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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第四章】 透明色と曇り空
28/92

27  『変化』




 アメミヤイトコってどんな女?

 今朝の妹の質問に、僕は即答することができなかった。


 少し前までなら、きっと簡単だった。

 「地味で目立たない奴」「意外と口が悪い奴」「からかうと面白い奴」「一緒に居て楽な奴」……尽きない説明が、いくらでもできた。だけど、もうできそうにない。


 僕と仲村の契約が成立して以降、雨宮は変わった。

 三つ編みをといて長い髪をなびかせ、眼鏡を外して薄化粧を施し、あれだけ逃げ回っていた百香にも友好的に接するようになった。そして、映写室に現れなくなった。今では教室で、百香と弁当を広げている。


 雨宮は百香と親しくなることで、自然と他の女子生徒とも言葉を交わすようにもなった。

 相変わらずクラスでは「おとなしい」立ち位置だが、話しかければ気さくに対応する意外性もあり、更には垢抜けた様変わりもあってか、最近では『孤立者』から『優等生』として見直され始めてきた。

 そこには、地味で浮いていて、女子の間では不名誉な噂を貼り付けられていた雨宮糸子の面影なんか全然無くて、本来ハブられる覚悟で彼女と親しくしていた百香からすれば、嬉しい誤算だったのだろう。


 僕の知る雨宮糸子はもういない。

 華は無いけれど小奇麗にまとめた容姿も、豊富な悪口も、からかったときの反応も、いつもの掛け合いも、映写室での時間も。




「今、何考えてるか当ててあげよっか?」

 仲村に覗き込まれて我に返った。


 彼は今日もまた飽きもせず、大きなカフェオレにストローを刺して咥えている。


「心此処にあらず。元気ないじゃん。」

 やらしい笑顔で探りを入れてきた。

五限(つぎ)、数学だからさ。鬱になってた。」

 僕は視線をごまかした。

「んー。ま、見逃してあげる。」

 仲村はパックを置いて背伸びをした。満ち足りた溜め息をもらす。


「今週末、楽しみだね。」

 六月ももう半ば。僕らの関係も、変わり始めた。




 当初は人身売買とみなしていて、僕は昼休みの一時間、たっぷり警戒しっぱなしだった。

 絶対こっちからは口を開かないし、極力視線も合わせないし、話しかけられてもそうとう冷たくあしらっていたと思う。

 それなのに、仲村は常に笑っていた。いつもどおり人懐こく、馴れ馴れしく。

 暴虐の影を微塵もみせず、雨宮を盾に脅してもこない。昨夜のテレビの感想、よく聴く音楽、贔屓にしているチーム、発売日を控えたゲーム、そんなたわいのない話ばかり振っては、たとえ僕がどんな反応をみせようと楽しそうにしていた。


 徐々に、うしろめたさみたいなものを感じ始めた。

 ちゃんと会話をしない自分に、嫌気がさし始めた。


 だからまずは、形だけでも返事をしようと試みた。「ああ」とか「まあ」とか頷くだけじゃなくて、ちゃんと内容に添って、話に触れて、彼の言葉を引用したりしてみた。

 すると仲村は、こっちが恥ずかしくなるくらい嬉しそうな顔をみせた。

 もっともっと話を膨らませてくる。広げてくる。褒められた子供みたいに、はしゃいで、どこまでも会話を繋げた。


 不覚にも、疎ましくなれなくなっていた。それどころか正直楽だった。

 僕のどんな態度にも、本音にも、順応する会話が。ありのままを受けとめる、仲村(なかむら)星史(せいじ)という器が。

 次第に警戒も薄れ、僕の態度や反応には人間味が帯び始めた。


 それでもなお、『友だち』になることだけは拒んだ。雨宮にした仕打ちは忘れない。僕から奪った時間を、狂わされた日常を赦すことはできない。


 薄れた敵意と譲れない信念を携えて、僕は彼と名前の無い関係を保ったまま、馴れ合い、笑い、親しんだ。






 『帰りは十時ごろになります。夕飯、先に食べててね。』

 終礼が済んだころ、母さんからメッセージが届いた。やっぱり年甲斐もなく若い絵文字を駆使している。彼女の使った分と、同等の絵文字で返信しなければならないのが、親子間のきまりだ。


 文面に悩みながら下駄箱で立ち止まっていると、身に覚えのある香りが漂ってきた。


 ひのでが愛用している香水だ。

 反射的に振り向いて、思わず息を飲む。


「あ……」


 雨宮がいた。

 まさかと周囲を見渡したけど他に生徒はいない。信じられないが、香りの出処は彼女だ。


「今、帰り?」

 色々と混乱して、どうでもいい声をかけた。雨宮は首を一回だけ縦に振る。

「たまには乗ってく?」

 鍵をちらつかせると、今度は首を横に振った。

 長い髪が一緒に揺れて、また香りが漂った。久しぶりの対面についつい凝視してしまう。睫毛が以前より長い。唇も薄ピンクに艶めいている。そして手にしているスマホには、見覚えのあるウサギが描かれていて……


「それ、百香とおんなじ────」


 言いかけたところで、雨宮は密着すれすれに接近してきた。視線を合わせず僕の手に、隠すように何かを握らせる。紙みたいだ。



「……明日の分の小テスト答案です。今朝の分は間に合わなくて、申し訳ありません。」


 離れる間際に彼女は囁いた。



 呼吸が止まった。

 油断すると意識が飛んでしまいそうなくらい、わけがわからない。

 なんだよ、これ。頼んでねえぞこんなの。

 ていうか、なんだよ、その喋りかた。言いたいことも聞きたいことも止め処ないのに、口が動かない。


「糸子ちゃんおまたせー。あれ? 旭も一緒?」

 揃って立ち尽くしていると、百香が走り寄ってきた。咄嗟に紙を隠す。


「百香たちねー、これからデートなんだよー。お洋服みにいくのー。」

 空気も読まず雨宮の腕にしがみつく。雨宮は「はしゃぎすぎ。」と指摘しながらも、まんざらじゃない笑顔を浮かべた。


「そうそうみてみてっ。旭がくれたウサギ、色違いみつけたから糸子ちゃんにプレゼントしたんだよ。えへへーオソロなのー。」

 百香は嬉しそうに、雨宮スマホを覆うウサギをつついた。



 目の前が停止した。

 ほんの数秒、でも、僕のなかではずいぶん長く。



 停止した世界で選んだ。


 今、一番正しい発言を。もっとも相応しい表情を。

 作らなくては。窺わなくては────



「なんだよ、見せ付けやがって。」

 二人のようすを、笑い飛ばしてからかった。



「うらやましいでしょー。」

 百香はまたはしゃいで笑う。雨宮も「もう。」なんて笑う。

 この場の雰囲気が守られる。

 上手に生きれるんだな、俺たち。遠ざかっていく背中にうったえて、再び母さんへの返信に悩みはじめた。






 あんなふうに笑うのか。

 髪を洗うさなか、雨宮の顔が浮かんだ。掃うように乱暴に泡立てると、頭皮がひりひりした。シャワーをぬるめに濯ぐ。両手で顔面をぬぐって鏡を見た。


 僕がいる。十七歳、高校二年生、それ以上説明しようのない、僕。


 無駄に考えてばかりいるな、こいつ。知識も経験も足りないくせに、一丁前に。……ああ、足りないから考えるのか。面倒くさい生き物には変わりないか。品定めもそこそこに風呂を出た。


 着替えてタオルを被ったままキッチンに向かうと、リビングではひのでがテレビを観ていた。ソファで膝を抱えている。流し台には茶碗や箸が水に浸かっていた。

「夕飯、食ったの、」

 声を掛けると小さく頷いた。

 冷蔵庫にサラダとハンバーグ、鍋には豆のトマト煮を確認して、夕飯の支度を始めた。ハンバーグをレンジにかけている間に、食器や飲み物を出す。テレビからの賑やかな音を聴きながら食べ始めた。


「私、モモカが好き。」


 唐突に、ひのでの声がテレビと混じる。不意をつかれてハンバーグの溶けたチーズに油断した。水を含んで舌を冷やしつつ、ひのでのほうを見た。膝を抱えたままテレビと向かい合っている。

 こっちに話しかけてるんだよな……? 箸を止めて窺った。


「世界でいちばん好き。」


 ……うん、まあ、知ってる。生返事をして食事を再開した。

 二人して、またしばらく黙った。


 妹は、長い茶髪を無造作にくくっていた。根元には何本か細い束が編み込まれている。エクステってやつか。髪洗うの大変そうだな。足先には、手とは異なる柄のペディキュアが施されている。あの、プリントみたいな模様、どうやってんだろ。

 女子高生という手間のかかる生き物を観察しているうちに、どことなく、不機嫌になっている妹に気づいた。


「ブスだった。アメミヤイトコ。」

 案の定、拗ねた言いぐさでひのでは呟いた。


「化粧も下手だし、ださい女。私のほうが断然可愛い。」

 むくれながら毒づく。

「はあ。」

 僕はあたり障りない相槌をした。

 内心、また雨宮か。とか、なんで雨宮? とか、彼女の謎の対抗意識に首を傾げたりもしていたけれど、表情には出さなかった。


「なんで、あんなのがいいんだろ。」


 ぎょっとして箸を止めた。


「え、俺に言ってる?」

 そこで初めて、ひのでがこっちを向いた。は? と怪訝に眉をしかめる。

 あー、いや、なんでもない。続けて続けて。苦笑いで愚痴を促した。


「モモカが、最近あいつとばっかり遊んでる。」

 ひのでは遠慮なく不満を口にした。

「最近いっつも一緒にいる。」「二人で買い物なんかも行く。」「勉強も教えてもらってるみたい。」「私と遊ぶ時間、すごく減った。」「私がモモカにあげた香水、つけてた。」「むかつく、アメミヤイトコ。」「ブスのくせに。」

 恥ずかしげもなく連発する嫉妬の数々に、僕はようやく事態を把握した。

 わが妹ながら、案外面倒くさい奴だな。


「それとなく言っておこうか? おまえとも遊んでくれって、」

「だめ。」


 兄として(しかも珍しく)粋な計らいをしたつもりだったのに、まさかの即答である。今度は僕が「はあ?」と眉をしかめた。


「モモカ、楽しそうだから。アメミヤイトコと一緒だと、いっぱい笑うから。」

 投げやりにソファに寝転ぶ。髪を束ねていたシュシュを床に捨てて、爪をいじりだした。


「むかつくけど、モモカちゃんが喜ぶほうが、いい。」


 器用に描かれたネイルの表面を撫でる。不規則に、いろんな指をいろんな指で。しだいに動きが鈍くなってきて、やがて寝息をたて始めた。

 僕は音をたてないように食器をさげて、テレビを消した。乾燥機からタオルケットを引っ張り出してきて、妹にかける。僕より背が高いくせに、長い手足はソファからはみ出ることなく、すっぽり納まっていた。心地よさそうに寝ていやがる。


 やっぱり妹は難しいと、あらためて思う。



 僕は暴力が嫌いだ。


 というより苦手。

 振るわれるのも振るうのも、他人に怪我をさせるのも、怖い。他人同士の殴り合いも、フィクションの映画でさえ、まともに見れない。吐き気がするんだ。仲村への嫌悪も雨宮への執着も、すべてはそこからだった。


 こんな僕にした原因がこいつだ。ひのでだ。


 年子の、妹。同じ父と母、同じ材料で産まれた、この世で限りなく僕に近い存在。

 睦まじくもない。かわいいだなんて思えない。全てにおいて勝れない。暴力的で幼稚、激情家で傲慢。この十五年間、何度殴られ何回蹴られたかなんて、数え切れない。


 だけど妹なんだ、僕には。

 たったひとりの、きょうだい。

 残念ながらどうにも最近、ゆとりが生まれてしまった。ことさら整ってしまった世界で、厄介な家族を確認する余裕が、できてしまった。


 ほんとう、わが妹ながら面倒くさい。

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― 新着の感想 ―
[一言] 〉百香と親しくなることで、自然と他の女子生徒とも言葉を交わすようにもなった。ハブられる覚悟でいた百香からすれば、嬉しい誤算だったのだろう。  ここ、ハブられる覚悟でいたのは百香? 雨宮じゃ…
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