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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第二章】 沈みゆく天道
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12  『両親』




 ふつうの家。


 雨宮が口にした呼吸みたいな「ふつう」は、耳にずしんと残った。



 推測でしかない彼女の家庭が、羨ましかったのは事実だ。

 そして、彼女による『普通認定』は、自信に繋げてもいいと思えた。家庭をもっと軽視して、家族をあしらえる自信。


 でも、現実はそううまくはいかない。





「明日、どうしても旭が行くの?」

 週末の晩、母さんは駄々をこねた。


 月に一度父さんと会うのは、両親が別居する際に取り決めた、契約だ。

 父と子供の面会。これは父さんからの条件で、母さんは渋々飲んだらしい。

 弁護士を立てていない漠然とした口約束は、面会する『子供』が僕なのか、妹なのか、もしくは二人揃ってなのか、その辺も結構曖昧で、たいてい面会の日に都合のいい方が出向いていた。



 そして僕が担当する日は、母さんの機嫌がすこぶる悪くなる。



「ひのでに代わってもらえばいいのに……」

 母さんにとって、父さんと接触させるのに()()なのは、ひのでのほうらしい。


「そうはいかないよ。先月もその前も、ひのでに任せちゃったし。」

 こういうとき母さんを逆撫でしないコツは、僕も「仕方なく行く」という姿勢を崩さないことだ。これは義務もしくは任務、と捉えている息子を演じなくてはならない。


「なんか旭、最近冷たいのね。」


 どこかで聞いた台詞だな。状況に無関係な点にも心当たりがある。もしかしてこれは、女という生き物の常套手段なのだろうか。


「そんなことないよ。遅くならないようにするから。」


 母さんに対してはまだ、これが精一杯だ。

 学校ではやりやすくなってきたというのに、家庭はどうも難しい。






 もう一人の親、父さんのことは嫌いじゃない。きっと一般的な男子高校生より喋るほうだろうし、もちろん面会も苦じゃない。

 ただし、これはきっとそれなりの距離があるからこその結果だ。


 僕が考える『一般的』で、『普通』の男子高校生より、父親と接する機会が少ないから、二人の時間に希少価値が生まれ、会話を弾ませているのだろう。


 だけどそれは、関係が良好、とイコールにはならない。





「二年生になったんだな。」

 待ち合わせの蕎麦屋で先に座っていた父さんは、僕が到着するなり嬉しそうに声を弾ませた。そういえば学年が上がってから顔をみせるのは初めてだ。


 なんでも好きなもの頼め。と言うので、お言葉に甘えて天丼と蕎麦のせいろ二枚の膳を選んだ。

「高校生だろ。そんなもんで足りるのか、」

 なんてまた言ってきたので、更に甘えて出汁巻き玉子と、食後にはあんみつも追加すると、父さんは満足そうに頬をゆるめた。


「学校はどうだ?」


 最初の質問はいつも同じだ。会う頻度が少ない分、彼のなかで僕の成長はゆるやかなのだろう。


「特に変わりないよ。」

 少し嘘をついた。

 そのあとの質問も大体決まっている。「勉強はどうだ?」「友達と仲良くやってるか?」やはりどうも年相応ではない話題が続く。



「彼女はできたか?」



 そしてたまに変化球も投げてくる。思わずむせかけた。


「いい反応だな。図星か、」

 楽しそうな父さんに、僕は咳払いをした。


「残念ながらご期待には添えられないよ。勉強だけで精一杯だから。」

「おまえはひのでと違って、わかりやすいなあ。」

「何? ひのでにもこんなこと聞いてんの?」


 想像するだけで寒気がした。もし僕がそんなこと口にしたら、命はない。


「もちろん。あいつは素直な分、かえって読めないけどな。」

「素直? まさか。」

 苦笑まじりに否定したけれど、ひのでの父さんに対する態度は、僕や母さんに向けるものとは違う、というのを僕は知っている。父さん自身は全く気づいてないみたいだけど。


 喋りこんでいるうちに品が届いた。二人分の膳と、出し巻き玉子が所狭しと並ぶ。


「それ、甘くないやつだけど、よかったのか?」

 玉子に箸を伸ばすと、父さんは聞いてきた。


「うん。本当は出汁巻きのほうが好きなんだ。」

()()()?」


「あっ…………

 ……うん。甘い玉子焼きが、好き、だと……母さんが、喜ぶ……から。」



 変に声がとぎれた。父さんとの再会が久しいせいか、本音と建前にむらが出る。



「……悪いな、苦労かけて。」

 察したように父さんは謝罪した。

 基本的に人間が出来ているからこそ、この(ひと)はこの(ひと)でやりづらい。


「そういうつもりで言ったんじゃないよ。」

 僕は慌てて弁解した。


「こういうときは堂々と、好きなもの食べられるから、ラッキーだなっていうか、」

 わざとらしく天丼にがっつくと、不運にも獅子唐が物凄く辛かった。でも、また父さんの頬がゆるんでくれたので、結果的にはよかった。


「今度は、中華か焼肉にしような。」

 薬味をときながら父さんは提案する。僕は、できたらラーメンがいい、と提案し返した。

「そんなのでいいのか?」

「うん。カウンターで食べたい。」

 獅子唐を齧った後のお茶はすごく熱くて、舌がひりひりした。





 父さんと母さんの仲たがいの理由を、実のところ真相までは知らない。

 父さんは経済力に優れていて、たいていのことには寛大で、子煩悩なひとだ。別居後にこうして面会しても、母について何か吹き込んだり、愚痴をこぼしたりもしない。

 ひのでが父さん贔屓になるのも頷ける。


 でもそんな彼でも、長年連れ添った相手と暮らせなくなってしまった。子供を二人も設けておきながら、修復不可能となってしまった。


 夫婦とは、そんなにも難儀極まりないものなのか。

 考えてみれば当然だ。血の繋がった家族でも大変なのに、夫婦なんて、他人同士が紙一枚で家族になるのだから。



「ひのでとは、仲良くしているのか?」

 一瞬、心を読まれたかと思った。


「なんで?」

 嘘を言うか本音をぶつけるか悩む余裕もなくて、質問を質問で返す。


「いや、なんでっていうか、その……な、」

 父さんは父さんで、何か躊躇っているみたいだった。目を逸らして後ろ頭を掻く。

 やがて深い瞬きを一回だけして、まっすぐ僕を見た。



「仲良くしていてくれたらな……って。お父さんの希望だ。」



 僕はこの人の、こういうところがけっこう好きだ。


「率直だね、ずいぶん。」

 すまない。と鼻をこする父さんに、僕は好意的な反面、複雑でもあった。


 あんな妹、持ったことないくせに。

 ひのでの本性も知らないくせに。

 一緒に暮らしてもいないくせに。


 言いたいことは挙げればきりがないけれど、彼の内側から滲み出る苦悩を考えると、同情が先立ってしまう。しかもこの人は、それを隠せているつもりでいるから、なお不憫だ。彼の真摯を踏みにじる気には、とてもなれない。


「おまえたちは、たった二人の兄妹だもんな。」


 真摯だけじゃない。父さんの言葉には重みもあった。




 父さんも僕と同じく、二人きょうだいの兄だ。

 そして父さんは弟、つまり僕の叔父にあたるその人を、若くして亡くしている。


 僕が生まれる前の話で、病死なのか事故死なのか詳しくは知らないけれど、決していい最期ではなかったらしい。

 そんな背景が彼に、きょうだいの尊さを語らせている。

 会ったこともない肉親に投影されるなんて迷惑だ、と、ひねくれた見方はいくらでもできるのだろうけど、僕とひのでが唯一の兄妹であるのは紛れもない事実だ。

 今だけは黙って、父さんの言葉を噛み締めておいた。




 久しぶりの面会は穏当に終わった。

 タクシーを拾えと父さんから万札を渡されたけど、バイクで来たからと断った。それでも無理やり万札は押し付けられた。使い道に臆する臨時収入を鞄に隠して、母さんの待つ我が家へ走った。







 ひのでが留守なのは、玄関を開ける前からわかっていた。不機嫌な母さんと、おとなしく家に居るような妹じゃない。

 案の定、家の中の気配は少なくて、リビングでは母さんが、テレビを点けっぱなしに寝ていた。


「ただいま、」


 声をかけると、母さんは首だけ動かして、だらしない笑顔で滑舌の悪い「おかえり」を発した。


 (から)の缶ビールが転がっている。大して飲めないくせに四本も空けたのか。気分良く夢心地になっている母さんの傍には、空き缶と一緒に写真も置かれていた。

 アルバムに納められていないばらばらの写真が、無雑作に何十枚と積っている。

 時系列もばらばらだけど、全部に幼い僕らが写っていた。



「旭はねえ、大きな赤ちゃん、だったのよお、」

 酔っ払いながら、母さんは僕の昔を語りだした。



「丈夫で、発育のいい子だったわあ。病気も、全然、しないし。よく、笑うしい。寝返りも、あんよも早くてね、」


 耳にたこができるほど聞いた話だ。

 母さんは続けた。


「うさぎと、ペンギンが好きだったのよねえ。たまごやきと、ジャムサンド、作ると、よろこぶのよ、いつも。でも、ママがいちばん、大好きで、あまえんぼさんだったの。お母さんも、旭が大好きだったわあ、」


 優しくて、穏やかで、可愛い物好きな男らしくない息子。

 僕は、母さんの話に耳を傾けるふりをしながら、写真を片付けた。



 人間として出来ているのは、間違いなく父さんだ。

 経済的、精神的に安定しているのも、子供の気持ちを汲めるのも、きっと親として相応しいのも。



 でも僕は、この人を、母親失格だと切り捨てられそうにない。



 暴力を振るうわけじゃないし、家事をやらないわけでもない。酒を飲んで暴れるわけでもない。暴言も吐かない。浪費家でもない。


 この人は、幸せを諦めたくないだけなんだ。

 彼女の幸せはきっと、理想に模られていて、その枠から少しでもはみ出れば、不幸になってしまう。不幸を認めてしまえば、たちまち崩れてしまうのだろう。



 だけど、それはきっと、僕の責任だ。



「おかあさん、あなたを産んでよかったあ、」


 彼女の理想が現実だと惑わしてしまったのは、僕だから。

 十七年間、ずっと。



 写真を片付けつつ眺めた。

 海水浴の写真、七五三の写真、入園式の写真、動物園での写真。僕とひのでは必ず一緒に写っていて、改めて見ると結構似ていた。

 今じゃありえない、ひのでの満面の笑みもあれば、僕に抱きついている()もある。時々、百香が一緒の写真もあった。

 その一つ一つが微笑ましい反面、写真の先に待っている現在(みらい)に、心臓がしめつけられた。


 母さんの意図からか、父さんが写っているものはあまりなかった。ましてや夫婦のツーショットなんて影すらない。



 そんな中、明らかに異質な一枚に目が止まった。



 父さんと母さんの結婚式の写真だ。

 これだけ乱雑に引っ張り出したのだから、紛れ込んでしまったのだろう。思わぬ貴重な一枚を、じっと見つめた。


 写真は新郎新婦と、親族の集合写真だった。

 集合写真といっても畏まった堅苦しいものではなく、くだけた笑顔や、ピースをしているフランクなやつで、親族だと判ったのは両祖父母の存在からだ。今よりずっと若いが確かな面影がある。親族というより家族写真だった。


 新郎新婦である父さんと母さん、その両親である両祖父母、母さんの兄夫婦、そして、若くして亡くなったという、叔父らしき人も写っていた。面識は無いが父さんによく似ている。



 あともう一人、面識の無い人がいた。

 やたらきれいな若い女のひとだ。



「母さん。このひと、誰?」


 父さんにも母さんにも、女きょうだいはいないはずだ。叔父に奥さんがいたという話も聞いたことがない。

 酔っ払っている母さんの隙をつくように、僕は尋ねた。


「あー………つきのちゃん……、ね、」


 母さんはもうほとんど寝ていた。閉じかけの瞼で、うつらうつらと写真を覗く。



「おかあさん、きれいでしょう? ……ふふ、」

 花嫁姿の自分を自慢したのを最後に、完全に眠りへとおちた。

 母さんの寝息を確認してすぐ、写真を臨時収入と同じ鞄へと隠した。

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― 新着の感想 ―
[良い点] やっぱり面白い猛毒 染入る様に入り込んでくるこの感覚が好き (≧▽≦)ノ
[良い点]  旭にも父のような素直さがあれば、またなにか変わったんですかね。
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