと奨めんなよ。ピアスを取り上げて棚に戻した。頑固オヤジみたいだと百香が笑う。彼氏ヅラってより、オヤジヅラだよね。いちいち二回言う。


「いっそ、ピアッサーごとプレゼントしちゃおっかなー。」

 ばか、ふざけんな。慌てて制止すると、三回目のオヤジ扱いを受けた。


「今どきふつうなんだけどなー、こんなの。」

 そういう百香の両耳には一つずつ、ピアス穴があいている。高校に入ってからの、まだ歴の浅い穴だ。ひのでみたいなのとつるんでいるのだから、女子という性質上、中学くらいからあけていても不思議じゃないのに、変なところで真面目な女だと思う。でも、それとこれとは話が別だ。


「体に穴あけるとか考えられない。」

 率直な意見をのべた。


「オヤジさん的には、「親から貰った大事な体を~」ってやつですか?」

 百香が真面目くさった口調で聞いてくる。ちっげーよ、ばか。

「耳に針刺すとか、絶対痛えじゃん。しかも、傷口飾るとか怖すぎ。」


「えー? せっかく痛い思いしたんだから飾るんじゃん。」


 何食わぬ顔で百香は言った。今度はさも真面目だ。はあ? 僕は訝しんだ。


「ほら、出産と同じだよ。」


 なお理解不能だ。頭上に疑問符を浮かべる僕を放置して、百香はまたピアスを物色しだした。「あっ、これかわいー。」たぶんプレゼントと関係無い物色である。

 柵状の棚一面に陳列されたピアスは、正直どれも同じに見えた。どれも雨宮に似合いそうにない。



「もう時効だから言うけどね、ひのでの最初のピアスあけたの、百香なの。」



 一瞬止まって百香のほうを向いた。

 のんきに、両手に商品をとって見比べている。


「最初って、小5ん時の?」

 僕はやがて聞いた。



「うん。」学校のトイレで? 「うん。」あっさりとした答えが返ってくる。


「なんでまた、」

 僕は眉間に皺をよせた。

 百香は、んー……と、またのんきに考え込んだ。


「女の子って、色々あるものなの。」


 いろいろ……。うん。いろいろ。それ以上説明してくれそうになかった。


 消化不良な疑問が残る。

 なんで百香が、そんなことをしたのか、はたまた、ひのでがさせたのか。当時の二人に、どんな契約が交わされたのか。「女の子」とは、百香なのか、ひのでなのか。いろいろ、の、なかみとは……


「めんどくさいな、女って。」

 考えるのを放棄してぼやく。

「男もたいがいだよ。」

 まさかの反撃に、ぐうの音もでない。


「特に旭は、秀でためんどくささだよね。」

 反撃は平然と続いた。彼女からすれば、攻撃でも反撃でもないのだろうけど。


 散々悩んだ挙句、やっぱりあっちのお店にしようと、次の店舗へ向かった。

 ここでもまた百香は商品を見比べ始める。隣で、僕も陳列棚に手をのばした。

「具体的に、どんなところだよ?」

 一緒に探すふりをして聞く。


「なにが?」

「俺の、秀でためんどくささ。」


 言い回しをそのまま使う。百香は無遠慮に、「いっぱいあるけど、」と前置きした上で、

「一番は、ひのでに絶対手をあげないとこかな、」と答えた。


 まさかの返答に、僕は口を開けたまま固まる。百香はお構いなしに続けた。



「喧嘩になっても、ボロクソ言われても、一方的にボコボコにされても、絶対殴り返さないよね。そういう男女差をわきまえてるところ、こよなくめんどくさい。」



 独特な言い回しが、褒めているのか貶しているのかを曖昧にする。


「いや……いやいやいや、単純に太刀打ちできないだけだから、」

 なんにせよ全否定した。あいつの蹴り、食らったことないだろ? ほんと一発で息できなくなるから。女の力じゃないし、反撃する余裕なんて無いから。


「本気で言ってるの?」

 百香は少し、怪訝な顔をした。


「旭が本気で喧嘩したら、ひのでだって敵わないよ。女の子だもん。」


 すっぱりと言い切る。また口を半開きにしていると、今度は慎重に顔を覗き込んできた。


「ちっちゃいころさ、ひのでと喧嘩して怪我させちゃったの、覚えてる?」

 全然記憶にない。間髪いれず返事した。

「あったよー。旭ってば、ひのでより大泣きしてたもん。」

 百香の思い出話は、僕からきれいに消えていた記憶だった。




 ひのでが小学生になったばかりのころ、僕たち兄妹は喧嘩をして、僕はつい妹を突き飛ばしてしまった、らしい。

 ひのでは花壇の石積みに背中を打って、怪我をした。服に血が滲んで、慌てて病院に駆け込んだけれど、幸い大事に至らなかった。ひのでも怪我が見えない箇所だったせいか、けろっとしていたのに、僕はずっとわんわん泣いていた、らしい。




「あれに懲りたんだって思ってた。」

 百香は含みのある呟きのあと、すぐにまた陳列棚に向かって、かわいー、を連呼しだした。


並んで一緒に商品を眺めた。硝子のフォトフレーム、持ち手が猫の形をした傘、お菓子みたいな置き時計。

 華やかな自己主張のなか、一本のボールペンに目が留まる。



「……。これがいいんじゃないか、」

 濃紺と白銀の、シンプルなボールペン。



「なんか、あいつっぽい。」


 機能性重視で、華が無くて、無駄に小奇麗で……

 眺めたまま立ち尽くす僕の手から、百香は奪うようにペンを取り上げた。



「ほんっと、めんどくさい。」



 レジが混んでいたので店の外で待つことにした。ほどなくして会計を終えた百香が戻ってきて、帰る前にアイスをせがまれた。今日付き合ってあげたのは、僕なのに。

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