1.日常の朝
朝、日差しが街に広がりつつの中、児童たちが行列を作って順番に井戸から水を汲み上げていく。
汲み終わった人は両手か片手でバケツを持って、友達とお喋りしながらか1人で黙々と家を目指して歩く中。ある少年が異様な方法で水のたっぷり入ったバケツを運んでいる。
クスクス
「またやってる」
クスクス
「よくも毎日続けてるな」
クスクス
「本当、頭おかしい」
その方法は竿上げ棒でバケツの鉉に引っ掛けて吊るして、剣を構えるような持ち方で運ぶという見るからおかしい方法であった。なので、他の人に笑われても仕方ない。
しかし、当の少年は他人を気にすることなく堂々と道を進んでいく。猶且つバケツの水は波紋一つも立っていない。
周囲が囁いた会話からも推測できたが、どうやら少年はこうしているのは1日や2日のことではないようだ。
「ツワト! その運び方はやめてっていつも言っているじゃない! もう! 恥ずかしい」
突然、クスクスの笑い声やヒソヒソの囁きと違って鮮明な少女の声が少年・ツワトに向けて響いた。
声の主であろうポニテール少女は片手に空のバケルを提げ、もう片方の手を腰に当てて不機嫌な顔で仁王立ちしている。
「どんな運び方するのは俺の自由だろう。それに、これのどこが恥かしいというんだ」
「アンタが恥かしくないでしょうけど、私が恥ずかしいのよ!」
「俺は恥ずかしくないのに、なんでデツィが恥ずかしがるんだ?」
「えーと……それは……」
「もう! お兄ちゃん、今日は僕も行くから朝は起こしてって頼んだのに、どうして起こしてくれないの!」
少女・デツィがもじもじと言葉を探しているところに、2人と比べて身長が半頭身低い男の子がバケツを持って慌てて走ってきた。
「いや、俺は起こしに行ったよ。シハトが起きないから先に行った」
「えぇ! 本当!?」
「どうせ『朝だ。起きろ』と一言だけ言って揺らしたりはしなかったでしょう」
「えぇ! そうなの!?」
バシャ。
話かけられてからもツワトはずっとバケツの水面を乱すことなく同じ姿勢で持っていたのに、今は水をぎりぎり溢さい波を盛大に起こした。
どうやらデツィの発言に相当動揺しているようだ。
「そうだが、なんで知っている!」
隣同士とはいえ、俺とシハトの部屋はデツィの家との間に親父たちの部屋があるから、どう耳を立てても聞こえないはずなのに!
「本当にそうなの!? これじゃ起きられないよ。ちゃんと起こしてよ」
ツワトの弟・シハトはツワトの気持ちを知らず、元気であった。
「なんでって私が出かける時、おばさんにつかまれて聞かされたよ」
何だ、おふくろがデツィに教えたんだ。しかし、見られてたなんて全然気づかなかったな。もっと鍛えないと、まずは腕立て伏せを……
「皆さんおはよう、何を話していたんですか」
ツワトがトレーニングメニューを考え始めたところに、長さは肩までのウェーブヘアで、身長はツワトとデツィ同じぐらいの少女がツワトたちに挨拶して近づいた。
「おはよう」
「おはよう、ジェン」
「ジェンちゃん、おはよう」
「さっきはツワトの兄弟愛が足りない件について話していたよ」
「その言い方やめろ」
三者三様の挨拶のあと、デツィがジェンに説明した。
「お兄ちゃん、重い、疲れた」
「これぐらいは我慢しろ。俺はシハトよりずっと疲れてるから」
4人はその後、水を汲んで帰り道についたが、歩いてから3分も経たないうちにシハトはもう弱音を上げた。
ずっと「トレーニング」を維持してきたツワトにとって、それはサボるための口実にしか聞こえなかったようだ。口調はあんまりよくなかった。
「そんな言い方しなくてもいいじゃない、疲れてるならさっきは直接に家に帰るか、普通の持ち方にすればいいのに」
「それはそうだが、シハトが一緒に行きたいと強請ったのもあるし、デツィが『いいじゃない、これもトレーニングになるから』と言ったから、こうして一緒に来たんだぞ俺は」
見かねたデツィはツワトを指摘したら、逆に責任を押し付けられた。
「いや、私のせいにしないでくれる? 私が何と言っても最後にそうすると決めたのはアンタ自身でしょう」
「いやいや、デツィがそう言わなければ、俺はもうとっくに家に帰った。だからデツィが悪い」
「いやいやいや……」
「仲がいいのはわかりますが、やはり少し休憩しませんか?」
2人の言い合いが長くなりそうと感じたのか、ジェンは2人の後ろから割り込んで休憩を提案した。
「「誰がコイツなんかと仲がいいんだ!」」
「ブッ!」
2人のハモった抗議にジェンは思わず噴き出した。そして、片手で口を隠しながらみんなより遅れて後ろにいるシハトを指差した。
そこにはしゃがみ込んだシハトの姿があった。責任感なのか、バケツの鉉を握ったままだが、しゃがむことによって自然とバケツは地面に置くことになった。この様子から見ると本当に疲れているのはわかった。
「もう無理ぃーー何でこんな早く起きて水を汲まなきゃならないの」
「規則だから仕方がないだろう、それより早く立て、そこでしゃがんでは他の人の邪魔だ」
ツワトはシハトの愚痴の質問をあしらって催促した。
しかし、シハト起きる気配も道端に移動する気配もなかった。
「規則なのはわかるけど、水がないと困るからやらないといけない。これもわかるけど。でも……」
「でも?」
「でもなんで朝この時間以外は水を汲んじゃいけないのかはわからないよ。眠いし、疲れるしもうやりたくない」
「……」
ツワトは何も言わずに俯いている。どうやら返す言葉を探しているようだ。そして……
「おい! シハトいい加減に……」
うんざりになってきたのか、ツワトは怒鳴りながらシハトに向かって足を踏み出した。この時でもバケツを構える姿勢を崩さなかったので、一見で見ると剣道のように振り下ろしそうな絵面だった。
「シハト君、あなたの気持ち私はよくわかります」
しかし、それよりも早くジェンはもうシハトの手を握って賛同の意を示した。
「おい、ジェンまで何を言っている」
「まあまあ、ジェンなら何か考えがあるでしょう」
驚いて止めようとしたツワトはデツィに引き止められた。
「本当?」
「もちろん本当です」
半信半疑で確認するシハトにジェンは微笑みながら答えた。
「じゃ、何でジェンちゃんは今日も汲みに来たの?」
「それはですね……しなければならないからです」
シハトの質問にジェンはしばし考えた末、ツワトとさほど変わらない返答をした。
「え? ……もう! 僕をからかっているの?!」
「いいえ、私は至って真面目です。とりあえず私の話を最後まで聞いてください。うーーん、まずはここから話しましょうか。シハト君、悪いことをしたらどうなるか知っていますか」
シハトを宥めて少し考えたジェンは質問で話題を切り出した。
「守備隊に捕まる?」
「正解です。そして、何故か水を汲まない子はみんな捕まるのです」
「えぇ! なんでなんでどうして」
ジェンの話にシハトはさっきのくたびれる姿が嘘に思えるほど元気に食いついてきた。
「理由はわかりませんが、捕まった子はみんな厳しく説教されたり、お尻ペンペンを受けたりしたそうです」
「ほ、本当?」
「本当です」
「お、お尻ペンペンは嫌だぁ」
恐る恐る確認しても事実は変わらないと知ったシハトは泣き出さんばかりに嫌がった。まるでトラウマがあるかのような反応だった。
「いやならちゃんとやりましょうね」
「はい……」
シハトはバケツを持って、意気消沈の重い足取りで歩き出した。
「一緒に行ってあげるから、そんなにしょんぼりしない」
それを見かねたデツィはそう言ってシハトの側に行って手を繋いだ。
「ジェン、すまない。弟が迷惑をかけた」
2人の背中を見て、ツワトがジェンに謝った。
「大丈夫、私は気にしませんよ」
「ありがとう、今度またこんなことがあったら、俺も脅してみよう」
「脅し……ですか」
「うん? どうした、これは脅しだろう」
ジェンの戸惑った返事にツワトは自然にそう確認したが……
「いいえ、この話は本当です。そして、続きがあります」
「え?」
予想外の回答にツワトは呆気に取られた。
そしてそれを構わず、ジェンは続きを話し始めた。
「たとえ罰があっても、たまにはそれを気にせず、平然と規則を破り続ける人もいます。しかし、私が調べた限りそんな人は例外なくみんな魔物に襲われて死んだそうです」
「え……」
ツワトはさらに衝撃的な情報を飲み込めず、両目を大きく開いて立ち尽くす。
「お兄ちゃん、遅い!」
「シハト君が催促しています、私たちも行きましょう」
「お、お! あっ」
バシャ。
呼ばれてやっと気がついたツワトはみんなに追いつこうと慌てて足を踏み出したが、構えているバケツはその急な動きについていけず、水を少し溢してしまった。
こうしてツワトたちの普段とさほど変わらない一日が始まったが、まさかこの日が一生忘れられない一日になるとは誰も考えられなかった。