第98話 賢者は首謀者を推理する
その日の夜、密偵から新たな報告があった。
共和国で内乱が勃発したらしい。
国家運営に携わる代表達のうち、対立する派閥の不仲が臨界点を突破したそうだ。
魔王への攻撃を主張する"主戦派" と、被害を抑えたい"服従派"が真っ向から対決しているという。
戦いの舞台は机上から首都全域へと拡大し、現在も勢いを増しているとのことであった。
これだけならばまだいい。
意見の相違から争いが起きてしまうのは珍しいことではなかった。
問題なのが、流入した魔族がそこに参戦している点だろう。
魔族達は"主戦派"の味方となって戦っているそうだ。
おかげでさらなる混乱が広がり、事態は一向に終息しない始末である。
現在、共和国の首都は滅亡の危機に陥っていた。
混戦に次ぐ混戦で情報が錯綜しており、正確な情報が収集できない状態だった。
巻き添えとなって負傷した密偵もいるらしい。
私は密偵と念話を繋げ、共和国の首都から撤退するように命じた。
情報も重要だが、密偵の命も大事だ。
どのみち混乱した首都では、まともに情報が手に入らない。
危険を冒して居座る意味も薄いだろう。
優秀な密偵を失う方が不味かった。
今は概要だけ分かればそれで十分である。
共和国の内乱については、ひとまず静観するつもりだった。
どうなるか分からず、迂闊に触れて巻き込まれても困る。
本音を言えば争いを止めたい。
しかし、状況が不明瞭な中で、考えなしに行動するのは褒められた判断ではなかった。
慢心して飛び込んだ結果、さらなる混乱を招いてしまう可能性だってある。
ここは逸る気持ちを抑えて傍観すべき局面だろう。
(まったく……)
私は報告書を置いて天井を仰ぐ。
精神的な疲労が隠せない。
対応が後手に回り気味だった。
方針的に仕方のない部分もあるが、なんとなく引っかかるものがある。
いずれも偶発的な出来事ではなかった。
魔族は共和国の主戦派の陣営に味方した。
この局面で助太刀したということは、内乱を知った上で共和国へ至ったのだろう。
それどころか、招集に応じたと考えるのが自然と思われる。
(誰がそのような根回しをした?)
当然の疑問が生じる。
内乱の様子を考えるに、以前より各地に潜伏する先代魔王軍の残党と接触していたようだ。
旧魔族領でも、現地の魔族と長期的に交流を行っている。
どれだけ少なく見積もっても、数年前からの企みだ。
そうして得た戦力を使って、主戦派は内乱を有利に進めている。
一連を俯瞰して捉えると、実に計画的だった。
狡猾で用意周到。
事態は、何者かの思い通りに進行している。
それは認めざるを得ない。
今は解析の結果待ちだが、件の魔獣発生にも関わっているのではないだろうか。
そちらにも共和国が絡んでいる予感がした。
おそらく考え過ぎではない。
(世界の意思だけではない。それとは別に個人の悪意を感じる)
正体は不明だが、きっと今も陰で動いている。
その目的が見えないものの、私の意に反する類であるのは確かだった。
どうにかして素性と居場所を突き止めねばならない。
ふとルシアナを見ると、彼女は口を閉ざして思案していた。
珍しく真面目な表情をしており、鋭い視線で虚空を睨み、爪を噛んでいる。
普段のルシアナからは想像できない姿だ。
どんな時でも見せない表情と仕草である。
静寂の中、ルシアナは私の視線に気付いて我に返った。
彼女はいつもの妖艶な笑みを浮かべると、誤魔化すように首を傾げてみせた。
あまり見られたくないものだったのかもしれない。
私はそれを気にせずに尋ねる。
「何か心当たりがあるようだな」
もちろん共和国の内乱についてだ。
この場で考えていることは二人とも同じだった。
ルシアナは唇に指を当てて答える。
「こういう陰湿で迷惑なやり方を好むヤツに覚えがあるのよねぇ」
「ふむ……」
私はその言い方から察する。
ルシアナが思い浮かべている人物は、おそらく私も知っている。
確かに此度の出来事を彷彿させるものがあった。
実際、過去に酷似する手段を使っていたはずである。
「あの男か」
「その男よ」
ルシアナは苦々しく言う。
予想は当たっていたらしい。
先代魔王軍の四天王であるルシアナは、工作員による破壊工作や情報収集を得意としていた。
彼女は他国を内側から徐々に侵蝕し、サキュバスの部下を使って敵の上層部を篭絡してみせた。
そうして以降の展開を操作する。
気付いた時には手遅れという寸法であった。
私達が連想する男も、水面下での裏工作を得手とする点までは共通している。
ルシアナとの最大の違いは、最終的な行動が遥かに苛烈であることだ。
男は扇動者としての才覚に恵まれていた。
当時、その飛び抜けた能力を遺憾なく発揮し、様々な国を内乱や反乱を以て崩壊させたのである。
しかし、此度の出来事は男の仕業ではないはずだった。
なぜなら男は既に死んでいるからだ。
他でもない私が殺した。
もう十年以上も前のことである。
似たような展開から男を連想したものの、実際はありえない。
考えられるのは、男の後継者が裏で糸を引いている線だろう。
これだけの根回しを、ただの人間がこなせるとは思えない。
もし首謀が男の関係者ならば、魔族が関与しているのも納得できる。
もし推測が的中していた場合、尚更に私が解決しなければ。
魔王としての責務だけではない。
賢者の頃の不始末を清算するのだ。
その時、グロムから念話が届いた。
私はそちらに意識を割く。
『ま、魔王様! 聞こえておりますでしょうかっ?』
「聞こえている。どうした」
『奴隷自治区で魔獣が発生しました! 突如として、一部の奴隷が魔獣に変貌したのです』
「……何?」
私は思わず聞き返す。
それほどまでに信じがたい報告であった。
『かなりの数が同時多発的に活動しており、手が足りない状態です。魔王様のお手を煩わせるのは心苦しいのですが、力をお貸しいただけますでしょうか……?』
「分かった。すぐに向かう」
私はそれだけ言って念話を切断する。
グロムは良い判断をした。
私への遠慮から応援を要請せず、事態が悪化させるほうが不味い。
彼が即座に報告してきたのだから、よほど深刻なのだろう。
立ち上がった私を見てルシアナが声をかけてきた。
「どうしたの?」
私は手短に事情説明をする。
それを聞いたルシアナは、深々とため息を洩らした。
「それはまた、すごいことになってるわねぇ……」
「まったくだ」
南では共和国の内乱。
北で魔獣の暴走。
次から次へと忙しい。
それでも対処しないわけにはいかなかった。
冷静になって思考を巡らせるのだ。
ここで苛立つようでは、首謀者の思う壺である。
気持ちを切り替えた私は、ルシアナに指示を告げた。
「情報の収集と整理に努めてくれ。あの男が関与しているくらいの認識で進めた方がいいだろう」
「なるほどね、了解したわ。魔王サマも気を付けてね」
「分かった」
ルシアナに頷いた私は、魔王軍の待つ奴隷自治区へと転移した。




