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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第二章】 沈みゆく天道
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15  『亀裂』




 好意が日常において、必ずしも利になるとは限らない。それが僕の見解だ。

 利どころか、害の割合が多い場合だって、よくある。


 たとえば、百香はよく「旭のために」とか、「旭が心配」だなんて言うけれど、その実、煩わしいお節介がほとんどだ。仲村においては好意の名のもとに翻弄しかしてこない。


 そして、なによりも母さんだ。母さんの愛のなかに詰め込まれている物は、ろくなもんじゃない。


 孤独への恐怖。救済の渇望。父さんへの不満。理想の幸せ。幸せへの依存。すべてが呪いへと姿を変えて、僕に(そそ)がれる。


 好きになるのが下手……か。仲村は存外(まと)を射ている。

 僕はどうも他人からの好意を、捻くれた観点で見てしまう節があるらしい。


 全部が全部というわけではないけれど、明らかにあからさまなのは、見抜けるくらいに。




 事態は、仲村訪問による余波から起きた。



 彼が訪れた昼休み以降、僕へ対するクラスメイトの目が若干変わった。主には女子だ。単にクラスが同じだけのほぼ他人、よそよそしく接する程度だった女子たちが、妙に友好的になりだした。


 朝の挨拶だったり、突然の雑談や質問だったり……最初は戸惑いもしたけれど、そのあまりにもあからさまで浅ましい魂胆に、早々愛想笑いすら出なくなった。


 彼女たちの目的は、こぞって仲村(なかむら)星史(せいじ)だ。別学科に属する高嶺の花。かすりもしない接点を、僕で結ぼうとしている。そして不本意にも、僕に()された孤立者の烙印は薄れつつなり始めた。


 それでも僕は孤立者に徹した。

 質問されても雑談を持ちかけられても、必要以上の返事はしない。最低限の会話で済ませる。昼休みは映写室へ足を運ぶ。

 そしてこの空間でだけ、雨宮とだけ、あけすけに喋った。



「案外面倒くさいのね、あんた。」

 ここ最近の僕について、雨宮は言及した。



「何がだよ、」

「意地張ってないで、素直に馴染み直せばいいじゃない。」

 意地なんて張ってないけど。というのが僕の本音だったのだけど、雨宮が周囲を察知しているという事実のほうに気をとられた。


「おまえこそ、案外周り見てんのな。もっと無関心だと思ってた。」

「関心なんて無いわよ。嫌でも耳に入ってくるもの。」


 じゃあ当然、仲村の名前も入ってきてるはずだよな。……とまでは聞けなかった。

 素っ気ない会話の流れで、どさくさに紛れるいい機会だったのに、できなかった。

 ただでさえ、今の僕は不安定な立ち位置にいる。孤立者の烙印が消え、少しでも雨宮の地雷に触れてしまえば、たちまち崩れてしまうほどに。


 それだけは防ぎたかった。せっかく手に入れた日常を、整った今を壊したくなかった。


 そのためにはただ、波がやむのを待つしかない。

 口も耳も心も、できるだけ閉ざして、事を荒立てなければいい。相手にしなければいい。適当に流せばいい。



 ────それだけだったのに、




「ねえ、旭、」


 やはり僕を煩わせるのは、この女だ。




「これからみんなで勉強会なんだけど……えっと、もし、暇だったら一緒にどう、かな?」


 放課後、女子数名を引き連れて、百香は誘ってきた。

 背後ではしゃぐ女子たちに比べ遠慮がちなところ、おそらく頼まれたのだろう。百香の性分上、嫌とは言えないのも知っている。そのくせ、僕との距離にも気を遣う。



 わかっている。彼女はそういう人間だ。

 昔から、幼い頃からそうだ。



 僕のために絆創膏を持ち歩く。

 ひのでが迷子にならないように手を繋ぐ。

 僕らが喧嘩をすれば、弱いほうを守り、強いほうを宥め、最終的に仲裁だってする。

 何かあれば声をかけてくれる。友人たちの輪に招待してくれる。誕生日にはケーキを焼いてくれる。

 ひのでの心さえも、開いてしまう。


 孤立者になった僕を、結局見捨てられない。



 そういう人間だ。優しい女だ。





 反吐が出る。





「雨宮、」

 百香を素通りして、雨宮に歩み寄った。


「帰ろ。」


 雨宮は座ったまま僕を見上げて、例によってぱちくりと瞬きをする。

「へ……!? は? な……なん────」

 返事を聞くより先に彼女の手をとって、繋いだまま教室を出た。

 廊下へ出る瞬間、百香と目が合いそうになって、すぐに視線を流した。



 百香(ももか)

 本当に反吐が出るよ。おまえの優しさには。








 僕は雨宮の手を引いたまま、裏門から外へと走った。足取りが軽い。手の体温が無ければ二人で走っていることを忘れそうだ。


「ちょっ……ちょっと!」

 校舎からだいぶ離れたあたりで、雨宮が声をあげた。

「ど、どこまで……、は、走る気よ、」

 息があがっている。見かけどおり、体力は無いらしい。


「駅裏のスーパー。」

 僕はすっとぼけるように答えた。

「は……はあ!?」

 さすがに苛立ったのか雨宮は、立ち止まるなり振り切るように手を離し、怪訝な顔をみせた。


「バイク停めてるんだよ。あそこ、結構穴場でさ。」

 僕は懲りずにすっとぼけて、飄々とふるまう。

「そ、そういう問題じゃないわよ。く、靴! 上履き!」

 雨宮は更に苛立ちながら、地面に向けて指をさした。そこで初めて靴を履き替えてないと気づいた。


「あ……。」


 思わず口を開けたけれど、不思議とこの状況に、笑いが込み上げてきた。


「まあ、いいだろ別に。」

「よくないわよ。土日、挟むじゃない、」

「月曜から中間じゃん。どこも出掛けないだろ、」

「そういう問題じゃないわよドクズ。」


 僕は可笑しくなって、雨宮は不機嫌になる。だけど二人の間に、学校へ引き返すという選択肢は浮かばなかった。

 立ち止まったら急に力が抜けて、そこからは歩いた。もちろん、手は繋がずに。


「……なんだったのよ、急に、」

 歩き始めてすぐ、雨宮は問いただしてきた。

「ごめんな。面倒くさくてさ、ああいうの、」

 気は引けたけど、正直に話すことにした。


「ああ、桂木(かつらぎ)百香(ももか)ね。」

「なんだ、めざといな。」

「気づかないほうがどうかしてるわよ。……ったく冗談じゃないわ。あんたたちの痴話喧嘩に、巻き込まないで。」


 歩き始めてからの雨宮の語調は、怒ったふうでも頭を抱える感じでなく、いつもどおり素っ気なくて、それ以上は咎めてこなかった。こっちとしては、謝罪も言い訳もある程度は用意していたのに、拍子抜けだ。


 雨宮は僕よりも孤立者として歴が長い。今さら周囲の目なんて、気にも留めていないのかもしれない。だとしても派手に巻き込んでしまったな。


 隣で歩く雨宮に目をやると、彼女はおもむろにペットボトルを取り出して一口飲んだ。ボトルの中では、人工的な緑色が泡をたてている。オモチャみたいなジュースが、地味な雨宮には不釣合いだった。


「………なによ、」

「いや、そういうの飲むんだなって思って。」

「悪い?」

「いや、悪いとかじゃないんだけど。」



 僕はまだ、けっこう彼女を知らない。

 嗜好も傾向も境遇も、真意も。


 こんな些細なことで思い知らされる。僕はこんなにも雨宮(あめみや)糸子(いとこ)を知らないままだったなんて。

 距離だけは近づいていると過信していたのに、重要な部分は全部後回しで空白のままなんだ。


 思い知らされる。思い出してしまう。彼女から目が離せなくたった理由を。


 ないがしろにしていた順序を悔やむなんて、遅すぎるだろうか。

 今からでも、修正は効くのだろうか。

 そして、真っ先に修正すべきはどこからなのか、今日までの僕らを振り返った。


 どんなに記憶を辿っても、短い過去を遡っても、避けていた場所はいつも同じだ。空白のままにしていた理由も要因も、本当はわかっている。答えならとっくに持っていた。


 ただ、触れるのを避けていただけだ────。





 悶々としているうちに駅まで辿りついてしまった。雨宮は僕の隣を離れ、改札へ向かおうとする。

「乗ってかないのか? 送ってくけど。」

 呼び止めると雨宮は振り向いて、じとっと睨んできた。



「心中なんて真っ平って言ったでしょ。」



 そうだよな。あらためて納得した。


 過信していた距離。

 放置したままの空白。

 (おご)っていた関係。


 こんなもんなんだ、彼女にとっての僕は。



 思い知らされる。思い出してしまう。


 彼女から目が離せなくたった、理由を。

 とけないままの、あの夜のことを。




「……なあ、雨宮。……おまえさ、」

 順序を正すなら、きちんと修正するしかない。



「最近、仲村と会った?」



 触れるべきは()()しかない。



 仲村の名を出しても、雨宮は特別な反応をみせなかった。

 いつもなら、意地悪にからかえば大真面目に対応するし、気まぐれに接近すれば慌てふためいて動揺するのに、こんな時に限って、冷たく、無反応だ。


「俺たちのこと、ばれてるっぽくて、さ……」

 いたたまれなくて付け足した。



「図々しいわね。何が『俺たち』よ。」

 雨宮は淡々と返す。



「別にいいだろそこは。何か、難癖つけられたりしてない?」

 殴られたり、蹴られたり、実害を受けているんじゃないのか。潜んでいるかもしれない理不尽を勘ぐって問いただすと、雨宮の目つきが鋭くなった。



「セージさまは、そんな人じゃないわ。」

 冷たかっただけの反応に、敵意が混ざる。



 まず耳を疑って、次にはつまらない冗談かと思った。

 でも、突然棘をたてた雨宮の声も、目つきも、勿論反応も、正真正銘、ぜんぶ本気だった。

 ……なんだよ、せいじさま、って。


「おまえ、あいつに何されたか解ってんの?」


 正気かこいつは。懸念から一転して、詰め寄った。


「あれは、誤解を生んだあたしが悪いのよ。」


 雨宮は言い切る。

 その態度には躊躇いも迷いも無くて、僕は、雨宮糸子という女に初めて落胆した。


 今の今まで勘違いしていたんだ。彼女の従順や隷属の影にはきっと、狂気への恐怖や何らかの脅し、力で捻じ伏せられている背景があるとばかり思っていたのに。

 まさか、正体が好意だったなんて。しかもずいぶんと、盲目に。


「め、めちゃくちゃ、好きなんだな、あいつのこと。」


 彼女の心酔を逆撫でしないように、僕は精一杯の作り笑いをした。

 初めて彼女に対して、言葉を選び、雰囲気を守り、顔色を窺った。


「すき?」

 おうむ返しをしながら、雨宮は表情をひきつらせる。



「……あんたには解んないわよ、」

 そして嫌悪感たっぷりに、僕を睨んだ。



 これまでで一番冷たくて鋭い眼差しには、嫌悪だけじゃなくて、怒りにも蔑視にも似た負の感情が込められていて、聞き慣れたはずの悪態が、ずしんと響く。


「あのひとのことなんて、なにも。」


 響くだけじゃない。そのまま身体を貫通して、風穴をあけられたみたいだ。

 肉も骨も内臓も吹き飛ばされて痛みだけが残る。



「好きだなんて、軽薄なものじゃないわ。」



 見限るように雨宮は僕から離れた。

 改札を抜けて、真っ直ぐと遠ざかってゆく背中は、どんなに見つめ続けても、振り向いてくれなかった。

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