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最愛なる猛毒、致死量の慈愛。  作者: 悦司ぎぐ
【第二章】 沈みゆく天道
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11  『普通』




 昼休みに映写室へ通うのが、僕の日課になりつつあった。


 あくまで映写室で過ごす事が目的であり、雨宮は二の次である。雨宮もそれを理解しているのか必ずしも居るわけではなく、かといって全く来ないわけでもなく、日によって訪れる時間も去る時間も、ばらばらだった。もちろん僕も。



 いい距離感が整ったなと、ここ最近思う。



 今の僕らは、孤立者同士が身を寄せ合っているのではなく、抜群の環境下に孤立者が集まった、という背景で昼休みを過ごしている(厳密には、僕が勝手に彼女の領域に居ついたのだけど。)。


 そこに親交の義務は存在しない。

 つまり、言葉を選んだり、雰囲気を守ったり、顔色を窺ったり、小さな嘘さえつく必要も無い。

 身を削らなくて済むのだ。


 雨宮も当初は、僕が訪れるたびに睨みつけてきたけれど、やがて無害だと認識したのか、単純に慣れたのか、もしくは面倒くさくなったのか、警戒しなくなった。

 打ち解けたのではなく、どちらかというと無関心だ。僕が居ようと居まいと本に集中し、昼食を摂り、時々テレビを点ける。

 まあ、それは僕も同じで、だからこそいい距離感なのだけど。


 でも、全く会話が無いわけでもない。

 彼女から話しかけてくるのはほぼ皆無だけど、僕は気まぐれに声をかけた。


 雨宮は無駄に真面目なもので、無視が下手だ。



「雨宮ってさ、お嬢さま?」

 いつか百香がこぼした疑問を、そのまま質問にした。



「…………何よ突然、」

「最寄り、明治神宮前だろ。すごいところ住んでるみたいだし。」

「……別に、ふつう……よ。」


 ふつう、か。

 僕のおうむ返しで会話はたいてい終わる。それがまた気楽なもので、僕の気まぐれ、もしくは意地の悪い部分に、拍車をかけていた。



 雨宮に上流家庭の可能性をみたのは、最寄り駅だけが要因じゃない。

 たとえば弁当。彼女の昼食は小判型の曲げわっぱ弁当で、それを縮緬(ちりめん)の小風呂敷に包んで持参していた。中身はこれまた丁寧に詰められていて、手毬麩や三つ葉なんかが上品に添えられていた。


 それ以上に目を惹いたのが、雨宮の食事作法だ。

 片手に本を持つ習慣はいただけないけれど、もともと身についているのであろう箸の扱いからは、育ちの良さが垣間見えた。


「親、厳しい?」

 さすがに唐突すぎたのか、雨宮は不思議そうに瞬きをした。

「食べかた、きれいだからさ。」

 補足して聞くと、雨宮は更に瞬きを繰り返した。たぶんだけど、こいつはちょっとでも褒められることが苦手だ。


「……食事に関してだけは、父が、……どこに出ても、恥ずかしくないように……って。」

「でも、本読みながらは無作法だろ、」

「う、うるさいわね。こんなところで作法もクソもないじゃない。」


 ついでに口の利き方も習うべきなんじゃ……言おうと思ったけれどやめた。それより、珍しく続いた会話に励みたかった。


「厳しいのは食べかただけなんだ?」

「……基本的には甘い親よ。」

「仲良いの? 父親と。」

「悪くは、ない……と思う。」


 これは持論だけど、親と関係が悪くないというのは、至って良好と同じ意味だと思う。

 素直に羨ましかった。関係が悪くないと言える父親もそうだけど、話にあがってない母親についてもだ。


 弁当を見る限り、彼女の母親は常識的な感性の持ち主だ。少なくとも、年頃の息子にハート型のジャムサンドを持たせるような人間とは違う。


「いいよな、そういうの。うらやましいよ。」

 素直にのべたところ、雨宮は目を丸くした。やはり褒められるのは苦手みたいだ。


「……なによ、それ。」

「うち、父親いないからさ。」


 ミニトマトにフォークを刺しながら言った。雨宮は箸も縮緬で包んである上等なやつなのに、僕はランチ用の短いフォークを持たされている。こういう所で育ちの差というか、母親の差がはっきりするものだ。


「あ、離婚はしてないんだけどさ。母親がちょっと面倒くさい人で、一緒には暮らせないっていうか。まあ、穏当な家ではないわけ。」


 たわいもない話として僕は続けた。クラスメイト相手に、家族について触れたことなんて無いけれど、この空間とこの距離なら軽口で済む気がした。



「別に、ふつうよ、そんなの。」



 雨宮は素っ気なく答えた。その返事には配慮も慰めも見当たらなくて、むしろ、本を開きながら言うあたりがぞんざいなくらいで、心地よかった。


 ふつう、か。また僕のおうむ返しで、いつもより少し長い会話が終わった。

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