14 『接近』
天災は忘れた頃にやってくるというけれど、別に忘れていたわけじゃない。
そもそも、『天』災ですらない。とりあえず、予告どおりに雨宮が欠席していたのは、唯一の救いだったのかもしれない。
「皆口くん、」
仲村が特進の教室にやってきたのは、午前の授業が終わってすぐだった。
人目もはばからず僕の席まで寄ってきて、親しげに声をかける。
「おひる、一緒に食べよ。」
久しぶりに視線の集中砲火を浴びた。学内の有名人と、特進の孤立者。接点があるなんて誰も想像するはずがない。クラス中がまずは仲村に、その次に僕へ目を向けた。
「………なんのつもりだよ、」
威嚇をこめて声を潜めた。
「たまには構ってよお。」
仲村はまったく動じずに目をほそめる。笑顔に黒い部分は微塵も見当たらなくて、誰がどう見ても、厭味のない優等生だ。
分が悪いと悟り、移動を提案した。仲村は軽い調子で了解する。連れ立って、屋上へ向かった。
六月が間近に迫る空の下はほどよい陽気で、しばらく映写室で昼を過ごしていた僕には、眩しすぎるくらいだった。
「特進、めちゃくちゃ緊張したー。やっぱ雰囲気違うよね。」
腰をおろしてすぐ、仲村は背伸びをした。
「俺も一応特進生なんだけど、」
というより、緊張していたようになんて、まったく見えなかったけど。ぶっきらぼうに言い捨てると、仲村はまた軽く、「だって皆口くんは友だちだし。あはー。」なんて言う。
相変わらず調子が狂うというか、腹が読めないというか、いちいち相手するのも面倒になってきた。例によって特大のカフェオレも持参しているし。
適当に無視して、僕も紅茶のパックにストローを挿した。
「最近はあいつとばっか仲良くしてて、妬けちゃうけど~。」
一瞬にして彼の目的を把握した。
思わずストローを咥えたまま固まる。その短い時間で、今度は雨宮の身を案じた。
「……言っておくけど、俺が勝手に近づいてるだけだからな。」
「? 何が?」
仲村もストローを咥えたまま首を傾げた。とぼけているようには見えないあたりが、かえって寒心を植え込む。
「だから、別に仲良くしてるわけじゃないから。……変なことすんなよ、雨宮に、」
覚悟を決めて核心をつくと、仲村はようやく理解したような反応を見せ、笑いだした。
「心配しないでよ。さすがにそんなことで八つ当たりしないってばー。あんなゴミクズどうでもいいし、敵だとも思ってないし。てか俺のほうがスペック高いじゃん?」
「じゃあもうやめろよ。あんな、弱いものいじめみたいなこと、」
今さらだけど、本性を知ってからのこいつとの会話は疲れる。
遠慮も容赦もしなくていいのに、まるで煙相手に組み手しているような、もどかしさがある。僕は核心に続き、率直に抗議した。
仲村は珍しく表情を消して、じっと僕を見た。
やがてそっぽを向きながら、「むしろ弱いのは俺のほうなんだけどなあ。」なんて呟いた。
ふざけているようにも、拗ねているようにもみえる言い草に、僕はまた黙った。
黙って、仲村を見た。
透明感のある男だ。
横顔のかたちも、陽気にてらされた肌も、ゆれる髪も。
あの夜に見た暴虐な彼はたしかに存在したのに、今目の前にいる透きとおった彼も、間違いなく本物だ。黒い部分が微塵もない。
白くて白くて、わからなくなる。この仲村星史という男が。
悔しいけれど、こいつはどんなに凝らしても見えてこない。嘘を塗りたくっているようにも、すべてを曝け出しているようにも感じる。
もう関わりたくないという望みを諦めるつもりで、僕は口を開いた。
「なんで俺に構うんだよ、」
「え?」
「雨宮のこと、どうでもいいなら、俺に関わる必要なんて無いだろ。」
できるだけ目を合わせないように、ゆっくりと訊ねた。仲村の顔色を窺うのが、正直怖かった。
一定の距離を保った気配が、ほくそ笑む音がした。
「皆口くんは、ひとを好きになるのが下手そうだよね。」
ひとを……。
口の中で復唱して振り向いた。
「だから好きだよ。」
恥ずかしげもなく、照れるように、仲村は頬をかいていた。そんな仕草が全然怖くなくて、杞憂していた僕のほうが恥ずかしくなった。
「心外だ。」
言い返したのは、ほとんど八つ当たりだ。
「あはー。ふられちゃった。」
仲村に効かないのは、承知の上だったけれど。
彼の好意がふざけていようと、本音だろうと、歓迎なんてできそうにない。これ以上の会話は無駄だ。
ここらで潮時か。
昼休みの終了時間が迫っていたからかもしれない。これ以上、彼と話しこみたくないと匙を投げたからかもしれない。解散を意識した一瞬の隙を狙うかのように、
「ねえ、皆口くん、」
仲村は触れてしまうほどの位置まで接近し、ずいと顔を覗き込んできた。
「弱いものいじめの反対って知ってる?」
突然縮まった距離に思わず物怖じする。質問の意味なんて頭に入ってこない。
「庇護欲。」
僕の理解よりも先に、仲村は答えを告げた。
ひごよく、の一音一音がえらく丁寧に、艶かしく耳に沁みる。
「庇護欲は気持ちいいからね。」
人懐こく笑いながら向かい合った仲村は、ポケットから何かを取り出して、僕の胸ポケットへと移した。
「ささやかなプレゼント。」
胸に手のひらを乗せて耳打ちをしてくる。
「じゃねー。大好きだよー。ふられたけど!」
さいごの最後で、にししとふざけた笑顔に切り替え、ふざけた台詞を残して去ってゆく。手を振る彼を見据えて、僕は噤んだまま立ち尽くしていた。呼び止める必要も、追いかける理由も無い。
まだ少し彼が怖いのも、悔しいが正直なところだ。
胸ポケットのなかをそっと覗いた。
USBメモリだ。
ちょっと悩んで、取り出すのはやめた。教室に戻ってから鞄に隠そう。思いつきながら空を見上げると、あまりの眩しさに瞼を閉じた。




