海に焦がれて君と帰る
あらすじ通り、とことん穏やかな話が書きたい気分だったので書いてしまった作品。
あっという間に終わるので、本当に力を抜いて読む感じでお願いします。
水で戯れていると思うことがある。
このままいっそ、ここで眠りについたら安らかに死ねるのではないかと。
どこまでも見通せそうなマリンブルー。
その中を優雅に舞うのは無数の色を持つ魚たち。
海底に生える海藻の草むらと、珊瑚の群れを包み込むのは風よりも優しく穏やかな海流。
この海において異物であるはずの自分が、そこに段々と馴染み、溶けていく感覚がなんとも心地よくもどかしいのだ。
人間は、どう足掻いたってこの美しい海の世界では生きていけない。
力を抜けばぷかりと海面に浮かび上がる身体が、なんとも憎たらしい。
どんなにこの海を愛していようと、お前はここでは部外者だと言われているように感じる。
もし生まれ変われるなら、同じ哺乳類でもイルカあたりにしといて欲しい。
ふと、視線を感じた。
いや、視線を感じるにしては遠すぎる距離なのだが、いつもそう感じるのだ。
水面へと横たえていた身体を真っ直ぐに起こせば、遠くの砂浜にひとりの男が立っている。
彼が迎えにきた。
確認しなくてもいつもの事なので、すんなりと受け入れられた。
渋々、未練がましい身体を引きずるように、沖から浜へゆったりと泳ぎ始める。
砂浜へと上がれば、いつもの如く空は夕暮れへと傾き始める。
真っ赤な日の光に照らされて青を失ったはずの海は、それでもなお、海面に光を反射させては輝いている。
「…また上がってしまった」
「そりゃそうでしょ。帰らないと」
私の独り言にそう返ってきた呆れた声は、表情を見れば感情の出にくい無愛想なものなのを、もう嫌でも知っている。
今日の彼は白いアロハシャツに、赤いハーフパンツにビーサンという、島の役場では許されても、普通の役所では決して許されない格好をしている。
「…やっぱり今日も派手ね」
「そうじゃなきゃ、わからないでしょ」
彼はそう言いながら、未だ海の名残を滴らせる私の頭へ大きなタオルを被せた。
されるがまま、その真っ白なタオルに全身の水滴が拭き取られていく。
「人魚だったら海に住めたかしら」
戯れに、そう口にした私に彼はクスリと笑った。
「そしたら僕が寂しいよ」
「……限られた時しか一緒にいられないからロマンチックかもよ?」
「それでも、僕は寂しいのはやだ」
全く変わらない感情の見えない真顔。
それなのに、その声がひたすらに穏やかで優しいことを私は知っている。
水に溶けていく、心地の良い泡の音のように話す人…
この評価は付き合いが長くなった今でも変わることがない。
「ほら、帰るよ」
彼はそう言うと私の手を取り、歩き出す。
振り返れば、私の大好きな海がどんどん距離を空け、遠ざかっていく。
「…帰ったらシャワー浴びなきゃね」
「その間にご飯作っとくよ」
私の他愛のない話に、彼が素っ気ない口調で答えてくれる。
海は今でも好きだけど、
今は…貴方が迎えに来てくれるのが嬉しくて毎日海に入るのよ?
絶対に教えてあげないけど…
そんな事を考えてる私は、やっぱり陸で生きる人間ならしい。
***
彼女は海を愛する人だった。
都会の、海どころか自然すら遠い場所で生まれた彼女は、何故か島生まれの僕なんかより海に焦がれている。
僕の実家の飲食店で働いている彼女は、昼の仕事が終わると必ず海に入る。
それを迎えにいくのが付き合ってから、そして結婚した今でも続く日常だ。
何か抜け落ちたような表情で、海を名残惜しげに見つめる彼女と家に帰る。
海の匂いを落とした彼女と夕飯を食べ、一緒に眠る。
そんな幸せを噛み締めながら、また次の日も彼女を海まで迎えに行く。
それはきっと、これからもずっと続く変わらない日常。
綺麗な海に行きたいな〜…とか思ったり。