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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第三章】 あかつき、のち雨
24/92

23  『邪険』




 少しでも、いい結果に。



 淡い期待が衝撃に変わるなんて、夢にも思わなかった。


 初日の世界史と現代文、二日目の化学、三日目の物理と英語。試験用紙が配られるなり、何度も見返し目を疑う。

 ヤマが当たるなんてもんじゃない。


 こんなの、まるで……



「おまえ、予知能力でもあんの?」



 ストローを噛みながら僕は聞いた。


「んなわけないでしょ。」

 雨宮も、ストローを咥えたまま不機嫌に答える。


「だって、ヤマ当たりすぎるからさ。俺至上一番出来たかも、今回。」


 試験最終日の放課後、僕らはおよそ一週間ぶりに映写室に集まっていた。

 今日に限っては昼休みではなく、弁当も持参していない。そもそも今は終礼後。あとは帰るだけなのに、なぜ集合しているかというと、その理由は雨宮の不機嫌の原因ともリンクする。


「そんなことより、あのバカ女なんとかしなさいよ、」


 人差し指を向けて、雨宮は苦情を述べてきた。

 話は二日前に遡る。





 試験初日。つまり休み明けの月曜日、終礼が鳴るなり事は起きた。


「雨宮さん。このあと時間あるかな?」

 百香が親しげに雨宮に声をかけてきたのだ。


「……え、……は…あ?」

「よかったら一緒にお勉強しない? 百香、明日の数学自信なくて……。迷惑じゃなかったら、教えてほしいんだ。」


 あどけなく笑う百香に、雨宮は目をまるくするばかりだった。状況が把握できないのか、圧され気味に、半開きの口からは声が出ていない。

 百香は構わず、ぐいぐい距離を縮めた。


「駅前のサイゼ行こうよ。百香、自転車だから二人乗(ニケツ)できるし。勉強みてもらうお礼に、ドリンクバーごちそうさせて。」


 僕は蚊帳の外に徹してはいたが、内心はらはらしていた。経験上、このままでは間違いなく雨宮の罵詈雑言が炸裂する。そろそろ見てられない。

 百香か、雨宮か、どちらに声をかけるべきか悩んだそのときだった。



「……あ……ああああたし、きょ、今日は……い、いい急いでるから!」



 視線を外して声を震わせながら言い切った雨宮は、鞄を掴んで一目散に教室から出て行った。


 ぽかんと取り残された百香と一緒に、僕もぽかんとする。

 そういう反応でくるか、と思う反面、そういえばああいう奴だったなと、懐かしくもなった。



 試験二日目の終礼後も、百香はめげずに声をかけてきた。彼女なりに策を練ったのだろう。初日よりも更に馴れ馴れしく(きっと本人としては友好的に)腕に触れてきた。


「雨宮さん、一緒に帰ろ。」


 両手で包むように、雨宮の肘あたりを掴む。女子同士なら寛容される程度の戯れではあったが、雨宮は「ひいっ、」と変な声をあげた。


「やだなあ、百香、チカンみたいじゃん。」

 まったく動じない百香に比べ、雨宮は赤面しながら腕を振り払った。


「おっ……おお親がむむむ迎えにきてるからっ!」

 そしてまた一目散に逃げてゆく。

 二日連続で拒絶された百香は、「むう…」と唇を尖らせた。



「なに企んでるんだよ。」

 下校する道すがら僕は聞いた。

 百香はくるくると鞄を振った。


「人聞き悪いなあ。百香、雨宮さんと仲良くしたいだけだもん。」

「それ、女子の間でやばいんだろ?」

 僕は意地悪くむしかえした。

「んー、そうかもだけど、旭のお友達なら、百香も友達になりたいし。」


 なんだそれ。引き攣りそうになった表情を、なんとか保つ。


「それに百香ね、反省してるんだよ?」

「反省?」

「お説教してきたのは旭じゃん。うん。やっぱり百香も、ああいうの良くないって思う。」


 両手で拳をぐっと握り、一人で納得するように大きく頷く。そんな百香の様子に僕は、はあ、と微妙な態度をとった。


「本音言うとね、最悪ハブられても、旭と雨宮さんがいればいいかなー、って感じなんだ。」


 あけすけに笑う幼馴染からは、やはり厄介な女の烙印を消せそうにない。

 確信を表情に出さぬよう、むしろ無理に笑って、平和的にその日を終えた。




 そして試験最終日の今日。

 この二日間を踏まえたのか、雨宮は終礼が鳴るなり教室から飛び出した。慌てて逃げるようにというより、極力目立たないように、こそこそと早足で出てゆく様子を、僕は目撃していた。


「ねえ旭、雨宮さん知らない?」

 しばらくして百香が声をかけてきた。

「さっき帰ったみたいだけど。」

 僕が言うと、百香は不思議そうに腕を組む。


「でも、靴がまだあるんだよね。ねえ、連絡とれないかな?」

 連絡先知らないんだよ。即座に嘘をつくと、意外だと残念がられた。

「靴あるなら、まだ校内にいるだろ。玄関で待っててみろよ。」

 話を逸らして提案すると、百香はそれだと賛同し、足早に教室から出て行った。


 面倒なのに絡まれたな、あいつも。

 同情と憐れみから、僕は自販機でパックのジュースを二つ買ってから、映写室へと向かった。





 雨宮はやはり映写室(ここ)に避難していた。

 どうやらトイレに寄って帰ろうとした矢先、自分の下駄箱前で百香が待ち伏せていることに気づき、帰るに帰れなくなってしまったらしい。いつもは使っているパイプ椅子も広げず、床に座り込んで参っていた。


「まあ、あいつのことだから、一時間も待てないって。」

 半分責任がある事実は伏せて、僕もこの籠城に付き合うことにした。


「案外、女子には弱腰なんだな、」

 からかいながら、彼女と同じように床へ直に腰をおろす。いつもより景色が低い。


「女子というより……桂木(かつらぎ)百香(ももか)は、調子狂うわ。」

「近寄んなメス豚! くらい期待してたんだけど、」

「どれだけあたしを俗悪だと思ってんのよ。」


 まあまあ。宥めつつパックを手渡した。機材を背もたれに並んでジュースを飲み、テストの手応えを報告し、百香に関しての苦情を受け、そして今に至る。


 合流してから二十分弱。僕らは隣り合ったまま、ぼんやりと座っていた。

 中間試験が終わった開放感からか、退屈さえ心地良い。少なくとも僕は、の話だけれど。雨宮は違うのかもしれないな。

 ちらりと様子を窺うと、雨宮は唇を鎖したまま無気力に座っていた。


 ほんとう、華の無い女だな。置物みたいな彼女を、いくらでも見ていられる気がした。


「桂木って、」


 みつめていると、珍しく雨宮のほうから口を開いた。なんだ、また百香の話になるのか。どうでもいいと言わんばかりに相槌をつく。



「少し、セージさまに似てるわ。」



 適当に流すつもりだったのに、首が勢いよく雨宮方面に動いた。


 彼女との間で、仲村(なかむら)の存在は禁句のままだったのに、こんなふうに登場するなんて。いや、それよりも似てるか? あの二人。僕は険しい顔をした。


「だから調子狂うのよ。」


 雨宮は全然、僕のほうを向こうとしない。空になったパックを手にしたまま、視線を遠くに投げている。



「あたしのじゃないセージさまに、似てる。」

 やがてぽつりと呟いた。



 ほとんど独り言だった。置物の人形みたいにぼんやりと座ったまま、しずかな瞬きを数回繰り返す。

 小奇麗に結わかれた三つ編みが胸の辺りまで垂れていて、やけに艶を帯びている。そこはかとなく儚い横顔は、どんなに眺めても振り向きそうにない。


 無性につまらなくなった。腹立たしいくらい、面白くない。


 僕は視線を彼女の下半身まで落とした。横座りしたスカートのプリーツが、脚に沿って形を乱している。



雨宮(あめみや)、」



 呼んで、おもむろに姿勢を崩した。

 記憶に甘ったるく残る妹を模して、真似て、雨宮の脚に擦り寄る。


 膝枕から見える、より低くなった景色で、彼女を仰いだ。



「俺は、狂う?」



 寝そべって問う僕を、雨宮は見おろしていた。避けもせず、動揺も無く、顔色一つ変えず、首を傾げる。


「狂うって、」

「調子。」

「べつに。」

「つまんねーの。」


 膝枕のまま会話を交わした。



「重いんだけど。」

 やっと文句らしきことを言われる。



「え、それだけ?」

「それだけって何よ、」

「もっと無いの、他に。」

「だから重い。」

「困らない? こういうの。」

「尋常じゃないくらい迷惑だわ。」

「おまえ体温高いなー。」

「会話になってないわよクズ。」

「ははは。」


 僕だけが笑った。雨宮は笑ってなかった。

 いつもどおり、いつもどおりの僕ら。それなのに全然、面白くない。



 なあ、雨宮、



「俺のこと、邪険にしないほうがいいよ。」



 仰向けのまま手を伸ばした。指先が彼女の頬にふれ、ゆっくりと(はだ)を滑る。


 おもしろくない。つまんねーよ。



皆口(みなぐち)、」


 見おろす雨宮が、僕の手を取る。



「体温低いわね、あんた。」

 指先を握るなり真面目に言う。会話になってねーぞ。僕が笑う。


「お互いさまでしょ、」


 握られた部分がじんわり温まってきた。

 やばい、なんだか急にすごい眠い。試験期間だったし、無理もないか。

「一時間したら起こしてよ。」

 仰向けの姿勢から横向きになって、身体じゅうの力を抜く。制服の生地を、頬がぎゅうと捺した。



 プリーツんとこ、絶対寝跡つくわよ。雨宮の忠告が聞こえたけれど、睡魔に抗えそうにない。……今なら、なんとなくわかるな。ひのでのこと。

 おちてゆく意識のなか、秒針が頭にこだました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] あぁ、このパニクリ具合が糸子の可愛いところなんだよなぁ( *´艸`) 先を知っていながら読むのがまた、心理描写の新たな発見があって楽しいですね
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