30 『時間』
「きょうだいって、こんな感じなの?」
床のほうから仲村は尋ねてきた。体を起こして隣を見おろすと、夏毛布を半分捲った状態で、寝転びながら肘をついている。
まもなく午前四時。ゲームに白熱するあまりこんな時間になったのに、まだ寝たくないみたいだ。お客さんなんだからとベッドを譲ってくれたのはいいが、客人に睡眠の自由は与えてくれないらしい。
「俺、一人っ子だから新鮮でさ、こういうの。」
オレンジ色の常夜灯の下で、まだ喋り足りないとばかりに会話をせがんでくる。
「いや、どうだろ。」
ぼんやりしながら答えた。
「皆口くん、お兄ちゃんじゃん。妹さんいるじゃん。」
返答に満足いかなかったらしい。
「一緒に遊んだりしないの? 買い物とか、おでかけとか。テレビ一緒に観てあーだこーだ言ったり、彼氏できたーとか、彼女と喧嘩したーとか、そういうのないの? いろいろ。」
……想像するだけで鳥肌が立つ話をまくしたててくる。妹に幻想を抱きすぎだ。
「年子だし、あんまり兄貴って意識無い。」
「なにそれ、つまんなーい。」
不満の色を消さない仲村に、ついかちんとなって、今度は僕がまくしたてた。
「あのな、妹なんて、そんないいもんじゃないからな? 生意気だし口悪いし、すぐ手も足も出てくるし。無駄に色気づいてばっかで猛獣だって、あんなの。仲良く遊ぶなんてまず無い、絶対無い。だいいちあいつなんて俺を見下しまくってるから。実際あいつのほうが背高いし、つか、勉強も運動も喧嘩も、勝てないし……」
……妹の実体を明かしているつもりが、いつの間にか個人的な嘆きになっていて、情けなくなった。
「あはー。不憫なお兄ちゃん。おーよしよし。」
へこむ僕に、仲村は心にもない慰めの声をかけた。笑い事じゃねーよ。
「イヨさんもさ、けっこう不憫なひとなんだ。っていうか、痛い女。」
からかう延長で、笑いながら仲村は言った。
「痛い?」
僕は首を傾げる。
「十代のころ失恋してさ、そのとき好きだった男をずっと引き摺ってんだよ。見たでしょ、あの恰好。あれって、片想いしてた男の好みに合わせてるんだって。」
本人不在にも関わらず潜めた口調で話す。ここだけの話、と、たまらなく面白そうに、活き活きと。
それは……、たしかに痛いかも。
想像以上のエピソードに、僕はつい顔をひきつらせた。でしょでしょ、と、仲村は声を潜めたまま笑う。こういう甥を持ってしまったのも不憫の一つだなと思ってしまったのは、秘めておいた。
「でもそういう執念深いところ、嫌いじゃないんだ。正直尊敬っていうか。」
「いや尊敬してるようには見えねーよ。執念深い、とか言ってる時点でばかにしてるよな、じゃっかん。」
これは秘めず口にした。
「いやいやいや、最高の褒め言葉だよー。」
やはり彼は動じない。
「だから彼女には遠慮したくないし。嘘もつきたくない。」
そこまで話すと仲村は、よいしょと上体を起こし、僕のほうを向いて正座した。
「だけどね、今日、久しぶりに嘘ついちゃったんだ、」
反省したように告げる。
うそ?
「きみのこと、友だちって言っちゃった。」
それが、嘘?
間をおいて尋ねると、うん、としっかり頷く。
「だって皆口くんは、友だちだなんて思ってないでしょ? おれのこと。」
まっすぐに見据えて口角を上げる。
……やっぱり、見透かしてしまうんだな、こいつは。今一度、仲村星史という男に打ちのめされる。
この日常が、すべて彼の手中なのだと思い知らされる。
それなのに、いつからか消えていた脅威が戻ってこない。彼が全然、怖くない。
「俺とさ、しようよ。」
正座したまま、表情だけが人懐こいかたちに崩れた。なんだよ、やぶからぼうに。
「妹さんとしてなかったこと、ぜんぶだよ。晩くまでゲームしたり、テレビ観たり、遊び行ったり、好きな人の話も、しよう。十七年分、ぜんぶ。」
夢を語るように、一つ一つ指を折る。ひらめきは止まらなくて、仲村は次々と「したいこと」を挙げていった。
「一晩中バイクに乗るのもいいなあ。」「海見に行くとか青春っぽくない?」「もうすぐ夏休みだし旅行とかもしたいね。」……どんどん指を折る。
「友だちじゃなくてもいいからさ。」
薄暗い、オレンジ色の灯かりの下で、屈託のない笑顔に囚われた。
「……一晩中って、運転すんのは俺じゃん。」
「そこはほら、おいおいお返ししますんで。」
折っていた指をぱっと広げる。なんだよ、おいおいって。寝転がって天井に向かって、笑った。
気づけば外が白み始めている。もう五時じゃん、いい加減寝るぞ。枕に顔を伏せた。
「夜更かしはお泊りの醍醐味なのになー。」
床のほうから寝息が聞こえ始めたのは、それから十分と経たないうちだった。
隣を覗き込むと、仲村が無防備に安らいでいる。
散々付き合わせておいてそれかよ。明るくなってきた部屋で、僕はしばらく彼を眺めた。
時間ってのは厄介だ。
共有していると、自然と、いろいろなことがわかってしまう。新しいものがやたら美しく、反対に、古いものはもういいのかもって。
厄介だな、おまえは。忘れたくなかったことに、蓋をしてしまう。
都合がいいな、僕は。
都合がよくて、賢明で、大人だ。
瞼が重くなってきた。視界がぼんやりする。彼が、白く霞んだ。




