4.歴史の授業と作業時間
チリンチリンチリンチリン
教室の中、グループ分けでお喋りしていた生徒たちは突然鳴った鐘の音を聞くと、話題を一区切にしてそれぞれ自分の席に戻った。
鐘の音がその間も少しずつ大きくなっていって、やがて本を抱えて手に抽選のハンドベルのようなものを持った女性が入ってきた。
「皆さんおはよう、全員揃っているよね」
『おはようございます』と生徒たちの反応から推測して女性は先生なのだろう。先生は教室を見渡して驚きの声を上げた。
「あれ? デツィさんどうしたんですか? 息が上がっているよ」
先生の言う通りデツィは息が荒い、そして顔も赤い。それは無理もない、デツィは今日ツワトとジェンと同じ、先生が来る少し前慌てて教室に駆け込んだのだから。
デツィが「何でもありません」と息切れしながら返事したが、先生は信じなかった。
「本当? ツワトさんとジェンさんはまだしも、生徒が朝から息を切らしているのはどう考えても何があったとしか考えられないよ。だから先生は心配です、本当に何もなかったんですか?」
「本当です」
「そう、もし何があったらいつでも先生に相談していいよ。さて、3人が落ち着くまでおさらいしよう」
ハァハァ(ん? デツィは俺より早く学校に行ったはず、なのにどうして?)
傍から興奮しているにも見える呼吸をしているツワトは先生や他の生徒よりもっと不思議に思った。
「前回はちょうど『人喰いの魔物』まで終わったから、人喰いの魔物を振り返るね」
どうやらこの授業は歴史のようだ、その内容はこうだった。
昔、神々の対立で毒となった大気や魔獣と化した動物から人を守るための結界の境界がまだ城壁にあった頃、人々は人類を守る側の神の救済措置で浄化作用のある水と食糧が湧き出るようになった教会の鐘のおかげでなんとか生き伸びることができた。
しかし、ある日を境にして突然人が蒸発したかのように1人また1人消えていった。そのせいで当時の人達は大慌てだった。
ある人は「神の怒りを触れた、早く生贄を捧げて赦しを請わないと」と臆測した。ある人は「きっと破壊の諸神を信仰している誰かが我々を消そうと動いている、やつを見つけて処刑しないと」と邪推した。
そして、不安や邪推に陥った大衆はさらなる恐怖に落とされたのだった。そのきっかけは一軒の家から出た悪臭だった。疑心暗鬼になった大衆はその悪臭も諸悪の根源の仕業と結びつけ、その家を調査することにした。
周辺の住人や野次馬たちに見守られる中、扉がこじ開けられた。すると悪臭が何倍にもなったが、気にするのは開けた瞬間だけだった。なぜなら、家の中を見た誰もがその光景に釘付けになったからだ。そして、ある人は叫び出した、ある人は腰が抜けて立っていられなかった。角度的に見えなかった人もその反応にざわめき出して匂いを気にするところではなかった。
その光景は血が何時間も放置されたであろう黒い汚れからまだ付いたばかりと思われる赤い染みなど様々な血痕が家中いたるところにあった。
そして、それらが血痕だと思い至らせた原因である死体がまるで子供の散らかした玩具のようにあっちこっちに置いてあった。死体の状態は白骨になったものから血の気のない怪我人と思える状態のものまであったが、白骨以外のどれも腹部に傷があって中身が抜かれたのか凹んでいる。
最後はどうやってこんな地獄絵図が作られたのかを実演する如く魔物が1人の腹を切り裂いて中身を食べている最中だった。しかし、扉をこじ開ける時の音のせいか、魔物も扉の方を見ている。
人の存在を気づいた魔物は最初攻撃的な素振りだったが、周辺のどよめきや叫び声で囲まれたと知った魔物は逃げた。しかし、後に探し出されて退治された。
この事故がきっかけで今の守備隊が設立された。
「ここまで質問ある人はいるか」
「はい」
まるでそれを待ちに待ったようにジェンは素早く手を挙げた。
「はい、ジェンさん」
「どうして結界があるのに魔物が入ってきたんですか」
「ごめんねジェンさん、その部分はみんなさんが成人してから教える決まりなので、今は教えらない」
先生は授業の内容に矛盾があると指摘されても特に動揺することなく、マニュアル対応で答えた。
「……はい、わかりました」
「ごめんね」
先生は落ち込んだジェンに軽く謝って授業を続けた。
歴史の授業が終わり、ツワトたち生徒は先生に連れられて他のクラスと合流して製織所に来た。そして先生の指示に従って各自班分けで植物から繊維を取る作業の一部を始めた。ある班は原料となる植物の運搬、ある班はその分類、ツワトの班は分類された植物の皮を取る作業をしている。
「やはり教えてくれませんでした」
「ジェンちゃん、どうしたの?」
作業開始早々ジェンは膨れっ面で前の授業での不満をこぼした。さっき合流したばかりのシハトはそれをみて心配そうに訊いた。
ジェンはそれを待っていたとばかりの勢いで説明し始めた。
「また変な規則だ」
「そうです、またこんな意味不明な規則です」
シハトの感想を聞いたジェンはすぐさま賛同の声を上げた。
「ところで変とか意味不明といえば、最近のシクバイ先生は変じゃない?」
デツィに言われてツワトたちは一斉にシクバイ先生の方を見た。
シクバイ先生は後ろに髪を纏めて簪で固定した髪型をしていて、鋭い目つきで生徒たちを見回っている。ツワトたちの歴史の先生は親しみやすい先生というなら、シクバイ先生は近寄りがたい先生だ。
「変? どこが? 俺にはいつも通り険しい目つきの厳しい先生にしか見えない」
「それはそうだけど、何というか雰囲気がいつもと違う」
ツワトはしばしシクバイ先生を観察してからデツィの方に向いた。
「いや、デツィの気のせいだろう」
「いや、あんたが感じなかっただけで、他の人も感じたはず。そうでしょう、ジェン」
ツワトの反応に不服したのか、デツィは支持を得ようとジェンに聞いたが……
「すみません、私もよくわかりません」
かえってツワトが支持されることになった。
「ほら、ジェンもわからないと言ったぞ。やはりデツィの勘違いだ」
デツィが悔しそうにツワトを見ると、ジェンは「しかし……」と何かを言おうと口を開いた。
それに気づいたツワトとデツィは黙って注目するとジェンは続きを話し始めた。
「何故デツィさんがそう思ったのかわかるかもしれません」
「どいうこと?」と首をかしげた。
「実は先生についての話題……というより陰口を聞いたことがあります。
そして、私はどうしてみんながシクバイ先生の陰口を叩くのかと気になって色々調べようとしましたが、何故か大人の誰に聞いても詳しく教えてくれませんでした。仕方なく大人たちの会話を盗み聞きすることで先生のお子さんが1人で留守番する時、事故でなくなったと知りました。
先生最初は同情されましたが、いつの間にか「自分の子供も躾けられないだめな先生」と蔑まれるようになったんです。
なのでいくらシクバイ先生がいつも通りに見えても、内心はそうとも限りません。恐らくデツィさんはその内なる感情を感じ取ったんでしょう」
…………
児童にとって重すぎた話なのか、ジェンが話し終わると全員は何も言わずにただ作業している。
「一体どうしていきなり蔑まれるようになったんだ?」
このまま作業時間が終わるまで静かに作業をするのだろうと思いきや、考えを口走ったのかツワトが質問した。するとジェンがある方向に指差した。
ツワトたちはその方向に向くとちょうどシクバイ先生が運搬班の生徒1人のお尻を叩き終わって、もう1人に交代して叩こうとしたところだった。周辺をよくみると原料の植物が床に散らばっている。多分、あの2人が何かをやらかしたのだろう。
「ただ普段どおりいたずらとかした人にお尻ペンペンしているだけじゃないかそれがどうした?」
「私の推測ですが、自分の子供が死んだのに、先生はあまりにも普段どおりだからこそ陰口に叩かれたと思います」
そうかもとみんなが納得した。そして、そのまま作業時間が終わるまでお喋りしながら作業を進めた。