32 『面倒』
※諸事情により本日二本目です。(2021/4/12)※
久しく百香が買い物に誘ってきたのは、期末試験が来週に迫った放課後だった。一応特進の生徒でありながら、彼女はどうも意識が低い。
「たった一日、しかも二時間程度。影響無いもん。」
それが言い分である。
「糸子ちゃんがね、もうすぐ誕生日なの。」
物色中に本日の目的を告げられた。雑貨屋を中心にはしごして、商品を手にとっては戻すを繰り返す。なかなか納得のいく物はみつからないらしい。
「旭も何か考えてよ。そのために連れてきたんだから、」
身勝手な人選だな。不本意ながら渋々商品を眺めた。女子の喜びそうなものなんて、これっぽっちもわからない。ましてや雨宮の好みなんて。
「だって、もともと糸子ちゃんと仲良かったのは、旭のほうじゃん。」
百香はいうけれど、そこはけっこう込み入った複雑なところだ。ここ最近は、特に。
仲村との距離が縮まるにつれ、雨宮への執着が薄れてゆくのを感じていた。
今の僕はたぶん、彼女を、雨宮糸子を見ないようにしている。それは垢抜けた彼女に嫌気がさしたとか、彼女を僕の知る雨宮と認められないとか、そんなセンチメンタルな理由じゃなくて、単純に僕の要領の悪さの問題だ。
仲村を受け容れつつある心境で、雨宮と以前のような関係を築ける自信が無かった。
雨宮とは、もうただのクラスメイトだ。もっといえば『幼馴染の友人』。彼女からしても僕は、『友人の幼馴染』なのだろう。最近は、百香を介す程度にしか口を交わさない。
完全な他人に戻るより、関係は破綻しているかもしれない。
反対に、仲村とは以前より行動を共にするようになった。最初の訪問以降さらに数回、泊りにも行った。いずれも彼の両親が留守の日で、明け方まで起きてたり、遊び歩いたりして、接し方もよりフランクに、腹の底から笑う場面も増えた。
これ以上、欲張るもんじゃない。
現状に不満は無い。生活に不備も無い。今ここで、下手に手を出したら壊れてしまう。
例えばまた僕が雨宮に接近して、それを仲村が寛容する保障なんて、無い。また見たくない彼らを目にしてしまうかもしれない。
新しく完成した今を、手放すことになるかもしれない。それだけは避けたかった。
この日常を続けるかぎり、もう仲村が暴虐に走ることはない。もう雨宮が、ゴミのように扱われることもない。
いつか、仲村にひのでを見た。雨宮に、僕を見た。
くだらない。僕は仲村と接することで、妹と和解した気になっている。
雨宮が平穏無事に過ごすことで、自己愛をまっとうしている。それでいいやって、思い始めている。
ぜんぶ要領の悪さの、いいわけかもしれないけれど。
「ねえ、これなんてどうかな?」
さっきから繰り返し百香は聞いてくる。ペンダント、髪留め、リップグロス、ぬいぐるみみたいなクッション。今度はピアスだ。雫を模したデザインをしている。
「雨宮って名前に、ぴったりじゃない?」
「あいつ、ピアスあけてないだろ、」
「やってみたらってオススメしたら、まんざらじゃなかったもん。」
変なこと奨めんなよ。ピアスを取り上げて棚に戻した。頑固オヤジみたいだと百香が笑う。彼氏ヅラってより、オヤジヅラだよね。いちいち二回言う。
「いっそ、ピアッサーごとプレゼントしちゃおっかなー。」
ばか、ふざけんな。慌てて制止すると、三回目のオヤジ扱いを受けた。
「今どきふつうなんだけどなー、こんなの。」
そういう百香の両耳には一つずつ、ピアス穴があいている。高校に入ってからの、まだ歴の浅い穴だ。ひのでみたいなのとつるんでいるのだから、女子という性質上、中学くらいからあけていても不思議じゃないのに、変なところで真面目な女だと思う。でも、それとこれとは話が別だ。
「体に穴あけるとか考えられない。」
率直な意見をのべた。
「オヤジさん的には、「親から貰った大事な体を~」ってやつですか?」
百香が真面目くさった口調で聞いてくる。ちっげーよ、ばか。
「耳に針刺すとか、絶対痛えじゃん。しかも、傷口飾るとか怖すぎ。」
「えー? せっかく痛い思いしたんだから飾るんじゃん。」
何食わぬ顔で百香は言った。今度はさも真面目だ。はあ? 僕は訝しんだ。
「ほら、出産と同じだよ。」
なお理解不能だ。頭上に疑問符を浮かべる僕を放置して、百香はまたピアスを物色しだした。「あっ、これかわいー。」たぶんプレゼントと関係無い物色である。
柵状の棚一面に陳列されたピアスは、正直どれも同じに見えた。どれも雨宮に似合いそうにない。
「もう時効だから言うけどね、ひのでの最初のピアスあけたの、百香なの。」
一瞬止まって百香のほうを向いた。
のんきに、両手に商品をとって見比べている。
「最初って、小5ん時の?」
僕はやがて聞いた。
「うん。」学校のトイレで? 「うん。」あっさりとした答えが返ってくる。
「なんでまた、」
僕は眉間に皺をよせた。
百香は、んー……と、またのんきに考え込んだ。
「女の子って、色々あるものなの。」
いろいろ……。うん。いろいろ。それ以上説明してくれそうになかった。
消化不良な疑問が残る。
なんで百香が、そんなことをしたのか、はたまた、ひのでがさせたのか。当時の二人に、どんな契約が交わされたのか。「女の子」とは、百香なのか、ひのでなのか。いろいろ、の、なかみとは……
「めんどくさいな、女って。」
考えるのを放棄してぼやく。
「男もたいがいだよ。」
まさかの反撃に、ぐうの音もでない。
「特に旭は、秀でためんどくささだよね。」
反撃は平然と続いた。彼女からすれば、攻撃でも反撃でもないのだろうけど。
散々悩んだ挙句、やっぱりあっちのお店にしようと、次の店舗へ向かった。
ここでもまた百香は商品を見比べ始める。隣で、僕も陳列棚に手をのばした。
「具体的に、どんなところだよ?」
一緒に探すふりをして聞く。
「なにが?」
「俺の、秀でためんどくささ。」
言い回しをそのまま使う。百香は無遠慮に、「いっぱいあるけど、」と前置きした上で、
「一番は、ひのでに絶対手をあげないとこかな、」と答えた。
まさかの返答に、僕は口を開けたまま固まる。百香はお構いなしに続けた。
「喧嘩になっても、ボロクソ言われても、一方的にボコボコにされても、絶対殴り返さないよね。そういう男女差をわきまえてるところ、こよなくめんどくさい。」
独特な言い回しが、褒めているのか貶しているのかを曖昧にする。
「いや……いやいやいや、単純に太刀打ちできないだけだから、」
なんにせよ全否定した。あいつの蹴り、食らったことないだろ? ほんと一発で息できなくなるから。女の力じゃないし、反撃する余裕なんて無いから。
「本気で言ってるの?」
百香は少し、怪訝な顔をした。
「旭が本気で喧嘩したら、ひのでだって敵わないよ。女の子だもん。」
すっぱりと言い切る。また口を半開きにしていると、今度は慎重に顔を覗き込んできた。
「ちっちゃいころさ、ひのでと喧嘩して怪我させちゃったの、覚えてる?」
全然記憶にない。間髪いれず返事した。
「あったよー。旭ってば、ひのでより大泣きしてたもん。」
百香の思い出話は、僕からきれいに消えていた記憶だった。
ひのでが小学生になったばかりのころ、僕たち兄妹は喧嘩をして、僕はつい妹を突き飛ばしてしまった、らしい。
ひのでは花壇の石積みに背中を打って、怪我をした。服に血が滲んで、慌てて病院に駆け込んだけれど、幸い大事に至らなかった。ひのでも怪我が見えない箇所だったせいか、けろっとしていたのに、僕はずっとわんわん泣いていた、らしい。
「あれに懲りたんだって思ってた。」
百香は含みのある呟きのあと、すぐにまた陳列棚に向かって、かわいー、を連呼しだした。
並んで一緒に商品を眺めた。硝子のフォトフレーム、持ち手が猫の形をした傘、お菓子みたいな置き時計。
華やかな自己主張のなか、一本のボールペンに目が留まる。
「……。これがいいんじゃないか、」
濃紺と白銀の、シンプルなボールペン。
「なんか、あいつっぽい。」
機能性重視で、華が無くて、無駄に小奇麗で……
眺めたまま立ち尽くす僕の手から、百香は奪うようにペンを取り上げた。
「ほんっと、めんどくさい。」
レジが混んでいたので店の外で待つことにした。ほどなくして会計を終えた百香が戻ってきて、帰る前にアイスをせがまれた。今日付き合ってあげたのは、僕なのに。




