彼女の驚きごと
「んー……」
寒さが肌に突き刺すような空気の中唸る。口から漏れ出した息は白く、コートを着ていても肌寒い。手荷物片手にぶるりと身震いを一つ。
なんというか、億劫だ。いや、少し違うかもしれない。どちらかというと気がすすまないのだ。
目の前にあるのは、2階建ての一軒家。豪邸というわけでも目に見えてボロいということもなく、住宅街に並んでいても違和感はないような、普通の一軒家だ。
俺の目的地は、間違いなくここ。だがやはり、インターホンを鳴らす指が動かない。
「腹くくるか。……寒いし」
体を縮こませながら、鼻をすする。
もう12月下旬。真冬も真冬で、コートにマフラー、手袋はごわつくからしてないが、防寒をしていても寒いものは寒い。
また一つ、白い息を吐き出しながら、インターホンを押した。
ピンポーン。
間抜けな電子音が鳴る。次いで、「はーい」とこもった声、かと思えばそいつは二階にいたのか、バタバタと階段を駆け下りる音が中から聞こえてきた。
ここにくるのは初めてではない。門を開けて、玄関の扉の前まで行く。
その扉はガラスがはめ込まれていた。中が見えるほど透明じゃないが、扉の前に誰かがいることくらいはわかる。
そこに映り込んだ人影。ガチャリとドアノブが周り、扉が開く。
「はーい、どちらさまで――」
顔を出したのは、俺の彼女でもある、後輩の少女だった。俺の顔を見た途端、言葉も止まり、時が止まったかのように固まった。
ここは彼女の家だ。だからこいつがいるのは当たり前なのだが、結構彼女は家ではだらしないらしい。もう昼前だというのに、寝巻きのような、ラフな寝巻き姿だった。肩辺りまで伸びた黒髪は相変わらず綺麗だが、ピンピンと寝癖がいくつかある。
彼女はなんだかんだ優等生で、身なりもしっかりしている。こんな姿を見るのはなかなか珍しく、なんとなく得した気分だった。
いつもならこうも彼女を見れば、「視姦ですか?」なんて言われそうなものだが、彼女は固まったままだ。
流石に心配になってくる。軽く片手を上げて、声をかけた。
「……よう」
「――ッッッ!!!!」
瞬間、彼女の体がビクンと大きく跳ねた。くりっとした瞳もさらに大きく見開いて。
言葉も出ないとばかりに、口もパクパクさせる。
「ぁ……ぇっと……」
「おい、だいじょう――」
「――ッッッ!!!!」
俺がまた声をかけた途端、またビクンとさせたかと思えば、バタン! と扉を勢いよく閉めた。
「――ぶか……締め出された……」
ひゅうと冷たい風が吹いた気がした。
酷くないか? 締め出しはないだろ締め出しは。こんな寒いのに。
バタンバタンとなにやら騒がしい彼女の家に向かって、恨むような視線を向ける。
物音が止むのにそれほど時間はかからなかった。ほんの1、2分。扉が再び開いたのは、閉められてからすぐのことだ。
「こんにちは、先輩」
「……お前すごいな」
「なにがです?」
「変わり様以外にあると思うか?」
「はて。変わり様、ですか。なにも変わってませんよ? わたしはずっとわたしですとも」
先ほどとはすっかり身なりが変わった彼女は、顎に指を当てて可愛らしく、そしてわざとらしく首を傾げてみせた。
あのドタバタ中に着替えたらしく、ラフであることに変わりはないが、寝巻きではない。顔もどこかさっぱりして、どこからどう見てもいつもの彼女だ。
ただ、一部分を除いて。
俺は自分の、ちょうど後頭部あたりを指差す。
「寝癖、まだあるぞ」
「っ!」
彼女はまた肩を跳ねさせる。そして再びドアを勢いよく閉めようとしたところで、俺は素早く隙間に足を挟み込んだ。
ガン! と足に鈍い痛みが走る。
「痛え!」
「ちょ、先輩なにやってるんですか……」
「扉閉めるのやめろ! なんか悲しくなるから!」
「それは……! ……はぁ。わかりましたよ」
彼女は困ったように息を吐いて、扉を開ける。いや、なんでしょうがないなみたいな感じになってるんだ。
「どうぞ」
「お邪魔します」
彼女に招かれるまま、家の中に入った。人の家というのは変な感じだ。自分の家とは違う匂いが不思議な感覚を連れてくる。
家の中とは言ってもまだ玄関で肌寒いが、外に比べれば全然マシだ。ふうと、一つ息を吐いた。
「じゃあ、少しここで待っててください。すぐに戻ってきます」
彼女は靴を脱ぎながら、そう言った。玄関からまっすぐ伸びる廊下。その途中で姿を消す彼女の背中を眺めながら、玄関に腰掛ける。
彼女は宣言通り、すぐに戻ってきた。寝癖も治って、今度こそいつもの彼女。腰掛けた俺を見下ろしながら、呆れたように肩を落とす。
「おい、もう少しあったかい格好したらどうだ? 家の中とはいえ、寒いだろ」
「あいにく、先輩が来るまでコタツでぬくぬくしてたので」
「いい笑顔で言うな。寒い中頑張ってきた俺への当てつけか」
「えらいですねー。どれどれ……」
すると不意に彼女は屈んで、俺に向かって手を伸ばした。雪のように白く、すらっとした指は、両手でもって俺の両頬を包み込んだ。
「ふむ、確かに冷たいですね」
「そういうお前は珍しく暖かいな」
「やはりこたつは偉大ですね」
「違いない」
なにが面白いのか目を細める彼女に、俺もつられて笑みがこぼれた。
事実、両頬に触れる彼女の指は暖かい。低体温なのか基本冷たいからそう感じるだけかもしれないが。もしくは、俺が異常に冷えてるか。
少しすると、彼女は手を離す。離れていく体温に少し寂しさを感じつつ、俺も立ち上がった。
そのあと、彼女は「こっちです」と言って歩き出した。俺もそれに続いて歩き出す。
廊下を進んで突き当たりの扉をくぐれば、そこにあるのはリビングだ。一歩踏み入れれば、暖気が全身を包み込み、体の力が抜けるような感覚がした。
一方、彼女はといえば、そそくさとリビング中央にあったコタツに潜り込む。
「ふう……寒かったです」
「お前な……客人をもてなそうみたいなのはないのか?」
「先輩に必要です?」
「必要……? うーん……そういわれると」
「では、されたいです? おもてなし」
「……別にいい」
「ならいいではないですか」
そういうと、彼女は両手もコタツに突っ込み、ぐでっと力を抜いた。顎もコタツにつけて、目も気持ちよさそうに細めて。
……うん、うらやましいな。
俺も彼女の対面に潜り込んだ。
すると今度は、同じ体勢のまま責めるようなジト目を向けてくる。
「で、先輩、どうしたんです? と、つ、ぜ、ん、うちに来て。なにも聞いていないのですが」
「まあ、言ってないからな」
今日のこの時間自宅を訪ねるなんて、何も連絡はしてなかった。サプライズ、というわけでもないが、普段からからかってくるこいつを何となく驚かせたかったのだ。
だがどうやら本人には不評らしい。コタツに入ってるはずが、さらに気温が下がったような気がした。
「……へえ。先輩、人と会うならアポ取るのは基本ですよ? 連絡もなしに、しかも自宅に訪ねてくるなんて、ストーカーですか」
「ストーカーかどうかの基準が低すぎるわ。小学生だってやってるだろ。「なんとかくーん。あーそーぼー」つって」
「そこで引き合いに出すのが小学生であるあたり、残念すぎますね。どうです先輩。小学生からやり直してみては」
「お前今日棘きつくね……?」
普段からからかってくるから、口が悪いといえば悪い。だが今日は格別だった。
彼女はさらに視線を鋭くする。その時ふと、足に何かが当たる感触がした。対面に座るこいつが蹴飛ばしてきてるらしい。
俺もムッとしながら、軽くだが小突き返す。
「俺何かしたかよ。確かに連絡もなしに来たのは悪かったけど、それをいうならお前もしょっちゅうだろうが」
「私はいいんです」
「清々しいくらいに横暴だな。なあ、なにをそんな怒ってるか教えてくれよ」
「なにに、ですか……?」
ガンッ! と一際大きな音がコタツの中からなった。彼女が思い切り蹴ったのだ。
「いっ!」
「なにに、ですか。そうですかそうですか。先輩がそれをいいますか」
「いってえ……」
「では先輩、お聞きしますが、今日は一体なんの日でしょう」
「うっ……」
俺はそこで言葉を詰まらせた。足のジンジンした痛みとは別の意味で顔をしかめる。
「ほら、先輩。なんの日ですか? なんの日ですか?」
俺が弱ったと見るや、彼女は怖いくらいにいい笑顔で追撃してきた。
観念し、気まずさで目を背けながら、小さく口にする。
「……クリスマス」
「……そーです、それですよ」
唇を尖らせながらそう言った。
珍しくコロコロと表情を変えるものだ。いや、そうさせてるのは他ならない俺なわけだが。
「ふつう、クリスマスは恋人を誘うものでしょう。それを何の連絡もなしに」
「お前はそういうの気にしないと思ってたんだけどな」
「確かに私が『普通は』なんていうのはらしくないと思いますが。それを先輩が言う道理はありませんよね?」
「……まあ、たしかに」
カツカツと彼女は指先でコタツの机部分をたたく。
「まったく、先輩は馬鹿野郎ですね。で? 先輩はご飯にでも誘ってくれるんですか?」
「…………いや」
「……すごいですね、先輩」
机をたたく指すら止まり、呆れた顔をして、湿っぽい息を吐く。
「そこまで甲斐性がないとは思いませんでしたよ。ちなみに、なぜです? 今からでも誘えばよかったでしょうに」
「……金欠」
「お金もありませんでしたか……」
「いや、ちがうんだ、ちがうんだよ」
「実際ないのでしょう? ためたりはしないのですか?」
「……ちょっと買い物で」
「はあ……」
痛い。何をとは言わないが、痛い。
「で、何を買ったんです。どうせ先輩のことです。ゲームとかでしょう」
「ち、ちがう! これだって!」
そう言って俺は一つの袋を取り出した。その中から、一つの小箱を取り出す。赤くラッピングされ、同じく赤色のリボン。それを彼女に渡すと、きょとんとした顔をして、首をかしげてみせた。
「おや、これは何でしょう」
「クリスマスなんだから、その……わかるだろ」
「……開けても?」
ああとうなずいた。
彼女はやけに丁寧にリボンを外し、破ることなくラッピングをほどいていく。箱を開けて中身を取り出し、まじまじと見つめる。
「……ネックレス……?」
シンプルなネックレスだ。シルバーのチェーンに、小さなハートのチャーム。
あれは俺が選んだプレゼントだ。たかが高校生だし、バイトもしていないから手持ちの金もそこまで多くもなく。でも俺なりに悩んで買ったもの。店頭に並んだたくさんのネックレスを眺めていたら、なんとなくこれが気になったのだ。
すると今度は俺の方に視線を向けてきた。だからかどこか小恥ずかしくて、視線を逸らす。
「これ、先輩が……?」
「……悪いかよ。ダサかったら使わなくていいから」
「いえ、悪いとかではなく。……少し驚きました」
彼女はどこか上の空な様子で、それをまじまじと眺めていた。
まあ、さっきまでの口ぶりから俺がプレゼントを買ってあることなんて考えもしてなかったみたいだし。
「高かったんじゃないですか?」
「……アクセサリって結構するのな」
「ああ、だから金欠ないんですね。高校生なんだから、そんなたいそうなものじゃなくていいのに。無理に大人ぶろうとするからですよ」
何も言えなかった。いや、それにしたって、そんなこと言わなくてもいいじゃないか。俺だっていろいろ悩んだんだ。
そう文句を言おうと彼女に視線を戻すと、そこにはネックレスを愛おし気に見つめる彼女がいた。
「それに、ダサいなんてことはありませんよ。とてもかわいらしいです。……使わないなんて、もっとありえませんとも」
今度は俺に笑いかけてくる。
俺はやはり、照れくさくて顔をそむけた。