29 『友達』
「すごいすごいっ。」
バイクを見るなり仲村は目を輝かせた。
「これ乗るの? やっば、不良デビューだ。」
不良のハードル低いな。はしゃぐ彼にスペアのメットを手渡すと、ためらい無く被った。それどころか早く早くと急きたてる。
「あれだね、パラリラパラリラってやつ。」
「何時代だよ。あ、絶対手離すなよ。死ぬから。」
拳をあげてふざけていたので忠告すると、素直に下げて肩に置いた。
「もち。離さないって。」
杞憂していたけれど晴れてよかった。梅雨もそろそろ明けるのだろう。乾いた地面に感謝してエンジンをかけた。
仲村はちゃんと肩に摑まっている。摑まる箇所、後ろにもあるんだけどな。説明しようと思ったけどやめた。雨宮や百香なら腰辺りに手を回していたから、そうじゃないだけよしとした。
今夜は、約束の日。僕は彼の『お願い』を叶える。
母さんには事前に伝えておいた。
「金曜、知人の家に泊まる。」「家には戻らず直接行く。」「同じ学校の生徒だから。」「男だから。」「百香に聞けばわかるから。」あらゆる場合を想定して、言い訳も協力も用意していたのに、母さんは意外にもあっさり了承してくれた。
ほんの少しいたずらな笑顔で、ほんとうは彼女なんじゃないの? とからかわれたくらいだ。
「彼女って言っちゃえばいいのに。」
仲村が軽口をたたく。親に見栄張ってどうすんだよ。
「この場合は見栄じゃなくて、優しさになるんだよ。俺に対してのね。」
「俺、真面目だから見栄張れないんだわ。」
「つれないなあ。」
案内されたマンションは世帯数の多い大規模タイプで、麓ともいえるほど近くには、区立公園が広がっていた。駅へ行く際にはこの公園を突き抜けると近道なのだと、謎の自慢をしてくる。
「公園、ほとんど桜だからさ、春になると上から花見ができるんだよ、うち。」
これはそこそこちゃんとした自慢だと思う。
マンションの一階部分は全面駐車場になっていて、そこにバイクを停めた。
「あのね、今夜親いないんだ。」
エレベーターに乗り込むなり仲村は言った。目をほそめて、挑発的な視線を送ってくる。
「さようですか。」
僕は背筋をのばす。
「うえ。スルースキル、上げすぎじゃない?」
「おかげさまで。」
あしらいつつ鼻で笑った。僕らなりの馴れ合いも、恒例化してきた。
今でこそ進展したけれど、一ヶ月前はこんなふうになるなんて想像すらできなかった。
あのときの僕だったら、きっとこの状況を殺伐と過ごしていたに違いない。隙を見て逃亡していたかもしれない。最悪、仲村を乗せたまま事故を起こしていたかも。
だけど実際は、こんなにも平和だ。良い傾向なのかは判らないけれど、少なくとも楽ではある。
室の鍵を取り出すようすを見て、本当に誰もいないのか。と、さすがに警戒の二文字がよぎった。
学校ならともかく、こいつの陣地で二人きりは危なすぎると、今更になって気付く。忘れていたが、仲村星史は一筋縄ではいかない危険人物だ。
後悔に溺れていると、突然足元に黒い塊がまとわり付いてきた。
「うわっ、」
思わず声をあげてしまった。犬だ。真っ黒な犬がドアを開けてすぐ飛び出してきた。尻尾を振りながら擦り寄ってくる。
「犬……、飼えるマンションなんだな。」
驚きのあまり変な感想を口走った。仲村は笑いながら犬を引き寄せ、両手でぐしゃぐしゃと撫でた。
「ほら、あっち行ってな。」
指さしで退散させる。ようやく靴を脱いでリビングに通されると、今しがたの犬が女の人に撫でられていた。
「ただいまー。」
仲村が声をかけると女の人は振り向いて、きょとんとした。
「……おかえりなさい。」
三十半ばくらいだろうか。灰色の縞模様の着物に割烹着を合わせた、古風ないでたちをしている。僕のことを物珍しそうに見ていた。
「連れてきたよ、友だち。」
仲村が得意げに紹介すると、更にまじまじと見てきた。観察に圧倒されながら、おじゃまします、と頭をさげる。女の人は、微笑みにも無表情にもみえる微妙な顔で、いらっしゃい、と静かに返した。そして仲村に目を向けるなり、
「あなた、友達いたのね。」
と、感心した。
「やだなあ。イヨさんと一緒にしないでよー。」
仲村はけらけらと笑い飛ばす。
「弁当箱、出しちゃいなさいよ。」
「わかってるって。ごはんもうできる?」
「もう少しだから、お風呂済ませて。お客さんが先よ、」
「わかってるって。」
女の人は、丁寧に畳まれた服の山を渡してきた。仲村がそこから数枚取って僕に渡す。
「これ、着替えね。あ、その前に荷物置かないとか。こっちこっち。」
引っぱられて別の部屋に移動した。
「誰もいないんじゃなかったんだ、」
彼の自室に入るなり僕は聞いた。
「おやや? もしかして期待しちゃってたー?」
またいやらしい目を向けてくるので、んなわけねーだろと小突いた。
「姉ちゃん……じゃないよな、あの人、」
小声で女の人についてきいてみる。
「あのひと? イヨさん。」
いや、そうじゃなくて。反応に困っていると、仲村はあっけらかんとふざけながら、
「イチノセ イヨさん。三十六歳、独身。」と付け足した。もっと反応に困る。
「きこえてるわよー。」
リビングのほうから声がした。仲村はやべっと身じろぎして、僕は笑いをこらえた。
話によるとイヨさんは仲村の叔母で、彼の両親である兄夫婦が不在の際、家の手伝いをしに来てくれる人なのだという。
家事全般が得意らしく、夕食の献立も見事なものだった。筑前煮、鶏の梅しそ揚げ、小松菜の海苔和え、出汁巻き玉子、つみれの澄まし汁、炊き込みご飯。我が家では滅多にお目にかかれない、和の品々が並ぶ。
「さっさと食べてゲームしよ。」
有り難味の欠片もないことを言いやがる。
「味わわせろよ、せっかくのご馳走なんだから。」
僕はマイペースに箸を動かした。
「だってさイヨさん。貰い手候補みつかったじゃん、」
対面キッチンで水仕事をしている彼女に向けて、仲村は茶化した。
「あなたみたいな甥っ子持つことになるなんて、彼が気の毒だわ。」
すばらしい反撃だ。ごもっともです。強く頷くと、イヨさんはわかりやすい笑顔をみせた。
「星史とは同じクラスなの?」
そのまま小首を傾げてきいてくる。
「いえ、クラスは、違うんですけど、」
僕はどぎまぎして答えた。
「面倒くさいでしょ、こいつ。」
え、ま、まあ。視線を泳がせると、イヨさんはまた笑った。
「正直者ね、彼。」
「だから好きなんだ。」
自慢げに、仲村ははにかんだ。
食事を済ませ、彼の希望どおりゲームに付き合っている間にイヨさんは帰った。帰る直前に本日最後の仕事として、鍋に温かいカフェオレを作ってくれていた。
「この時期にホットとか、ありえなくない?」と、仲村は氷を入れて牛乳で割って飲む。せっかく作ってくれたのに悪いだろ。僕はホットのまま頂いた。
「いいのいいの。俺たち、遠慮と嘘は無しって関係だから。」
話に気をとられた隙に、画面ではキャラクターが大ダメージを負った。
「あーコンボ切れちゃった。」
コントローラーをかざして仲村が嘆く。
「おまえこそさっき取り逃したんだから、おあいこだろ。」
「ていうか条件厳しすぎない? ここのレア武器。」
「じゃあキャラ変える?」
「やだ。絶対取る。」
唇を尖らせて仲村は意気込んだ。
誰かとゲームをするなんて、久しぶりだ。
中学は途中から勉強漬けだったし、今じゃそんな友達もいないし。百香もひのでも、こういうのには疎いし。せめてひのでが妹じゃなくて弟だったら、違ったのかもしれないけれど。
まあまあ楽しいはずなのにどうも集中できない。たぶん、この空間のせいだ。
仲村家のリビングには、絵に描いたような幸せな家庭が映し出されていた。
とにかく写真が多い。
七五三、入学式、卒業式、家族旅行らしきもの、写真館で撮った家族写真……すべてが上等な額縁に嵌め込まれていて、棚や壁を飾っている。まるで仲村星史のちょっとした年代記だ。
僕はゲームをする傍ら、あらゆる年代の仲村をちらちら見た。
やんちゃで天真爛漫な物もあれば、かしこまった精悍な物もある。一緒に写る父親は穏やかそうな眼鏡の優男で、母親は小柄で若い感じの人だった。どっちかといえば父親似か? 雰囲気が似ていた。
「写真、やばいでしょ?」
画面を見据えたまま、仲村が声をかけた。
「別にやばくはないけど、数がすごい。」
コントローラーをかちゃかちゃしながら正直に答えると、仲村は、「記念とか大事にしちゃう人たちでさー、ほんと。」と、照れと呆れの中間くらいで笑った。
「めっちゃ愛されてんだよね、俺。」
みたいだな。僕は納得して頷く。
「なにより夫婦間の愛がやばくてさー、うち。」
やばいってなんだよ。聞くと、「恥ずかしいくらいラブラブ。」と溜め息をついた。
全然やばくはないだろ、と言ってやりたかったけれど、慎んだ。
「今日どこ行ってんの、親。」
代わりに質問してみた。
「日曜までデート旅行。今夜、母親が帰国するからさ。」
帰国? 画面に目を向けたまま質問を続ける。
「うちさー、父親が主夫やってて、母親が働いてんの。たまに海外出張あってさ、帰国する日は迎えに行った足で、そのまま夫婦水入らず旅行するのがお決まりなんだよね。」
なんかいいな、そういうの。僕は素直に感心した。
「そうかな。いい年して普通じゃないでしょ、」
「ふつうってことにしてやれよ。」
画面の中では二人の武将が武器を振り回して、群がる敵を次々倒していた。着々と撃破数を増やしてゆく。僕が309人、仲村はもう428人目だ。協力プレイだから数を争う必要はないのだけれど。
「うちなんて、とっくに破綻してるくせに離婚しないような両親だし。」
350人目を超えたあたりで僕は言った。説教ではなくて、どちらかといえば愚痴っぽく。ついでに、「まじ、意味わかんね。」とも付け加えておいた。
「ま、夫婦って、当事者にしかわかんないもんだしね。」
「まあな。」
「わかりたくもないけどね。」
「だよな。」
「でも、反抗するのもめんどくさいよね。」
「ほんとにな。」
同意を繰り返しているうちに、撃破数は400人を超えていた。これ、現実だったらとんでもないことしてるよね。話を脱線させて、仲村はカフェオレを飲んだ。
「家族のこと、すき?」
隙を突くように、また話を捻じ曲げる。
「あんまり好きじゃない。」
僕もカフェオレを啜りながら、いちおう答えた。
「けど、最近はそうでも、ない。」
そしてちょっぴり気まずく、言い添えた。
「好きになってきてるんだ?」
仲村が画面から目を離して、意地悪く笑う。
「わからない。」
一番つまらない返答を選んだ。
「じゃあ、また嫌いになるかもね。」
二人揃って撃破数が500を超えたところで、ようやく敵総大将が現れた。意気込んで突撃したところ、あっけなく返り討ちにされて、責任をなすりつけ合って、笑った。




