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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第二章】 沈みゆく天道
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16  『逆鱗』




 好きだなんて、軽薄────


 雨宮から叩きつけられたことばを、寝転びながらぼんやり口にした。無機質な声は天井にはね返り、耳へすとんと落ちる。今度は瞼を閉じて、暗闇のなかで雨宮と、仲村を探した。


 僕の前で無垢に笑いながら、雨宮をゴミと罵る仲村。

 僕へ嫌悪を向けて、仲村に心酔する雨宮。

 あの夜の、暴虐的な主従関係。


 考えても考えても考えても、どうしてもわからない。



 おまえたちはいつからこんなに深く、僕のなかに住みついてしまったんだ。



 好意の先にある感情。好意を踏み躙る神経。どちらもおぼろげで、かたちが見えない。色も無い。白くて白くて、見当もつかない。


 いっそ痴情だと、開き直って性癖だと言ってくれれば、ばからしい、きもちわるいで終わった話なのに、この二つの計り知れない影は深く根をはる。

 これは、僕が好意に対して捻くれているからなのか。





 どのくらいぼんやりしていたのだろう。

 橙だった窓が紺に変わっている。カーテンを閉めて灯かりを点けると視界が鮮明になり、それと同時に、喉の渇きが時間の経過を報せた。母さんのいない日は時間の流れが速い。特に今夜は、良くも悪くも。


 キッチンにおりて冷蔵庫を開けると、サラダとグラタンが二人分並んでいた。母さんが出掛ける前に作っておいたらしく、テーブルには温め直すよう書置きも残してある。


 書置きの文字面を眺めながら麦茶を飲んだ。

 母さんの字は、達筆ではないけれど下手でもない。しいて言えば若い字だ。文面からも滲み出る年不相応さに、ため息をついた。


 どんなに歪んでいようと依存であろうと、母さんが僕に注ぐ愛は、感情の頂点だ。すなわち、君臨する感情とは好意なんだ。


 だからわからなかった。

 好意を軽薄と名づける雨宮の心理が。弄ぶように蔑む仲村の真意が。

 二人に捕らわれてゆく、自分自身が。

 新しい日常と向き合うために、色々と吹っ切れたつもりだったのに。



 テーブルに頬をつけて伏せると、ひんやりした。全然眠くないのに動くのが億劫になる。身体が行動を渋る分、頭だけは嫌になるほど回転した。


 学校のこと。家族のこと。自分のこと────

 悩むほど深刻でもなく、気楽に生きられるほど心地良くもない、そんな日常に、僕の頭はめまぐるしく考え続けた。





 だいぶ経ったのに空腹の気配が無い。というより、グラタンを食べる気になれない。

「………。」

 ふと目論んで顔をあげた。

 重たい身体を起こして自室(へや)へあがり、鞄を取り出す。鞄には父さんから貰った一万円札があの日のまま、四つ折りで眠っていた。


 ……外に出よう。どこかで夕飯を済ませよう。


 使い道に臆していた臨時収入の使い道が、母さんへのささやかな反抗だなんて、我ながらせこいとは思う。

 でもいいんだ。反抗だけじゃないから。ちょっとした鬱憤晴らしでもあるから。

 相手不明の言い訳を唱えながら、身支度を整えた。



 玄関から物音が聞こえたのは、身支度が済んですぐだった。



 ひのでが帰宅したらしい。

 いつもは二階に直行する足音が近づいてきて、ひのでが姿を現した。


 先週から復学した妹の制服姿は目に久しくて、僕はばれない程度に眉をしかめた。スカートが短すぎるのも要因の一つだけど、『同じ学校の』というのが、何よりきつい。


「……おい、靴、」


 しかもどういうわけか、ひのでは土足だった。さすがにあからさまに表情が歪んでしまう。指摘しても、ひのでは黙ったまま立ち尽くしているし、僕は早々出て行くことにした。


「俺、これから出るから。夕飯は冷蔵庫。グラタン、オーブンで温め直せってさ。」


 母さんの書置きを口頭で伝えながらリビングを出ようとした瞬間だった。



 擦れ違いざまに胸ぐらを掴まれる。


 何かを言うよりも先に、ひのでの拳が僕を殴り飛ばした。



「────ッ!? がはっ……ッ…」



 痛みと驚きに意識が追いつかない。休む間も無く、ひのではまた僕の胸ぐらを捕らえ、今度は身体ごと圧し付けるように壁へ叩きつけてきた。


 背中に衝撃が走る。呼吸がままならない。



「モモカに、何をした、」



 妹の声が重く響いて突き刺さる。

 首を捕らえた派手な爪が、音をたてて割れた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 面白いです!主人公がこれからどう動くのかが楽しみです。
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