表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第三章】 あかつき、のち雨
22/92

21  『寵愛』




 夜明けまでまだ少し、といった頃合いで帰宅した。

 期待していたわけじゃないけれど、やっぱり鍵はかかっていなかった。無用心だなと呆れつつ、有り難くあがる。


 バイクの音に誘われたのか、気配を察したのか、百香(ももか)が二階から降りてきた。


「………おかえり。」


 躊躇いがちに迎え入れる。

 一晩、留守をしてくれたのだろう。百香はすっぴんで、ひのでの部屋着を纏っていた。

「おなか、すいてない? 何か作ろっか? グラタン、百香が貰っちゃったからさ。」

 あどけない笑い方も、どこかたどたどしい。目に見えて無理をしている。


「ひので、どうしてる?」

 僕は無遠慮に尋ねた。


「よく寝てるよ。」

 取り繕った笑顔が、声をひそめた。



「……ごめんね、旭……。喧嘩、させちゃって。怪我……させちゃって。」


 躊躇いと、配慮と、優しさ。三つの交差上で、百香は慎重に言葉を選んでいた。


「もう、だいじょぶだよ。ひのでなら、わかってくれたし。」


 彼女の「大丈夫」とは、丸く治めたという意味だ。

 きっと夜が明けて、妹と顔を合わせても殴られることはない。これ以上、僕が被害を受けることはない。理不尽で一方的な兄妹喧嘩も、これにて収束だ。


「ごめんね、旭、……ごめん。ごめんね、」

 喋るほどにうな垂れてゆく彼女の笑顔は、限界を迎えていた。


百香(ももか)、」

 繰り返す謝罪を遮って名前を呼ぶと、泣き出しそうな顔がこちらを向く。



「いつも……ありがとな。俺こそごめん。いろいろ。」



 僕の礼と労いと謝罪が、ぎりぎりまで保っていた彼女の線を、ぷつりと切る。とたんに、百香は破顔しながら大粒の涙を流した。笑みと号泣、相反する二つの感情を熾したのは、たぶん、安堵だと思う。


「よかったあ……。ももか、旭に……嫌われちゃったかと、おもって、」


 手のひらでぐしゃぐしゃと涙をぬぐう。


「ほんとはね、ずっと、お話、したかったんだよ? でも、旭……つめたいし、最近、ぜんぜん、別人みたいで……ちょっと、こわかったし。クラス、誰とも、話さないし。なんか、近寄れなくて……。でも……雨宮さんとは、しゃべるし、」


 泣きじゃくって声を詰まらせる百香は、感情のあまり言いたい事がまとめられずにいるようだった。ここ最近の僕との関係に悩んでいたことだけは、伝わった。


 僕は泣きやまない百香の髪に、手を乗せた。



「きらってなんかいないから。」



 百香はいよいよ嗚咽だけになって、僕の胸元にくっついた。二階で眠っているひのでを起こさないように、泣いている。

 すがる彼女の後ろ頭を撫でながら、僕は、雨宮の体温を思い出していた。────────







 勉強会が終わったのは深夜一時過ぎ。これ以上は運転にも支障をきたしそうだったので、切り上げることにした。さすがに、泊まるほどの度胸もなかったし。

 雨宮は駐車場まで見送ってくれた。


「帰ったら殺されるんでしょ、」

 僕が誇張した冗談について触れる。身を案じてくれているというより、興味本位のような聞き方だった。


「その点は平気。たぶん家に百香いるから。」

桂木(かつらぎ)が?」

「妹さ、百香の言うことだけは聞くんだよ。そろそろ安全になってる頃合い。」


 今更もう面倒になったので、雨宮の前でも「百香」と呼ぶことにした。こいつは僕らになんか興味無いだろうし。いい意味で。


 ふいに、雨宮は何か考え込んだ。口元あたりに指をおいて暫し黙ったのち、口を開く。



「あんた、桂木は邪険にしないほうがいいわよ。」



 だしぬけな発言に耳を疑った。忠告か助言か、どちらにしても雨宮らしくない。それ以前に百香に関しては、相手にするのが億劫なだけで、邪険にしたつもりもない。


「ああいう類いの女は、些細なことでも袖にされてるって感じるものよ。少し寵愛してやるくらいでもいいと思うわ。」


 寵愛って……なんか卑猥な響きだな。それはともかく、なぜ急にそんなことを言い出すのかが気になった。


「一応言っておくけど、俺たち、一度もそういう関係になったこと無いからな?」

 今も別に、痴情のもつれだの男女の諍いじゃなくて、こっちが気を遣うのをやめただけだから。あくまで今が自然なかたちなのだと、僕は主張した。


「少なくとも、桂木はそう思っていないでしょ。」

「まさか百香の肩持ってんの? 女目線で同情してるわけ?」

 僕は引き気味に苦笑した。

「んなわけないでしょボンクラ。」

 雨宮も気色悪そうに否定する。


「嘘でいいのよ。投資だと思いなさい。」

「とうし?」


 寵愛が投資。雨宮は念を押した。



「不要な好意は、使えるわよ。」



 今度は僕が考え込んだ。先ほどの雨宮を真似るように、口元に指をおく。

 暫し黙ったのち、おもむろに雨宮を抱きしめた。


 今度は衝動でも、せつな的でも、なくて。






 雨宮の提案が非道だなんて、これっぽっちも思わなかった。むしろ、どうしてこの手を見逃していたのだろうと、悔やむくらいだ。おかげでなかなか寝付けない。白んできた窓を眺めながら、睡魔を待った。


 僕は百香に、感謝と労いの言葉をかけ、謝罪をし、髪を撫で、抱きしめた。

 そうすることで彼女は安堵し、涙し、これまでの苦悩や不安を打ち消した。

 そこにある僕の心情がどんなものであろうと、いいんだ。結果的に、桂木(かつらぎ)百香(ももか)という女を利用しようと。


 百香は優しい女だ。

 お節介なまでに尽くしてくれるし、何より、対ひのでの盾とするには打ってつけだ。

 そんな彼女に、少し優しい声をかければ、たまに触れてやれば、寵愛を与えてやれば、その利便性は計り知れない。


 さすが、賢い女は目の付け所が違うな。潜り込んだ毛布のなかで、緩んだ顔がなかなか元に戻りそうになかった。






 二度目の抱擁にも、雨宮はまったく抵抗しなかった。

 そっと解放してみたところ、愛想のない視線を向けてくるだけで、動揺さえしていない。下の名前で呼ばれたときは赤面したくせに、どうも羞恥の基準が判らない。


「今度は何よ、」

 呆れるようなため息をつかれた。

「つまりこういうことだろ?」

 僕は肩をすくめた。


「だからって、実演しなくてもいいわよ。」

「いやあ、何事も予習は必要だろ。」


 真夜中の駐車場は声がよくとおる。反響する会話が、人気(ひとけ)の無さを実感させた。


「テスト順位良かったらさ、続きさせてよ、」

「? つづき?」


 安定して大真面目な彼女は、思うように察してくれない。自滅して変な空気になってしまいそうだったので、急いでヘルメットを被った。


「冗談。お礼にメシでも奢らせて。」

「結果、出してから言いなさいよ。クズ。」


 エンジンをかけ、手のひらを向けてアクセルを踏む。

 ミラー越しに映る雨宮は駐車場を出るまで、ちゃんと佇んでくれていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] まとめよみすると感情と感想が追いつかない……! 雨宮さんとの急接近にドキドキすればいいのか、雨宮さんちのパパにドキドキすればいいのかわからないままももか、そしてまた雨宮きたああああ み…
[気になる点] 主人公がどう成長して変化していくのか楽しみ! [一言] 自分語彙力があまり無いので感想が単調になってしまいますが、今回も最高でした!(*´∀`)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ